歴史

年代 事柄 歴代住職
貞観7年(865)   法琳開祖 常曉法印示寂
元慶2年(878) 籠壽法印 出羽国へ赴く途中、武蔵国橘樹郡にて草庵を創し、これを当山の濫觴とする  
仁和2年(886)   法琳二祖 籠壽法印示寂
応永年中(1394~) 頼意法印現在地に当山を開創する  
永享元年(1429)   開山 頼意法印示寂
  ※太田道灌が江戸城を築いた頃から真言宗が関東一円に広がり始める 第二世 祐心法印示寂
第三世 祐慶法印示寂
第四世 祐淸法印示寂
第五世 智音法印示寂
第六世 隆慶法印示寂
第七世 寶祐法印示寂
第八世 榮泉法印示寂
第九世 定海法印示寂
第十世 榮泉法印示寂
第十一世 定惠法印示寂
第十二世 定明法印示寂
第十三世 宥定法印示寂
第十四世 淨辨法印示寂
第十五世 治部法印示寂
第十六世 宥貞法印示寂
慶長元年(1596) 当山、森弥五郎(吉良氏の旧臣)の外護により中興する。
元和元年(1615) 幕府「武家諸法度」を定め、当山は満願寺(世田谷区)と本末関係を結ぶ。
元和2年(1616) 祐淸法印 阿弥陀如来木坐像を安置する。
承応2年(1653) 佐橋佳純 父吉金の遺領を継ぎ 久末村の地頭となる。 第十七世 祐眞法印示寂
第十八世 定運法印示寂
寛文5年(1666)   第十九世 祐譽法印示寂
寛文10年(1671)   第二十世 祐正法印示寂
第二十一世 晃譽法印示寂
第二十二世 良敞法印示寂
元禄2年(1689)   第二十三世 觀祐法印示寂
元禄6年(1693) 久末村の農民、地頭に減免を門訴し、19名が毒殺される。  
元禄10年(1697)   第二十四世 祐傳法印示寂
元禄15年(1702)   第二十五世 祐長法印示寂
第二十六世 榮譽法印示寂
享保元年(1716) 大飢饉 第二十七世 敞譽法印示寂
享保4年(1720)   第二十八世 祐貞法印示寂
享保8年(1724)   第二十九世 晃祐法印示寂
寛保2年(1742) 佐橋氏より厨子入り毘沙門天像が寄進される。  
延享3年(1746) 久末村の農民、門訴事件の犠牲者の霊を弔い、地蔵尊を建立する。  
宝暦4年(1754)   第三十世 光永法印示寂
宝暦14年(1764) 準西国稲毛三十三ケ所霊場巡拝が設けられ,当山は十四番霊場札所となる。  
安永7年(1779)   第三十一世 源覺法印示寂
天明元年(1781) 本堂を建立する  
寛政元年(1789) 門訴事件犠牲者の霊を弔い、村内に半跏地蔵尊を造立する。  
寛政9年(1798)   第三十二世 鑁海法印示寂
文化6年(1810)   第三十三世 良雄法印示寂
文政5年(1823)   第三十四世 貞英法印示寂
文政8年(1826)   第三十五世 宥顕法印示寂
天保10年(1840)   第三十六世 諦雄法印示寂
第三十七世 道惠法印示寂
第三十八世 慶道法印示寂
明治元年(1868) 明治維新の神仏分離令により、廃仏毀釈運動が広まる。  
明治34年(1901)   第三十九世 心亮法印示寂
明治38年(1905) 多摩川八十八ケ所霊場巡拝が設けられ、当山二十二番霊場となる。(昭和期に玉川となる)  
明治42年(1909) 毘沙門天像・護摩壇を修繕する。  
大正13年(1924) 本堂を修復する。  
昭和7年(1932)   第四十世 眞海法印示寂
昭和17年(1942) 本堂の屋根を亜鉛葺に改修する。  
昭和19年(1944) 太平洋戦争中、学童疎開で児童を疎開させる。
 
昭和22年(1982)   第四十一世  盛文法印
昭和53年(1978) 本堂の屋根を銅板葺に改修する。  
昭和58年(1983) 本堂内外陣を修復する。  
昭和63年(1988) 客殿・庫裡を建立する。