5/24〜6/9 入院中の経過概要

5/24(木)
前日から軽い痛みと共に腫脹してきていた左膝をかかえて整形受診。
知らないDrの診察を受け、この左膝から膿混入の関節液が60mlほど抜き取られる。そのまま入院。
整形外来まで病棟婦長(4月から新たに整形の婦長になった)が車椅子で迎えに来るが、
病室までの間は一言も話さなかった。こんな奴なのだろう。いかがですか、という問いかけもない。

10時、一時的に2人部屋に入るが数時間で隣の4人部屋に移る。先に入っていたばあさんがオムツと
ポータブルトイレを利用している・・・というのが理由だったが、後で聞くと個室扱いになっていたらしい。なるほどね。
で、この4人部屋は退院が出るので誰もいなくなるというキャッチフレーズだったのだが・・・。
後にとんでもないことになるという予想はその時点では出来なかった。痛すぎて。

14時20分 ソセゴン7.5mg im
19時40分 ソセゴン15mg lm

この日は痛すぎて食事摂取がままならない。お腹は空いているのにね。


5/25(金)
3時30分 ソセゴン15mg im
6時30分 37.6度
10時30分 部長回診でプンク20ml 。37.6度
14時30分 37.7度
20時30分 37.4度
23時 ソセゴン15mg im(結局この筋注が最後になった!)

この日はとても大切な約束があり、Mちゃんという友達のいるフランス料理を食べに行く予定だったのに悔しい!


5/26(土)
朝食時に臭いに対する配慮を全くしないで排泄介助をするアホ看護婦がいたので、
休日出勤の主任(整形に来て1年でまた勤務交代。6/1〜内科にいくらしい)に文句を言ったら、主任も注意したとのことだった。
これについては後日談があるので別枠を設けて書くことにする。こちらをクリックして頂きたい。
そんなんで1日中気分が悪かった。これでは治療に専念など出来るはずがない。

10:00 回診でプンク 血性・奨液性の関節液が50ml引けた。

夕方になって嬉しい差し入れがあった。出所を確認してから食べた。美味しかった。
ナイターを見ながら点滴をしていたら、終了時にやってきたナースが「野球が見られるなら大丈夫だ」と言っていた。ごもっとも。
こういうのを見破るのは“ほぼ同じ年代と思われる毒舌ナース”しかいない。

この日の体温は・・・。
 6:00 37.5度
13:30 37.4度
20:00 37.0度


5/27(日)
痛みは1日を通して5〜6程度。ソセゴンを注射する時(最高に痛い時)を10とした場合のこと。
体温は・・・。
 6:00 37.0度
14:00 36.9度
20:00 37.3度


5/28(月)
朝の検温時36.8度。痛みは5前後なり。
13:30 37.4度。痛みは4くらいか。
15:30
 院長というエロジジイが出てきて言いがかりをつけられた後、治療方針の説明(一昨日の馬鹿看護婦とのことと合わせて別枠に記載する)が
 あったのだが、すべては録音済み。内容についてはこちらをクリックして頂きたい。
20:00 37.2度


5/29(火)
痛みが随分落ち着いてきた。終日3〜4程度になった。
 6:00 37.2度 検温時に採血施行。
 8:40
 回診時に「溜まっている。プンクするか」と聞かれたが、直後にレントゲン室に行くように言われていたので
「今日は止めよう」と提案したらあっさり了承。
14:00 37.4度
20:00 37.1度


5/30(水)
 6:00 37.2度
 痛みは3〜4で落ち着いている。トイレ歩行しても増強する事はなくなった。
12:00前にKママが来てくれて色々とお買い物を依頼した。ありがたきお友達。
14:00 37.4度。検温は毒舌ナースだった。痛みは朝と同じく3〜4程度なり。

午後の検温時に今後の治療方針についての不明な点を補足してもらおうと思っていたのだが、ナースも忙しいようだ。
その代わり・・・というべきか、37.4度という熱に対してcoolingを持って来てくれた。
その後しばらくウトウトしていたら今回も受け持ちになったナースがやって来た。
今回の治療方針として提示された物に関する資料をコピーしてきてくれたのだ。
よろしい!頼んだことは忘れなくなった。
ドクターの本を借りてきた物も含まれているので、なかなかの事をやってくれるではないかと感じている。
今はこの資料が使いこなせない状況であるが、一端退院して2人部屋の空きを待っている際中に色々と情報収集をする時、
これらを省くことが出来ればロスタイムが少なくなる・・・というメリットはあると思っている。有難き受け持ちナースよ。

19:00過ぎ。37.3度。痛みは日中と同じ。


5/31(木)
朝起きたら雨が降っている。昨夜から降り続いているようだ。検温の直前までよく眠っていた。
前日までは同室者2名のポータブルトイレの臭いで必ず何回かは起きざるを得ない状況だったけど、
とうとう疲れて寝てしまったということなのか。とにかく1回も覚醒することなく、朝を向かえたようだ。
検温は毒舌ナースだった。これを知っていたので安心した・・・なんて事はあるまい!?
37.1度。もう平熱になってしまったようだ・・・ってか!?
午前中の点滴に来たナースに「帰りたいけど、今帰ったら、それみた事か・・・と言われるような結果になるのは分かっているので
我慢しているだけ」と言ったら珍しく「私もこの病室には入院したくありません」と言う若いナースだった。
私が新しい婦長のことを「嫌なことは特に自分の手を汚さないでやるタイプでしょう?」と言ったら無言でうなずいていた。

14:00
37.3度。1時間くらいICINGシステムを外してみて、どの程度膝が熱感を持つものなのか、
見てみようということになった。やはり・・・というべきか、かなりhotになっていたので、ナースに確
認してもらってからICINGシステムを再開した。当然かな、って感じ。でも痛みが楽になった分だけまだマシってことよ。

16:00
一昨日から予告されていたように、MママとK原さんがやってきた。一端、退院した後にやろうと考えている事に関して、
比較的時間に余裕があるうちに有識者に意見を聞いておき、退院したら「すぐに考えられる状況」を作る為、
あらかじめ情報収集をしているのだ。どうやら私の考えている事は間違いではなく、遅すぎる・・・との見解だった。
そして何も退院してしまわなくても可能なことで、外出許可をもらって一時帰宅してでも連絡だけは出来るのではないか
という事に気付かせてもらった。こんな簡単なことが「言われないと気付かない」なんて、やはり病院の中は異常だ。
しかし、言われて気付いているうちはまだ良いほうだ。こんなのに染まらないようにしないとね。

20:00
37.5度。有熱者扱いとのことで、一応頭にもcoolingをすることにした。
本日付けで退職するナースがいるので、23:00の巡視を終えた後に廊下のソファーで待っていた。
帰りに必ずここを通るので一言だけでも挨拶をしておかなければ・・・と思ったのだ。今まで何回も入院したが、
私のことを最初から知っているのはこの人の他に、受け持ちナースと毒舌ナースの2人だけになってしまった。
もう誰にも何も聞けない状況だ。退職するナースが色々と今の病棟の状況を話してくれたが、
婦長が変わって皆やる気をなくしているとのこと。そして婦長自身が大学出身というのもあり、総婦長に気に入られているらしく、
それを鼻にかけているのか、汚いことはやらないし自分の手は汚さない・・・等々、私が患者として感じているのと同様の事を
かなり赤裸々に語っていた。そして「退職したいんだけど」と話を持ちだした時「いいんじゃないの」という一言で済まされて、
しかも数時間後には退職届の用紙を「はい、これ。総婦長から」と言って渡されただけだそうだ。
これにはさすがに絶句。確かに今度の婦長は患者のところに来ないし、話もしない。

患者から見ても不可解な人事移動が頻回にあり、季節柄とはいえ2ヶ月前の人達とは2/3以上が入れ替わってしまった今、
ドクター達も「OPをするのが心配」と言っているとのこと・・・。

私に提示された選択肢は4つだが、そのうち1つは既に施行して見事に再発しているので事実上は3つという事になる。
3つの全てはOP又はOPに順ずる処置なのだが、スタッフがこんな状況では正直言って“安心して治療を受けられる
人的環境”ではない。しかも、ほとんどが3年目以内という若さか、この整形病棟に勤務交代してきて1年以内というお粗末さ!!
患者の近くにいる時間はドクターよりもナースのほうがズッと長いのだし、異常の早期発見や緊急時の対処等のことを考えると
とても不安だ。こんな中でOPをしろというのか!?
異常に気付かなかったり、あるいは痛い時、発熱した時、そして急変した時・・・等に処置が遅れて
しまったりする事も充分考えられるのだから、そういう事も含めて責任問題に発展した場合、今の婦長は必ず逃げるし、
そもそも患者のところに来てないのだから「知らない」で済まされかねない。
また明日から主任も交代するとのことで尚更期待は出来なくなってきた。再考を要する。マジで。


6/1(金)
受け持ちナースが深夜明け。37.3度。左膝は「育っている」と言ったら笑っていた。一仕事終えたら「話がある」とのことである。
何なのだろう??

9:00過ぎに深夜勤務を終えた受け持ちナース(臨床経験は正味2年、今年から3年目の若いお姉さん)が再びやってきた。
この前、ドクターから提示された治療法針のうち「どれが1番早く退院できるか」というのを調べてもらっていたのだ。
もちろん、あくまでも一般的な経過として、ってことでね。その調べがついたらしく、またドクターにも聞いたという。
頼んだことを忘れなくなったというだけでも1年目の頃よりはマシになったと思えてくるんだから不思議!
一般社会では当然のマナーなのだが、この世界ではそれだけで成長したとみなされる所が異常なのかも・・・。

その後しばらくして、午前中の点滴、部長回診・・・という順番でやって来た。部長回診では一時帰宅するのに外出許可をもらった。
入院中なので何をするにも病院側の許可が必要なのだ。面倒くさいもんだな。
とりあえず「あまり膝を動かさないように」という注意と共に許可が出た。
用件は、昨日MママとK原さんが来てくれた時に言っていた事を行う為であるが、ここのナース達には内緒なので
「生理用品を取りに行くついでに頭と足を洗ってくる」という無難なものにしておいた。
確かに頭と足を洗ったし、生理用品も持ち帰ったので嘘ではない。ま、そんな細かいことは聞かれないと思うけどね。
午後の検温少し早めの13:30過ぎにやってもらって、37.1度というのを確認してから新人ナースに外出用紙に署名してもらい、
13:40〜16:00過ぎまで一時帰宅してきた。(用紙は16:30までにした)

19:30
37.2度。外出後に左膝の痛みあり。10のうち5くらいかな。ま、仕方ない。
腫れもあるのか、いつもしているサポーターがきつい。


6/2(土)
7:00
37.0度。痛みと腫れは少しずつ軽減中だろう。サポーターのきつさが軽くなったようだ。
15:00 37.2度。痛みは3でおさまっている。

準夜のナースはとても忙しいのか、あるいはただ遅いだけなのかは知らないが点滴も検温も
いつもより遅く20:30頃だった。いくら100mlの小さい点滴とはいえ最低30分はかかると思うので、
20:30を過ぎても来ないようならナースコールを押そうと思っていたら、ちょうど20:30になった所でやって来た。
だが点滴だけで「検温と称する状態観察」は数分後になるとのことだった。ま、新人さんだから仕方が無いのかな。
37.1度。痛みは同じで増強することはないようだ。


6/3(日)
 6:40 久し振りに36.5度と、熱が36.0度代に下がっていた。確か2回目だったと思う。
14:00 37.2度。痛みは同じだが少し腫れている感じがあり、サポーターがきつく感じたので
外してからICINGシステムを施行する。夜にも同様の症状があったが、サポーターを外してICINGシステムをしていたら改善した。
20:00 37.2度


6/4(月)
6:30 37.0度。忙しいのか深夜明けの新人ナースは体温計を見て行かなかった。
9:00 左膝には溜まってないらしい、とのこと。ま、こんなものだろう。痛みは2〜3になった。

今日は最高気温が30度になるらしい。まだ6月なのにさ!
私の左膝だけでなく天気まで狂ったのか!?

13:30 36.8度。左膝の腫脹具合もどうやら鎮静傾向なり。今は「安静」「24時間局所cooling」「抗生剤」の3つが効いているのだろう。

20:00
36.3度。痛みは同じく2〜3程度。ソセゴンを使う時を10としたら随分楽になった。


6/5(火)
 6:00 36.9度。採血を施行した。結果が楽しみだ。朝からどんより曇った空だ。
14:00
 36.5度。早朝4時に一端覚醒した為なのか朝からやたらと眠い。痛みは同じ。

夕食前より頭痛(後頭部と両側頭部)があった。なかなか軽減しないのでナースに頭痛薬を希望したが、
新人ナースだったこともありドクターへの連絡がつき辛く対応が遅かった。
19:05
 ロキソニン1錠内服(Drになかなか連絡がつかないとの事でナースの提案)。
19:20
 ボルタレン座薬25mg1個使用。これで軽減した様子なり。36.8度。

その後、左膝が少し腫脹してきたのか、いつも使用しているサポーターがきつく感じたので
ICINGシステムの時に巻くのをタオルに変更して一晩過ごした。


6/6(水)
6:00 37.0度。頭痛は軽減した。左膝は少し腫れているよう??サポーターがきついので
ICINGシステムはタオルを先に巻いて行う。地肌を直接冷やすと冷たすぎるので、いつもサポーターを使用し、
その上にICINGシステムを巻いているんだけど、なぜかきついのよね。ま、仕方がないか!こういう病気なんだもんね。

14:00 37.2度。こんなもんでしょう。痛みは同じ程度で増強することなし。
20:00 確か36.8度か37.0度だったと思う。

22:00 隣のばあさんのイビキがうるさくてナースコールを押した。枕をはずすか1回起こしたら止まるからどうにかしてくれ、
と言ったら卒後8年目のF看護婦が「この人が眠れなかったらどうするんですか」とおぬかしになられた。
私は「私に我慢しろというのか」と言ってやった。馬鹿者めが!オマエは何年看護婦をやっとるんじゃい!?


6/7(木)
6:00 37.0度?たぶん。
14:00 36.8度。

抗生剤の点滴は昨日までで終わり。本日昼より内服(フロモックス3T,分3)に変更となった。
明朝、検温時に採血をして悪化してなければ9日(土)に退院で良いだろう。
おっと、退院時に診断書(勤務先に提出すると言って書いてもらうもの)をGETしておかないといけない!
中身は「一旦、退院して2人部屋が空き次第、再入院・再手術予定」というふうに書いてもらっておかないと、
勤務先の上司に報告出来ないわ〜!準夜が受け持ちナースなので彼女に依頼しよう。そして明日の部長回診で確認だ。

19:30 36.9度。
準夜(16:00〜23:30)で受け持ちナースが出てきた。卒後3年目の若いお姉さんだ。
この子と毒舌ナースだけは、私のことを他のナース達と違って受けとめてくれているように感じているのだが・・・。
この若いナースは、何回か入退院を繰り返しているうちに、私が疾患に取り組む姿勢とか、社会復帰に向けた意欲とか、
あるいは戦う姿勢とかを理解してくれているのではないか・・・と感じられるし口に出しても言っていた。
前回の退院後より時々メールのやりとりをしたが、表と裏を使い分けるほどのものは持ち合わせていないと思うので、
たぶん私の思惑と大してかわりはないだろう。

従って、月曜日(11日)に紹介状を手にした時点でこの受け持ちナースにだけは、噂でなく私自身から
転院のことを伝えなくてはならない・・・と感じた。今回だけでなく、治療方針に関する資料や何かを色々と揃えてくれたし、
マイナス・イメージにとられがちな私の所によく顔を出してくれたしね。
さっき、勤務先に提出する診断書を頼む時、嘘をついているような錯覚があり、実は自分の中で決めているのに
報告出来ないもどかしさというものがあった。
だけど、感情面とは別に自分の身体のこと(改善してないという現実)を優先した結果、そのようになった・・・という事である。
実際に転院出来ることになった時、方法は何でも必ず伝えなくてはならないと思った。
こういうのを「心苦しい」というのだろう。仕方がない。


6/8(金)
 6:00 36.5度。検温時に採血施行。最終確認の意味だ。結果が楽しみ。
10:30 部長回診。退院許可が出る。
13:30 36.5度。
16:30 病棟婦長が、食事時に消臭剤を使わないで排便介助をした看護婦のことを
「他の仕事で頭が一杯で忘れてたのでは」と言う。アホらしい。戦う意欲消失。こいつはやはり使えない。
こんな奴の下で働いているナース達がかわいそうというものだ。もういいです、行ってください・・・と追い払った。
19:30 37.2度。


6/9(土)
6:30 36.8度。
9:30 休日回診を受けてから退院。消臭剤は隣のばあさんにプレゼント!


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