ミラノ
ミラノ、マルペンサ空港からバスで1時間弱のミラノ郊外のホテルに一泊し、翌日午前が市内観光ということで、バスにてミラノの町に入りました。イタリアの経済の中心地ということでもっと 近代的な町を想像していたので、次々現れる重厚な建物が並ぶ通りに歓声を上げてしまいま した。
らいのところです。教会そのものも同じ時代からあるそう(建物は中世以降)ですが、さほど広く もない普通の通りにローマ時代の柱、というのが不思議な光景でした。だいたい呉女の基準
の侵入にさらされて、長い混迷の時代が続きます。やっと社会が安定し経済が発展して、イタ
のおかげで、ミラノにはたいへんな世界遺産が残っています。自由時間の最後はその世界遺 産を訪ねました。 スフォルツェスコ城からも歩けるようですが、私たちはサンタンブロージョ教会から歩いて15 分くらい。↓サンタ・マリア・デレ・グラツィエ教会です。
に着いてしまいました。まず予約番号を見せてチケットを購入。日本語のガイドブックを買って
目に焼きついています。わけがわからなくとも名画の迫力というのでしょうか。見ている間ずー っと「ああ、ここに来て、この絵を見られてよかった……」という充実感に満たされていました。 これぞ人類の遺産というか、さすが天才だあ〜というか……(表現力がなくてすみません)。
大きさなのです)観光して、買い物もして、という方は地下鉄・バス・トラムの共通一日乗車券で も安いみたいですよ。ミラノはファッションの町ですし……。(呉女には縁がないけど。この日の 午後もオプショナルではアウト・レットツアーがありました) そうそう、ミラノの歴史のその後ですが、イタリアは各都市に分かれていたために列強諸国の 介入を招きやすく、16世紀からはミラノもスペインやオーストリアの支配下に入るんです。そこ に18世紀末ナポレオンが入ってきて、ミラノはナポレオン軍への物資の補給地になったので す。もともと繊維産業は盛んでしたが、ナボレオン軍へ軍服を供給したことが今日の「ファッショ ンの町」へつながる発展のもととなったとか。その後リソルジメント(国家統一運動)、そしてイタ リア王国の成立と、ミラノは常に重要な役割を果たしました。 郊外のホテルは不便なようですが、買い物や勤め帰りのミラネーゼたちといっしょにのんびり トラムに揺られながら帰る、というのも町中とは別の町の表情をみるようで、これはこれでいい ものだなあ……と思いました。 映画「冷静と情熱のあいだ」の中に、ヒロインの働く町として、トラムの走るミラノのちょっと郊 外の風景がとてもいい雰囲気で出てきます。それから、ヒロインが元彼(竹野内豊)からの手紙 を読む重要なシーンで使われているのがサンタ・マリア・デレ・グラツィエ教会の中庭です。
ないか、と呉女は思うのですが(付け合わせがポテトなのもレモンを絞っていただくのも同じ)、 何といってもウィーンでは名門ホテルザッハーで食べてしまいましたから、あっちの勝ち、か な? 夜はホテル近くのピッツェリアでピザとパスタを食べました。値段は日本で食べるより少 し安いくらい。その店ったらピッツェリアなのにお寿司がメニューにありました。意外に地元の 人が食べていました。これが旅の真ん中くらいなら食べたくなったかもしれないですけどね。 この日はロマネスク、ゴシック、ルネサンスと三つの建築様式を見ることができたし、二人の 大巨匠の作品もじっくり鑑賞できたし、ローマ時代の柱も見られたし……。たいへん充実した一 日でした。ミラノの町は、最初に行ったからとても印象に残っていて、落ち着いた感じが呉女も とても気に入ったのですけれど、他の町のあとに行ったら印象が薄れてしまうかも……。そう、 これはまだまだ旅の第一歩なのです。 次の日は朝、バスでミラノを後にして、ロンバルディア平原を東へ。ヴェローナ、そしてヴェネ チアへ向いまーす。 |