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今年読んだ本。

『ホワイト・ティース』/ゼイディー スミス
この本、すっごく気に入ってしまった。ジャマイカ系イギリス人女流作家の著作で、優柔不断男アーチーとプライドの高いサマードの友情を軸に、彼らの家族や騒がしい隣人達の人間模様がユーモアたっぷりに語られる。その語り口がとても軽妙で、ヒップホップのリズム感に似てとても心地良かった。それぞれの登場人物の描写も本当に豊かで、読み終わった後も頭の中では彼らが喧喧囂囂とし続けている感じ。彼らの中でも私はアーチーという人物がもの凄く気に入ってしまっていて、ぱっとしない奴だけど、あんな人間になれたらほんとにいいなと思う。ここ最近読んだ本の中では文句無しのベスト。
『アラビアの夜の種族』/古川日出男
アラビアンナイトの翻訳、といわれるとアリババと40人の盗賊とかアラジンの魔法のランプが頭に浮かぶけど、そんな挿話は全くありません。かなりオリジナルに近いものを底本にしているそうで、素朴ながら娯楽性に富んだ物語が楽しめます。小説としての目新しさやギミックや豪奢な装飾なんかは一切無くて、純粋にストーリーを楽しむというのもここ最近ではかえって新鮮でよかった。
『この人の閾』/保坂和志
保坂和志という人は朝日新聞にコラムを書いていて、その文章が好きだったので小説も読んでみることにした。全く知らなかったのですが、この短編集の表題作で彼は芥川賞を受賞しており、出世作とも言うべき作品のようです。その表題作も含め、収録作はどれも「路地裏の日常」的な世界の中で派手な事件が起きるわけでもなく、淡々と登場人物たちの生活と心情が描写されていくという趣き。しかしその中で発せられる言葉にはピリッとした哲学的問いかけが多分に含まれていて、小説としての奥行きを深くしています。それらの問いかけや作者の意図を理解するまでには至らなかったのですが、読んでいて不思議な共感をどうしても感じてしまうのは朝日新聞のコラム同様で、やはり惹きつけられてしまいました。
『存在の耐えられない軽さ』/ミラン クンデラ
チェコの作家ミラン クンデラの代表作。映画化もされています。内容は、ドンファンの呼び声高い外科医を軸に、彼の恋人達やその親類・知人達の人間模様と心の葛藤を戦況穏やかならざる時代背景のもとに描いたもの。ストーリーだけを追ってしまえば薄っぺらい恋愛ドラマでしかないけれども、この作家の凄い所は、人物描写、特にその内面描写が非常に鋭く、かつ奥深くまで切り込んで没入していくために、最後には哲学的な思索にまで昇華せしめてしまう事だと思う。そのような洞察の深さは一見理解不能な表題にも明確に現れており、ページをめくれば、その文章には薫るような独特の品格が漂っている。という事で私はかなりこの作品・作家を気に入ってしまった。他の作品も是非読んでみたい。
『阿Q正伝/藤野先生』/魯迅
説明不要。魯迅の短編集です。『故郷』を小学校だか中学校だかの教科書で読んで以来、その印象を忘れられずにいたこともあり、改めてまとまったものを読んでみる気になった。この歳(25)になって再読してみれば、やはり『故郷』は名作です。その他の作品ももちろん粒揃いなのですが、やはりこの『故郷』には普遍的な重みがある。巻末の解説にもあるように魯迅という人は社会的なメッセージを強く前面に出していた人で、その時代背景を理解していないとそれぞれの作品に込められた彼の本意を汲み取る事はなかなか難しい。実際、この作品集に収められた作品群の多くは表面的な読み方しかできず、もどかしく思った。そのような事情もあって『故郷』あるいは『藤野先生』などの現代にも通じる作品達の印象深さが際立っているように感じた。
『航路』/コニー ウィリス
臨死体験を科学的に解明しようとする研究をめぐるSF作。テーマが臨死体験とはいえオカルト的な小説ではない。むしろそういうものに過剰反応する宗教関係者やカルト、イカサマ師たちと、客観的な事実の探求を求める主人公達との争いが随所に描かれている。SFのネタばれは致命的なので内容の詳述は避けるが、現実世界と臨死体験のもたらす幻想の世界が交錯する後半の展開は読者をぐいぐいと引き込む迫力がある。ただその分上巻はやや冗長の感がある。ともあれ読後感も清々しく、非常に楽しめる作品。
『石の来歴』/奥泉光
芥川賞を受けた表題作と『三つ目の鯰』を収録。表題作は、石(鉱物)に魅せられた平凡な男の辿る運命を描いたもので、前半は石にまつわる博物的・趣味的なエピソードが散りばめられた私小説風。ところが後半には一転して凄まじい急展開が待っている。そのあまりの展開には思わず呆然としてしまった。そして悲しく、儚く、幻想的なラストシーン。鳥肌が立ちます。奥泉光の作品を読むのはこれが初めてなのですが、正直ここまで衝撃的な作品を書く人とは思っても見なかった。この作品には小説が持ちうる悦楽と毒が満ちている。そして圧倒的な力が沸々と煮えたぎっている。ほんとにたまげました。もう一つの収録作『三つ目の鯰』は人間の心情と信仰の葛藤を描いた作品で、これも素晴らしい作品。ほんと、この本は一生忘れられそうにない。
『幽』/松浦寿輝
松浦寿輝の初期の短編集。この人も深く重い作品を書く人だ。特にこの人の作品には濃密な性と破滅的な毒がいつもあって、それらが互いに共鳴しながら官能的で退廃的な幻想を呼び起こすという構図を持つものが多い。この短編集もまさにそんな作品で、『無縁』でいきなり血塗られた毒を振りまいたかと思えば『ふるえる水滴の奏でるカデンツァ』では美しくも脆く果敢無げな官能世界を提示したりしている。そして表題作『幽』にはそれらが昇華したもう一段上の幻想が描かれている。この人の作品はほんと好きだ。いつもたゆたうような快楽を与えてくれる。そんなぬるま湯にどっぷりと浸りながらも常に絶望という嬰児を抱いているような危ういイメージ。ちなみに『ふるえる水滴の奏でるカデンツァ』にはかなりはまった。私にしては珍しく2度読みをしてしまったほど。
『一月物語』/平野啓一郎
『日蝕』で芥川賞を受賞した平野啓一郎の2作目の作品。『日蝕』はマニアックな文語体で綴られていたけど、こちらは普通に口語体。しかも舞台は西洋ではなく日本。ストーリーは、神経衰弱の療養のために山に訪れた主人公が、揚羽蝶と毒蛇に惑わされるままに行き着いた山寺で神秘的な女と出会い、その愛に殉じるというもの。というか、平野版『高野聖』です。とても幻想的で美しい物語なので良いのですが、泉鏡花のような濃密な世界観からするとやや薄味かな、と思います。ラストシーンで主人公がやたらと愛を叫ぶくだりなんかはちょっと引いてしまいます。それまで良い感じで構築されてきた幻想世界から無理やり叩き起こされて「顔洗ってらっしゃい」と言われたような気分でした。
『遠い山なみの光』/カズオ イシグロ
カズオ イシグロの初期の作品で、当時は『女たちの遠い夏』という邦題で出版されていたもの。戦後の日本のごたごたの中でそれぞれの立場に置かれた女達が必至で生き抜いていこうとする姿や、その時代の疲労と狂気を染ませた空気感が、今はイギリスで穏やかに暮らす日本人女性の回想として描かれる。事件らしい事件は殆ど無いが、語り手の知り合った母子の見せる異様な光景がある時は棘のように鋭く、ある時はじわっと染み込むように作品に重い影を落としている。海外の豊かな生活へ導かれる事を夢見て異国の男に近づいては捨てられる事を繰り返す母、その母に翻弄されながら一方では女の亡霊に怯える娘。一方、語り手は当初望んでいたわけでもないのに異国の地へ発つこととなるが、その末に自分の娘を自殺により失うこととなる。かの母の異国への妄執、その娘の見る亡霊、語り手の自殺した娘、川に沈められる箱の中の小さな命たち、この作品に繰り返し描かれるのは、こうした、戦後を生き延びていくために失ってしまったもの、狂ってしまったものばかりである。そして語り手が漠然と思い描く日本という国そのもの。文調は淡々とした印象ながら、カズオ イシグロらしい深く重く、考えさせられる作品でした。
『不滅』/ミラン クンデラ
クンデラの小説は本当に独特です。『存在の耐えられない軽さ』同様、様々な哲学的ともいえる鋭敏な考察を散りばめながら細分化されたプロットを巧妙につなぎ合わせていくような構成。途中何度も論理展開のおいてけぼりを食ってしまうのですが、それでもなぜか没頭してしまわせる魅力的な小説です。
『花腐し』/松浦寿輝
「はなくたし」と読みます。松浦寿輝の小説にはまって以来三冊目に読む作品がこの最も有名であろう芥川受賞作です。この人の小説の素晴らしさについては『幽』のときに書いたのでここでは控えますが、この作品も『幽』に劣らず濃密で素晴らしい。惰性で生きているような中年の男がふとした弾みで狂気と幻想の淵に足を踏み入れてしまう、という構図は実は『幽』等に収録されている作品の殆どと共通している。でもマンネリという気もせず、毎回新鮮な驚きに満ち溢れている事も凄い。おじさんの足元には多種多様の落とし穴が無数にあいているようです。
『東京アンダーワールド』/ロバート ホワイティング
数年前に話題になったノンフィクション。東京の闇世界でのし上がっていくアメリカ人の生涯を中心に、東京が、日本が戦後どのように歩んで行ったかを社会の裏側から鮮明に浮かび上がらせています。猛烈な取材と調査によって裏付けられているらしく、ちょっと怖いくらいに生々しく衝撃的です。力道山やロッキード事件、東京オリンピックなど、77年生まれの私にはいまいちピンと来なかった歴史的出来事がやっと理解できたのもこの本のおかげだった。それらの出来事をオンタイムで体験してきた人にとってはそれ以上に衝撃的に映るんだろうとも思います。
『プレーンソング』/保坂和志
保坂和志のデビュー長編です。毎日をのんびりと、そして少々騒がしく過ごす4人の若者の共同生活を淡々と追った作品。事件は一切起こらないし、そもそも変化が訪れる気配すらない彼らの生活が、移り変わっていく季節を背景に描かれているだけなのに、なんでこんなに心が動かされるんだろうか。やはり保坂和志の天性というところなのかもしれない。かなり好きな作品です。ほのぼのした気分に浸りたい人は是非読んでみるといいと思います。
『草の上の朝食』/保坂和志
『プレーンソング』の続編。前作の若者達がやはり淡々と幸福な毎日を過ごす。それだけで何か満たされるような感覚はやはり『プレーンソング』譲り。私としては前作の方が好きだけどこちらもなかなかいい感じです。
『新釈雨月物語 新釈春雨物語』/石川淳
上田秋成の古典を私の好きな作家、石川淳が訳したもの。『雨月〜』では冷たく透き通ったような怪異世界が鮮やかに描かれていてとても楽しめた。それらの怪異にもかつて人間だった頃の無念さや情念が滲み出るような人間臭さがあって、ただ怖いというだけではない奥深さがある。妙に考えさせられる事が多いのも特徴だと思う。時代が変わっても人は根本的なところで何も変わっちゃいないことが提示されているようにも読むことが出来ます。それに比べて『春雨〜』の方はやや説教臭いというか、いまいち魅力に欠ける感じだった。ちなみに、この本の中では要所要所で和歌と中国の先王にまつわる訓話がやたらと出てきます。そこらへんの知識的バックグラウンドを身につけていればもっと明快に楽しめただろうに、とも思いました。ただそのあたりを読み飛ばしてしまっても十分に面白いので臆せず読んでみる事をお勧めします。中でも私の気に入ったのは『菊花の約』『蛇性の婬』『青頭巾』。余談ですが、『吉備津の釜』の冒頭に出てくる釜占いの由来も、日本神話の中でも特に強烈な鬼、温羅(うら)の登場するもの凄い話です。そしてこの温羅を退治したのが桃太郎こと吉備津彦命であったりと、繋がっていく神話世界はきりが無い。興味あるひとは手始めにこちらを読んでみましょう。
『本格小説』/水村美苗
アメリカに渡って成功し今や大金持ちとなった男の辿った数奇な人生ともの悲しい恋物語を移り変わる時代と共に脈々と描いた大作。と書いてしまうとなんか陳腐な恋愛小説や年代記の類に思えてしまうけれど、リアリティーの追求や人物描写の細やかさが徹底されており、かなり感情移入できます。実際、何度もジーンとさせられました。これだけの世界を創作してしまった作者にただただ敬服してしまいます。どうしてこんな事が考えられるんだろう、と。非常に面白い小説なので是非読んでみてはいかがでしょうか。それにしても、これだけの作品がランキングを賑わす事も無ければあまり話題にもならなかったなんて。世の人々よ、履歴書の趣味の欄に“読書”と書くんだったら、多産な人気作家を追いかけてばかりいないで、たまにはこういうあまり知られていない作家の発掘に精を出してみたらどうなんでしょうか?
『グランド・ミステリー』/奥泉光
ミステリーと銘打ってはいますが、ミステリーの枠に収まりきってません。ミステリーに軍記、SF、幻想、恋愛、といったあらゆる要素が贅沢につぎ込まれています。オムニバス的といってもいいような内容ですが、物語の筋はしっかり通っているので、作家の独り善がり的空中分解を恐れる必要はありません。ただし! この本にはかなり独創的な“仕掛け”が仕組まれており、それによって読み手はかなり混乱させられると思います。その混乱を心地良く楽しめるか、あるいは拒絶反応を示すかは読み手次第。私はかなり楽しめました。ご一読あれ。
『浮世の画家』/カズオ イシグロ
これも比較的初期の作品です。軍事政権下の日本で民衆を鼓舞する絵を書き続けてきた画家が、戦後の価値観の大転換の中で体験する苦悩を描いたもの。やはり、ここにもカズオ イシグロ作品に共通する「後悔」の美学が色濃く滲み出ています。真摯な姿勢で苦悩しながら必至に生きてきても、やはり過去の自分の行いや判断に後悔し苦悩しなければならない。そうやって悩み苦しむ個々の人間を尻目に、時の流れは平然とそしてダイナミックに移り変わっていく。そんな時間の持つ非情さと人間の悲哀のコントラストが美しいラストシーンに向かって綿々と描かれています。その最後の情景、かなりぐっと来ます。カズオ イシグロの作品の中では一番好きかも。
『八月の博物館』/瀬名英明
小学生の主人公の前に突然現れた「博物館の博物館」を巡って、現代の日本と19世紀や紀元前のエジプトを舞台とした冒険が繰り広げられるというもの。それに加えて物語りの誕生に疑問を抱いてしまった作家の苦悩が入り混じり、最後には少年の冒険と絡み合う。著者は『パラサイト・イブ』の瀬名英明。作品に登場する悩める作家はもちろん瀬名自身の投影であろう。理系知識とイマジネーションを武器に書いた小説がいきなり大ヒットしたものの、その後に続く作品でなかなかブレークスルー出来ずにいる著者の本音がそのまま表れているようです。その著者が理系小説という自分のスタイルを捨て去り新境地を開いた意欲作らしく、SFとしても、冒険小説としても、「物語」を巡る哲学書としても楽しめる作品となっています。この構想力には敬服せざるを得ないのですが、「作家の苦悩」が冒険部分のカラッとしたイメージに対してやや重すぎる印象があり、なかなかリズムに乗り切れなくなってしまっています。その悩みに対し、作品中ではある結論を用意してはいるのですが、 結局著者自身がその悩みを解決できていないのだと思います。というか、「物語とは何か」という悩みはそんなに簡単に答えが出せる類の悩みだとは思えません。それを全ての小説家が悩みだしてしまったら小説は駄作を残して絶滅してしまうかもしれません。それぐらい危険な、そして致命的な悩みをこの著者は抱えてしまっているのです。ただ、このような真摯な態度で真剣に小説を書く著者には最大の敬意を持ちますし、是非、悩みを自分なりに打ち破って今後の作品でブレークスルーしてもらいたいですね。がんばれ!瀬名英明!
『私小説 from left to right』/水村美苗
『本格小説』がとても面白かったので前作を読んでみました。こちらはタイトルどおり私小説なので、『本格小説』ほどの面白さはありませんが、日本とアメリカというふたつの国の間で揺れ動く気持ちがとても丹念に描かれていて、ラストシーンの鮮やかさ、晴れやかさには胸がすっとする思いがします。あと特筆すべきはタイトルどおりの横書き小説であること。英語と日本語が交じり合った独特のリズム感がとても心地良いです。
『猫に時間の流れる』/保坂和志
保坂和志は猫が大好きです。という感情をそのまま小説に昇華させたような作品。ただ猫達に対する洞察と考察は相変わらず冴え渡っており、それを哲学的な領域まで高めてしまうあたりはさすが。もちろんそんな考察など読み飛ばしてしまっても、ほのぼのとしつつも緊張感のある日常を切り取った叙景詩的小説として十分に楽しめます。

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