はすのはな第38号
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熱中症
梅雨明けの頃、その年の夏の気温が気に掛かり始めます。私は冬の寒さより暑さの方が苦手なので、近年の夏の暑さは驚異的で怖いです。今年は七月に入ると同時に「命に関わる」、或いは「命の危険」などという言葉が日常的に使われるほどよく耳にしました。
私が子供の頃は、「日射病」という言葉がつかわれておりましたが、現在は、もはやその語句は、死語の如く風化してしまったようです。総務省の発表によると、今年の夏、熱中症の疑いで救急車で病院に搬送された患者数は、全国で九万三千人にも及び、亡くなられた方は、千人を超え毎年記録を更新しているようです。埼玉県熊谷市に於いては、四十一、一度という観測史上最高気温を記録しました。『猛暑災害』などといわれ始めた本年ですが、人の生命を脅かす自然災害にこれからどの様に向かい合っていけばよいのかと考えさせられてしまいます。
私事で恐縮ですが、当山客殿前の池では、この夏暑さの為に、大きな鯉が二匹息絶えてしまいました。人間ばかりではなく、生きとし生けるもの全て、『猛暑災害』に関わるのかと思いました。
住職
施餓鬼会法要に初出仕して
今年も例年通り、八月二日に施餓鬼会が行われました。
三六度を超える猛暑日にも関わらず、多くの檀信徒の皆様にお集まり頂きました。
私にとっては初めて大先輩の僧侶の方々と一緒にお唱えする機会となりました。一番始めにお唱えする『奠供(てんぐ)』と呼ばれるお経の頭を私が出すことになりました。出仕者の中で一番位の低い僧侶がする決まりなのです。本山では数え切れない程お唱えしましたし、今も御葬儀の際には詠む機会があるお経ですが、先輩方の声の高さに合わせられるかとても緊張しました。いざ始まると、緊張のせいか練習通りには行かず、声が低くなってしまったりしました。お経の後に鳴らす妙鉢は落ち着いて出来た気がしますが、自分のお経を振り返り反省していました。そんな中、先輩方や檀信徒の皆様には「良かったよ」「場数を踏むことが大切」「頑張って下さい」「これからもよろしく」と温かいお声を掛けてくださり、本当にいつも支えられ、励まされているなと改めて皆様に感謝すると共に、これからも頑張らなくてはと再び実感させられる施餓鬼会となりました。
蓮花寺中 鞍 盛花
第百回高校野球
八月五日から十七日間に亘り、阪神甲子園球場で、記念すべき第百回全国高等学校野球選手権記念大会が開催されました。決勝戦では東北の秋田県代表校と大阪代表校の試合となり大変盛り上がりましたが、五十六校の戦いの中で、石川県星稜高校と愛媛県済美高校の一戦は第百回記念に相応しい印象深い歴史に残る試合であったと思います。来年の大会も楽しみです。甲子園出場を目指す選手の皆さん、練習頑張って下さい。
金乗院平間寺(川崎大師)前ご貫首十三回忌
私は昭和五十年、大正大学を卒業しその春、真言宗智山派金剛山金乗院平間寺に就職(入寺)いたしました。通称川崎のお大師さま、川崎大師平間寺のことです。
入寺した当時は、坊さんもそれほど多くはいませんでした。
御貫首(ごかんす)、川崎大師のご住職様の名称ですが、その当時のご住職は高橋隆天ご貫首という方で、重役さん、部課長さん等含め三十名弱の坊さん職員と一般の職員で総勢百名位、現在の約三分の一位の数かと思います。
ご貫首様に一番最初お目にかかった時は、迫力と貫禄、そして身体から溢れる威厳を積み重ねてきた様な風格で、怖ろしく何とも近寄り難い御方の様に思えました。
入寺し数年が経過し、寺務にも多少慣れ、ご貫首様とも、会話をさせていただけるようになり、宴席などでは一緒に歌って戴いたこともございました。 又、当山の客殿・庫裡落慶の砌には、快くお導師様をお勤め下さいました。
その頃、高橋隆天貫首様の偉大さをつくづく感ずる様になりましたが、既に密厳世界を歩まれ十二年の歳月が、経とうとしております。
来る九月三十日には、大本山川崎大師平間寺にて、藤田隆乗ご貫首のもとに第十三回忌法要が営まれます。改めて衷心よりご冥福をお祈りします。
ありがとうございました
本年五月十六日、六十三歳にて西城秀樹さんが永眠いたしました。七年前の平成二十三年十一月十一日に、山門を建立した記念に蓮花寺開創六百年祭の祝賀会をみなとみらいのホテルで、檀信徒皆さまと一緒に奉修いたしました。その祝賀会に、当時近くに住まれておりました西城秀樹さんをお招きして、祝宴に花を咲かせて戴きました。おなじみのYMCA等を歌って頂き、皆総立ちで大いに盛り上がりました。
しかし、その後間もなく西城さんは、二度目の脳梗塞に見舞われてしまいました。それから御本人も懸命にリハビリに専念され、漸くテレビにも出られるようになり、安心しておりましたところ、突然、多くのファンに惜しまれる中、帰らぬ人となってしまいました。
ご葬儀は青山葬儀所で営まれ、感謝の気持ちを胸に、告別式に参列し焼香して参りました。
住職
お大師様のことば
訳 人の心が清淨であるときは、仏を見ることができる。もしも、心が不浄であるときは、仏を見ることはできないのである。出典(弁顕密二教論)
シリーズ⑱生きる力(お大師様のことばより)