◆ ふつーの日記 2002年2月分 ◆

できるだけ毎日書き綴っていこうとは思ってますが、飽きっぽい僕なので、ご勘弁ください。

 2004/03/26 Fri. 

今日は妹とUSJに行ってきた。ハリウッド・フレンドパスが切れる直前の去年12/14以来の約3ヶ月ぶり。何回目かは思い出せない。
今回の目標は、なんといっても「アメージング・アドベンチャー・オブ・スパイダーマン・ザ・ライド」。簡単に言って「スパイダーマン」。 他のもんには一通り乗りつくしてる&見てるので、並んでもいいからスパイダーマン!ということで行ってまず並んだ。

春休み真っただ中で、天候もまずまずよかった(でも風が強かった)今日は110分待ちだった。けど実質並んだのは90分くらいだろうか。 でも別に文句も言わず、ポップコーンを食いながら並んでた。ずっと人は流れてたからかもしれないが。
けど、言うても休前日。週末・土曜で快晴予報の明日は何分待ちになるのだろうか…。

それはよいとして、90分ほど並んで「スクープ号」にいよいよ乗車。そして濃厚な5分間。純粋によかった。楽しかった。
「バック・トゥー・ザ・フューチャー」みたいなんを想像していたが…。乗り物酔いしやすい僕は怯えていたが…。 なんのことはない。想像以上の面白さで不安も一掃してくれた。アトラクションの技術を一つに詰め込んだこのライド、また乗りたい!

スパイダーマンに乗った後は、「ウォーターワールド」へ。運よく並ばず5分前入場で見ることができた。強風のせいで最後の「あれ」が無かったのは残念だったけれど。
ウォーターワールドの後はスヌーピーのウォータースライダーへ。妹は初めてだったが結構楽しんでた。かなり原始的やけど楽しい。 その後「ターミネーター2 3D」へ。途中、シュワちゃん似がバイクに乗ってなかったことにがっかり&驚き。ちょっとミスっぽかった。
ついで、再びウォータースライダーへ。調子にのって更に2本滑ったが、2本目(通算3本目)、一瞬「こわっ」と思った。そして濡れた。尻に水が染みた。冷たかった。 その後”夜ジョーズ”を楽しんで帰った。

こんなに乗ったのは久しぶりで、気分よかった。水量が多い+風が強いために今日はジュラシックパークは見送ったが、今度行ったときは乗りたい。 もちろん、スパイダーマンも。楽しかった。

 2004/03/25 Thu. 

今日は京都に行って4月分の家賃を支払ってきた。大家さんが下に住んでいるので、すぐ渡しに行ける。(とはいえ、大阪から出て来た今日は「すぐ」ではない。) ただ、支払う前に一度大家さんに会って、そのときにまだ買っていない本棚を、引っ越しして出て行った人の家から借り出す(前の人も借りていたようだ)ことを勧められた。 どうしようか迷ったが、せっかくなので、1つ背の高いのを借りることにし、3件隣りから一人で運んできた。運んでるうちに大家さんは家に戻ってしまった。 あとから聞くと、昨日卒業式を迎え、今日出ていく人が親連れで挨拶に来ていたようだ。4年間お世話になったそうで。僕はひとまず2年間お世話になるつもり。

家賃を支払ったあと、大阪に戻り、家の近所の理髪店で散髪。だいたい3ヶ月ぶりの散髪ですっきりした。これで安心して4月を迎えられる…(?)

 2004/03/24 Wed. 

今日も昨日と同じく出資金返還のバイト。10時に行ったら職員の人に「別に11時でもよかったのに…」と言われた。けど、昨日別の職員の人に 「10時〜11時の間ならいつでもいい」って言われたから…。10時から準備を始めてさぁこれから!という前にもう人が来た。印鑑を持っていなかったため、後から来てもらうことになったが。
今日は大学の卒業式があり、式が始まった頃はさすがに人は来ず、職員1人とバイト2人の3人で雑談。途中、留学生の方が3人まとめて来て少し焦る。11時前にもう1人アルバイトの人が合流。 式が終わった頃(?)から卒業証書の入った筒を持った人が続々。ただ、アルバイトの人も更に増え、なんとかさばけることができた。本部でないと調べられず、 本部に向かわせた人も数人いたが…。(僕が働いていたのは、狭い本部が溢れないようにつくられた2日だけの会場)

今日は人数にかなり波があった。1人人が来たら、そのまま数人やって来て、少し焦る。そして、さばき切るとしばらく誰も来ない時間帯がふっと現れる。それの繰り返し。 もう少しコンスタントに来て欲しかった…。びっくりするから。ちょっと焦るから。

こんな感じが4時すぎまで続く。とはいえ、3時をまわった頃から来客の間隔が長くなり、ひと波の人数も減ってきた。
昨日は4時半くらいに店をたたんだこともあり、今日は4時20分くらいに片づけを始めた。数分で一通り片づけ終わったが、片づけた直後に人が来た。この人が終わってからも、 また2人ほど(バラバラに)やって来た。まぁ、こんなんで業務終了。
仕事に慣れたこともあり、今日はさして問題なかったように思う。職員さんや他のアルバイトの人とも結構喋れたし。よかったよかった。

当たり前のことながら、卒業式の後そのままやってくる人が多いわけで、卒業式の服装が楽に見て取れる。
女性は、スーツの人もいたが、多くの人は、着物姿や袴などの「晴れ着」だった。そこまで天気がよかったわけでもないが…。色とりどりの着物や袴はなかなか見れるものではないのでよかった。 一方、男性はほとんどの人がスーツで、袴などの和装の人はいなかった。(さすがに、卒業式にはいたとは思うが)他には、カジュアルファッションの人もまれにいたような…。
もう2年後は卒業式か…と怯えつつ、バイトをこなした2日間でした…。

 2004/03/23 Tue. 

今日から、大学生協・出資金返還受付のバイト。2週前は新入生の加入受付をするバイトだったが、今日はある意味その逆。今春卒業される方に生協の出資金を返還するというもの。 今日は大学院生の学位授与式が行われたようで、昼過ぎまでは、院生の方が多く来られた。一方、3時頃以降は明日卒業式を迎える学部生がちらほらとやってきた。

生協・共済の説明を事細かにする新入生に対する仕事とは異なり、書類を書いてもらって、名簿と照合しお金を渡すという簡単な仕事だったので、今日が初めての僕もすぐ理解できた。 ただ、いざ実践に移ろうとするとやはり緊張して、初めのうちはそんなにうまくいかなかったが、人が来る度慣れて、最後のほうにはサマになってた(かな?)

今日どこに集まるべきかを手帳に書いていたが、その手帳を家で見失い、その結果、仕事場に数分遅刻。業務が集合時刻より前から始まっていたとはいえ、これが緊張を増強させたのでした。
このバイトは明日で終わり。明日は今日以上の人が訪れるとか。がんばらな。もう迷わない!

 2004/03/22 Mon. 

昨日あんまり寝ていないので、今日は昼前まで寝てた。9時半にラジオのタイマーをかけていたが…(甥)

それはともかく、1年前に当てたtotoを今日ようやく払い戻してきた。ちなみに期限は3月24日。別に忘れていたわけではないが(とはいえ、ここ1,2週間は忘れていた…)。 結果を確認した時は1口しか当たっていないと思っていたが、払い戻しに行って、実は2口当たっていたことが発覚。当選金2倍で純粋に喜ぶ。¥1,240→¥2,480だけれども。
まぁ、お金をもらえたことには違いないので、ありがたく頂戴する。有意義に使うべきお金ではあるが、もらった当選金をさっさと小遣いの足しにして、18きっぷ(3回分)を購入。 そして、半額レンタルのTSUTAYAでCDをレンタル。

♪よ〜く考えよ〜 お金は大事だよ〜  明日からバイト!

 2004/03/20 Sat. → 03/21 Sun. 連日記

夕方くらいから京都に行って、サークルの新歓活動の話し合い。僕はサークルの役員(?)ではないけれど、今年は僕らの学年がひっぱっていっていかないといけないので、話し合いは重要。 とはいえ、僕は最初出る予定ではなかった(甥)。まぁ、新3回生2人と新2回生3人の5人で話し合い。新入生に配るビラの案を決定したり、適度に話がまとまった。
晩飯を食いに行こうかどうしようか言っているときに、OBさん御一行様がやってきた。どうもOB会をやっていて、その後に今の部室を見てみたい(昨年夏に部室のお引っ越しをした) ということになったそうだ。結構バタバタしていたが、断る理由も得にないし、たまにはこういう機会があってもいいと思っていたので、来てもらうことにした。10人くらい来はっただろうか。 一番上の人は、僕らの学年の6年先輩に当たる人。小学校でも一緒にならないほどの学年の差だが、サークルや大学の時代の流れを話し合ったり、昔の作品をみんなで堪能したりしていた。 結構変わっている中にも確かに息づいているものもあった。

深夜2時半頃に部室を離れ、ついに新居に泊まった。すったもんだがあったが、なんとか大家さんにオートロックの番号を教えてもらった。 (注:当たり前だが、この時間に聞いたわけではない。)
冷蔵庫来た日に昼寝はしたが、夜泊まったのは初めて。興奮したわけでも不安になったわけでもどっちでもないが、なぜか7時前(?)まで眠れなかった。 その後は3時間半くらい寝て、ふと目が覚めたので、そのまま起きて家(大阪)に帰ってきた。さすがに眠かったので昼寝をし、梅田に行く予定もあったが明日に延期。そんな感じ。

 2004/03/18 Thu. 

ホンマに先週とはうって変わって何もない・気楽な日々。今日も昼寝。あぁ不マジメだ。
それはいいとして、今日はサッカー五輪予選のUAE戦を見てた。まずは何より、五輪出場おめでとう。
2ゴールを挙げた大久保がそれ以外でも色々動き回ってて面白かった。あの積極性はすごい。反則王であるのもわかる気がした。あと、平山のゴールも見たかったが、惜しかった。 絶好のチャンスやったけど。

それにしても、国立の日本−UAE戦のチケットが取れなかった人で、西が丘のレバノン−バーレーン戦を応援(レバノンの)しに行った人はどれくらいいるのだろう? 絶対200〜300人くらいは行ってると思うけど。もう少しいるかも。ネタ度は高いけど、「がんばれレバノン、よしいけレバノン」とか、そう言う応援なんやろな。

サッカーの後、「白い巨塔」見てた。ドラマとかはほとんど見ないが、親が見てたので、一緒に見てた。これまでの話もちょっとずつは見たり聞いたりしてたので、意外とついていけたが。 別に感動とかはなかったけど、確かに「見た」ことは間違いない。

 2004/03/17 Wed. 

いつも通り「トリビアの泉」を見てた。「トリビアの種」の電話の保留音は、いい目のつけどころと思った。確かに言われてみると気になるし。 それにしても、その保留音のランキングを発表するときに「CDTV」をパクってた。あの大胆なパクり具合に脱帽。あそこまで徹底するとすごいわ。賞賛してしまう。 でも、さすがフジテレビ。パクり慣れてますね。ホンマに脱帽。

 2004/03/15 Mon. 

5日からの10日間、ずっとぶっ通しで突っ走ってきたが、やっと休日。昼まで寝てた。
夕方に整骨院に行って、マッサージしてもらう。気持ちよかった。今週は特に予定を入れていないので、ゆっくり休養。

 2004/03/14 Sun. 

今日は京阪電車の「リバイバル臨時特急」に乗ってきた。昔の特急型車両の、特急色塗装がもうすぐ見納めということで記念されたこの企画。
朝から天満橋に行って、まず「びわこ」号を写真撮影。その後、天満橋の松坂屋の中のジュンク堂書店で立ち読み。2時間半くらい経った後、「比良」号に乗車。 天満橋→三条間をノンストップ(途中、八幡市で運転停車)。疲れのせいで途中少し寝てた(甥)。三条で折り返しの「まいこ」号を見送って、 昼飯に吉野家でセール中の「豚丼」を食べて帰宅。

残念だったのは、この「リバイバル臨時特急」を記念したスルッとKANSAIのカードが売り切れてしまったこと。買いたいと思ってたのに…。 天満橋で売ってる人がいたのだが、「後回しでいいや」とか思って、油断してたから!乗車前にその人がいないなと思ってたら、そのときには売切れてしまったみたい…。あぁ残念。

豚丼を食べたのは大手4社の中で、吉野家が3社め。個人的には、吉野家>すき家>松屋の順でおいしいと思った。ただ、値段を考えると、すき家でも納得するけど。 値段が一番高いなか卯の豚どんぶりを食べていないので、なんともいえないが。

 2004/03/12 Fri. → 03/13 Sat. 連日記

先週から突っ走りすぎで少しは休めばいいのに、今日は、おかず氏、ピリ氏、ポル氏、es氏、Da氏とともに京都・三条のラウンドワンにてボウリング。 とはいえ、Da氏は前日の追いコンのため、二次会のカラオケから参加。ボウリングを3ゲームやったが、ハイスコアが127とそんなにスコアが伸びなかった。 ただ、3ゲームとも100を超えるというこれまた珍しいことにもなっていたので、調子がよかったのか悪かったのかは定かではない。

ボウリングの後は、カラオケを4時間半ほど。結構歌ったが、何を歌おうかかなり迷った。結局いつも通りの流れだったが、「日本ブレイク工業 社歌」とかも歌った。ごくネタ曲。 カラオケ後は「シェーキーズ」でピザ・パスタとか食べ放題。ピザをメインに食べたが、終盤に甘いピザをたくさん食べてたのを見て、「よう食うね」と言われた。 食べ放題ではよく食うんですよ〜。ケチなだけです(甥)。ホンマに結構食えるんです。意外かもしれませんが。

晩飯後、解散する予定…だったのだが、大学周辺まで帰ってきてポルさんの家で夜通しで「桃鉄」を。初めて西日本編をやったが、地名がマニアックですね。 「ハワイ」はなくても、「羽合」がある。さすがですね。それはともかく、朝6時くらいでやっと終わったが、疲れた。ごく疲れた。 桃鉄をやっていなかった2人はずっと寝てた。何のためにポルさんの家に来たのか…。

朝8時半頃に家に到着し、3時間くらい寝て、昼飯を食った後、今度は谷六にあるギャラリーに、母親の通ってる色鉛筆絵画の講座の展覧会を見に行った。もちろん、母親も4作品出品してた。 他の人も皆さん、いい絵で…。中には色鉛筆には見えないようなものも結構あった。よかったです。この日が最終日なので、見に行きたいという人がいても無理ですが…。

 2004/03/11 Thu. 

案の定、最混雑日。入学手続きを終えた人が続々やってきた。自宅生だけでなく、生協以外で下宿を決めた人とかも。
9時半を少し過ぎたあたりで、最初の応対。どんな人を応対したかなんてほとんど覚えていません。初日、2日めの3人に加えて、今日だけ更に3人加えた6人体制。 それでもどんどん人は押し寄せてきて、最大何組くらいが待ってたのでしょう。よくわかりません。当たり前のことながら休んでる暇はなく(途中12時過ぎに昼食を取ってた人はいましたが)、 延々とお客の応対をしていて、ひと段落ついたのが、13時過ぎ。やっとここで昼食。実に3時間半働きっぱなし。とはいえ、これが普通なのです。休んでるのはおかしいのです。 ただ、何とか暇を見つけてお茶を飲んでいたが、そうでもしないと声が枯れて、充分に応対できない。何とか大丈夫でした。最後まで持ちました。

昼食後も数は減ったとはいえ、お客は結構来て、あっちゅーまに17時を迎えた気が。よく働いた充実した一日でした(甥)。
結局15〜20人くらい応対。意外と少ない気もするがこんなもんなんでしょう。他の人はもう少し応対してると思いますが。印象に残ったお客としては、「田中耕一」さんの息子さん。 もちろん、「田中耕一」違いです。ノーベル賞の「田中耕一」さんとは違うと思います。住所が違いましたし。京都でも富山でもなかったです。
あと、高校のときの同級生の弟(これまた同じ高校)。ちなみに、同級生(兄)も同じ大学です。同学年です。学科は違いますが。
あとはあんまり覚えていません。断片的には結構覚えていますが…。印象は強くありません。
こんなところで、今年の生協加入バイト一旦終了。

バイトが終わったあと、皮膚科に行ったのだが、「入院してもおかしくない」といわれた。もともと皮膚炎を患っているが、確かにかなりひどくはなっていた。 ただそこまでいってるとは…。若干ぞっとした。

 2004/03/10 Wed. 

2日目。昨日の合格発表と明日の入学手続きに挟まった、空白の一日。去年、一人の客も応対せずにうとうときてたのも、この日。とはいえ、空白の一日となっているのは僕ら、 自宅生の生協加入受付の人だけで(パソコンの案内してた人もか)、下宿斡旋、下宿下見の人はすごい忙しそうだった。

今年も手を抜けると思ってたし、休み損ねた昨日のことがあるので、休もうと思ってた。わりあい休めたのは確かだが…。魔の時間帯があった。 それまでそんなに人も来ておらず、3人とも手が空いてるときもあった。しかし、その時ばかりは、なんと3人連続でお客が来た。
せっかく担当が3人もいるのに、待たせるわけにはいけない(当たり前)ので、今季2人目の応対。この人も下宿生だったが、もう決めてた人でこの窓口に来たようだ。 住所を書いてもらうときに、不動産屋(?)からもらった資料が間違っているのに親が気づき、正しい住所を確認していた。結構時間がかかってたが、あとのお客が待ってる様子もなかったので、 こっちも向こうも気にせず、途中談笑とかしてた。明日だったらありえない。

3人が交代で昼食をとるが、人数が減った数的不利(甥)の状況でまたお客が来た。しかしながら、インパクト特大の前2人のお客と違い、ごく普通に応対できた。 もちろんそれなりに談笑もして。
ほかには別に何事もなく、今日は2人のお客さんの応対をして業務終了。本当に給料泥棒ですな。午前中にはうとうと来てたし(甥)。ただ何よりもよかったのは、去年みたいに 警備・誘導の手伝いをしなくてよかったこと(甥)。去年は寒い中、誰も通らない門の前で警備・誘導をしてたから…。
明日は最混雑日。2日間溜めたパワーを発揮するべ。

 2004/03/09 Tue. 

今日から生協加入受付のバイト。今日が合格発表で、結構人が来ると思ってた。去年がそうだったから。
ところが、人がほとんど来ない。生協で家探しをする人もちらほら来ていたが、そういう人は、下宿下見の後に他の会場で加入受付をするので、 僕らは応対しない。なぜこんなに少ないかを考えていて気がついた。去年のこの合格発表の日は日曜日。家族連れで合格発表を見に来て、ついでに生協加入する人が結構いたということ。 今年は平日だったので、家族連れで見に来る人は少なかったのだろう。そもそも見に来る人が少なかったのかもしれない。

そんなこんなで16時を過ぎても応対していなかった僕は、このまま業務終了の17時まで逃げれるかと思った。しかし甘かった。
16時半を過ぎてやってきたお客に対し、担当の他の2人が意図的に僕にまわしてきた。仕方がないので残念に思いながらも応対。ところが、このお客が結構難攻不落。 僕らは、生協加入の受付と同時に、生命・火災共済などを勧めるのだが、いきなり「火災共済」に入れって言われたのですが…と切り出してきた。 どうも、下宿先が火災共済の加入を指定し、急いで窓口に来たものと思われる。すんなり生命共済にも入ってもらうとこっちも楽だが、他に保険に入っているとかで渋られた。 学生にぴったりの学生総合共済の生命共済なのに…。また検討してもらうということでお帰りになりはったが、難攻不落だった。終わったら17時を過ぎていた…。

昨日までがあんな状態だったので、客が来ないのをいいことに充電しようかと思っていたのに、その計画もあえなく潰れ、フルパワーを出す羽目になってしまった。悔しい。 (ちなみに、今日の応対人数は全員で6人くらいだったか?)

今日は家族が京都に来ていたので、大学まで来てもらい、一緒に生協のカフェテリアで晩飯。その前に生協の本屋(カフェテリアと同じ建物)で、どらいどさんに遭遇。 どらいどさんは下宿下見のバイトで、そんな話もしていたが、ほとんどは、こないだの能登旅行について。日帰り組はノーマルタイヤで雪道を帰ったらしい。 結局大学に帰ってきたのは2時を回っていたとか。2日組以上に壮絶な旅だったのかもしれない。 あと、どらいどさんに言われたのは、8日朝、部室を覗いたとき、僕の姿が「死にかけ(死にそう?)」な姿だったらしい。かなり怖かったそうだ。あらまぁ…。

 2004/03/08 Mon. 能登旅行番外編も

日曜の日記で書いたことまでで完結したはずだったが…。
あまりに深夜だったので、電車に乗って家に帰ることはできず、どうしようか迷っていた。ただ、昨日、家族が新居に来て、ベッドを組み立ててたそうで、 その甲斐あって、新居でも布団で寝れるようになったとの連絡は受けた。迷った結果、新居で初めて夜を明かそうと思ったのだが…。
新居の部屋のある建物は、夜間オートロックで、その番号を知らなかったため、中に入ることができなかった!!さすがに深夜1時を回っては、 大家さんに聞きに行くわけにも行かず、この計画はあえなく断念。

続いて、かわひ氏の家に泊まることも考えたが、やはり迷惑かけるのと、服を着替えたいとの一心で、レンタカーで大阪の家まで帰ることにした。 深夜の1号線ドライブは、渋滞もなく、スピード狂もおらず、非常に走りやすかった。1時間半足らずで家に到着。着替えたあと、1時間半くらいベッドで仮眠。 渋滞に引っかからないように6時前に家を出て、再び1号線ドライブ。やはり、夜も明けていたため、車は多く、ところどころで渋滞してた。 とはいえ、出発も早かったので、1時間半強で大学に帰った。

1時間半くらい部室で軽く寝て、自分の家でゆっくり6時間ほど寝たというかわひ氏と一緒にレンタカーを返しに行く。無事返却して、これにて本当に完結。


とはいえ、9時すぎに1日の生活が終わるわけはなく、10時に明日からの生協バイトの研修。ホンマは9時から全体研修だったらしいが、 担当の職員からこの変更を聞いておらず、のんきにレンタカーを返しに行ってた…(甥)。10時からは個別の研修で、去年と同じ仕事場(同じ会場で生協加入受付の仕事) に決まった。まぁ、去年を経験してるので何をすればいいかとかもよく知ってるし、気が楽だ。
ただ、この週末より今日にかけてほとんど寝てないことのツケが、この時に襲ってきてて、さすがに寝はしなかったが、起きてるのがやっとの状況だった。

研修が終わり、昼食をとったあと、新居に向かい、冷蔵庫が到着するのを待つ。あまりにしんどかったので、昨日付いたベッドでもちろん昼寝をしながら。 奇跡的にチャイムの音で目が覚め、冷蔵庫の設置も無事に済んだところで、大阪まで帰宅。
だんだん新居らしくなっているが、実際に住み始めるのは4月から。ということで、今月は大阪にほとんどいます。
明日からバイトなのに、まだまだしんどい。大丈夫なのか??

 2004/03/07 Sun. 能登旅行2日め

能登島を抜け、能登半島の縁(国道249号を走っていたので、厳密には違う)を走り、午前1時ごろ能登半島の先っぽ・禄剛崎に到着(のはず)。 灯台があるはずだったが行けず、また降り立ったところには何も案内がなかった。深夜ということで多少残念ながら、その場を後にして今度は西に向かう。

4時か5時くらいに輪島に到着(着いたときに目は覚めたが、ずっと寝てたので何時か覚えていない)。そこでしばらく全員で仮眠をとる。 そして、8時。営業開始直後の朝市を散策。たこの塩辛と輪島塗の箸を購入。1時間くらいぶらぶらして輪島を後にする。
輪島にいる途中も、「輪島駅」がどこにあるかが気になっていた。のと鉄道輪島線が廃止されたのは知ってたし、地図を見ても鉄道の線が走ってないことを確認した。 でもたしか輪島駅跡は残ってたはず…。そして何よりバスの行先が「輪島駅前」。そう思いながら、再び地図を見ると、たしかに「輪島駅」がある。 少しは行きたいなとも思ったが、朝市の通りより少し離れてたし、何より時間が大事なので(まだまだ能登半島一周まで距離がある)、あきらめた。

輪島を抜けても、能登半島一周の旅はまだまだ続く…。南西にしばらく下ったところで、「琴ヶ浜」に到着。ここは「鳴き砂」で有名なところらしい。 以前、京都府の「琴引き浜」に行って、そこで鳴き砂を体験したことはあるが。今回はあえなく鳴かなかった。もっとも天候がいまいちで砂がわりあい湿っていて鳴かないとは思っていたが。
一同残念には思いつつも、琴ヶ浜を後にし、更に南下。少し走って増穂浦へ。ガイドブックを見てて見つけたのだが、ここには「世界一長いベンチ」がある。 ギネスブックにも載ってるもので、460mの木製ベンチで1346人が座れるらしい。みんなで「無駄やな〜」ってつっこんでた。ホンマに無駄さ満点のギネス記録。 実際着いて見たが、その日は今までの積雪で座れるような状態ではなかった。結構いい新雪で…雪合戦に突入。それなりな時間が過ぎて、世界一長いベンチともお別れ。

再び南下し、続いて「巌門」。真ん中にぽっかり穴の空いた岩を、洞穴の中から見るという、かなり珍しい光景。自然のすごさを実感。それにしてもすごい岩場だった。
巌門を過ぎた後は、旧福浦灯台。これは日本最古の木造灯台だそうで、近くまで行きたかったが、車では通り抜けるのがやっとというような細い道を抜けて着いた駐車場から 10分くらい歩かないと着きそうになかったので、残念ながらあきらめる。

旧福浦灯台を過ぎた後も南下を続け、県道36号〜国道249号を通って、再び「千里浜なぎさドライブウェイ」へ。今回は昼間だったため、車も結構多く、たしかに観光バスが何台も走ってた。 夜に見たときは前を見るのに必死だったが、さすがに見通しがいいので、横に迫り来る日本海を見ながら、パリダカ気分(?)で砂浜を駆け抜けた。ただ、潮がわりあい満ちていたので、 昨日走ったよりも道幅が狭いように思われた。なんとか2台がすれ違える幅。ただ、ゴミが落ちていたりするので、すれ違えないところも度々あり。
みんなで交替交替に計1往復半走り、再び南下。金沢ははずれ部分を通っただけで、一部北陸道を通り、福井県へ。

福井県での目当ては東尋坊。景勝地としてかなり有名だが、行ったことはなかった。17時前に到着したが、どんどん土産物屋が閉まってく…。お土産は後回しにして、 日が暮れる前に岩場を見に行く。目の前に断崖絶壁が広がり、自殺スポットになってしまうこともうなずける(甥)。それくらい恐い。落ちる気がなくても、足を滑らせて落ちてしまうような…。 そんな恐さ。恐がりの僕も、多少は進んで下を眺めてみたが、更にもう少し奥までは行く気がしなかった。
そんな鳥肌ものの東尋坊の先にある雄島にも行こうとしたが、車は進入禁止だったため、結局行かず、いよいよ帰路につく。

途中、18時に閉まる道の駅の前を閉店7分ほど前に通り、急いでお土産を購入。助かった。さすがにサークル内で来れなかった人もいたので、お土産なしで帰るわけには…。安心した。
海岸線に沿う国道をしばらく走ったあと、山に入る(これも国道)。ただ、きちんと整備された国道ではないため、道幅が狭く、街灯が少なく、しかも雪が降り続け、視界が悪く、 カーブの向きも見間違ってしまうような悪路だった。僕はこの区間運転をせず、寝て力を養っていたが、運転していた先輩がかなり疲れたように見えた。

途中何ヶ所か休憩を取っていた(これも「運がよかった」結果だそうだ。右にコンビニが見えたが、運よく対向車が来なかったので入ることができた…とか)おかげで、 雪道をずっと運転してた先輩も「大丈夫」だと言っていた。国道8号から疋田(敦賀市)で分かれ、いよいよ福井滋賀県境のスプリンクラー地帯へ。スプリンクラーのないところでは 路面が凍ってたところも結構あったみたいだが、さすがにスプリンクラー地帯では凍ってはいなかった。だがこのスプリンクラー地帯にも落とし穴があり、車体に直撃したスプリンクラーの水と、 対向車が巻き上げた水ハネがフロントガラスにあたり、前方が全く見えない状態に何度かなった。はっきり言ってかなり危ない。国土交通省の皆様、なんとかしてほしいです。

幸いこの危機も大事には至らず、滋賀県に入る。ずいぶん山を降りても、雪景色と「凍結注意」が途切れない。ここで気付いた。この2日で大雪が降ったのだ、いや降ってるのだと。
行き(土曜の朝)には、このあたりでは雪なんて全くといっていいほど見なかったが、呆れるような雪景色。渋滞も続く。運転してた先輩も、結構うとうと来てたみたいで、 雪もやんだあたり(どこか覚えていない)で僕と交代。僕以外は先ほどの雪道で寝ていなかったそうだ。
国道161号では渋滞もあったが、バイパスに入ると道が流れ、そのまま京都へ。日付が変わるかどうかくらいに大学に到着。壮絶な能登の旅もこれにて完結。

ここまで書いてきたが、あまりの長さに絶句。ホンマすんませんでした。けど、省略したこともあってのこの長さなんです。

 2004/03/06 Sat. 能登旅行1日め

朝6時半集合。さすがに大阪まで帰る余裕はなく、かといってまだベッドも布団もない新居に泊まるわけも行かなかったので、かわひ氏の家に泊まる。 これが最後かもしれない。と思った。 朝6時半集合で、案の定その時刻にはほとんど集まってなかったが、徐々に集まりだし、7時に出発。日帰り組4人用のヴィッツ、2日組5人用のステップワゴンに分乗。 161号で、ひとまず敦賀を目指したが、途中参加者一人が体調不良で1時間半くらいで帰ることになった。後で聞いたら、大丈夫だったそうでよかったが…。
滋賀・福井県境では怒涛のスプリンクラー地帯。融雪・凍結防止用のスプリンクラーだが、その量が半端じゃない。あと発射角度がおかしいものもあった。 後で聞いた話だが、ヴィッツのほうで窓を開けて運転してたらスプリンクラーの水が直撃したそうな。

敦賀からは8号線でひたすら金沢を目指す。事前に立てた予定では、高速道路を使って行く予定だったので、下道を使った今回、金沢に着いたのは約1時間半遅れ。 昼飯は「宝生寿司」というお寿司屋でとったが、迷ってしまい、時間をロス。カーナビに頼りすぎたのが敗因だった…。寿司自体は2500円の「おまかせ」で、 納得のおいしさだった。たこが特においしかった。ここで金沢特産(?)の「かぶらずし」を頼もうとしたが、時期はずれだそうだ。結局食べることはできなかった。残念。

寿司を食べた後、金沢といえば!ということで、まず二本三大名園の一つ、兼六園へ。あとの2つが偕楽園と何だったかが思い出せない。 それはいいとして、兼六園は広かった。「鬼ごっこをする」という案もあったのだが、時間的な余裕がなく、あえなく断念。
早足で兼六園を回った後、今度はおとなりの金沢城公園へ。広い公園内には、天守閣は残されていないが、櫓とかは残されていた。中に有料の施設があったが、 入場が16時までで終了していたため、これまた断念。しばらく公園をぶらぶらした後、ここで日帰り組と別れた。ちなみにここの時点で予定より2時間の遅れ。

2日組5人はここから一路北を目指す。日が暮れてしばらくした後、羽咋市(石川県)にある「千里浜なぎさドライブウェイ」に到着。ここは、日本で唯一、砂浜を走れる道路(!) として結構有名ならしく(僕は知りませんでした)、日中には観光バスも通るとか。とはいえ、着いたのは闇の中。普通の砂浜のため、街灯もほとんどなく、 真っ暗な中をヘッドライトだけを頼りに走る状態。僕は全長8kmの半分くらい運転したが、風も強く、また砂浜にゴミが落ちてたりして、運転しにくかった。でもいい経験だった。 (予定では、夕暮れ時に、夕陽を浴びながら走るはずだったんですが…。もっともこの日はくもりがちでその時間帯でも夕陽なんて見えませんでしたけど。)

「千里浜なぎさドライブウェイ」を走りぬけた後、県道2号線で能登半島を北東に斜めに突っ切って、和倉温泉へ。ここで一休み。入浴。
和倉温泉から、能登島(七尾湾に浮かぶ島。能登半島とは2本の橋でつながってる)を通り抜けて、能登半島の縁を走って更に北東を目指す…。

 2004/03/05 Fri. 

今日は昼から京都へ。所属学科の今年で退官される教授2人の「最終講義」を聴講しに行った。
会場前で、スーツ姿の人があまりに多いさまに、場違いかと思いひいた。学生がほとんどいない!!もっと学生が多いのかと思ったが、 他の教官の皆様がそろっていたし、退官される教授の大学時代の知り合いなどといった人も来てた。そんな中入ろうかどうか迷ったが、 せっかくだからと、かわひ氏と相談して入ることにした。同じ学科のサークルの先輩も、少し遅れて入って来はった。
1人目の教授が今日の目当て(?)で、1回前期の専門科目の担当の教授。1つ下の学年には教えていないはずなので、僕らの学年が最後の学年といえるだろう。 その教授の「最終講義」は、教授の大学の中での生い立ちを語っていた。途中かなり難しく??っていう理論もあったが…。

2人目の教授は、2回前期の専門科目の担当教官の1人。2回しかその教授の講義を受けていないので、あんまり印象に残っていなかったが。
この教授は子供時代からの生い立ちや、出身地・佐賀県についてなども喋ってた。さすがに1時間半×2本も堅苦しい雰囲気の中、聴いてるのは疲れて、 最後はわりあいしんどかった。

とはいえ、その後、明日からのサークルの旅行のため借りてきたレンタカーに乗って、無駄に亀岡まで運転練習。ただ、去年冬の時とは違って、 スタートがそんなに遅くなかったので、日が変わるくらいには京都に帰ってきて、朝の早い明日に備えた。

 2004/03/01 Mon. 

いよいよ来週に迫った、大学生協・新入生センターのバイト。今日はその研修があった。
去年と同じバイトで、担当業務も去年と同じで今日の研修も何をするかがわかってたので、気が楽だった。 話の途中で調べていたのだが、去年やった人が半数を占めていた(僕もその一人)。研修は午前中・3時間強で終わり、 その後今年も一緒にこのバイトをするかわひ氏を連れて、まだ何もない新居へ。ガスの申込書を取りに行くだけだったのですぐに帰る。