#21 紅い輝き
見ててほとんどぶっ倒れそうでした。いや気持ち的にはほとんど卒倒してました。 こんなアニメ見たことない。です。すごい。 絵チャットでも某鋼チャットでも叫びまくってしまい、その節はありがとうございまし た。やっと放映当時の衝撃が収まってきましたので、皆さんの力を借りてこのてんこ盛り だくさんおなかいっぱい21話をなんとか消化していきたいと思います。がんばりま す。 前半をエド語りに、後半はそれ以外のポイントについて書こうと思います。 今日も今日とて長くてすみませんがお付き合いくださいな。 なお、今回はウロボロス組やキンブリーについてはスルーします。22話感想で 書けそうですしね。 《1》エドの崩壊 まずはエド中心に見たいと思います。この回を丸々使って、エドが今まで保ってき たものがとうとう壊れてしまう課程を描いています。その契機は、 〈1−1〉48兄弟のあり方、特に48弟の「自殺」(Aパート) 〈1−2〉タッカー氏との再会(Bパート) 〈1−3〉「紅い輝き」の誘惑(Bパート) の3つです。それぞれの契機によって、エドが保ってきたものはキレイさっぱり崩れ 落ちます。では一つ一つ見て行きましょう。 〈1−1〉48兄弟 前回感想の中で48兄弟はエルリック兄弟のアンチテーゼだと言いました。 というか兄弟の成長物語であるこの作品において、主要な登場人物の多くが、兄弟 が選ばなかった生のかたち、もしくは未来におけるそれぞれの生のモデルなので はないかと思います。そのことはまたおいおい触れるとして、48について考えましょう。 鋼の体を共有する兄弟。という意味において、48ほどエルリック兄弟に近しい存在 はあるでしょうか。肉体を失くし魂だけの存在になった48の姿には、明らかにアル が重なって見えます。 そしてその48から発せられる言葉は、アルに肉体を取り戻すというエドの存在理 由に、これでもかとアンチテーゼを突きつけます。 「こんな姿で生きて行くことしかない俺たちを、人間扱いすることがどんなに残酷な ことか、貴様にわかるか」 48もアルも人間だと言い切ったエドを、48自身が真っ向から否定します。 それは裏返せば今のアルを人間扱いすることの残酷さに通じます。 こうくると、もはやエドは歯切れ良くアルを人間だとは言えなくなります。彼を「人間」 にさせようとするのは自分のエゴに他ならない。そのことが、鎧の体でもあり「弟」で もあると言う意味でアルの分身ともいえる48弟から、容赦なく示されます。 こうしてエドは(16話に続いて)「弟の体を取り戻す」という自分のレゾンデートル、 弟のために生きるといいながら、エドのしていることは 実はただのエゴでしかないということを突きつけられます。 しかし、48兄弟とエルリック兄弟では決定的に違うことがひとつあります。 48兄弟は鎧になる前から「物心ついたころから盗み、殺し、壊し、鬼よ鬼畜よと蔑まれ」てきた。 彼らは肉体的には人間であったときも、その心はもはや人ではなかったとみずから認識しているということです。 20話ラストシーンは48兄の高笑いでした。「人としての心どころか身体さえも捨て た今になってはじめて人間扱いされるとは、面白い」。そう言って彼は笑いました。 「そいつはお前に人間だといわれて、嬉しかったのだ。だからもうナンバー48には 戻れない。人としてできることは、それだけだ」 48兄も、「人間だと言われて、嬉しかった」に違いありません。しかし、 ではなぜ彼らはここに至るまで人間扱いされなかったのか、なぜ「物心ついたころから」人以下の外道に 落ちなければならなかったか。だから前回の彼の高笑いには 歓喜と皮肉と自嘲がない混ぜになっていたのではないでしょうか。ここに現れているのが、48のいう 「人間扱いすることの残酷」と言っていいと思います。 人でない生き方を重ねてきた48は、人として生を全うするためにはせめて自分の 生を自分で終わらせなければなりませんでした。しかも彼らは明らかに、「人間」になって やっと死に場所を得たことを喜び、いたって穏やかです。 しかしエドは彼らの身の振り方を認めるわけにはいきません。エドにとって、 彼らの生き方は悲劇です。というか、悲劇でなくてはならないのです。 そうでなくては「人間」であるアルのあり方も悲劇だという事になります。 「アルをこんな目にあわせるもんか」 そういってエドは立ち上がります。 しかしエドの言葉は根拠を持っておらず、ただ弱々しい意地を張っているだけです。 アルは少なくともあの時までは人としてまっとうに生きてきました。そして人生最初に犯した大罪の代価に肉体を失いました。 鎧の体でも、作りものかどうかもわからない魂でもそれでもアルお前は人間だよ、 と、エドが言える日は来るのでしょうか。 名実ともに空になった48弟の骸をおいて、48兄は「行くぞ」とエドに声をかけます。 もともと真実に近づくことを欲していたのはエドの方なのに、ここではエドの方が行動を促されています。 歯を食いしばって真実に向かって歩きはじめるエド。打ち捨てられた空の鎧が、 アルの未来を暗示しているかのように見えるんですが考えすぎだといいな。 〈1−1補〉 ちなみに原作では、48弟は「俺たちはまだ戦える、新しい身体をくれ」と叫んでエン ヴィーに殺され=破壊されます。このような叫びの方が、むしろエドにはありがたか ったでしょう。つまり48が求めてやまなかった身体をアルに取り戻してあげること の重要性を確認できるからです。 でもアニメではそうではなく、 人間としてまっとうに生きられないのならみずからの肉体と魂を「殺す」ことが、 人間としてできる最後のことだと48はいいます。同じことをアルにいわれたらどうするのだ、 ということをエドは考えなければなりません。 〈1−2〉タッカー氏 第五研究所、「真実の奥の奥」に近づくエドを待ち受けていたのは、変わり果てたタッカー氏でした。 … … …(息吸って) この気色悪いキメラ誰がデザインしたかーーー!! タッカーとのこんな再会のしかた、誰か予想できた視聴者がいたでしょうか。 獣の背に背負われるような、この逆さまの癒着の仕方がもうもう痛くて痛くてしょうがありません。 背負われる、と書いてみて思ったけど“背徳”という言葉が浮かんできます。 今のタッカーは、普通に立つと顔面は体の後ろ方向を向いているようです。無理に背を反る?腰をかがめる?みたいにしないと もう“前”が向けないのです。普通に歩くだけでも、後方へ後方へと歩かざるをえないでしょう、そして その目に映る世界はほとんどが上下逆さまです。なんて意味深な。 また、この姿勢によって喉が引きつれたようなかすれた声しか出なくて、そのことがまた痛々しさを誘います。 ええ最高のキャラデザだと思いますよ。これしかないっすよ(涙)。 「あの子はあんたのせいで死んだのに、なんであんたはまだ生きている!」 問われてタッカーは平然と「ニーナのためだ」と言います。 「今なら君の気持ちが、よくわかる」 それはどう考えても、エドにとって一番言われたくないセリフです。 エドは8話以来(私今の時点で7話だけ見ていないんですけどそれが悔しくてなりません!)、 タッカーと自分は違う、と自分にいい聞かせ続けてきたはずです。 しかし人工羊水の中にいくつも浮かぶニーナの“未完成品”を前に、彼は言葉を失います。 「なぜこんなことをした」とか「あんたがやっていることは人の命をもてあそんで云々」とか、 自分のコトを棚においてならなじる言葉はいろいろあるはずです。というか、キメラ・タッカーとの初対面時には 「あんなことをしておいて、あんたはなぜ生きている」と、はっきりと自分のことを棚上げした非難をしたくせに、 ここではそんな言葉は出て来ません。 ただ「お前に人体錬成なんてできるはずはない」、所詮キメラではないか、と呟くだけです。 どうもこのへん、研究者どうしの技術の品評に見えてしかたがありません。 そして、タッカーはこのニーナは不完全だけれども「あと一歩なのだ」と目を細めて呟きます。 逆さま科学者タッカーの顔は終始ほんとうに穏やかです。それはニーナをよみがえらせるという大義名分のもと、 みずからもキメラに堕ちていきながら、善悪の判断を棚上げにして思う存分研究ができるからです。 あまりに穏やかなタッカーの様子に、エドは何を問い詰めることもできません。 それどころか、「あと一歩…」とはどういうことかと、あからさまに興味を示すエド。 この時点でエドは、真実を知るという大義名分=エサをちらつかせられて、ニーナの死に対する 自分の怒りを(故意にか、無意識にか)置き忘れてきています。 ニーナの死に対する怒りは、自分はタッカーのようにはならないと言う戒めにほかなりませんでした。 そしていつかスカーをぶちのめす=ニーナの仇を打つことはエドのもうひとつの生きる理由になっていたと言ってもいいでしょう(16話参照)。 それがせめてニーナのような(そして自分たちの母のような)「錬金術によってもてあそばれ消えていった命」へのささやかな贖罪にならないだろうか、と、 そこまで思ってるかどうかはわかりませんが、そういう意味もあると私は思います。 しかし今エドは明らかに、ニーナをまたしてもキメラとしてよみがえらせようとしているタッカーの背徳よりも、 人の道を外れた研究に興味を、もっといえば羨望を覚えているのです。 こうして彼はここで、真実を知るという欲望の前で、許されざるものとして認識していたものを保留 してしまいます。 〈1−3〉「紅い輝き」の誘惑 ニーナのいる研究室に、扉ひとつ隔てて、紅い輝きの満ちる部屋がありました。 賢者の石の未完成品、2週前から人を犠牲にしてできると言ったその物質が、あろうことか水族館の パノラマ水槽みたいなレベルで貯蔵されています(しかもこれは全体の約半分でしかないことが22話で明らかになります)。 ポッドの蛇口をひねれば、粘りを持ったその物質が一滴、ぽたりと床に落ちる。そこに 映ったエドの顔は、完全にその輝きに魅入られています。 「この大量の未完成品を完全に精製することができれば、賢者の石は得られる」 「だがいまだかつて誰も成功したものはいない。並みの錬金術師では、不可能なのだ」 これが。これがエドを誘う究極の誘惑です。 19話感想でもちょっと書きましたが、今までエドは賢者の石を他人の力によって得るのであれば、あえてそれを 使って元に戻ったりとかしようとしなかったのです。マルコーさんの賢者の石を使うチャンスもあった(14話)し、 ラッセルから情報を聞くチャンスもあった(12話)。でもそうではなく独力で賢者の石にたどり着いてこそ、 彼の求めるものは得られるはずだったのです。 いま目の前に提示されているものは、自分の才覚で自分の目的がつかみ取れるかも知れないという誘惑です。 しかもその前段階の、一番エドが触れたくないところ、つまり無数の人の命を犠牲にして この物質が作られているということはきれいに隠れています。 エドにとってはこれ以上ないお膳立てであるわけです。 エドはいままで許されざるものと戒めてきたはずの誘惑に、みずから身を任せました。 タッカーの邪悪な笑みがすべてを物語っています。彼は間違いなく確信犯です。エドが何を求めており、 どのような状況でどのような物言いなら誘いに応じざるを得ないかよく知っているのです。圧倒的なお膳立てに足元をすくわれたエドが発した言葉は、 熟考の末というよりほとんど売り言葉に買い言葉と言った感じです。 タッカーとエドはやはり同じ科学者の性を背負っています。 こうして彼は、目的のためには手段を選ばないけれども人の道は踏み外すまい=タッカーのようにはなるまい というアイデンティティを失います。 〈1−4〉(まとめ) エドの存在理由は、自分のせいで肉体を失った弟のためにすべてを自力で取り戻すことでした。 今までエドは自分の目的のためなら他の命を手にかけてもやむをえぬと考える人々と出会い、 彼らをことごとく否定してきました。 しかし今回、エドの目的は弟のためではなくエゴでしかない可能性が再び指摘され〈1−1〉、 しかも自分も目的のために外道に落ちる誘惑に負けました〈1−2〜3〉。 こうしてエドの保ってきたものはことごとく破壊されました。 彼はもはやタッカーやスカーと同じところまで堕ちたといえます。 これが、みずから定めた目的以外に何も持たないエドの限界なわけです。 痛くて、痛くてたまりません。 * さて語りたいことはおおむね語りました。 ここからはアル、スカー、そして66や48のことを少しずつ書いていきたいと思います。 《2》48と66、とアル 〈2−1〉我( )故我在 アルの「作りもの疑惑」について今回でももうちょっと引っ張るかと思いましたが、それよりもストーリー展開 がたいへんだったから…。アバンタイトル、精神的にグラグラしているために、今まで軽くあしらってきた66に押される アルの姿は痛ましいです。 肉体のない自分、その自分の記憶も魂も疑わしいものとなったアルの前にいるのは 「我殺す故に我在り」という66です。いっそ気持ちのいい外道やなあ。 アルのほうは「肉体を取り戻す」という目的以外に自分を持たず、しかもその目的も兄に預けっぱなしです。 もちろんアルは66のようには生きられませんが、わたしはその生き方は彼ら兄弟にとって大きなヒントになりはしないかと思っています。 つまり66は「魂がニセモノでも肉体がなくても自分の行為が自分をアイデンティファイできる」と宣言したのです。 では仮にエルリック兄弟にとって「自分の存在を証明する行為」とは何か、と考えると、今は 「なくしたもの=自分(の肉体)を取り戻すこと」としか言えません。そうすると 彼らは自分を証明するために自分を取り戻す、みたいな話になって、限りなくトートロジーに近くなってきます。 やっぱり彼らはいつか「すべてを取り戻す」以外の自分を見つける必要がある。ということが、 今回48からエドに対しても突きつけられましたが、66からも同じことを問われていると考えていいでしょう。 〈2−2〉48と66 とはいえやはり66も大きな矛盾を抱えた存在です。48との比較で考えてみましょう。 〈1−1〉で書いたことなんですが、48は生前人として生きてきませんでした。そしてエドに 「人間扱い」され、それが嬉しくてもう人外には戻れないという理由で死を選びます。 一方66は、生前も今も一貫して人として生きていません。 それどころか人として生きないことが、自分を人たらしめているといっています。 この矛盾が66そのものだということなのですが、この二人(三人)すごい対照ですよね。 どこまでもコミカルな66に対して48はとてもストイックだし(でも「つなぐなつなぐな」はよかったなあ) 研究所の番人として それなりにいいコンビだったんだろうなと思ったり。 《3》スカーとスカー兄 〈3−1〉スカー兄 友人が「アニメのスカーさんがどんどん可愛く見えてきます(病気)」というメールをくれましたが いや病気とは思いません、アニメのスカーはかわいい、というか憎めないというか情けないです(笑)。 力では66より勝るところを見せつけながら66に手玉に取られてしまい、結局逃がしてしまうし、 今日も今日とて最愛の兄さん語りも忘れないし。 そしてスカー兄のことがはじめて明らかにされます(ていうか初登場にしてこれだよ)。 せめてぱんつくらい穿いてくださいとか、腹だけなんで生っ白いのとか誰でも切実に思うつっこみはおいといて、今回明らかになったのは、彼が ・イシュヴァールの禁をおかして錬金術を修め、ラスト似の恋人をよみがえらせようとしたが失敗 ・その後どうやら賢者の石に手を出したらしい、だが目的は遂げられていない という経緯を辿ったこと。 まちがいなくエドのメタファーですねこりゃ。そしてまだ生きている可能性が示唆されているので 今後どこかで本編に登場する可能性が非常に高いと思います。 人体錬成のリバウンドに耐えたところ(目に見えるところはどこも“持って行かれて”ないようです、 内臓とか脳みそだったら分かりませんが)からみてかなり優秀な術師であったようです。若きスカー兄が民族衣装でなく ワイシャツにスラックスみたいな服装だったことも、イシュヴァールを出て他に遊学していた 時期を思わせる細かい演出でした(たぶん)。 〈3−2〉スカーとアル さて今回はアニメならではの組み合わせで行動してくれました。弟くんどうしです。 兄の命を狙ってるスカーを瓦礫から庇っちゃうアルもかわいいですが庇われちゃうスカーもなかなかにマヌケです。 エドを探して研究所の奥に入り込むスカーをやめさせようとしてついて行くアルは スカーにしてみたら結構うっとうしいと思うのですが、手出しをしないのは たぶん15話でエドから「自分は殺してもいいが弟には手を出すな」と言われたのを律儀に守ってるんじゃないか。だったらいいな。 というか、どうも弟どうし情が移ったのかもというふうに見えてしまうあたり、アニメのスカーはなんというか、人間臭いです(穏当な表現)。 さてスカーに対しアルが言いかけたことが気になります。 「(賢者の石が人間から作られるということが)ほんとうだとしたら、僕たちは…」 19話では「(賢者の石は)見つかるよきっと」と言っていました。見つかれば使うつもりなのかなあ、彼にしては冷酷だなあ と不思議に思っていたのですが、やっぱりそんなものを使うくらいならこのままでもいいとアルは考えているようですね。 よかった。やっぱりエドを止める役割はアルしかいません。 〈3−3〉ニュータイプ錬成陣? スカーの右腕の刺青、素っ裸になったスカー兄ちゃんの全身に入ってた模様、賢者の石未完成品の部屋にあった模様、 グリードが閉じ込められていた部屋一面にめぐらされていた模様、は同じタイプの模様に見えます。 今の時点では何ともいえませんがこれらが賢者の石がらみの力を秘めていることはまちがいありません。 * 返す返すもすごい30分でした。わたしは演出や作画についてはいつもあまり語れずに終わってしまうのですが、 とくにクライマックス、エドが紅い部屋に駆け込むところからタッカーの誘いに堕ちるところまでのカット割りは ホントにすばらしかったですよ。音楽も絶妙。 エドの目の下には終始べったりとクマがついていて痛々しかったなあ。 そのわりに20話で受けた傷とかダメージがスルーさればりばり動いてましたね。前回では身体に、今回は精神に大ダメージを受け、 次回は名実ともに空っぽの自分がそのうえ他人に操られていたことが明らかになります。 次回予告:「造られた人間」 赤い液体のポッドの中で微笑むアル少年、のカットだけで血圧上がりました。 (2004.03.12記) |