◇ Vol.2 2003.1.7 愛媛旅行記 ◇ (2003.1.10)

デジカメを持ってない僕は、普通のカメラで写真を撮りました。写真が出来次第ここに出していきたいと思っているので、 それまではテキストだけでご勘弁ください。


2003.1.6 23時すぎ 家を出発
2003.1.7 0:15「ムーンライト松山」松山行 大阪駅発車
2003.1.7 4時頃瀬戸大橋通過
2003.1.7 7:45「ムーンライト松山」松山到着

仕事始めの6日を過ぎたということもあってか、京都→松山間夜行快速列車「ムーンライト松山」(途中まで高知行「ムーンライト高知」 と併結)の乗客は多くはなかった。
1時前に眠りについたものの、車内がわりあい暖かく、乾燥していたため、しばしば目を覚ましてしまった。

このような理由で、3時半頃にも目を覚ましたのだが、そのついでに外を眺めていると駅へ。電気は消えていたが(自販機を除く)、 「児島」の文字が見えた。もうすぐ瀬戸大橋であることに気づき、眠くなっていきながらも必死で起きていた(かなりうとうとしていたが)。 4時をまわったあたりから、瀬戸大橋突入。家族で四国に旅行した時に一度車で上を通ったことはあるが、列車では初めて。

通過後すぐ眠ったが、やはり度々起きてしまったため、満足に眠れず。7時半頃起きて、そして無事松山到着。
松山の午前8時の気温は0℃(だったはず)。でも、不思議とそんなに寒く感じなかった。

8時半頃松山出発、大洲市へ
10時すぎ伊予大洲到着
14時頃伊予大洲出発
16時頃松山到着

今回の旅行の主目的が実は、地域地理学各論T(日本)という授業の、小京都に関するレポートの下調べ(主に写真撮影)というわけで、 伊予の小京都・大洲市へ向かった。松山→伊予大洲の途中、少し寝たが乗り過ごすこともなく、伊予大洲に到着。人影は少なかった。
観光地とはいいつつも、店がない!コンビには1件しか見なかった。少し寂しかった。

この大洲市は、城下町として栄えた町で、明治の町並みが残されている地域があり、一部はNHKの連ドラ「おはなはん」 (かなり昔の番組らしい)の撮影に使われたそうで、「おはなはん通り」と名がついていた。
城下町ということで、城はあるのだが、復元中ということで、入城できないどころか、天守閣の工事の足場に 「大洲城」と書かれたシートがかぶされているという始末。

見所が少ないながらも、レポートの下調べということで、小京都らしい先ほどの古い町並みを撮影。その後、近所のあまり高くない山 (冨士山:とみすやま、320m)の中腹まで登り、町並みを上から撮影。そして、市立博物館へ。展示は、 江戸時代の城下町として発展した様子がメインであり、小京都については何もなかった。
することもなくなってしまい、予定より1時間ほど早く松山に戻ることにした。

松山市内では、市内電車(伊予電鉄の路面電車)の1日乗車券を買い、うろうろしていた。べつに松山で買う必要のないもの (大阪でも売っている物)を買ったりしていた。

ちなみに、大洲市では、前日降って解け残ったと思われる雪が積もっていた。愛媛県でも雪が積もるのを少し意外に思った (盆地だからということは言える。松山では積もってなかった。でもこの前日は、鹿児島でも雪が積もった日だったはず)。 あと、16時頃の松山市内の気温は、たしか6℃だった。

19時前道後温泉にむけ出発
19時半頃道後温泉到着
21時前松山駅に帰ってくる

いよいよ旅行も佳境。せっかく松山に来たということで、道後温泉に行くことにした。市内電車で20〜30分ゆられて到着。 「道後温泉本館」にてゆったり入浴。別に予定もないので、そのまま松山駅へ。お土産を買ったり、 晩飯を食べたりして、列車を待った。

2003.1.7 22:32「ムーンライト松山」京都行 松山駅発車
2003.1.8 1時半頃?多度津駅で「ムーンライト高知」と併結
2003.1.8 2時頃瀬戸大橋通過
2003.1.8 6:19京都到着

帰りもやはり「ムーンライト松山」にお世話になった。行きよりもまた更に人が少なかった。
そんな中、初めは順調に眠れたが、やはり途中で起きてしまった。たまたま起きた時が、多度津駅での停車時で、 この駅での「ムーンライト高知」との併結を体験(?)することに。そのまま瀬戸大橋通過まで起きていた。 行きと違って、今回は結構起きていられた。とはいえ、通過後はやはり寝た。でも、度々起きてしまう状態は変わらず。 そのまま、しっかり寝た!という気持ちを持てぬまま京都に到着。

(余談)
1月8日ということで、この日から大学も始まる。よって、京都駅からそのままバスで大学に向かい、 授業が始まるまで、サークルの部室で少し寝ていた。