Forest Elf
〜月の涙編〜
―― 第五話 ――


 
 さくさくと、小気味の良い音を鳴らして木々の合間を歩く男が居た。
 土色のマントを羽織った、やや幼さの残る顔立ちの青年―――旅の準聖騎士は鬱蒼と茂る木々の緑に半ば関心すらしながら、ゆっくりと歩を進めていく。
(しかし、なんと縁起の悪い名か―――)
 と、若い準聖騎士は思う。
 彼は今、酒場のマスターから聞いた情報の通りに、エルフの姉妹が住むと言われている森―――『月無しの森』へと足を踏み入れている所だった。
 縁起が悪いというのは、森の通称に相違無い。
 そもそも彼がエルフ族を探しているのは、聖騎士となるための試練である『月の涙』を入手するためなのだ。
 それであるのに、『月無し』とはいかにも縁起が悪い。
(しかし、手がかりはある。…必ず、ある)
 彼が半年以上かけて仕入れた情報は、『月の涙』というものはエルフ族と深く関わりがあるらしいということだけだった。
 そう、『月の涙』を探す彼自身、”それ”が一体どのようなもので、どんな形をしているのか全く知らないのだ。
(…それでこそ、聖騎士の試練。)
 とさえ、彼は思っていた。
 おいそれと手に入るようなものが聖騎士になるための試練として課される筈がないと元々覚悟していたから、こういった試練内容を不条理とも思わない。
 最も、この程度のことを不条理と感じ、不平を漏らすような人物であれば最終試験まで残れないわけなのであるが。
(それにしても―――)
 と、彼が思ったのは森の雰囲気のことであった。
 既に二刻ほど森の中を歩き、長い年月をかけて成長した木々の葉が貪欲に陽光を求め、彼が居る地面までは容易に光が届かなくなっている。
 先の方を見れば、夜半かと思えるほどに闇が溜まり、鬱々としていた。
 にもかかわらず、である。
 森の中は些かも邪気の類は感じられず、むしろ神々しさすらにおわせるほどに清らかなのだ。
 彼の経験から言えば、このように森の深部というのは通常は強力な魔物の巣となっている場合が多く、一般人はもとより屈強の冒険者ですら容易には立ち入れないものなのだが、この森に限ってはそうではないらしい。
 さらに聞いた話によれば、この森の総面積はちょっとした小島ほどもあり、しかも四季にかかわらず常に木々が青々としているのだという。
 それは森の中心にあると言われている千年樹の霊力のせいだとも言われているし、森に住み着いているエルフの仕業とも言われている。
(どちらにせよ、悪しき所行ではない)
 と、若い準聖騎士は自らの正義の観念にそってそう判断した。
 事実、森の中は光量こそやや不足しがちであるが、雰囲気そのものはある種の聖域、楽園と言っても申し分なかった。
 時折出会う小動物も皆、彼という人間を見て特に怯える様子も見せず、その肩に止まってくる小鳥なども居るくらいだ。
 闇々とした森の中を静かに歩みながらも、心だけは常に清々しい。
 自然、彼はこの森に住むと言われている―――まだ会ってもいないエルフの姉妹に好感を抱き始めていた。
「ん……」
 歩を進めながら、彼は突然ある違和感に襲われた。
 周囲の景色には特に変わりはない。が、この違和感は何であろう。
 まるで水の中から油の中に飛び込んだような、そういう類の雰囲気の違いを、彼は敏感に察していた。
(結界…か?)
 彼の思考は、すぐにそこにたどり着いた。
 高名な術師や、魔族などが人間を厭うために自らの住処の周りに結界を巡らし、人との接触を避けるという話は比較的良くある。
 どうやらその種の結界がこの森にも張られているようであった。
 彼は特に何の詠唱もせぬまま、まるで遠くを見つめるように目を細めた。
 それだけで、彼の目には自分の周りに張られている結界の正体がおぼろげに見えてくる。
(…空間が歪曲している)
 魔力を帯びた目に、歪んだ森の回廊がしっかりと映し出されていた。
 おそらくこのまま進めば、中央部に到達することなく、森のどこかの入り口へとそのまま抜けてしまうであろう。
 しかしここで、彼は些か迷った。
 というのも、はたしてこの結界を抜けてエルフ族に会いに行くべきか、ということだ。
 結界を打ち破るだけの技量は、彼にはもちろんある。が、かといって一方的に結界を破って侵入してよいものかどうか。
 エルフ族の側にも結界を張らざるを得ない事情があるはずである。そこを察せず勝手に侵入して彼女らのテリトリーを冒すというのはどうであろう。下手をすれば侵入者として手厚い歓迎を受けることになるかも知れない。
 それは当然、彼の良しとすることではない。
 彼はあくまで、『月の涙』の情報を仕入れるために来たのであって、敵意をもって来たわけではない。
(難しいところだな…)
 彼は足を止め、しばし考えることにした。
 聞けば、エルフ族の姉妹はお忍びではあるが、時折街まできては食料品などを買っていくのだという。
 その時に話しかけるという手も、確かにある。が、それは不定期で、短くても20日は間が空くのだという。
 しかもその時に、必ず会えるという保証も無い。
 彼としては、一刻も早く情報を得、レンドラ本国まで戻って聖騎士の称号を受けたかった。
 その辺りに、やはりまだ若い準聖騎士の焦りのようなものがあったのであろう。
(……仕方ない)
 と、彼は覚悟を決めると腰に差している剣を鞘ごと手に取り、柄の方を前にするようにして尽きだした。
 程なく、柄にはめ込まれている緑色の宝玉が小さく光を放ち、結界に僅かな隙間が生じた。
 やがてそれが人の通れるほどの大きさにまで広がると、彼は風のような動作で隙間に身を滑り込ませ、エルフ族の居住領域へと侵入した。


 

 
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