触れる鼓動 前編





 心から湧き上がる、この衝動
 何故だか、人に触れたくなる
 自分以外の体温を、血の流れを感じたい
 頼りないこの手で、強い何かを感じたい
 自分の存在だけでは、とても不安で
 他人の存在までをも、手に入れたい

 ふと、伸ばす手
 そっと、引き返す手
 どうしたら良いの?
 誰かに伝えたいのに

 この衝動は何だろう
 この衝動を持て余す
 この気持ちは何だろう
 この気持ちを伝えたい


 外で大きな音がした。
 出窓のようになっている大きな窓の傍に設置した簡易机。
 工房の使者に言われて作った椅子。
 人助けや、自分で作って手に入れた品々で賑やかになってきたこの下宿。
 難民の島から脱出して、一週間5シルバーと言う破格の宿の一室。
 ずっと手にしていたペンを置いて、窓から外を見る。
 その瞬間、ケイノスでは珍しく空に稲光が走った。
 どうやら大きな音は稲妻の音だったようだ。
 「今日は冒険じゃなくて生産にしよっかな・・・」
 必要とあれば海でも沼でも泳ぐけれど、冷たい雨に打たれるのは好きじゃない。
 かと言って稲光に驚きながら机に向かうのも芸がない。
 ネトルヴィル・ハヴェルの下宿は銀行と同じ場所にある。
 必要な材料や道具は全て銀行で保管してもらっている。
 何をするにしても、すぐに準備が出来る。
 今まで開いていた紙とペンを片付け、まだ寂しい部屋を後にした。

 銀行から生産に必要な材料や道具を取り出す。
 そうそう。お金も忘れちゃいけない。
 ジュエラーと言う言葉の響きに惹かれて選んだ職業だったが、実際は煤にまみれる職業だ。
 とは言え、鍛冶系の仕事の訓練では爆発に巻き込まれて意識を失い(裁縫では針を指に刺し て生傷が戦闘よりも多い状況だった)、木工系では機材をうまく使えず時間ばかりが過ぎ(料 理に至っては、味が変なものしか作れなかった)、仕方なく選んだ感はある。
 「もしかしなくても・・・才能・・・ないのかな」
 自分で作った品物をブローカーを通して販売している人を見ると、いかに自分が劣っている かを目の当たりに感じてしまう。
 例え出来が悪くても、自分で作り上げた物には感慨がある。
 ジュエラーの仕事は2つに大きく分ける事が出来る。
 それは、スカウト系の技を書き留める事。
 もう一つが、宝飾品を作り上げる事。
 宝飾品は、宝石の原石を使って耳飾り・首飾り・指輪・腕輪を作る。
 形良く原石から宝石を取り出す作業は難しいけれどやりがいがある。
 完成した指輪に魔力を込める作業も、ほど良い緊張感が心地よい。
 スカウトの技を書き留める為にはインクが必要で、そのインクを作る為にはいくつもの工程 を経なければならない。
同じ工程でも断然宝石作りの方が面白いと思う。
 作業台の前に立つと、時間が経つのも忘れるくらい熱中してしまうのだ。
 「あ・・・薬品が切れちゃった・・・」
 貴金属を加工する為に薬剤が必要なのだが、ブローカーを通して売られている製品を購入し て使う事も出来るがあまり貯金のない身分ではその薬剤も自分で作り出さなければならない。
 その作業はアルケミストが得意とするところだが、あいにくと知り合いもいない。
 アルケミの作業台に移らなければ。
 幸い、魔法工芸の作業台とアルケミの作業台は隣り合っているから移動が楽だ。
 材料をチェックしながら振り向くと、目の前に大きな背中があった。
 「うあっ」
 避ける事も引く事も出来ずに、慣性の赴くままぶつかってしまう。
 「おっと」
 カチャン。バシャ。
 液体が零れる音が狭い作業場の部屋に響く。
 思い切り鼻を打ち付けた痛みに耐えながら慌てて頭を下げる。
 「す、すいませんっ!大丈夫・・・ですか?」
 そっと作業台を見ると、透明な液体がかなり派手に飛び散っている。
 「あ〜・・・うん。蒸留水が零れただけだから気にしないで」
 薬剤を作る際に必要になる蒸留水。
 これが意外と高い金額で売られているのだ。
 「えぇっ!?・・・あの・・・すいません・・・弁償します〜」
 駆け出しの新人にとって、蒸留水は1つだけ買うか、まとめて買うかを真剣に悩むくらい の金額なのだ。
 消え入りそうな声でそう伝えると、財布の中身を頭の中でチェックしてみる。
 いくつ零れてしまったのか分からないが、最大で5個くらいならなんとかなるかも知れな い。
 そんな不安げな顔色を見られたのか、軽い笑いをかけられた。
 「そこまで気にしなくて良いよ?1個だしね」
 優しく微笑むその顔は、歴戦のファイターであろう鋭さと逞しさを兼ね備えていた。
 そして何より、ケラ族特有の表情に、しばし目を奪われていた。
 それでも、ぶつかってしまった事によって蒸留水が割れてしまった事に変わりは無く。
 「そういう訳には・・・」
 持っていた蒸留水を一つ手渡す。
 この場所でいつまでも押し問答をしていても先に進まない事に気付いたのか、しばらく 悩んでいたケラファイターは、ようやく蒸留水を受け取る事に決めたようだ。
 「じゃ、貰っとくよ」
 「ほんと、すいませんでした」
 ケラのファイターと別れた後、せっせと薬剤作りに従事する。
 手慣れていない作業の為油断は禁物だ。
 しかも、何度も挑戦しているにもかかわらず4段階目(たいていは最高級品なのだが、 アルケミ製品に関しては1回の作業で4つ完成する)まで到達した事はなかった。
 作業中に起こる様々な問題に注意深く対処しているつもりでも、違う対処方法をとって しまったり対処しなかったりすると、製品が完成しないどころか自分に物理的なダメージ まで受けてしまったりもするのだ。
 ジリジリと完成に向けて工程を進めていたが手元が狂ってしまった。
 ドカンッ!!
 大きな音がして、手に持っていた小瓶が破裂してしまった。
 爆風で髪は逆立ち、手には擦過傷が出来ているらしくこぼれた液体が滲みる。
 「はぅ・・・また失敗しちゃった・・・」
 プリーストと言う職業柄、身体の傷自体はヒーリングで治す事が出来るが、壊れてしま った薬品を戻す事は出来ない。つまり、もう一度最初からやり直しになる。
 原材料や燃料等がまた必要になるのだ。
 傷を治してから燃料の確認をしているとふと人の視線を感じて、キョロキョロと周りを 見回すと先ほど別れたケラのファイターが直ぐ傍で肩を震わせていた。
 「え?」
 もう二度と会う事もないだろうと思っていたら、ものの数分でまた顔を合わせてしまっ た。
 よくよく考えてみれば、それぞれの町に4種類存在している生産ギルドは、最初から所 属出来るギルドは一つしかなく、あとの3ギルドに関して言えば、それぞれ専門職が決ま ってからの所属となるのだから、言わば初級生産ギルドで一度会った人とは今後も会う可 能性は残されている事になる。
 そんな事を頭の片隅で思って気が付いた。
 「・・・笑わないで下さいよぅ・・・」
 爆発の影響で頬や薄い蜂蜜色の髪に煤がこびり付いてしまっている様子が面白かったの か、ケラのファイターが笑いを収める様子がない。
 ちょっと情けない姿を見られて、恥ずかしいやら情けないやら。しかも笑われているの だ。
煤を払って、髪型を整えて。それでもケラファイターが笑いを収めないと、果たして何に 対して笑われているのかが分からなくなる。
 もしかしたら自分ではないのかも知れないのか。
 いよいよ、困惑するばかりで所在無げにただ見ているしかなくなった時に、ようやくケ ラのファイターは笑いを収めた。
 「いや、すまない。おかしかった訳じゃないんだ」
 そんな事を言われても笑われていた事に変わりはなく、ちょっと半眼になっている事に 気付いたケラのファイターは軽く咳払いをすると、ようやくまだ歪みを残していた口元を 軽く引き締めた。
 「結構薬品作るのは得意だからさ、必要ならあげるよ」
 と、各種薬品を両手にいっぱい渡された。
 「こ・・・こんなに頂く訳には・・・」
 ブローカーを通して購入したらいったいいくらになるのか。
 「趣味みたいなもんだから気にしなくて良いからさ。余って困ってたし」
 先ほどのやり取りを思い出したのか、ケラのファイターが先制してきた。
 ここは、ありがたく好意を受けて良いだろうし、初めて出会ったケラファイターの人柄 が好感の持てた事もあり、素直に受け取る事に決めた。
 これだけの薬品があれば、作業の効率が格段に上がるだろう。
 再びケラのファイターと別れ魔法工芸の作業台と向き合いながら、ケラのファイターの 好意に感謝するのだった。






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