ヴェローナ
 
 旅の3日目、朝ミラノをたって、ミラノを州都とするロンバルディア州を東へ走ります。北にアルプスの山が見え、その前にロンバルディア平原が広がっています。
 
 バスで2時間ほど、ヴェネチアを州都とするヴェネト州に入ってまもなく、ヴェローナの町に着
きます。ここは北へたどるとアルプスでも標高の低いブレンナー峠を越えてオーストリアのイン
スブルック(呉女が新婚旅行で医者を呼んだ町)へとぬける古代ローマ時代からの交通の要
で、ローマの植民都市の一つでした。12世紀初頭にコムーネ(都市国家)になっています。
 今では「ロミオとジュリエット」の舞台となった町として知られています。ガイドブックには載
っていないものもありますが、ミラノからヴェネチアへ行く途中という場所のせいかパックツアー
ではコースに入っているのをよく見かけます。今年の秋冬もののツアーのパンフレットの表紙
にヴェローナの写真を使っているものがありましたので、現在売り出し中の町なのでしょう。

 古代でも中世でもイタリアの都市は城壁に囲まれてい
て、その城壁の一部が今も残っていることが多いのです
が、この町も城壁と、蛇行するアディジェ川に囲まれてい
ます。バスはまず、その城壁と川に沿って街を半周しま
す。バスの中からまず目についたのが、城壁と橋と城と
が一体となったようなカステルヴェッキオ。単に「古い
城」という意味ですが、13世紀から14世紀にこの町を支
配したスカラ家の居城だったところです。 
さらに川沿いを走り、私が最も見たかったのは紀元前1世紀、つまりアウグストゥス帝時代から残るというーマ劇場だったのですが、スッと通り過ぎてしまったのでどれがそうなのかわからずじまい。ナヴィ橋というところでバスを降り、橋から撮った写真ですが、川の右側のあたりにローマ劇場があるのだと思います。

 ここから徒歩で町の中に入ります。ロミオの家だったといわれる家の前を通り、スカラ家のお墓の前を通り、
シニョーリア広場へ。ここはローマの植民都市だった時代から
フォルム(広場)だったところで、もっと広い広場だったのが中世
になって政治の中心になるシニョーリア広場と隣の商業の中心
になるエルベ広場に分かれたものだそうです。広場のすぐ横
に、ローマ時代の舗装道路が発掘されています。写真では
わかりにくいのですが、現在の道路の下にガラス張りで見える
ようになっています。
この広場に面してたち、現在は県庁舎として使われているのが
スカラ家の宮殿だった建物↓だそうです。スカラ家はスカリー
ジェリ家とも呼ばれます。コムーネが共和
制だった当初、貴族間の内部抗争が激し
く、また次には独裁者が現れたので、これ
に懲りたヴェローナ市民が信頼できるスカ
ラ家に政治を託したのだそうです。当時は
神聖ローマ帝国(おおよそのドイツ)皇帝と
ローマ教皇が各都市やその貴族、商人を
巻き込んで争う大混乱期。シニョーリア広
場には詩人ダンテ(1265〜1321)の像
たっていますが、彼は故郷のフィレンツェでこの政争に巻き込まれて追放され、スカラ家の保
護のもと、この宮殿で暮らし、「神曲」の一部はここで書かれたといわれています。彼と同じくル
ネサンスの先駆者とされる画家のジョットともヴェローナ時代に親交があったということですか
ら、もしかしてイタリア・ルネサンスはこのあたりから生まれたのかも……なんて考えると楽しい
ですね。 
ところでスカラ家とミラノのスカラ座はと何か関係があるのか、と気になりますが、スカラ家からヴィスコンティ家にお嫁にいった女性が寄進した教会の跡に建ったのがスカラ座なんだそうで、関係があるわけですね。

 15世紀はじめにはヴェローナはヴェネチアの支配下に入ります。このシニョーリア広場が整備されたのはこの時代に入ってからです。そのため、この広場や隣のエルベ広場にはヴェネチアの守護聖人、聖マルコの象徴、有翼の獅子をいくつも見かけます。元スカラ家の宮殿の入口の上にもあるのですが、上の写真ではちょっと見えにくいですね。
ランベルティの塔はエレベーターで昇ることができて、市街を見渡せるのだ
そうです。この塔を挟んで隣にエルベ
広場があります。シニョーリア広場が
落ち着いた雰囲気なのと対照的に、こ
ちらは広場中に屋台が並びます。お
土産品や飲食物など観光客相手が多
いのですが、中には新鮮な野菜を売る
店もあります。また広場の周囲には14
←世紀から17世紀ころの屋敷が並
び、内部は今でも人が暮らしています。

 さて、エルベ広場からカッペッロ通りという道を少し歩いて、左に建物
をくぐると、小さな中庭に観光客がひしめき合っています。右上を見上
げると小さなバルコニーが。そうです。ここがジュリエットの家です。
ここはカプレーティ家(シェイクスピアの作品ではキャピュレット家)の屋
敷だったといわれる13世紀の建物。先ほど皇帝と教皇が争っていたと
書きましたが、カプレーティ家は皇帝派(ギベリン)、シニョーリア広場の
手前で通ったロミオの家とされるモンテッキ家(モンタギュー家)は教皇
派(ゲルフ)で敵対していたといわれ(異説もあり)、それらしき悲恋が実
際にあったのかどうかは不明ながら、この町を舞台にした原作が16世
紀に書かれ、それをシェイクスピアが戯曲化したのが「ロミオとジュリ
エット」なのだそうです。両家はただ大人げなく喧嘩しているのかと思ったら、意外とスケール
の大きな喧嘩だったんですねえ……。で、夢をこわすようで申し訳ありませんが、このバルコニ
ーは市が観光用に取り付けたものなんだそうです。内部も料金を払えば見せてもらえるそうで
すが、これも市が作ったもの。庭の奥にはブロンズのジュリエット像があって、その右胸にさわると幸せな結婚ができるという伝説があるそうですが、あまりの観光客の多さに近づくことさえできませんでした。建物の壁面には相合傘みたいな落書きがビッシリ……。悲恋になったら困ると思うのだけど。

カッペッロ通りを少し戻って、マッツィーニ通りへ。この細い通りがヴェローナの繁華街。古い建物もありますが、1階はほとんどモダンな店舗で、また呉女には縁のないブランド物のお店がたくさんありました。
 この通りをぬけたところがブラ広場という広ーい広場になっいて、そこにデンと2000年前から
存在するのが、この町のもう一つのシンボル、アレーナ(円形闘技場)↓です。1世紀のはじ
めにできたというこのアレーナ
はローマのコロッセオには大き
さでは及ばないものの、こちら
のほうが少し古い。現在は夏
の野外オペラで世界に知られ
ています。ちょうどオペラシー
ズンでしたから、観光客も多か
ったわけですね。写真の右の
ほうでは、この日の演目「アイ
ーダ」の巨大セットを準備中でした。
内部に入る時間はありませんでしたが、アレーナの壁面を間近で見るとなかなかの迫力です。旧ローマ帝国領域内にこのようなアレーナは60くらい残っていると聞きましたが、ここはその中でも保存状態がとてもいいのだそうです。現在は平和に利用されていますけど、もともと闘技場ですから、人や獣が闘ったりしていたわけで、アレーナというのはその血を吸わせるための砂を意味する言葉だそうです。今も普通に使う言葉ですが(アリーナ席とか)、もとの意味を知ると何だかな……と思ってしまいますね。
 
 今まで歩いてきた旧市街は観光バスなどは入れない区域なのです。ブラ広場の外側にバス
が待っていましたので、それに乗っていよいよヴェネチアに向かいます。

 ヴェローナでの滞在時間はわずか1時間半程度でした。古代の史跡も中世の史跡も残って
いて、短い時間でいろんな時空に飛べる。小さな町で、ある時代に栄えてその時代の史跡が
残る町というのはいくらでもありますが、各時代の史跡が重層的に残る町というのはなかなか
ありそうでないもので、そういう意味でも貴重な町だ思いました。


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