8/1(水)
 4:50  車椅子にてトイレへ連れていってもらう。
 6:50  37.3℃。リバノール湿布交換。
10:30  車椅子にてトイレへ連れていってもらう。

13:00 
4人の担当医のうち、Dr.NとDr.Kがやって来たが特に進展はない。
入院時に採取した関節液培養(顕微鏡検査に提出して関節液内の細菌の有無を調べる検査)の結果が
出なければ治療方針も立てられないようだ。

14:00  36.8℃
14:20  車椅子にてトイレへ連れていってもらう。

14:30  
呼吸器内科受診。入院前から予約は入れてあったのだが、予約自体はキャンセルされてなかったようだ。
左足を下垂するだけで痛いので、トイレ同様、内科外来まで車椅子で連れていってもらった。

15:00  リバノール湿布交換。

15:30 
シーツ交換。さすが大学病院だと感心したのは、こういう所まで業者が入っていることだった。
職員がやっていると通常業務に支障が出たりして間に合わない・・・という事情もあるのだろう。
シーツ交換が業務の1つとして組み入れられている病院でしか働いた経験がないので、
何ともうらやましい限りである。

20:30  37.2℃
車椅子にてトイレへ連れていってもらった後、リバノール湿布交換。その後、Ns.Tと少し話をする。
何日か前にこの病棟にきて以来、少しずつhuman−watchingをさせてもらった結果、
大切なことを話してみても良いかも・・・と感じていたのだ。7/28の日勤で全身清拭を勧めてくれる
タイミングが絶妙だったのと、言葉使いがやたらと丁寧なのと、もう1つはそれなりに経験を積んでい
ると思われたからだ。


あまり若すぎると、こちらの伝えたいことを話すだけで気をつかうので、ある程度の経験年数を
積んでいるか、あるいは若くてもそれなりの対応が出来そうな人でないと困ると思ったのだ。
自分と接して感じたのが1番であるが、同室者との会話を聞いていると比較的簡単に目安が
出てくるものだと思っている。ナースにしてみれば“見られている”とか“聞かれている”という気が
して、何となく嫌な感じがするのは充分理解しているが、こちらも大切なことを誰かれ構わずしゃべり
まくる・・・という訳にもいかないのである。読者の皆さんはお分かり頂けただろうか?
私が見たところによると、このNs.Tは恐らく私と同世代だと思われる。
      
とは言っても私よりは若いだろうけど、年代は大して変わらないだろう。そして話振りからすると
看護婦としての経験は10年前後かな・・・という感じ。年令については深く追求されたくないらしいので、
あえて聞かないことにした。

・・・で、肝心の「Ns.Tと話した内容」なのだが、以下に記す通りである。
話したとは言っても実際は私の愚痴を聞いてもらった、という感じだったんだけど。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜       
細菌検査で原因菌が特定出来ないと、特に治療をしないで退院の方向というのを
Ns.Tから聞きだした。ま、自分でもドクターから少しはそれらしきことを聞いていたので
「ふーん」という感じだったけど、膝は腫れたままだし、このままでは仕事はおろか日常生活にも
支障が大ありだと伝えた。
頭では分かっていながらも、何もしない事に対してささやかな不満のある私は
「あと何十回同じ事を繰り返しても原因菌が特定出来ない限りは何もしないのだろうか?
これでは不安で働けるはずがない。再発を繰り返すのは分かっているのだが、次にこうなるまでの
期間を出来るだけ長くしたいと思ってはいる。その為にはどんなことも受け入れる準備はしているし
恐いものはない。あるドクターが“この病院でOPをしたのでないから”という言い方をしたのだが、
それでは転院の意味がなされていないのではないか?意味もなく転院したのでなく、
前の担当医とも合意の上で決めたことであるし、何も障害はないはずだ。
とにかく私は再発の可能性を少なくしてもらいたいだけだし、このままでは不安で働こうにも
働けない」・・・という意味のことを優しい口調で伝えた。

言いたいことは伝わったようで「私が患者でもOOさんと同じ事を感じたと思います。もう1度
方向性を確認してみます」といい、不愉快な思いをさせて・・・ということで謝られた。
とても品のある言い方でね。感じが良かったな。
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8/2(木)
 5:00  車椅子にてトイレへ連れていってもらう。
 7:15  37.1℃

10:00 
教授回診の前に4人の担当医のうちの1人でもあるDr.Nがやって来て、入院時の関節液培養の
結果が陰性だったと教えてくれた。やっぱりね・・・って感じ。ここで何か細菌が検出されても
困るんだけどね。出ないに越したことはないわけよ。

10:20 
週1回の教授回診だったのだが、嵐のようにやって来て嵐のように去っていった。
外来から継続して診てもらっているM教授のコメントは以下に記すものだった。
◎7/31に行った骨シンチの結果は、左膝に取りこみがある。
◎関節液培養が陰性だったので、何回か繰り返して検査して提出するように・・・と4人の担当医のうちの
 1人に言っていた。
◎左膝の熱感はあるが溜まりは少ない(?)

10:50  車椅子にてトイレに連れていってもらう。
11:20  リバノール湿布交換。
13:00 
Dr.NとDr.Kがやって来て関節液穿刺と採血を施行した。関節液穿刺(業界用語でプンクという)では、
オレンジ色がやや混濁しており最後は血性のものになっていた。量は28mlだった。

13:20  病棟婦長さんという人がBed−sideにやって来たので世間話をした。
14:20  37.2℃

15:30  洗髪。久し振りのことなので気持ちが良かった!
こういうのを気持ちが良いと感じられるという事は快方に向かっているのだろうか?

16:30  車椅子にてトイレに連れていってもらう。

19:30  Aちゃんが来てくれた。
いつもは週末にしか来られないのだが、今週はバイト先の健康診断会社のスケジュールが比較的
緩やかなので来られたという。新しいNoteパソコンを買ったといい、持ってきて見せてくれた。
最新型のものだ。

20:00  車椅子にてトイレに連れていってもらう。
20:30  37.1℃

一昨年の左ACL(前十字靭帯)再建で入院した年も誕生日は病床で迎えることになったのだが、
今年もそうなってしまった。ま、こんな日があっても別に良いとするか!


8/3(金)
 7:30  朝の検温時、排泄回数を聞かれただけで体温測定はしなかった!忘れてたのか??
 8:15  車椅子にてトイレへ連れていってもらう。

 9:15  36.8℃
その後、しばらくして足浴を行う。足だけをお湯につけるのだが、とても気持ちが良い!

10:20 
ヘルパーさんに車椅子を押してもらい、院内にある銀行のキャッシュコーナーに連れて行ってもらった。
数日前から気になっていたのだが、財布の中の現金が数千円しかなくなり、次にテレビカードを買ったら
なくなりそうな気配なのだ。オマケにここは1人1人の床頭台に冷蔵庫が装備されており、それを利用するのには
テレビカードが必要な仕組みなのだ。

11:50  昼食の配膳直後にDr.Kがやって来た。
早く働きたいのはやまやまなんだけど、この状態では働けないし仮に仕事に出たとしても
いつ爆発するか分からないものを抱えていたら、一緒に働くスタッフも迷惑だと思う。
また、雇う側も同じだと思う・・・というような意味のことを話したら、4人の担当医のうち1番下で若いと思われる
Dr.Kは「そうですよね」と言っていた。
この日記風の経過記録のどこかにも書いたと思うけど、このDr.Kは外来受診の時に教授さんの診察についており、
その時の私をうっすら記憶している・・・というのだ。
私も今回の緊急入院後に担当医グループに混ざって彼が来た時「あら?」と思った。

13:50  36.3℃
14:00  車椅子にてトイレに連れていってもらう。
18:20  リバノール湿布交換。
19:40  車椅子にてトイレに連れていってもらう。


8/4(土)
 7:10  37.0℃
検温後に車椅子でトイレに連れていってもらい、洗面所によってから帰室した。
昨夜、夕食後より左膝の痛みが強く、10のうち6〜7になっていたが、夜の検温にきたナースに訴えても相手に
されなかった・・・と他のナースに言ったら、その子と違う人が朝の検温にやって来た。

 7:30  リバノール湿布交換。
12:10  車椅子にてトイレに連れていってもらう。
14:10  37.1℃

14:30 
半日勤務が終了したという昔の同僚Nが来てくれて、車椅子を押して2階の売店に連れていってもらった。
お菓子や飲み物を買ってきた。たったこれだけの事なのだが、左足を伸ばしたままにしておく板を敷いているので、
それが邪魔になって売店内で自力で方向転換するのが困難なことに気付いていたのである。
人に手伝ってもらわないと出来ない事が意外と多いものだと思っていた。ちょっとしたことなんだけど・・・。
その後、入れ替わるようにして平成の始め頃この大学病院で一緒に働いていた看護婦仲間のYTが来てくれた。
世間話を1時間ほどしてから帰っていった。友達とはお金で買えないとても大切な存在である・・・と改めて感じている。
本当にありがたい。

17:50  車椅子にてトイレに連れていってもらう。
20:50  37.0℃


8/5(日)
 7:00  36.9℃
車椅子にてトイレへ連れていってもらう。その後にリバノール湿布交換。

10:30 
洗髪。指定の場所まで車椅子で連れていってもらうと、後は自分でやった。ナースは手伝ってくれると言うのだが、
私は別に手が不自由で入院している訳ではないから・・・と言ったら不思議がられた。
ここのナース達は頼めば何でもやってくれそうな雰囲気がするけれど、それに甘えてはならない。
看護婦の国家資格は「出来ることを手伝うために取得した免許」ではないのだ。
私も現在は休業中だが、働いている時はよく口癖のようにそう言っていた。

12:00  Dr.Tがやって来るが大したことは話してない。

15:30  37.1℃
検温はNs.Tがやって来た。歩く練習をしてみようと巧みに促され、確かに自分でも「少し我慢すれば
トイレ位は行けるかも・・・」と感じ始めていたので、またしてもNs.Tの絶妙のタイミングに乗せられてしまったのだ。
この辺はベテランの技とでもいうのだろうか・・・?
しかし、今回入院して12日目で初めて立位になったのもあり、いきなり歩行というのは無理だったようだ。
左膝だけでドクドクと脈を打っているような感覚が強くなり、トイレまであと5歩という所で車椅子を借りることになったのだ。
排泄の度にナースコールを押して車椅子を持ってきてもらう・・・というのも何だか気が引けるし、
あまりいい気はしないので、何としてもトイレだけは歩いて行きたいと思い、1時間後くらいにやってきた
Ns.Tに申し出て歩行器での歩行練習を試みた。嫌な顔1つせず練習に付きあってくれたまでは良かったのだが、
いかんせん私の左膝がそれについて行けないようだった。
Nsに「トイレの時は呼んでください」と促される羽目になっちまった・・・。ま、仕方がないかな。

20:00  37.0℃
22:00  車椅子にてトイレへ連れていってもらう。


8/6(月)
 6:40  36.8℃
 車椅子にてトイレへ言った後、帰室したらリバノール湿布交換した。
 
9:30  病棟婦長氏がBed−sideにやってきた。

10:20 
4人の担当医のうち、Dr.IとDr.Kがやって来た。「いつまで経っても左膝で脈打つ感覚が
消えないのが今までと違う所」と言っておいた。

11:00 
入院後13日目にて初めてシャワーに入れることになった。前日の日勤で許可が出たとNs.Tから聞いていたので、
女性の入浴日でなかったのに入ることが出来たのだ。垢では死なないと分かっていたのだが、
やはりこの季節は寝ているだけでも汗をかく量が多くなるし、気持ちの良いことはやりたいに決まっている。
そういう清潔面に気を配れるようになったのは、良い傾向かも・・・というナースの指摘があった。
正にその通りである。この日の担当はNs.Tだったのだが、危険防止というか浴室内で転倒されたら困る
とでも思ったのだろう。介助したそうな雰囲気だったのだが「あなたは良くてもこっちがコッ恥ずかしい」と
笑ってお断りした。その代わり、出る時は呼んでくれというので、シャワーを終えて病室に戻る時に浴室から
ナースコールを押して迎えに来てもらった。
あまりに気持ちが良かったので「1つ足りない物がある。それはビール」と言ったら、ニッコリ笑って断られた。
ジョークだと分かっているよね!?

11:50 
シャワーから出て頭を乾かして病室に戻ったと同時に昼食の配膳だった。
これもまた絶妙のタイミング!しかもメニューはうどん。入院後初めて全量摂取した。
入院後初のシャワーと昼食のうどん・・・。気持ち良くて昼寝をしてしまったようだ。そんな訳で検温は15:30になった。
ナースは1度来たらしいのだが、私が眠っていたので起こさずに帰ったという。

15:30  37.1℃
検温はまたしてもNs.Tだった。数日前からこの病室にやって来ることが多く、よく・・・という訳でも
ないがお気軽に話をしていた人である。きっと、恐らく、たぶん、30代前半だろう。
いや、この際ナース達の年令でなく話しやすいかどうか・・・という事である。
これは私が患者として勝手に感じているだけだ。

このNs.Tはていねい過ぎると思う位の言葉使いであるし、営業スマイル全開なのだが
私はこの手の人を見ると常に「ていねい過ぎる裏には何かある」と疑ってかかる癖がある。
しかし、この人はそれを感じさせなかったのだ。不思議!とても不思議!
なぜかは分からないが、これからしばらく続く入院生活をする上でまた話をする機会があれば
この謎が解けるかもしれないし、解けないかもしれない。
いずれにしても「もう少し話してみても良いかも」と思わせる人物であることに違いはない。


検温と称したおしゃべりは約1時間にも及んだ。彼女は近々勉強会(卒後1.2年目対象?)の主催をするらしく、
その方法論等について色々と模索しているようだった。この病棟は腎臓内科の人も
いるようで、透析関連の勉強会だという。どうしようかと思っていると口では言っていたが、
彼女なりのプランは経っているような印象を受けた。それらを口に出すことによって、1つ1つ確認しているようだった。
現場の看護婦の教育もさることながら、看護学生の実習指導に関してまで話が及んだ所で
「去年、学生指導の研修に行って来たんです」という言葉が発せられた。
そして卒後10年目になるということも自ら白状(?)してしまったのだ。オホホホ!
おしゃべりという名を借りたhuman−watchingも意外と面白かったりして。
       
だけど、今は治療方針すら決定してない状況で「痛い事を何1つされてない」ので、そういう余裕めいたものが
あるのだろう。これが、いざOP等となったらそうはいかない。明日は生きていられるか分からないし、
人生何が起こるか分からないのだから、とりあえず今日が楽しかったらそれで良いよね、って感じかな。
そうでもしないと情報化社会から隔離された非人間的な入院生活なんてやってられないね。
しばらくは、この病棟のナース達の力を借りることによって入院生活が少しでも楽しく
愉快に過ごせたらそれはそれで有難いことだと思っている。
8月末でチーム(腎臓内科チームと整形外科・麻酔科チーム)の交代があるようなので、
それまではNs.Tを始めとした整形外科チームのナース達よ、頼んだぜ、ベイビー!!
       
16:45 
このモバイルギアで日記風の経過概要をまとめていたら、いきなり知らないDr(もう1人の教授?)と
4人の担当医のうちのDr.NとDr.Iがやって来た。
知らないDrが左ソケイ部(太股の付け根)を触れて「リンパ節は触れないね」と言っていた。
       
19:00  
Ns.Tが再びBed−sideにやってきた。
日勤だったので、もうとっくに帰宅していると思われる時間帯なのに・・・。
この病棟はそんなに忙しいのだろうか・・・?
どうやら検温の時におしゃべりした中身を“迫り来る勉強会”のネタに使おうとしたらしいのだが、
あまりにも沢山のことをしゃべり過ぎた為か忘れてしまったというのだ。な〜んだ!
日曜日から水曜日まで継続する「4日勤」の最中だと聞いた。早く帰って寝た方が良いよ・・・と思ったのだが、
なんのキッカケか先日友達に買ってきてもらっていた「Yahoo!JAPAN 9月号」を貸すことになった。
確かNoteパソコンを持ってはいるのだが、インテリアとなっていると言っていたのは記憶しているが・・・。
いずれにせよ、看護協会の公式ホームページを見てくることを課題にしてから雑誌を貸した。たぶん。
ま、そんな事はどうでも良くておしゃべりの相手が欲しかったのだ。

20:00 37.5℃。
入浴したからかしら?左膝は同じく、下垂すると脈打つ感じがとれない。


8/7(火)
 7:00  36.8℃
 
 7:10 
車椅子を持ってきてもらい、乗せてもらってからは自分でトイレと病室を往復した。帰室してからリバノール湿布交換。
 
9:00  
4人の担当医のうち、Dr.Tがやって来た。何を話したのか記憶にない所をみると、大したことは話してないのだろう。

13:00  車椅子を持ってきてもらい、自分でトイレの往復をしてきた。

13:40  
高校時代の同級生であるA.Sが来てくれた。
この大学病院にくるまで電車を乗り継いだりして約2時間もかけてきたという。有難いことだ。
4/1、日テレに「電波少年」という番組の収録に同行して以来のことなので、約4ヶ月ぶりのご対面となった。
4/1も入院中ではあったが外出許可をもらっていたので、当日会うまでは私が入院中の身であることを
知らせてなかったのだ。しかし、今度は病床まで来てくれたのだ。本人は暇つぶしだと言っていたが・・・。
テレビドラマの事や何かで大した内容の会話ではなかったのだが、とても良い気分転換になったことは間違いない。
オマケに売店で洗剤を買ってきてもらい、入院以来少しずつたまってきていた洗濯物を片付けることが出来たので、
それもまた別のところで有難さを感じている。

14:20  37.0℃
15:00  洗濯物が乾燥機に入ったことを確認したら、A.Sが帰っていった。

17:00 
A.Sが帰ってから約1時間後に乾燥機が終了したので、乾いた洗濯物を片付けて一息ついていたら、
おフランス料理のお菓子職人でもあるMちゃんがやって来た。お店は営業中なのに・・・と思ったのだが、
今日は8月途中からの転職を控えているので現在のお店からは休暇を取ったのだという。
彼女の場合、転職と言っても職業を変更するのでなく職場を変更するだ
けなのだが、それはそれで色々と面倒なことがあるのだという。しかし料理人のキャリアアップは転職を繰り返したり、
あるいは引きぬかれたり・・・という事でなされるらしいので、今回の転職が良い方向に進むと良いのにね、っていう
感じで見ている。

医療従事者だってそうだ。
1つの所に長くいると他が見えなくなってしまうものだと思う。これは自分が看護婦として積み重ねてきたものだけでなく、
ここ数年間の患者体験でも感じ取れたことが多々ある。
四角四面というか、融通が効かないというか、患者のペースに合わせられないのよね。
そういう人達(1つの所に長くいる人達)って。全員がそうとは言わないけど、
勤続10年以上になってくると大なり小なりそういう傾向が現れるものなのだ。
これを読んでいる読者の中にも心当たりのある方はいないかしら???

何の世界でもそうだけど、大昔には美徳とされていた“終身雇用”という制度は完全に崩壊したと言って良いだろう。
これが通じるのは「日本国株式会社」に雇われているお気楽な公務員だけだろうね、きっと!
終身雇用の代わりに意思表示をする機会が奪われ、イエスマンにならざるを得なくなり、
ストレスが蓄積して魔が刺した・・・なんて事のないようにして頂かないと困るわよ!


18:00  夕食の配膳と前後してMちゃんは帰っていった。

19:00  車椅子を持ってきてもらい、トイレに行って来た。帰室してからリバノール湿布交換。
20:30  37.0℃


8/8(水)
 7:00  36.7℃
車椅子を持ってきてもらい、トイレと洗面を済ませてから朝のリバノール湿布交換。
今朝の検温はNs.Hという人だった。本来は腎臓内科チームなのだが夜勤では他のチームの
患者を受け持つこともあるらしい。気持ちが悪くなる位の(?)にこやかさと丁寧な応対である。
色々と話をしていたら、私がこの大学病院を退職してから同じ病棟に入ったらしいというのが
分かった。昨夜の初対面(この病院は2交代になったので夜の検温と朝の検温は同じナースが
やってくるのだ)では、もしかして自分と同じかもしくは先輩かも・・・と思っていたのだが、
実はそうでなくNs.Hの方が少し若そうだと自主申告があったのだ。
こりゃ失礼、ってなもんよ!ごめんね、Ns.H。

13:20 
4人の担当医のうち、Dr.NとDr.Kがやって来た。
Dr.Nに膝の診察方法で水が溜まっているかどうかの見方を教えてもらった。具体的に文字にするのは難しいけど
「ほほぉ〜」という感じで聞いていた。Dr.Nによると今日の診察では、私の左膝に何か溜まっている気配は
感じられないとのこと。また自力屈曲は90度が限界のようだった。これは、幾度となく繰り返したのと同じであり、
入院後はほとんど安静にしており極力左膝を動かしてないのだから当然だ。
入院当初から言われていた“過去の入院時のDATAと治療内容”の一覧表を渡した。
自分のホームページから抜粋したものだが、T総合病院から取り寄せるよりは早いと思ったし、
「DATAがないから分からない」とぶっきらぼうに言われていたので「フン」と思って
提示してあげたのだ。そんなのはT総合病院から取り寄せれば良いのに・・・と思ったのだけど、まあ、
この際仕方がないよね。6/19に初診で持参した時の現病歴一覧にはここまで詳しく書いてい
なかったし、この大学病院に入院している間はこの人達の治療を受けるのだから、
何かの参考になるのなら別に隠さなくてもいいものなのだ。気合を入れて分析してくれヨッ、って感じかな。

13:30 
車椅子を持ってきてもらい、トイレを済ませて洗面所で手を洗っていたら新人のNs.Sが
「そのまま、ここで足を洗いましょう」と言ってきた。とても良いタイミングだったので応じることにした。
本日、とても忙しいらしく新人のNs.Sは息切れしていた。
目まぐるしく変化する状況についていくだけで精一杯なんだろうな、たぶん。
足浴(そくよく、と読む)をし終わってから病室に戻り身体を拭いていたらNs.Sが熱いタオルを持ってきてくれたので、
ついでに清拭もすることにした。気分が良いわ、って感じかな。

15:00  36.9℃

15:30 
業者が入り、シーツ交換をするとのことで車椅子に乗せられて1時間ほど廊下で本を読んでいるふりをしながら、
ナース達の言動をウオッチングしていた。忙しそうだというのは伝わってくるが、廊下を走っている人は見かけなかった。
新人Ns.Sはわき目もふらずワゴン車に必要物品を揃え、病室とナーステーションを数回に渡って往復していた。
途中で先輩格のNs.Tに声をかけられ、手伝ってもらえばいいものを断ったような感じだった。
横で聞いていた私は「先輩が手伝ってくれるって言ってるんだから、そこは“お願いします”ってやってもらうのよ」と
笑いながら言ったら、それを聞いていた他のナースも笑っていた。
Ns.Sは「あと2.3件の処置があるんです。もう限界です」と、なぜか先輩ナースにではなく、
患者の私に向かって言っていた。niceなキャラクターである。独特の雰囲気をかもし出している。

他には、大学出身のNs.T村も参戦してきた。
このNs.T村はいつか夜中に車椅子でトイレに連れていってもらった時、ブレーキの所が甘くなっていたり、
足置きがきしんで音が出てたりしたのを見て「大学病院とは言っても所詮〇〇〇。お金無くて貧乏だから」とボソッと
言い捨てて立ち去ったのが妙に印象に残っている。
いきなりタメ口(敬語でなく友達言葉という意味)をきかれた時は驚いたが、キャラクター的には
非常に面白い存在であると思われる。高学歴特有のインテリさが今は感じられないので良いが、
一緒に働いている人はどうなのだろうか?しかし、問題解決能力はありそうな感じがするのだけど・・・。

Ns.T、T村、そして新人のS・・・、この3人はなかなかイケテるキャラクターだと思い始めた。

20:50  36.9℃。車椅子にてトイレに行った後、リバノール湿布交換。

21:30 
この病棟の消灯は21:30なのだが、消灯寸前になってNs.TがBed−sideにやってきた。
「〇〇さん、起きてる?」というお言葉と共に。一体どうしたの、っていう感じ。ちょいと焦った。
特に用事という用事はないようだったが、15分ほどおしゃべりをしていった。
日曜日から続く4日勤の最終日なのに、こんな時間まで残ってサマリーを書いていた、という。
ほお〜、お疲れ様ですなぁ!
そして数日前に、インターネットの検索サイト「YahooJapan」から看護協会のホームページを探す方法を
教えておいたのだが、それが見られたという報告をしてきた。
そして明日はいよいよ彼女が主催する「卒後1.2年目対象のお勉強会」なのに、
実はまだ資料を作成してないとぼやいていた。そんなのは2.3日前に仕上げないと心臓に悪いのよ、Ns.T!
ベテランの域に達しようというのに頂けないわねッ!一夜づけで作るのかな?
目の下にクマを作っても私は患者なので責任は負えないね。今週(?)は他科の患者も含めて出入りが多く、
いきなり当日朝になって決まるだけでなく午前中に病室移動があったり・・・等と「愚痴ってしまった」と
言いながらも愚痴っていた。話を聞くだけならタダだし、いつでもいらっしゃいマシ!何か言いたかったのかしら???
明日は休みで明後日に夜勤で出てくるという。
パソコンに興味はあるのだが難しくて・・・というふうに「やりたい」という意思はあるようだったので、
パソコン関連の宿題を出すことにした。とは言っても誰でも出来るようなものなのだが、
初心者はそうはいかないのだろう。考えてみれば自分がパソコンをいじり始めた当初もそうだった。

パソコンの機種とグレード、HDDの容量と残量チェック、IEのバージョンチェックという3点だ。
手書きで細かく説明をしつつ「書いてる通りにすれば」必ず出来るようになっている・・・というふうに
してあげればOKだと思う。看護協会のホームページが指示した方法で見られたとのことなので、
インターネットが出来る環境は整っているのだろう・・・と想像している。


8/9(木)
 7:30  36.9℃。車椅子にてトイレに行った後で洗面を済ませて病室に戻る。

10:35  教授回診(木曜日定例)。
本日、とても不機嫌そう。先週の関節液培養の結果はまだ、とのこと。
私の左膝に触れることなく、担当医に対して「特別なことをやる必要はない」と言いながらも
「よく診て」という訳の分からないこと(?)を言っていた。いつにも増して慌てた様子で去っていった直後に
Dr.NがBed−sideにやってきた。どうやら急いでいたらしく、ついて回っていたDr達も慌ただしかったとのこと。
本日の左膝は・・・。
熱感あり。左>右で確かに局所所見はあり、骨シンチでも取りこみがある。
今の所、水や膿は溜まってなさそう。私のような症例はあまりなく、Dr達も困っている・・・とのこと。
確定診断をつけるには要素が不足している。今はどのDrといつ話しても最後には「もう少し安静とcoolingで
経過観察」としかならないので、段々と会話の最後が読めるようになった。まあ、時間はたっぷりあるのだし、
今になって焦っているという訳ではないので、持っている知恵をふりしぼって徹底的に考えてくれたまえ、Dr諸君!
という感じよね。そうでもなきゃあ、やってられませんわ。だって患者が診断つける訳じゃないから。

11:00  車椅子を持って来てもらい、トイレに行ってきた。
11:40 
同じく、車椅子を準備してもらい売店で5000円札を両替してきた。ついでにメールチェック。

14:20 36.9℃。
検温は新人とは思えない一見堂々とした風貌のNs.O崎だった。話・・・というか、会話にテンポがありリズミカルだ。
こういうタイプの人との会話は相手のペースにはめられるのも楽しいものなのだと感じる。
内容ではなくテンポを楽しむ会話が出来るのではないだろうか?まだ1年目というから、とても楽しみな存在だ。


15:30 
午前中から順番を取ってあったというシャワーに入った。前回と同様に、風呂場まで車椅子で連れていってもらい、
浴室内のイスを手前まで持ってきといてもらってから後は自分で行った。
友達と温泉に入るんじゃないから介助されるなんて恥ずかしい事は勘弁してもらいたい。

21:00  37.0℃


8/10(金)
 7:00  36.8℃
検温直後に車椅子を持ってきてもらい、トイレの帰りに洗面所によって病室に戻る。
 
 7:20  リバノール湿布交換。
 9:30  Dr.IがBed−sideにやってきた。
ずっとcoolingをしているので左膝はとても冷たいが、溜まりはなさそう・・・とのこと。
最後は「もう少し安静とcoolingで経過観察」というお約束のものだった。治療方針の決定は、
医局会を経て教授の判断にゆだねられる、というのを聞いた。やはり“医局という閉鎖社会の壁”は
現場のドクターにしてみたら、とてつもなく厚い壁なのだろう・・・というのを、どのDrと話しても痛切に感じる。
彼等自身の考えや意見が採用されることなど皆無のような雰囲気がありありと伝わってくる。
借金をし、経営者としての責任を負ってまでも開業したがるDrが増えるのはいうまでもない、
という印象である。大学に残り縦社会の組織の一員として医師を続けるのか、
あるいは開業して一家のあるじとして独立するのか・・・という点は当人達の人生観そのものなんだろうな、きっと!

13:10  車椅子を持って来てもらい、トイレに行ってきた。

14:10  37.0℃
今日の部屋担当は昨日に引き続き、新人Ns.O崎である。これまた独特のキャラクターで会話のテンポが
とてもniceである。Ns.O崎からすると先輩格にあたるNs.T主催のお勉強会が昨夜行われたらしく、
彼女は途中から参加したとのこと。

19:00  車椅子を持ってきてもらい、トイレに行く。
20:30  37.3℃
22:30  車椅子を持ってきてもらい、トイレに行く。


8/11(土)
6:50  37.0℃。
車椅子を持ってきてもらい、トイレと洗面を済ませる。病室に戻ってからリバ湿布交換。
夜間はめずらしく途中覚醒が頻回で不眠だったけど、ナースに言っても何もならない・・・というか、
何も出来ないので黙っておくことにした。昼寝すれば良いもんね。

9:30 
本日の部屋担当は卒後7年目になるというNs.S木である。
数日前にタレントの松居直美に似ていると指摘したら「実は前にも言われたことがある」と言って笑っていた。

 9:40  Dr.Tが来たが寝ている所を起こされた為、何を喋ったのか記憶してない。
13:00  車椅子を持ってきてもらい、トイレに行く。

15:10  37.2℃
Ns.S木はパソコンを持っているらしく、相当インターネットも使いこなしているようだ。
だが話を聞くとプロバイダーの料金プランが「電話代コミプラン」にしているためか、
契約時間を越えての利用はとても割高だと困っている(?)ようだった。
なので、電話代コミプランの概要だけでなく、利用頻度によっては必ずしもお得とはいえないと教えてあげた。
電話代コミの料金以外に月額数千円の請求があるというので、
常時接続も考慮してみてはどうかと提案しておいた。マシンはSONYのVAIOだそうで、
デジカメもついている例の小型のマシンだという。話が一段落した所で「歩行練習をしてみたいが忙しいようなので」
というと「検温がまだ終わってないので他を終わらせたら来ます」と言って去っていった。
しかし19:00を回っても彼女はこなかった。ま、別に明日でもいいかな、って感じ。
15:40頃ふと外を見たら雨が降っていたのだが、一時的とも言えない位しか降ってない。
夜間の不眠がたたったのか1日中眠くて仕方がない。寝すぎで頭が痛かったりして。
こんな贅沢なこと言ったら働いている人に悪いかしらネッ!いや逆に睡眠不足かも・・・。

20:30  36.9℃(測定し直しても37.0℃)
頭痛が強く頭にもcoolingをもらう。頭と足で同時に脈を打っているような拍動感がある。
あまり続くようなら頭痛薬をもらおうと思った。検温後に車椅子を持ってきてもらい、
トイレと洗面を済ませてきた。どうも頭が痛い。
あまり言いつづけると不定愁訴だと思われたら大変だ・・・ってか!?


8/12(日)
 6:50  37.1℃
車椅子を持ってきてもらい、トイレと洗面を済ませる。病室に戻ってリバ湿布交換。

12:10  車椅子を持ってきてもらいトイレに行く。
14:00  37.2℃。頭痛が軽度持続中なり。
16:00 
車椅子を持ってきてもらい、トイレを済ませた後に1人で売店に行ってくる。
車椅子を後ろ向きにしたら売店に入れた。これで面会人を待たなくて済むぞ!
       
19:30  36.9℃
本日の夜勤は昨日の日勤と同じく卒後7年目になるNs.S木である。
昨日、歩行練習をやりたいと言ったのに「検温後」と言い残して帰ってしまったでしょう?・・・と
にこやかに指摘すると、ハッとした表情をして「忘れてた訳じゃないんですが」と言いかかった。
しかし「やばい」と思ったかどうかは知らないが、すぐに「すみませんでした」と謝った。
向こうから謝ってきたのでこの件についてはこれ以上追求しないことにした。
それと、昨日の日勤でNs.S木にシャワーを勧められた時「明日(日曜日)でいい」と言っておいたので
当然今日の日勤担当者に伝わっていると思っていたのに、
何の声もかからなくてせめて足くらいは洗いたかった・・・と言うと、
Ns.S木は入浴の順番表みたいなものに私の名前を書いていったという。
という事は今日の担当者が見落としたのか、あるいは忘れたのか・・・という感じだろう。
その事をNs.S木が今日の日勤担当者に指摘したら、そのNsは「しまった」という表情をしていたというものの、
患者の私のところには何も言ってこない。Ns.S木から注意をしておく、とのことだが果たして・・・。
Ns.S木はともかくとして、今日の日勤者はお粗末と言わざるを得ない感じの対応だった。しばらく黙って様子観察だ。
今までのようにあまり細かい事まで指摘するのは止めようと思った。

20:30  車椅子を持ってきてもらい、トイレと洗面を済ませた。病室に戻ってリバ湿布を交換した。


8/13(月)
 6:40  37.1℃
検温後、車椅子を持って来てもらいトイレと洗面を済ませた。病室に戻りリバ湿布交換。

10:35  車椅子にてトイレへ行ってくる。
10:45  Dr.T

11:00  Dr.Nがやって来た。
8/2に提出した関節液培養の結果は大方の予想通り「陰性」だったとのこと。
変な細菌が出てもらっても困るのだが・・・というと、Drも「相手(細菌)が特定されないと治療方針が
立てにくい」と言いたそうな感じだったが、そうとは言わず苦笑していた。
左膝を診察したが「何も溜まっていない」とのコメントだった。coolingをしていたので冷え冷えだったけど、
冷やさないと左膝は熱くなると教えておいた。
今週は16日(木)にMRIがあるので、それで何もなかったら(?)そろそろ(膝関節を)動かしても
良いと思うのでCPMを始めましょう・・・という事になった。

平成10年に最初の滑膜切除を行った時、当時の担当医だったO医師から
「滑膜切除をやったからと言って水が溜まる可能性がZEROになる訳ではない」という説明を受けてはいるのだけど、
こうも頻回に繰り返すと「何とかしてくれ!」と言いたくなってくるものなのだ。
それをこの大学病院のDr達は分かっていないようである。何となく先が読める気がするのだけど、
今回の入院はOPをしないで退院することになり、あと数回今回のような事を繰り返してから
「やはりOPした方が良いかも・・・」となると思う。
こんな予想は当たらない方が良いんだけど、こういう時に限って当たるのよね〜!


14:20  37.4℃
検温はここの病棟主任という人だった。能面のような無表情を呈して仕事に徹する・・・という印象だったのだが、
この日の話でそれがちょいと違うものになった。検温後に車椅子を用意してもらい、トイレを済ませて
洗面所で手を洗っていたら向こうから「待ってました!」とばかりに足浴の準備をする彼女がいた。
日曜日に希望したシャワーが飛ばされたので、今日はせめて足だけでも洗いたいと思い、
数時間前に希望を伝えておいたのだ。バケツにお湯だけ準備してくれれば、後は自分で出来ると言ったのだが
側に立っていた。そこで私も色々と話しかけたのだ。夏休みに帰省したら親戚の子どもに囲まれて疲れた、とか、
自称・25才とか・・・訳の分からないことを言っているようだが、要は若く見られたいというだけのようだ。
最後は「20才よ」と言っていたが、それはいくら何でも・・・。
私がこの病棟主任のことを「自分より随分先輩」と勘違いしていた、という事も関係しているのだろうか・・・?
実際は大して違わない年代であるらしい。おっそろしい!早速、訂正しておいた。
今後のわが身に危険が及ぶことも充分考えられるのでね。なんて!

足浴が終わってから一汗かいたので全身清拭をしてから、車椅子で売店に出かけた。
Backで入れば片側だけは行けると分かったのだ。

18:30 
この大学病院に勤務する元同僚のNが頼んでおいた本を買って届けてくれた。TEL1本、メール1通で
このようにしてくれるなんて、友達はお金では買えない。Nが来たのと前後してなぜかNs.Tがやって来た。
これまた絶妙のタイミングだ。どうやら、リバノール液(左膝に1日2回貼付している液体湿布の事)が
手元に届くのが明日になると伝えにきたらしい。私の計算では、このNとNs.Tは同じ年令だと思っていたので、
元同僚のNに「同じ位でしょう?」と聞いたらNs.Tの方をチラッと見て「先輩だと思う」と言った。
あら?あらら?計算違いだったのかしらと気付いたのはこの時である。
でも、まあ私には別に関係ないことなんだけどね!オホホホ!このNs.T、なかなか隅におけない人物である。

20:50  37.2℃
21:00 
車椅子を用意してもらい、トイレと洗面を済ませた。病室に戻ってリバ湿布を交換した。


8/14(火)
 7:00  36.9℃。
検温後に車椅子を用意してもらい、トイレと洗面を済ませて病室に戻る。そして、定期のリバ湿布交換。
 
 9:10 
Dr.Tがやって来て採血した。昨日、Dr.Nから聞かされていたものだ。
しかし、このDr.T!入院した日の夜といい、今回といい採血はとっても下手くそ!
いちいち説明しているとムカツクので止めとくわ!

13:00  車椅子を用意してもらい、トイレに行って来た。

14:00  37.1℃
今日の検温は卒後2年目だというNs.Oである。今どき流行りの茶髪のおねえさんだ。
私のこの“日記風の経過概要”を見せて、ホームページ上で公開前提だと言ったら
少し驚いた様子で読んでいた。この病棟のスタッフのことを書いているので、
どこを読んでもうなづける所があるとクスクス笑いながら読んでいた。情報処理科(?)出身だというのに、
パソコンを持ってないというので是非この機会にGETすることを強く勧めておいた。

15:00
先週の木曜日以来のシャワーに入った。左足を垂らす時間が長いとドクドクと脈打つ感覚が強くなるものだ。
シャワーから出るという時に浴室からナースコールを押したら、何とNs.Tがやって来た。
浴室のすぐ後ろにある洗面所でドライヤーを使用するほんの数分間におしゃべりをした。
       
確か先週の木曜日、彼女の休日に主催するお勉強会にやってきた時、新人Ns.O崎を通じて
「パソコン関連の宿題」を出しておいたのだが、どうやら難しいらしいというのだ。
そこで「この前の(宿題)難しかった?」と聞いてみた。
あまりに忙しく「実はやってない」と言っていたが、そんなに忙しくて自分のパソコンを触っている時間もないと
いうのなら「病院に持ってきたらやってあげるよ」と言ってみた。
そしたら「いや、でも自分でやってみたいという気はある」というのだ。よろしい!その意気ヨッ!
最近の休日で「起きたら夜だった」という悲しい日があったそうだが、どうやら休みの前日が
夜勤明けで出かけたのが理由らしい。ここで私は彼女に教えてあげたのだ。
若さを過信してはいけないよ、ってことを。

そういう「傍から見ていたら、どうでも良いような内容の話」をしていたのだが、
それはそれで結構楽しいものなのだ。ま、いわゆる1つの“お口のリハビリ”ってやつよ!
どのナースが相手でも、こういう「どうでも良い話」が出来る・・・ということ自体が大切なのだ。

17:40 
早々と配膳された夕食を食べようとしていたら、元同僚で今もこの大学病院に勤務するNが来てくれた。
頼んであったミネラルWATER2リットルを買ってきてくれたのだ。
別に500mlのペットボトルでも構わないのだが、何となく割高なような感じがしていたのだ。
こういう我がままのようなことが言えるようになったというのは、少しでも快方に向かっているという事なのか、
あるいは元々の我がままさが出てるだけなのか・・・?
       
20:30  37.4℃
本日の夜勤(2交代の為、夜勤は翌日の朝までとの事)は、卒後3年目になるという、北海道出身の
Ns.Kという人だ。何気ない会話の中でパソコンの事を聞きだし、
しかもPostPetを使用しているというのまで聞きだした。
パソコン本体はオプションを付けまくって(?)35万円もしたというが、なかなか使いこなせないと言っていた。
これで先日のNs.S木と共にPostPetを使っているというNsを2人発見した。
だから何だという訳ではないのだが、入院中にPostPet仲間を増殖させておき、
退院後にメール友達として情報交換や暇つぶし、そして彼女達のメールの練習相手になれれば良いかな・・・という感じ。
メール友達というと、最近は悪いイメージが付きまとっているけれど、
そうでなく良い意味でのPostPet仲間が増えれば楽しいものなのだと思う。

21:00  車椅子を用意してもらい、トイレと洗面を済ませて病室に戻る。


8/15(水)
 7:00  37.3℃。トイレと洗面を済ませて病室に戻り、朝のリバ湿布交換施行。
11:00  車椅子を用意してもらいトイレに行ってきた。

11:30 
どこからともなく急に(?)Ns.TがBed−sideにやって来た。
どうやらパソコン関連の宿題を出しておいたうちの1つ、マシン本体の型番が分かったらしく、
それを報告しにきたようだ。おお、大した進歩ではないか!今日は早出という勤務体制とのことで、
通常の日勤よりも30分早く出てきた分、早く帰れるという事になっているという。
部屋担当というのはなく、割と外回り的な業務が多いというのはどこの病院でも同じなんだと、
Ns.Tの話を聞いていて思った。私が「昨夜のNs.Kやこの前のNs.S木もそうだったと判明したんだけど、
PostPetというのを使っていると分かった。PostPetって知ってる?」と言ったら、
自分も導入したいという気はあるらしく「知っている。どこに言ったら買えるのか?」と聞いてきた。
興味はあるようだ。よろしい。Petの種類もいくつか知っているような感じだった。ほほぉ〜!
しかし、彼女のパソコンのHDDの容量や何かがまだ分からないし、ソフトは2枚組のCD−ROMになっているので、
導入できる事が分かれば私のをあげれば良いことなのだ。そういう時の為に2枚組になっているのだから。
だけどHDDの容量(残量)があまりにも少なく、そしてメモリーも小さければ導入出来ないこともあるので、
まずは私が出した宿題を片付けて来てもらいたい・・・と言ったら話は通じたようだ。
PostPetよりも先にIEのバージョンを5.5にした方が良いと思うのだけど、
たぶん同時に出来るのではないかと思っている。
       
また、私のホームページが見たいとも言っていたが、それはまだ早い(?)と思ったのでURLは教えないで
「宿題が先だ」と伝えた。私の毒吐きサイトを見せるのはもう少し後でよい。
話の途中で分かったのだが、Ns.TのマシンはFDD,CD−ROMドライブ,モデムまでが外付けだということだ。
OSはWindows95だと聞いているので、HDDの容量はそんなに大きくないかもしれない。
いずれにしてもマシンの型番等が分かれば大体の仕様が分かるというものだ。
頑張れ、Ns.T!もう少しだぜぃ!

14:00 
4人の担当医のうち、Dr.NとDr.Kがやって来た。
左膝を診察し「全く溜まってない」というコメントを発表した。よろしい!
そして「明日のMRI後、明後日からCPMを始めましょう」とも言っていた。MRIの読影は入院患者でも
1週間程度要するとのことで、先に始めようということだ。角度は80度からで、
当初は1日5度ずつUPしていく・・・とのこと。了解。

14:20  37.2℃。検温後、車椅子を用意してもらいトイレに行ってきた。

19:10  車椅子を持ってきてもらい、トイレと洗面を済ませてきた。
20:40  37.1℃
検温後にリバ湿布交換。本日の夜勤は新人のNs.S井だった。本来は腎臓内科チームなのだけど、
夜勤では他チームの患者を受け持つこともあると聞いていたので「ほほぉ」という感じだ。
そして例にもれず、このNs.S井にもパソコンを持っているかどうか、という点と
PostPetを使える環境下にあるかどうかと確認してみた。そしたら、またしても「ポストペットです」という
返事が返ってきたではないか!もう少し仲良くなったらアドレスを聞いてみようと思っているのだが・・・。
とにかくポストペット仲間が増えれば良いのだ。


8/16(木)
 4:00  早朝からトイレに行く。もちろん車椅子を用意してもらった。
 7:20  37.4℃

 9:45  トイレを済ませてからMRI(左膝のみ)にお出かけ。検査室に着くのが少し遅れた為なのか、
予定されていた時間よりも15分遅れで始まった。検査自体は痛いことをする訳ではなく、
台の上に寝ていればいいだけの簡単なものだ。私の場合は検査する部位が膝だけなのも手伝ってか、
20分程度で終了した。
お出かけのついで・・・といってはなんだけど、財布の中身が2000円程度しかなくなってきていたので、
院内にあるキャッシュカードのコーナーに行くことにした。前回はヘルパーさんに車椅子を押してきてもらったのだが、
今回はMRI検査室と同じ建物の階下にあるので、大して迷わず行けたし、
ついでに売店に寄ったりしてから整形外科・腎臓内科病棟の1室に戻った。既に毎週恒例の教授サンの回診が
終わっていることを確認してから、本日1回目のリバ湿布交換施行。

13:40  車椅子を用意してもらい、トイレを済ませた。

14:00  37.2℃
検温は新人のNs.Sだった。独特の雰囲気で動きもしゃべりも、それなりのゆっくりとしたspeedでとても面白いのだ。
女優なのかタレントなのかは定かでないが、Y口Mえの口調を早回しにしたような感じの子である。
とてもかわいい感じがする。・・・で、このNs.Sと「prettyとbeautifulの違い」を話していた時、
私が「あなたはbeautifulというよりはprettyだよね」と言うと
「そうですか?これでも一応大人の美しさを目指しているんですけど」というのだ。
そして、そこで黙っておけばいいものを(?)「新人なのに頑張っている様子、
とホームページに書いて下さい」ともいうのだ!もう1つ。内容は忘れたが「ここはウケ狙いなので一応笑うところです」とも
言っていた。う〜ん、なかなか隅におけないキャラクターだなぁ!
       
15:00  シャワーに入った。
出てからすぐに2階の売店に行って買い物をしたり、隣のグレーの公衆電話でインターネットをしたりしていた。

20:30  37.1℃


8/17(金)
 6:00  車椅子を用意してもらい、トイレに行ってきた。
 7:00  36.6℃

 9:10  本日よりCPMが開始されることになった。
実は密かに楽しみにしていたのだ。目先が変わるという事もあるのだが、
それ以外に「6/9まで入院していた病院との違い」を見てみたかったのだ。
要するに同じ名称の医療機器でもメーカーによって外見に違いがあると思ったからだ。目的は分かっていたので、
外見の違いを楽しみにしていたという単純なことなのだ。角度は担当医の指示により「最大80度まで」という枠が
設けられているので、0〜80までの間を約1時間に渡ってひたすら曲げ伸ばしする・・・という
単調なBed上リハビリなのである。
「最大角度を1日5度ずつUPしましょう」という担当医の提案があったので了承していた。
また以前は少しくらい痛くても我慢して曲げていた時があったのだが、今回はそういうのは止めて
一応「痛みを感じた時点でナースに報告してください」とのことだったが、今日の段階ではそのような事はなかった。

11:40  4人の担当医のうちのDr.Kがやって来た。
CPMのことを報告したら「今回はゆっくり目にやりましょう」というコメントがあった。
そして4人の担当医全員が確定診断をつけられなくて困っている・・・と苦笑していた。
昨日のMRIの結果と共に来週中に採血を施行し、それらのDATAが出揃ってから考えなくてはならない、
と以前と同じことを言っていた。

関節液培養からは一切細菌が検出されたことはないし、
今回に至っては「対症療法」そして「かなりキツイ安静」の組み合わせで、
採血DATA、診察所見、自覚症状・・・この3つが、完全とは言えないまでも飛躍的に改善したという事実は
認めなくてはならない。その代わり、今までと違って次の項目がいつまでも残っているという事もある。
1,立位になると左膝付近でドクドクと拍動するような感覚が消えない。
2,37.0℃代のいやらしい微熱がやけに長く続く。
3,局所所見として、coolingしてないと左膝は必ず熱感を持つ。

       
この3つが継続的にあることで、担当医グループは頭を悩ませているのだという。
診断は患者がつけるのでなくDr達の仕事なのでしっかり知恵を出しあって考えてくれヨッ!

12:15  車椅子を持ってきてもらいトイレに行って来た。
14:00  37.3℃。
検温後に洗面所前で足浴をした。本日はシャワーがない日なので、せめて足だけでもお湯につけて洗いたかったのだ。

16:50  車椅子を用意してもらいトイレに行く。
20:35  37.3℃。
車椅子を用意してもらい、トイレと洗面を済ませた。これ以降Bedの足元に車椅子を横付けしておいてもらい、
トイレの度にナースコールを押さなくてすむようにした。検温は新人Ns.O崎だった。
本日はとても忙しかったのか日勤者がまだ残っていて、しかもお勉強会が開催されたのだという。
大学病院は自分の時間を削ってまでこのような事をしていかなければならない。
時間外手当てについて数名のナースに質問してみたのだが、どの人も表情を曇らせたり諦めている・・・という
感じが読み取れた。要するに手当ては出ないという、ある程度は予測できていた答えだったのだ。
確かに色々な症例がやってくるので勉強にはなると思うけど、
働いている職員がどこまで意欲を持ち続けられるか・・・というのが最大のテーマになってくるのだと思う。
このような体制がどうなのかを論じているのでなく、自分は早めにこういう組織から抜け出て正解だったという
思いが沸いてきただけのことだ。ナースの皆さん、お疲れ様です、ハイ!


8/18(土)
 4:00 
足元に置いてあった車椅子でトイレに行く途中で、Ns.O崎とバッタリあう。夜中に活動している(?)人がいるらしい・・・?

 7:00  37.2℃。
Ns.O崎が顔を拭く熱いタオルをくれたので、本当は自分で洗面に行けるのだが甘えてしまった。
うーん、いけないな。自分で出来ることは自分でやらなければ。検温後にリバ湿布交換。

 8:50  Dr.Tがやって来た。
10:15  車椅子でトイレに行く。
10:45  CPM開始。本日のMAXは85度である。多少は張る感覚があるが何ともない。
14:40  37.2℃。
検温は卒後3年目の北海道出身というNs.Kだった。つい先日夏休みで実家に帰省してきたらしいが、
北海道はストーブで暖をとっていたという。
連日の猛暑なので、そういう話があるということすら信じがたいものなのだ。
日本は縦長の地形なんだと改めて思った。
そして、私が「長期に休んでいても仕事がなくならないだけマシだと思う」と言ったら、
彼女は本当に同意しているのかどうかは定かでないが「そうですよね」と肯いていた。
たぶん“実感はないけど頭では理解できる”という程度の感覚なのだろう。

16:35  車椅子でトイレに行く。
21:00  37.2℃。検温後にトイレと洗面を済ませ、寝る前にリバ湿布交換した。


8/19(日)
 7:00  36.9℃検温後にトイレと洗面を済ませた。そしてリバ湿布交換施行。
 9:00  シャワーに入った後で洗濯を行う。

14:20  37.3℃。
検温は卒後2年目のNs.Oだった。
明日はNs.Tと一緒に夜勤だと言う。なぜかニヤニヤ(ニコニコ?)していた。
ホームページのネタとしてコラムを幾つか書いているのだが、その中の1つを読ませてあげたら
「そうですよね」と妙に納得した様子で「だからこの仕事(看護婦)はやめられない」と、
年令に合わずごもっともな事を言っていた。「ケンスケさんという人」のことである。
私が今回の入院にも持参している扇子にまつわる1つのお話であるが、彼女はうなづいていた。

15:30  車椅子でトイレに行った後でついでに売店にも出かけた。

16:20 
Aちゃんが予告なくやって来た。予告なく・・・とは言うが、事前にメールを打って「週末に来られるようなら
持ってきてもらいたい物がある」と伝えておいたのだ。返信がなかったので、たぶん来るとは思っていた。
20時の面会時間ギリギリまで小声でマシンガントークしていた。
       
20:20  37.7℃。
検温は新人Ns.Sだった。
独特のぽや〜んとした雰囲気をかもし出しており、面白いキャラクターである。
文字にするとなると難しいのだが・・・。37.7℃の熱を「友達と喋って興奮したんですよ」と笑っていた。
そう言われるとそうかもね。

20:40  車椅子にてトイレと洗面を済ませてから、寝る前にリバ湿布交換。
23:40  車椅子にてトイレに行く。


8/20(月)
 7:15  37.2℃。
検温は昨夜と同じくNs.Sだ。夜勤明けはhigh−tentionだ。
今日は夜勤明けでそのまま福島の実家に帰省するとのことで、余計に楽しみなのだろう。
今年から看護婦として働き始めて以来、緊張と不安の連続だったことだろう。
今週末には再び看護婦に戻っているとのことだ。こういう夏を何回となく繰り返して経験を積むのだと思う。

 8:30  車椅子にてトイレと洗面を済ませる。その後にリバ湿布交換。
 9:40  4人の担当医のうちDr.Iが来た。左膝を診察したが、水は溜まってないとのこと。
10:20  CPM施行(MAX95度)。

11:30 
病棟婦長サンが来る。「このままでは働けない」と訴えておく。
いつ爆発するか分からない爆弾を抱えたままでは、一緒に働くスタッフも同僚も、
そして患者も迷惑だと思う・・・と言っておいた。婦長サンは同意していた。

13:00  車椅子にてトイレへ行く。
13:15  37.2℃
15:25  車椅子にてトイレへ行く。
16:40  4人の担当医のうちのDr.Nともう1人の教授というDr.Sがやってきた。

17:00 
再びDr.NがBed−sideにやってきて、MRIの画像持参で・・・。
◎MRI上では水の溜まりはない(ごく少量はあるが誰でもある程度の量)。
◎内側に再生半月(20年前のOP後に出来た物)がある。
◎再建後のACLがある。
◎細菌ではなく、膝自身の軟骨が傷んでいるのかも・・・。軟骨ならアルツが効くかも。
 教授には「感染の 機会を作るような事は止めろ」と言われる可能性大。
◎レントゲン上での「大腿骨と下腿骨の隙間」を診ると、内側が狭いかもしれない。
 これは左足だけに荷重して撮影するという方法で再度レントゲンを撮影してみれば分かる。
◎安全なのはCPMでROM拡大をはかること。軟骨に栄養がいくのは良いこと。

18:20 
夕食時に元同僚のNが来て、以前頼んでおいたパソコン関連の本を買って届けてくれた。
今後の見通しについて少し話をしたが、Dr達も治療方針が立てられなくて困っているらしいという話をした。

20:30  37.3℃

21:30 
消灯ギリギリになってNs.TがBed−sideにやって来た。
日勤で遅くまで残っていたのでなく、夜勤だとのこと。パソコン関連の宿題がとうとう出来たと言い、
答えをもってきた。その続きといってはなんだけど、私の方が「頼みたい事がある」と言い、
車椅子で廊下に出て話をした。
今は腎臓内科チームの卒後3年目になるNs.Aを誉めてあげてもらいたいと思っていた。
同室者との関わりでとても有益な発言をしているのに、患者も当の本人も気付いてないようなのだ。
こんな大切なことを埋もれさせる事はないと思い、
3年目のNs.Aに対して「あなたはこういう大切な関わりが出来ていたし、それを見ている人もいた」と気付かせたり、
誉められたりすると一瞬でもこの若いNsが気持ち良く仕事に取り組めると思ったのだ。
先輩から誉められて嬉しくないはずがない。
Ns.Tの反応はこうだった。
「あの子は他の部分で問題があったのだが、患者のNeedsを適確にキャッチするという側面があるのは分かっていた。
今度会ったら“夜勤の時に聞いたよ”と必ず伝わるようにします」というもの。
ほほぉ、Ns.Tも見るところは見ているんだな〜、って感じかな。
一緒に働いているのだから当然といえば当然なのだが、悪いところが目立つと良いところがあっても隠れてしまうし、
たまには患者の情報で誉められても良いものだと思い、Ns.Tに提案したのは正解か??
体験学習の積み重ねによるものだけでは補いきれないものを、このNs.Tは何かしら持っているのかもしれない。
この日のちょっとした会話で「なかなか見る目があるな」という感じがした。



8/21(火)
 7:00  37.2℃。検温後に車椅子でトイレと洗面を済ませてきた。
 9:00 
朝1番で急いでシャワーを済ませた。Ns.Tに新たな宿題を出すべく、よなよな書き物をしていたのだが、
朝の検温のNs.Oに「夜勤が終わったらいらして」と伝えるように言っておいたのだ。
夜勤明けは9:30には帰宅するらしいと聞いたので、この時間から入ると間に合わないと思ったのだ。

 9:30  リバ湿布交換。
10:45  Dr.Tがやって来た。

11:00 
夜勤明けでこの時間まで働いていた・・・というNs.Tがやって来た。
目の下にくまがあるかどうかは確認出来なかった。本人は「ありません」と言っていたが・・・。
パソコン関連の宿題の解答を見ていたが、再度見てきてもらいたいものと、
新たな宿題を紙に書いて渡しておいた。30分ほどで帰っていった。毎度、お疲れ様。

12:45  CPM(MAX100度)。特に左膝痛はなかった。

14:00  37.1℃。車椅子にてトイレへ行った後、検温後に院内にあるキャッシュカードコーナーに行き、
      少しの現金を出してきた。

19:30  車椅子にてトイレへ行ってきた。

20:30  37.4℃
本日の夜勤は“やたらとhibh−tentionな、自称20才の主任さん”だった。
私に夕食の摂取量を尋ねる時「そちらのお嬢様はいかほどに召し上がりましたでしょうか」と笑いながら言っていた。
私が「美味しゅうございました。全部頂きました」と答えてメモしたのに他の患者と会話していたら忘れたのか、
同じことを2回も聞いてきたのだ。これには“自称20才”もばつが悪かったのか、笑いながら去っていった。


8/22(水)
 5:10  早朝から覚醒してしまい、車椅子にてトイレへ行ってきた。
 7:20  37.3℃。
昨夜から引き続いてhigh−tentionな主任さんの検温だった。
しかし夜勤明けはさすがに疲れているのか、目尻のシワを指摘したら「アルツを打とうかしら」と
マジ発言とも受け取れる事を言っていた。お疲れ様、早く帰って寝た方が良いと思いますわ!
検温後にリバ湿布交換。

 9:50  車椅子にてトイレと洗面を済ませてきた。

10:30  CPM(MAX105度)
12分間くらい施行した所で左膝痛があった。パツパツに張ってくる感じもした。
担当医から「保存的にやっているとは言っても前回までとは違うと思うので、痛いのを我慢してまでやらなくて良い」と
言われていたので、Ns−callを押して報告しようとしたが10分経過しても誰も来ないので機械の電源を抜いて、
コードを丸めて片付けの準備をしておいた。催促のNs−callでやって来たのが、
Ns.N村だったが「遅い」と言った私に対して素直に謝れば良いものを「〇〇をしていたので」と言った。
ちょっとムッとしたので彼女には何も言わず「人を交代して」とだけ言って代わってもらった。
お互いが不愉快にならないようにしたいと思ったからだ。

それでやって来たのが、卒後7年目になるNs.S木だった。CPMのことを伝えて途中で中止したと伝えた。
しかしこのまま中止する必要もないと思われるので、Drに聞いて1つ手前の100度でしばらく続けるかどうかを
確認してもらいたいと言った。

12:40 
4人の担当医のうち最も先輩格と思われるDr.NとNs.S木がBed−sideにやって来た。
CPM自体は軟骨にとっても良いことなので、100度でしばらく続けましょう・・・とのコメントだった。
痛みを我慢してまでは続けなくて良いが、緩やかに続けることは必要との見解だ。了解。

13:00  車椅子にてトイレへ行ってきた。
15:00  37.2℃
15:30
業者が入ってシーツ交換が行われるので病室外に出る。しばらく車椅子に乗っていることになるので、
ついでにトイレに行った。

16:00 
廊下で包交車(衛生材料や消毒液や注射器等を積んであるワゴン車のこと)を整備していた
Ns.Hの横に行っておしゃべりをした。途中で4人の担当医のうちの1番若手でもある
Dr.Kが通りかかったので、CPMについて1つ質問をした。
CPMは通常1時間施行するのだが、今回は105度できついと感じたので報告したが、
何日かして慣れてきたと思ったら「前半の30分は100度・後半の30分を105度」というふうに
UPして良いか・・・と聞いた。要するに自分の症状に合わせて任意で角度UPする事に対して許可を求めた。
Dr.Kの答えは当然のように「良いですよ」とのことだった。
もちろん、終了の時点で機械を取りに来たナースに報告することは言うまでもないのだが・・・。

16:30  CPMやり直し。本日はMAX100度にて施行。

17:00 
CPMの終了30分前になり、フランス料理のお菓子職人・Mちゃんが来てくれた。
大阪に帰省するとは聞いていたので「そろそろ帰京していると思い、今夜あたりメールを打とうと思っていた」と
言うと「日曜日には東京にいた」とのことだった。いつものように1時間ほどマシンガントークをして帰っていった。

20:50  37.2℃


8/23(木)
 5:50  早朝覚醒してしまい、車椅子でトイレに行ってきた。
 6:50  36.6℃??(体温計の電池が切れかかっているのか最初は35.0℃代だった)

10:00  
いつもより早い時間に教授回診ご一行様がやって来た。外来で6/19から診察を受け続けているM教授は、
左膝だけに触れたが水の溜まりはないという事だった。担当医に「血液DATAも問題がなく、
抗生剤も使ってないこと」を確認し、どういう意味なのか不明だが「まず心配いらない」と言い残して去っていった。
語尾に「今回は」と付け加えた方が分かりやすいと思っている。
また大腿四頭筋の筋力低下が著名なことに関しては「リハビリをやるように」という指示を担当医に出していたらしい。
私には「これ(この筋力)では駄目だ」と言っていた。

10:45 
4人の担当医のうちで最も先輩格のDr.Nがやって来た。
◎レントゲン上で左大腿骨内側に、変形性の疾患の元になる“ローバーサイン”というのが出ている
 (ちなみにレントゲンで異常所見を言われたのは生まれて初めてである)。
      
◎靭帯が切れているよりも、半月板を切除している方が変形性膝関節症になりやすい。
 →これも初めて聞いた。海外の文献で書かれているらしいし、日本人のDrも論文を書いているらしい。
  ほほぉ、なかなか勉強になるもんだわ!

◎長期化することは必須であり、膝だけでなく1本の足として考えて行かなくてはならないと思う。
 足底板でローバーサインの部位の負担を減らすのも1つの案だと僕個人(Dr.N)は思う。
      
◎色々やっているので今となっては原因の特定が難しいことは事実。

なかなか意義のある話だった。
ちなみにローバーサインというのは、大腿骨下端の内側に出るレントゲン所見である。
しかし、これがあるからといって必ず変形性膝関節症になるとは限らない・・・というものらしい。


慢性化については、とっくの昔に慢性化しているので「今更」・・・という感じがするし、
2月に再発した時点で人工膝関節のことを察知して身障者手帳の申請方法を勉強している身としては
「ここで診断名が変わって慢性疾患の病名がつけば、将来的にも左膝に関する医療費はかからなくて済む」と
思ってしまった。お金が全てではないという綺麗事はいつでも言えるけど、
お金も疾患と戦う上ではとても大切なことなのだ。あり過ぎてもいけないし、
なさすぎても人間が卑屈になるというものだ。

金銭的なことが理由で治療が受けられない・・・なんて事にはなりたくないものだ。
日本の医療制度はそんな事がないように「全ての人に平等に」作られているので、
お金がなくても医療は受けられるようになっているが、
自分に原因のない疾患に対して医療費を支払うなんてナンセンスにもほどがある。
今でも労災適応なので医療費はかからないのだが、左膝との戦いが一生ものになるとすればここが
勝負どころではないかと思われる。この先ずっと医療費がかからないか、
あるいは減免されるように仕向けていかなければならない。
その為には制度や法律を徹底的に学習してDrにも教えられる位にならなければいけない。
診断名についてはDrの裁量にゆだねるしかないのだが、何といっても『去年の抜釘以降、
急激に悪化していることは紛れもない事実』なのだ。
そう考えると、Drが治癒または症状固定したと診断しない限り打ち切られる事がない労災保険の適応に
なっておいて良かった・・・と思う今日この頃である。   
私が自分自身のことを「こいつ、どこまで悪運の強い女なんだ!」と思うのは、こういう所なのだ。


11:10 
Drとの話を終えて間もなく、ここの病棟婦長さんという人がBed−sideにやって来た。
いつもと同じ「患者回り」というものだったが、話の内容はこれまでになく濃いものになっていた。
そして、このS婦長さん自身の体験からにじみ出てくる物が強く感じられたし、
人生経験や臨床経験だけでは補いきれない何かがあると思った。

私はまだこの人の年令には達してないし、想像するか、自分が感じとったものから学ぶしかないのだが
「疾患名はともかく、闘病を余儀なくされた看護婦が現場に復帰している」という現実が
自分の目の前にあることを認めようと思う。
そして、このS婦長さんにして見れば会話の中で自然とそういう話になった・・・というだけの事だと思うけど、
私はそれで「少なくとも最低1人は私と似たような思いをしている人がいた」と思えた。

この話をするまで「もう病院勤務の看護婦は無理かもしれない」と思うこともあったけど、
干されたままで終わるのも悔しいので、第1線は無理にしても2線か3線の後にでも復帰してみたいと思う・・・と
S婦長さんに言ってみたら「第2線はいける」と笑っていた。確かにそうだ。そして、私はS婦長さんにこうも言った。
「“今、息が苦しい人”と“今、膝が痛い人”の気持ちは誰よりも分かる看護婦になれると思う」・・・って。
そうしたら婦長さんは「あなたも苦しんで来たから」と言った。

12:00  車椅子にてトイレに行って来た。
14:30  37.3℃
15:30  シャワーに入った後で売店とキャッシュコーナーに行って来た。
16:30  CPM(MAX100度)
17:10 
CPMの最中に看護学校時代の同級生であるSが2リットルのミネラルWaterを1箱(6本)、
抱えて持ってきてくれた。旦那さんや子どもと共に出かけた帰りで車だということもあり、
箱単位のお見舞いとなった・・・と笑っていた。途中で夕食が配膳されたが、そんなのは構わず喋りまくっていた。
約1時間ほどマシンガントークしてから帰っていった。

18:30  リバ湿布交換。
19:35  車椅子にてトイレと洗面を済ませた。
20:10  37.4℃


8/24(金)
 0:00  車椅子にてトイレに行ってくる。
 7:00  37.2℃。リバ湿布交換。
 8:30  車椅子にてトイレと洗面を済ませた。

10:00
本日、久し振りに部屋担当だというNs.Tがやって来た。
今日は「お口のリハビリ」が出来るかしらね・・・ってか!?
数日前から出しているパソコン関連の宿題が出来たらしく、またプロバイダーをモバイル用とパソコン用に
使い分けようとしているというのが分かった。モバイルは10円メールとして有名だったマスターネットだそうで、
それをパソコンにも設定して使っていると聞いていた。しかし回線が繋がらない事が多いというのも聞いていたので、
この際乗り換えを検討してはどうかと勧めていたのだ。パソコン用のプロバイダーは私と同じ所にするというので、
パソコン雑誌の付録から入会する方法と「インターネット接続ウイザード」からの設定方法が雑誌に載っていたので教えておいた。
1つ1つ自分の力で出来るようになると嬉しいものなのか、いつもと違ったようなにこやかさが
感じられた。Ns.Tの方から「こういう事が分からない」というのもあるわけだし、
今までは人にやってもらっており「教えてもらいたい」と言っても、なかなか難しいことらしかった。
たまたま私が患者として入院した事がキッカケでNs.Tの中で「パソコンに対する興味」が
更に深まるとすれば、それは願ってもないお話だ。
私にしてみれば「PostPet仲間」を増殖しようとしたのだけど、それが別の方向に出ただけのことである。
かなり近い将来、Ns.Tも私のPostPet仲間に入るに違いないとふんでいる。

10:30  CPM(MAX100度)

11:00  CPM中にDr.Kがやって来た。特に変わった事はなく、このまま経過観察とのこと。
12:10  車椅子にてトイレへ行って来た。

14:10  37.4℃
検温はNs.Tだった。検温前から昼寝モードに入っており、いつも使っている紙をOver−tableの上に置いて
「耳栓使用中、検温時はたたき起こしてください」と知らせてあった。
他のナースは皆起こして検温して行くのだが、Ns.Tには起こされなかった。
自然と覚醒したら、ちょうど左膝を冷やすための氷枕を交換してきた直後のようだった。
Ns.Tは「絶妙のタイミングです」と笑っていた。
午前中に言っていた“パソコン用のプロバイダー入会”に関して、雑誌を見せて更に詳しい説明を加えたり、
あるいは前日のS婦長さんのことを話したりしていた。Ns.Tも同様のことを思っていたようで
「○○さん(私のこと)が見ている点は当たっていると思うし、私もそんな話を聞いたことがある。
外からの刺激で受けたものでなく内面からのものだと思う。自分(S婦長)と同じような疾患の人がいると
色々と提案してたりするので、何か感ずるものがあるのだろう」と言っていた。
昨日のS婦長さんに言ったのと同じようなことを、このNs.Tに話してみても良いかな・・・と思ったので
『もう病院勤務の看護婦は無理かもしれないと思うこともあったけど、干されたままで終わるのも悔しいし、
第1線は無理にしても2線か3線の後にでも復帰してみたいと思う・・・と婦長さんにも言ったのよね』と言ってみた。
そして『復帰する日には何事もなかったように報知新聞をGパンのポケットに突っ込んで
出勤してやろうと思っている』とも。
Ns.Tは「カッコイイ!教育関連ですか?」と言っていたと思う。そうありたいものだけど、
教育場面よりはまず現場に復帰したいと思っている。
       
今回だけでなく、入院中は時間を持て余すことが多いので、退院後のホームページ更新のネタにしようと思い、
コラムを書きためている・・・と言ったら見たそうな雰囲気だった。
数日前に卒後2年目になるNs.Oにも見せたもので、今から約10年前の出来事を記した
「ケンスケさんという人」というのを読ませてあげたら、Ns.Tは深く(?)肯いていた。
Ns.Tも10年程度の経験はあるのだろうから、そういうのをネタとして提供して頂きたいものだ。

15:40 
そんなこんなで検温と称したおしゃべりは約1時間に及んだが、ついでに・・・と言って
「そろそろ松葉杖を使ってみようと思うんだけど」と申し出てみたら、少しの時間を置いて持ってきてくれた。
そして最初だけはNs.Tの付き添いでトイレ(車椅子用でない方)まで行ってみた。
やはり左膝がドクドクと脈打つ感じが悪化はしてないけど改善もしてない・・・という感覚だけど、
そういう事(松葉杖を使うということ)をやろうという気になっただけでも快方に向かっているのかもしれないと思う。

16:00
今回入院後31日目にして初めてのリハビリが開始されるとのことで、お呼びがかかった。
内容は今までと同様で大腿四頭筋トレーニングと関節可動域訓練だった。
ただし、可動域訓練のほうは今までと違い「痛みを我慢して涙を流してまでやる必要はない」とのことだったので、
痛みに合わせて無理のない程度にやってもらうことになった。リハビリの担当者は若いお姉さんだった。
挨拶をして早速トレーニングに入ったが、筋トレ1種類と現在の可動域を測定するのみだった。
まあ、最初はこんな物なんだろうな・・・って感じ。ちなみに今日現在での左膝関節の可動域は
「ギリギリ90度」とのことだった。腹臥位(うつぶせ)で左足だけを曲げても、
仰臥位(仰向け)で曲げても同じ結果だった。
苦痛表情を呈したギリギリの状態で測定したので、これが現状なのだろう。

17:00 
リハビリ室には車椅子で連れて行かれたので、そのまま病室に戻って松葉杖に交換してトイレに
行った。

20:40  37.8℃!
あら?あらら?一体どうしたのかしら?
まさか急にいろんな事を始めた(松葉杖とリハビリ)からではないだろうけど・・・。
そう言えば頭が重いような身体がだるいような気がしないでもないけど、
一応、膝だけでなく頭にもcoolingをしておくことにした。


8/25(土)
 5:10  松葉杖をついてトイレに行ってきた。
 7:10  37.4℃。検温後にリバ湿布交換。
 9:10  
シャワーに入る。週末の為か午前中は誰も入る人がいないらしい。シャワーから出てリバ湿布交換。

11:50
Ns.Tが昼食の配膳にやって来た!昨夜は病棟の若いスタッフと共に飲み会に参加したと言い、
帰宅がAM2:00を回っていたのでパソコンの宿題が出来なかったと言う。
宿題は催促するものでなくNs.Tのペースに合わせるものだから別に構わないのだけど、
飲み会に行ってきたというのが、腸・・・いや超・悔しいわっ!こっちは行きたくても行けないのにネッ。
CD−ROMドライブからだけでなく、プロバイダーのホームページからも加入は出来ると教えておいた。
明日の日曜日は休みだと言い「明日やります」と鼻息が荒かった。
いや、だけど若さを過信してはいけないな。目の下にくまが、両肩に疲労の色が出ていたよ!

13:00  CPM(100度42分、105度18分)
14:15  37.4℃

16:00 
松葉杖を使ってトイレに行ってきた。そのまま体重測定しようとしたが、体重計に電源が入ってなかったようだ。
そのまま病棟内を半周程度回って病室に戻った。松葉杖を使うようになったとは言え、
まだ「歩くことだけにしか集中してない」ようだ。背中が丸く姿勢は悪いし、
加えて左足に血流が集中したようにドクドクと拍動する感じがずっと続いている。
この拍動感については、悪化はしてないけど改善もしてない。

19:00  松葉杖使用にてヨロヨロ(?)しながらトイレに行ってきた。

20:45  37.8℃
検温は久し振りに現れた新人Ns.O崎だ。夏休み明けだとのこと。倦体感が強かったので、
ナースにもそのように伝えたが他の患者のことで頭が一杯の様子。
膝の熱感は「左>右」というのをナースにも確認してもらった。当然か・・・。検温後にリバ湿布交換。


8/26(日)
 6:00  早めに覚醒したのでトイレと洗面を済ませた。
 6:40  36.9℃
 8:20  リバ湿布交換。
13:10  CPM(100度30分、105度30分)
14:20  37.5℃
20:30  37.6℃

8/27(月)
 6:50  37.2℃

10:30 
ピンクの白衣を着たNs.Tが本日の担当だと言いつつ、この病室に現れた。そして、ここの所彼女との間で
話題にしているパソコン関連のことで、色々と設定や何かを確認する方法を教えたりしていたのだが、
その途中で急にインターネットが出来なくなったというのだ。あら?あらら??
どうしたのかしら???
順調にプロバイダーの乗り換えまでこぎつけ、後少しでポストペット仲間がもう1人増える所なのに、
一体どうしたという事なのだろう?とりあえず接続設定の確認をするように伝え、やり方を紙に書いて渡した。
また、それでも駄目な場合は現在の接続設定を削除して、再度設定し直す方法を教えた。
大丈夫か?Ns.Tよ!

10:50 
隣のBedの所にガーゼ交換に来ていたDr.Nがひょこっと顔を出し、「明日、採血をしましょう」と言っていた。
本日はこれからOPに入るとのこと。金曜日から始めたリハビリの後に比較的高目の熱が出ていることや、
自分でもBed上でやる事はやっていると伝えたら「自主トレは軽めにやるように」とのことだった。

14:00 
Ns.Tが検温にやって来た時は眠っていたらしく、いつも足を冷やしているので氷枕等を交換して
戻ってきたと同時に覚醒した。患者の私は昼食後に睡魔が来ていたのだろう。・・・が、眠りも浅かったのか、
事もあろうにNs.Tが昼間の夢に一瞬ご登場なさったのだ!
そして夢の中のNs.Tの白衣は今朝のピンクでなく、いつもの白だった。
なので、つい「白衣着替えてないよね」と聞いてしまったのだ。薄々は墓穴を掘ることになると気付いていながらも。
当然、着替えているはずなんてないNs.Tは「いいや」との答えだ。
そこで夢に登場したことを「会いたかったんじゃないですか?」と笑っていたが、それは違う!
そして「事務所を通してもらわないと困る」とも言っていた。ホリプロだってさ!
もしかしてウケ狙いだったのか?Ns.Tよ。違うよね!?Ns.Tが寒いギャグを飛ばした為か
体温も久々に36.7℃になっていた。検温後にCPM開始(MAX105度)。

16:00  リハビリ室へ。やはり強制曲げは痛い。
17:15  Ns.Tが現れたが何を話したか忘れた。

17:30
2日前から頼んでいたのだが、フランス料理のデザート職人であるMちゃんが来てくれた。
私の自宅にある物を病室まで持ってきてもらうためだ。タクシー代を含む現金を渡したまでは良かったのだが、
Mちゃんも私も鍵を持つこと・渡すことをスッカリ忘れていたのだ。Mちゃんは私の自宅の寸前まで行って
タクシーの中で笑いがこみあげて来た・・・と戻ってきた。大笑い!!
Mちゃんには結局2往復もさせてしまったが、再び病室に戻ってきた時は頼んだ物品達を揃えてきてくれた。
そして、いつものようにマシンガントークをして面会時間終了前の19:40にこの病室を後にした。
2度手間させてスマン!でも面白かったな〜!

20:00  37.5℃

21:00 
6/9まで入院していたT総合病院で仲良くなった“昭和41年生まれ
の背が高いナース”にTELをした。メールが来たり留守電が入っていたりしたのだ。
本日は夜勤明けなので在宅だという。彼女はT総合病院を3月末で退職し、
しばらくは自宅にいたが6月から新しい職場で働き始めたのを知っていた。時々メールが来たり、
あるいはTELにて話してはいたので、私がこの大学病院に入院した事はメールで伝えてあった。
彼女のおしゃべりについて行けたら、お口の回転もエンジン全開となるということもあり、
マシンガントークに花が咲いた。消灯までの30分程度だったけど、
近いうちにこの大学病院にお見舞いがてら来てくれると言う。有難いことだ。またお口のリハビリが出来る。


8/28(火)
 6:45  36.9℃
 9:00  シャワーに入る。
13:00  CPM(MAX105度)

14:00  37.1℃。
検温は大学出身のNs.T村だったがギャグをかます余裕もなく、やたらと眠い1日だったので
何を話したか記憶にない。とにかく眠かった。

15:00  Dr.Tがやって来て採血施行。相変わらずへたくそ!
16:00
リハビリ室からの時間指定があったので、ちゃんと定刻に到着していたのに20分もの間、
担当者だけでなく誰からも声かけがない。一言注意を促しておいた。

20:20  37.3℃
ナイターを放送終了の21:30まで見る余裕もなく21:00前に自分だけ消灯。とにかく眠い1日だった。


8/29(水)
 7:00  36.8℃。リバ湿布交換。
 9:45 CPM(MAX105度)。日勤の担当である新人Ns.O崎が早々と持ってきてくれた。
14:00  37.3℃
16:00  リハビリは昨日のような事があると嫌なので、向こうから催促があってから行く事にした。

今月1日に呼吸器内科で診察を受けて4週間分の処方があったので、それがきれてなくなった。
自分からナースに申告するまで誰も気付いてなかったのか、誰も何も言って来なかった。
診察の有無はともかくとして内服薬だけでも処方してもらわないと困るのであ〜る。
日勤担当の卒後1年目Ns.のO崎に伝えたら「確認します」と言って去っていったきりになった。
夜勤のNs.H川(3年目?)にその事を伝えたら、内科からの処方を整形外科医が処方したと言い、
喘息薬を持ってきた・・・までは良かった。この大学病院のシステムが良く分からなかったので、
複数科を受診している場合の処方について聞きたいと思ったのだが彼女では要領を得なかった。
彼女(Ns.H川・3年目?)の答えはこうだった。

◎整形外科に入院しているうちは内科の処方も整形のDrが出します。

これは、ちょいと違うのではないかと思ったのでそこで整形外科チームの先輩格であるNs.Tを
呼ぶように伝えたら既に勤務を終えて帰宅した後だという。院内のシステムだし、ナースが誰でも
そんなのは患者に関係ないのでNs.Tと大して変わらない年代と思われるNs.H(8/8の朝の記述参照)を
呼んで欲しいと伝えたら、Ns.H川は・・・。

 ◎もう勤務時間は終えていますので、納得いかない点は明日、整形のDrから説明してもらいます。

という物だった。Ns.H川自身が私を納得させられる説明が出来るのなら話は別だが、
この時の対応は「誰が処方しても内服薬が手元にあれば問題はないでしょうオーラ」が出ていた。
このまま2人でやりとりしていても、お互いが不愉快な思いをするだけだと思ったので
「もういいです」とだけ言ってナイターを見続けることにした。Ns.H川は不思議そうな表情でその場を立ち去った。
患者に充分な説明が出来てないと言う意識はないような感じが見受けられた。

しばらく経った頃・・・確か19:30を回っていたと記憶しているが、先輩格のNs.Hがやって来た。
大方の説明は聞いてきているようだった。呼ばれた時にすぐ来られなかったのを詫びていた。
私からの話も少し聞いた後で「カーデックス(処方や医師の指示等が記載されている患者毎の一覧表)を
確認してきても良いですか?」と言って席を外したが、すぐに戻ってきた。
そして、細かいことはともかく「どこが抜けていたのか、何が不足していたのか」を私に説明してくれた。
これで納得が出来た。この件はこれで終わりでヨシ。

Ns.Hは「後輩のNs.H川に対しての指導や説明が出来てなかった」と何度も頭を下げていた。
私としては、自分が納得できればそれで良かったので、頭を下げまくる(?)Ns.Hに「もう、いいから」と
言った後「あなたもNs.Tも辛い立場なんだね」と声をかけた。
幾ら同業者とはいえ患者という立場の人間からからこういう風に声をかけられても、普通は「はい」と
肯いたりしないものだと思っていたのだが、この日のNs.Hは違っていた。
自分よりも先輩のナースがほとんどいないという状況下だと、普段から上司にあまり声をかけてもらってないのか
とも感じているのだが「〇〇さん(私のこと)は患者様ですから、こういう事を言ってはいけないんですけど」と前置きして
「おっしゃる通りです」と言っていた。相当辛い立場なのだということは、私自身の体験からも察することが出来た。


しかし、若いNs.H川をこのままにしておくのはよろしくない・・・と、Ns.Hも考えていたようだ。
Ns.Hが私に対して取ったような行動(要するに確認作業)もナースの仕事なんだ・・・というのを、
今の時期に教えておかなければ、今後も同じ事を繰り返すということだ。
知らないままでいる事の方がいけないと思うので「あなた(Ns.H)が教えてあげて」と伝えた。
Ns.Hは少し愚痴ってから帰っていった。

21:30  37.3℃

21:50 
言い忘れた事があったので、トイレのついでに昨日の採血Dataを聞きにナースステーションに行ったら、
まだNs.Hが残っていた。彼女の勤務は日勤である。余りの気の毒さに、
採血Dataだけをプリントしてから病室に戻った。
休日の勉強会は元より、時間外勤務手当てがほとんどつかないと聞いた。
超過勤務をチェックする看護部から「人によって差がある」とかいう訳の分からない問い合わせがあるのだという。
暗に「時間外手当てを請求するな」と言っているようなものだ。
これは私がこの大学病院に勤務していた時から変わっていない。
文句を言われたり、細かい点に付いて説明しなければならないようなら・・・と思わせるのが
管理職の狙いなのだという事は手に取るように分かる。世間のサラリーマンとは少し質が違うと思うけれど、
サービス残業という風潮がいつまで続くのかと思うと「早めに辞めといて良かった」とも思ってしまった。

研究・教育施設としての大学病院と、職場としての大学病院では、その意味が全く違うものになるのだ・・・と、
今から10年以上前に感じたことが灰色の脳細胞をよぎっていた。



8/30(木)
 6:40  36.3℃
 8:50 
夜勤が終わる寸前の新人Ns.Sが同室者の内服薬を配りに来たので「今日は時間で(定時で)帰れるの?」と聞いた。
夜勤明けで帰宅しないでプールに行くという。さすが21才、ピチピチのギャルである。
話をしていて分かったのだが、そのプールは私の自宅からほど近い場所にある所だった。
彼女は「beautyになるんで・・・」と笑っていた。

10:00
毎週定例の教授回診ご一行様がやって来た。
挨拶している患者への返事もままならないほど多忙なのかは知らないが、Bed−sideに来るなり、
いつもの高圧的な態度と雰囲気と大きな声で「そろそろ外来で良いんじゃないの?」と言った。
「入院してても意味がないし、色々と(処置やOPを)やっているから少しは仕方がない」とも言っていた。

検査所見と担当医からの説明だけでそのように言われた。未だに37.0℃代半ばの微熱が
1ヶ月以上続くこと等には何も触れなかった・・・というか、知らないのではないかとさえ思ってしまう。
このM教授さんは股関節の専門だというのを、今回入院してから初めて知ったので
また別の思いが脳裏をかすめたのもこの時だ。

(教授回診ご一行様が去っていった直後)
4人の担当医のうちで最も先輩格だと思われるDr.Nがやって来た。

私「今回はこれ(何もしないで改善したという事実)で良いけれど、今後こうなった時は一体どうするんですか?」

N「M先生にかかり続けるのならああ言うと思う。もっとも、僕(Dr.N)の考えている事と
  M先生の考えている事が違うのかもしれない」

私「M先生は股関節専門なんですよね!?」

N「S教授が膝専門だけどM先生が言うならともかく、僕らからは言えない。」

私「診断名は変形性・・・というのが付くのだろうか?」

N「いや、それ(変形性)だと老化と言われて労災は通らないので、左膝関節炎になると思います」

膝専門のDrにかかるのは、もう少し後でも良いとして・・・。とりあえず「退院に向けてリハビリを続けましょう」という
ありきたりの物になっていた。若手医師だけでなく、患者の意見など聞きいれる間もなく治療方針等が決められたり、
あるいは(患者にとっては自分のことなのに)自分の意思が反映されにくい体質は、
少なくとも私には合っていないと感じざるを得ない対応だった。
やはり、私にとって苦渋の選択だったのかもしれないと感じていた。
そして「この際、自分の都合の良いように使い分ける時期なのかもしれない」と思ったと同時に
「診療拒否は出来ないのだから夜間の緊急時にだけ利用するという手もあるぞ」とか、
一瞬のうちに色々なことが頭の中をかけ巡っていた。
これは“人の言葉に左右されている自分がいる”と認識させられる事にもなっていた。
まだまだ私も「アマちゃん」である。

転んでもタダで起きてはならない・・・と呪文のように唱えている私も同時に存在した。
いきなり言われて直ぐに判断を下して行動するのは危険という事も頭の中にあったので、
有識者数名にメールで尋ねてみることにした。要するに自分の判断と同じアドバイスがあれば
(私の考えや判断が)大きな間違いではないということになるだろうと考えたのだ。
入院、しかも大部屋(自分だけでなく他人の会話が筒抜けでプライバシーなど無いに等しい)という特殊な環境下では、
熟慮するに適してないという思いは常々あったので、そうすることにした。
以下にメールの内容を記してみた(個人名や病院名はアルファベット等にした)。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

いきなり退院と言われても「これじゃあ無理だね」と言っておきました。そして退院後のfollowについては
“4回のOPをしたうち最初の2回を執刀したO医師”が良いのではないかと提案されました。
このO医師は隣街のK病院にいます。今も。ずっと大学病院にはかかれないので・・・というのが
理由のようです。本来は再度の転院をしたくなかったのですが、
半年毎に基準局から主治医に意見を求める書類(病状を記載し今後も継続治療を要するかどうかを尋ねるもの)を
書いてもらうことを考えると、自分の知らない所で治癒又は症状固定したとみなされかねない教授よりは
O医師の方が無難かと思うのですが、〇〇さんの率直な意見を聞かせてもらえませんか?
正直言って少しの迷いがあります。特に夜中に具合が悪くなった時のことやなんか・・・。

今まで3人の医師に4回のOPを受けましたが、去年の春、初対面で私のことを疑ったY澤医師も
都内の病院にいると思われるそうですが、今回の担当医の先輩格のN医師は
「Y澤はちょっと」という言い方をし「僕個人としてはO先生の方が良いと思いますけど」との見解でした。
要するに大学病院には1〜2ヶ月に1回の診察で良いのだけど、それでは労災が通らないだろうから
(実際は月に1回でも通ってきたので患者を遠ざける1つの方法か、あるいはこのN医師が
月1回の診察でも労災は通ると知らないだけだと思います)繋ぎとしてO医師の所で・・・と言いたいみたいです。
N医師の話では「人工関節の人でも90度しか曲がらないので」という理由で、
現在の90度でも帰したいみたいなのですが、そう簡単に帰るわけにはいきません。
今、帰ったら次回入院した時に「前回はこの位でも帰れた」と言われかねません。

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結果的に私の考えていたこと(今回はとりあえず再度の転院という形を取ることにし、
O医師に今後の定期診察を依頼する)に間違いはなかったようだ。
そして「今はどうしても大学病院を選択しなければならない時期ではない」というコメントも寄せられた。
また、わざわざ仕事を休んで面会に来てくれた友達もいた。本当に有難いことだ。

再度の転院が面倒だという思いがあったと同時に、O医師にfollowをしてもらっておけば、
次回定期的に大学病院にかかる時の紹介状に(今のM教授から)膝専門の教授に簡単に
変更出来るという考えもあった。今のM教授は股関節専門だというのを入院してから知ったので、
入院中はどうしようもなかったのだ。
そして1番肝心なのは労災の書類に関して、比較的自分の希望を伝えやすい状況を作っておくことも
後々の治療環境作りに欠かせないという事も感じた。私も「ここは1つ、小回りの利くO医師が良いだろう」とは
最初から考えていたけど、自分の考えに自信がなかったのと(個人病院の)夜間の体制に少しの不安があったので
数名の有識者に相談した・・・という次第である。
とりあえず、この大学病院にカルテは出来ている訳だし、緊急時も紹介状の有無はともかくとして
(もちろんO医師にも相談するが)、自分の都合の良いように各々の病院を利用しようと思っている。
数ヶ月に1回の割り合いでの受診か、または近い将来にきっと訪れるであろう再発の時にも
O医師に紹介状を書いてもらうか、夜中だとTELの1本でもかけてもらうと、股関節のM教授ではなく、
膝専門医の診察を受けられるだろう。非常に回りくどいと考えたが、
労災保険で治療を受け続けられるようにするには今だけでなく、受傷後丸3年となる来年5月までの行動がものをいうのだ。
一時の感情や他人の言葉に惑わされてはならない。
小泉総理が靖国神社参拝に関して「熟慮」という言葉を多用していたが、
この時の私は正に熟慮を要する時期だったのだ。たまには人の意見も聞いてみるものだと思った。

11:10  CPM(105度30分、110度30分)

13:20  36.8℃。
本日の部屋担当はリズミカルな会話が楽しい新人Ns.O崎だった。検温のついでに20分ほど話をしていった。
その中で彼女(新人Ns.O崎)の母親も看護婦をしていること、そして准看護婦の免許も持っていること
(看護学校はこの大学病院付属の進学コース)、という事を教えてもらい、
自分と同じ課程をたどってきているんだと分かった。また時間外手当て(超過勤務手当て)について
「他の病院でもつかないんですか?」と聞いてきたので「そんな事はない。看護婦として職責を果たすために
行っていることなら支給されない事のほうがおかしい」と答えた。

Ns.O崎は母親が看護婦だということもあり、私が言った「大学病院でプライマリーケアは無理」とか
「大学病院から来たナースは頭は良いし書面上の問題解決能力はあるのだけど、
注射や処置といった業務(大学ではDrがやっている事)ではハッキリ言って使えない」とか
「職場として適切な環境にあるとは思えない」・・・という事に「お母さんもそういう事を言っていたような
気がする」と答えた。新人とは思えないと感じたのは外見だけではなかった。
お若いのに・・・と言っては失礼になるかもしれないが、
意外と細かい所までいろんなことを観察しているんだな〜、と思った。
       
16:30  リハビリ室の都合で30分遅れの開始となった。

19:00 
本日の夜勤だというNs.Tが同室者の所に処置をしにきていた所、どちらからともなく声をかけて話が始まった。
先日、フランス料理のデザート職人・Mちゃんに私の自宅から持ってきてもらっていたOutlookExpress5.0の
解説本を「これが分かりやすいかも」と言って渡しておいた。
Ns.Tのマシンに入っているIEのバージョンが5.0だと分かったので、OEも5.0だからだ。
初心者用としては比較的分かりやすいのではないかと思ったし、難しいと感じていたパソコン関連のことが
(これをキッカケに)1つでも理解出来るようになると楽しくなるのではないかという思いもあった。
せっかくIT時代に生存しているのだから、パソコンは持ってるけどインテリア・・・では悲しいではないか!

昨夜のNs.Hと話したことを話題にし、Ns.Hにも言った「辛い立場なんだね」という言葉をかけたら
Ns.Tも同じ反応だった。やはり、私が予想していた通りの立場なんだろうな・・・。
自分も全てに自信を持っている訳ではないのに、自分よりも上がいない・・・というのは
相当辛く厳しいものがあるのだろう。そして「ここ数年間はどんどん人が入れ替わり、毎年半数以上が・・・。
そういう中で伝えきれていない部分があるのも事実です。上(上司)が替わるとその人なりのやり方を把握するのに
もっと大変です。何かを相談しようと思って話を持ちかけた時“それは相談のレベルではない。
あなた(Ns.T)はどう思うのか?”と返された事がありました」と一気にまくしたてた。
これに関しては「そういう時期なのかもしれない」と自問自答しているようだった。
そして、何を思ったのか「〇〇さん(私のこと)と話していると“病棟に先輩がいればこうなんだろうな”と思います」とも
言っていた。ほほぉ〜、って感じですわ。

Ns.Tはこの大学病院付属の看護学校を卒業したと本人から聞いていた。今年で卒後10年目になるとも・・・。
これはあくまでも私個人の考えなんだけど、要するに純粋培養されて育った人材にありがちな事ではないだろうか?
他を知らない・・・というとNs.Tに悪いのだけど、他の病院での勤務経験はないだろう。
きっと、恐らく、たぶん、これからも・・・。この人はこのまま大学病院で管理職への道を進むのだろうか?

一緒に働いたことがないので何とも言えないが、たくましい想像力と見る目の無い眼力で見せて頂いた所によると、
教育・指導体制が整っているとされている大学病院よりは、
もう少し規模の小さい(とは言っても300〜500床程度の)病院でブイブイ言わせている方がカッコイイと思うし、
充分その実力はあると思うのだが・・・。特に終末期や慢性疾患のプライマリー等、
粘り強く対応していかなければならない所に向いているような気がしてならない。

Ns.Tは勤務中であるというのに、下らない(?)話にいつも立ち止まって付きあってくれる。
私はそれを良いことに、どんどん喋りまくっていた。
6/9まで入院していたT総合病院での“ほぼ同じ年代と思われる毒舌ナース”のこと、
そして“卒後3年目になっても私担当になってしまった不運なK山ナース”のことを話したら、
そういう関わりはした事がないとも受け取れる言葉を残していた。
私が「やっぱ、大学病院でプライマリーは無理だよね」と吐き捨てるように(?)言ったら「なるべく、
そういう方向に持っていってるんですけどね」と苦しい答弁をしていたが、
結局はそれ(大学でのプライマリーケアは無理)を認めていたようだった。

また、8/20の21:30の所に記載してある「卒後3年目の若いNs.Aを誉めてもらいたい」と申し出た件に関して、
事後の報告(?)があった。どうやら、Ns.Tは周りに人がいるところで誉めたらしい。
すると、Ns.Aはとても照れていたという。ヨロシイ!目標は達成できた。この日のNs.Aはたぶん気持ち
良く業務をこなせたはずである。
そして、見逃してはならないのが“人がいる所でオーバーに誉めてあげて貰いたいという
私の要望を実行したNs.T”である。やはり、隅におけない人物である。一目おいてしまう事は確かだ。
       
21:30  37.6℃
再び検温にやって来たNs.Tに「本当にこのまま帰されるのかしら?」と小声で訴えたら
「今のままでは(トイレも松葉杖使用だし)無理だと思う。痛いと言っても誰も何も思わないと思う。
いつか自分で言っていたように自分なりのゴール(日常生活レベル)までは粘っても良いと思う」と答えた。
ごもっとも。

       
8/31(金)
 7:40 
Ns.Tによる遅めの検温。今日は朝から30人の検温をしたそうだ。倒れそう!?37.2℃。
膝の熱感は「左>右」で右のほうが熱いことを確認してもらった。6:30の起床時に放送をしていたので
「検温の放送したでしょう?」と聞いたら、何を思ったのか「私の声を聞きたかったんじゃないですか?」と
笑っていた。そんな事はないと2回ほど否定したのだけど、どうしても「聞きたかった」と言わせたいらしいので、
仕方なく「はい、聞きたかったです」と答えておいた。おお、こわっ!

10:00
4人の担当医のちの1人であるDr.Iがやって来た。
◎すぐに退院しろと言っている訳ではない。
◎原因不明のものは大学病院の性質上、いつまでも置いておく訳にいかないという意味だと思うので、
 無理のない程度にリハビリを続けて下さい。

私は次のように答えた。もっとも、明確な返答があるとは期待してないけど訴え続けておかないと
事実は事実としてカルテに記載されなければならないからだ。
◎リハビリや歩行後など、膝を動かした後は痛い。
◎37.0℃代の微熱が1ヶ月以上続いている。
◎coolingしてないと左膝だけがhotになる。
◎せめて日常生活に自信がないと帰れない。

11:00
病棟婦長さんがやって来た。前述のDr.Iと同じような内容の事を話した。
◎Dr.Nに大体の話は聞いてきた。(大体ってどこまでなのかしら?)
◎再発に対しての不安は分かる。
◎不安を抱えたままで退院したり、働いたりしても結局最後に辛い思いが自分の所に戻ってくるので
 早く自信をつけて(・・・という言い方だった)。
       
12:30  CPM(105度30分、110度30分)
14:00  36.6℃。
検温は北海道出身の卒後3年目になるというNs.Kだった。パソコン(35万円もしてHDD60GBもあるのに、
使い飽きたという)のことや、看護婦のこと等・・・色々と話をしていたら、何と高校は商業科でしかも
准看あがりだと聞いた。ほとんど私と同じだ(私は商業高校)と分かった。何となく親近感がわいてきたと思ったら、
それは彼女も同じようだった。そして、決して聞いてないのに(?)自ら「もう若くない25才なんですよ」
とも言っていた。地元の准看学校出身の先輩がこの大学病院付属の看護学校(進学コース)にいたのを
頼って上京してきた・・・とも言っていた。
       
15:00 
いつもは週末に来るのに、看護学校時代の同窓会立ち上げの為に仕事を休み、ついでに来た・・・と言い、
Aちゃんがやって来た。いつものように室内の換気と郵便物のチェックをしてきてくれたという。
昨日の教授回診で「もう外来で良いんじゃないの?」と言われたとメールを送っておいたのだが、
それに関しては昨日のところに記載している通りの話になった。
Aちゃんの方は同窓会の役員を任せられて大変だけど、
将来的に何かの為になるのでは・・・と思ってやっているという。
大変さを訴えたかったらしいので、黙って話を聞いておいた。

17:00 
リハビリの帰りに廊下で“この大学病院で勤務していた時の元同僚で現在もここに勤務しているN”と
すれ違ったので、簡単な愚痴を少しだけ聞いてもらった。こちらは車椅子だし、
向こうは勤務中なので手短かに・・・という感じである。

20:00  37.0℃




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