#17「家族の待つ家」


んー…どうも、今回は前回と別の意味でうなってしまいました。
予想が外れました。ロックベル夫妻がらみのオリジナル要素、つまりウィンリイの両親が殺されたいきさつについてきっぱりさっぱり触れられませんでした
いや、エドがそれをウィンリイやピナコばっちゃんに告げなかった、というのは選択の一つとして十分にありえますからいいのです。
ただ、17話を見ていると、兄弟が、「遺族」である彼女らを前にしてそのことを思い出しもしないように見えてしまうのです。まさかそんなはずはないんじゃないかな…と思うのですが…。

もういちど、「ロックベル夫妻を殺害したのが国家錬金術師でありマスタング大佐である」ことの意味を確認しましょう。
エドはみずから望んで軍の狗になりました。これは目的のためにはどんな罪を犯すことも辞さない、つまり誰かを傷つける可能性をも引き受けるということです。
そして、アニメ14−15話であらためてエドに突きつけられたのは、信頼する軍部の人間が大量殺戮の罪人であり、しかも自分の関係者の仇であるということでした。
ロックベル夫妻殺害のいきさつは、エドの選んだ道の罪深さをこれでもかと見せつけたエピソードであるはずです。

ウィンリイの両親、ばっちゃんの息子夫妻を手にかけたのは、エドの後見人。
エドもまた、いつかそうして誰かを傷つける可能性がある。
そして「誰か」どころではなく自分もまた自分の関係者をも傷つける可能性を背負わされているのであり、エドがそれに気づいていないわけがありません。
そして彼らにとって、傷つける可能性の高い身内(もともと彼らに「身内」と呼べる人なんかほとんどいません)であるのはウィンリイとばっちゃんです。
そのことを知っていてなお、彼は前に進まなければならないと思っています。
前に進むために、今すぐにでもセントラルに行きたいがために、ほかならぬその二人に機械鎧の修理を依頼するのです。
そして修理が終わったら、また彼は罪深い道に戻っていく(彼がセントラルに行くのは賢者の石の情報を求めるためです)のです。
この構造の残酷さをエドが気付いていないはずはありません。

そういうこともあってむしろ、私は二人がロックベル夫妻殺害のいきさつをウィンリイたちには話さないだろうと思っていました。ただし、かなりの葛藤を経てからそう決断するのだろうと思い、そこを楽しみにしていました。
もちろん、このいきさつを打ち明けることはなにも生産的な進展を生みはしません。彼女らの忘れようとしている傷を再びこじ開けることであり、また自分の進もうとする道の罪を晒すことだからです。
それでも一度は考えたのではないかと思うのです、言わずにいていいのかということを。そして、やはり言わないことにしよう、言わないことでさらに罪が深くなるとしても言わないでいようと決意するにちがいないと勝手に想像していました。
いや私の想像なんかどうでもいいのですが、はっきり言って、このくだりをおくびにも出さなかった今回のエピソードには戸惑いを禁じえません。
ロックベル夫妻殺害の真相というこのオリジナル要素を、ここで書かなければいつ生かすつもりなんだろうか…?
というわけで非常に首を傾げてしまう今回でした。


気を取り直して。
それとは別にオリジナルの要素が出てきました。
ひとつは銀時計のフタの裏のエピソードをここに持ってきたこと。原作のエピソードを前倒しにしたということですよね。
しかし出産のエピソードを6話に持ってきたことといい、アニメではパニーニャを登場させる気は本当にないんでしょうか…好きなのに… まあそれはいいとして。
それにしてもエドのシャワーシーンに心臓止まりそうになりました…! はあはあ。
ぜぜぜ全裸かと思ったよ一瞬…!!(←何考えてる;)
機械鎧接続の痛みに悶えるところといいどうもやましい想像があふれて止まりません…(汗)!
そういえば機械鎧の描き方とかあるいは音とか(スペアをつけたとき足音違うんですよ!)よかったですね。アルとの組み手のところ、機械鎧の右腕の重さを支点にして宙返りしているようでしたがすげえかっこよかったでっす!

あとDVD(買いました結局)見て気になってたんですがまた出てきました、銀時計が錬金術師の能力を増幅させる機能があるというくだりです。ふーむこれ何の伏線なんだろうな?原作にはないですよね?

さてもうひとつ、気になるのはアルフォンスの記憶のことです。
昔の友だちのことが思い出せないと言いつつ、自分の生家と家族(母親とエド)のことについてはきちんと記憶が整っています。なんなんだろうこれは…。
そしてエド
「ずっとお前に言おうと思ってたけど怖くて言えなかったことがあるんだ」
…まさかと思ったけどほんとにここで来るのか…!
原作どおりにくれば、怖くて言えなかったこととは「アルがエドを恨んでいるのではないか」ということです。
しかしこの流れで来ると、エドはアルの記憶がらみで何かほんとうに隠していることがあるとしか見えません。どういうことなんだ…!
すごい勇気がいりますが、可能性として、アルの魂の練成は不完全だったということが考えられます。
生家のことは思い出せても友だちのことは思い出せないあたり、エドが知らないアルの記憶に不備が生じているということになります。ということは原作で66が言っている
「(アルの)人格も記憶も兄貴の手によって人工的に作られたもの」
であるという指摘が現実である可能性が高くなっていると言うことです。
…ううむ、これ、今後どうなるんだろう…。
いろいろあらぬ方向に妄想が及ぶのでこのへんでやめておきます。

ああ、まだ一番大事なことを語っていなかった。
今回のテーマは「家」についてでした。
「家(ウチ)ならあるじゃない。ばっちゃんも、あたしも、いるじゃない」
と涙を流すウィンリイに、
「バカだな、なんでお前が泣くんだよ」とエド。
エドは罪の道を歩く自分が「帰る家」を作ってはいけないと自戒しています。甘えてはいけない、迷惑をかけることにもなると考えているため、「機械鎧技師」に修繕を頼むという形でしか、彼らに頼ることをしないのでしょう(4年間一度も里帰りしていないというのはそのせいかと)。
しかし
「あんた達が泣かないから(自分が)代わりに泣くの」
とぼろぼろ涙を流すウィンリイ。
帰りが遅いエドたちをチカチカ光るランプで迎えた彼女は、エドたちの「家族」でいること、「涙」の部分は自分が引き受けるということを覚悟しています。
旅立ちの日、ばっちゃんは「たまにはご飯食べに帰っておいで」ウィンリイは「いってらっしゃい」と声をかけ、エドはそれぞれにわりと素直な反応を返しています。
少佐の「家ならあるではないか」という言葉に、今回の話は集約されています。
でもだからこそ、かけがえのない「家」に自分たちは隠し事をしなければならないという後ろめたさ、それでも歩いて行くのだという決意を描いてくれたらよかったのになあ。


次回予告 「マルコー・ノート」
予想通りウロボロス組とスカーが第一分館の資料を巡って激突。
シェスカ登場!わあい。
マルコー・ノート(このサブタイトルかっこいいです)解読に進むんだな…てことは「真実」を手に入れるのも近い…
あとロイとヒューズが電話してる…あーヒューズの元気な姿を少しでも長く見ていたいです…。
(2004.02.02記)

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