2002年9月 インテンシブ初級3 |
9月1日(日) 日本がテーマの新ドラマ タイドラマお決まりの場面 9月2日(月) 初級2進級試験 初級2の進級テスト。今回の内容は聞き取り、文章を読む、空欄を埋めて正しい声調を作る、作文、並び変え、読解。テストは意外と簡単で午前中には全部終わってしまった。先生と2人きりの読みのテストをしたときは緊張しちゃった。明日事務所に電話して結果を聞かなくちゃ。まあ落ちる人はいないと思うけど。そうそう、結局私の日本人の女の子の友達は初級3も留まることにしたみたい。よかった。先生に聞いたところによると初級3もクラス替えはとりあえずないみたい。私としてはクラスから追い出したいうざい奴がいるんだけどしょうがない。我慢しよう。 明日から1週間のお休み。あさってにビザが切れてしまうので更新のためどうせだったらと思ってラオス旅行に行くことにした。メンバーは私とアメリカ人女、ラオス語専攻の日本人男。また微妙なメンバーだけどラオスは初めてなので楽しみ。ラオス一高い建物が4階建てというのもちょっとそそられる。また帰りの日程を決めていないのけど今週の金曜日か土曜日までは帰って来ない予定。 9月3日(火) ラオス出発 朝一番で事務所に電話をかけてテストの合否を確認した。今回もテストをパスすることができた。153点中152.5点。何を0.5点分間違えたんだろう。気になる。 寝台列車でラオスに出発予定なので昼間は家でゴロゴロしていた。5時にサイアムで待ち合わせをしてフアランポーン駅に寝台列車のチケットを買いに行った。帰りの日程がわからないのでとりあえず片道だけ買って帰りの分はノンカイで買うことにした。8時45分に列車は出発。タイ側の国境の街ノンカイには翌朝8時30分着予定。寝台列車は上下にベットがあってもちろん冷房付き。私たちは当日券を買ったので上のベットしか空いていなかった。狭いけど上も快適でぐっすり眠れた。これで548バーツはお得でしょと思っていたんだけど翌朝他の2人に聞いてみたら普段から不眠症ぎみの二人は2時頃まで眠れなかったって言ってた。「れいこさん10時半頃からもう静かだったよね」って言われちゃった。だって列車のゴトゴトって眠りを誘うんだもん。 9月4日(水) ラオス到着1日目ーウ゛ィエンチャン 予定より遅れて9時10分頃ノンカイに到着。そこから友好の橋まではトゥクトゥクで5分ぐらい。友好の橋でイミグレを済ませバスに乗り橋を渡ると5分でラオス側のイミグレに着く。そこで1500バーツでビザを取り入国を済ませた。このとき帰りの寝台列車のチケット取るのすっかり忘れていたことに気付いたけどまあ、どうにかなるだろうということで友好の橋から更にトゥクトゥクに乗ってヴィエンチャンに向った。ラオスの風景は昔友達がいっていた通り「何もないタイ」という感じだった。これを見るとタイがどんなに発展している国か思い知らされる。道の脇では牛が草を食べていてのどかだった。ヴィエンチャンの中心部に着いても余り印象は変わらず相変わらずタイの田舎って感じだった。アジアの首都にしては何もなく静かでいい感じ。 街の中心にあるタラート サオで御飯を食べた。フォーという麺を食べたけどまさしくヴェトナムのフォーみたいでおいしかった。タイのグアイティアウとは違って麺に腰があり且つスープもシンプルで気に入った。食事を食べているときアメリカ人女が「私、具合悪いから明日飛行機で帰る」って言い出した。ええ!ちょっと待ってよ。帰るも何もまだ今日の宿さえ決めてないじゃん。何だかな。でもさすがアメリカ人なので言い出したら聞かず宿を決めた後即旅行代理店にいってあさっての朝のフライトを予約してた。その横で私は2人で行くはずだった世界遺産のルアンパバーンへのチケットを1人で予約していた。日本人男はもともと「俺はルアンパバーンは行かないからね」と言っていたのでいいけど私突然一人旅なの?一人旅でも別にいいけどそれにしてもねえ。 9月5日(木) ラオス2日目ールアンパバーン 朝起きるとアメリカ人女が「空港に一緒に行く。やっぱり今日の朝帰る」って言い出したので二人で空港に向かった。彼女は空港でチケットを変えてもらうと私にルアンパバーンで山岳民族の刺繍の入れ物とコーヒー豆を買って来てねと言いい軽快に帰って行った。アメリカ人女のラオス滞在時間約23時間。一日以下だ。それにしても何だかな。寝台列車は2度と乗らないとか宿が汚いから嫌だとか。そもそもアジア旅行向いていないんじゃない?アメリカ人の真髄を見たね、私は。それともお前はネタづくりに来たのか?? 突然一人旅にされた私はとりあえず飛行機に乗り込み一路ルアンパバーンに向かった。ラオスの国内線は機内に水が滴ったりして相当危ないって聞いていたんだけどそんなでもなかったので一安心。でも乗り込んで5分で出発したので本当にお気楽な感じだった。無事にルアンパバーンに着くと飛行機の隣の席だったアメリカ在住ラオス人のおじちゃんが親切で街まで車に乗せて行ってくれ宿も紹介してくれ御飯までおごってくれた。最後まで「こいつ怪しいんじゃないか?」って気を抜かなかった私に親切だけして弟と一緒に自分の家に帰って行ったおじちゃんは本当にいい人だったみたい。疑ってごめんね。 宿を確保するととりあえず世界遺産に指定されている町並みを見に行った。そんな大したこともなく「あ、寺だ。あ、こっちにも」とかそんな感じなんだけどなんとなく情緒があっていい感じだった。かなり外国人観光客がいたのでそっちのほうに私はびっくりした。街の中心にモン族のマーケットがあって安くてしかも丁寧な刺繍のかわいい小物や布が沢山あった。タイで買い日本でも愛用していた象さんの財布がぼろくなり新しいのが欲しくなって来た頃だったので財布を買うことにした。でも大きさや刺繍がちょうどいいのがなくて「この布でこの大きさがいい!!」ってわがままいっていたら私が選んだ布で今の財布と同じ大きさのものを特注で作ってくれた。嬉しい。粘ってみるもんだ。その後調子にのった私は織物を3枚ほど家族にお土産に購入。 夜は1人レストランて食べるのは寂しくて嫌なので、もち米と鳥の炭焼きを買って来てホテルで寂しく食べた。一人旅の準備なんて全くしていなかったので空港やホテルではぼーっとしてるしかなかった。わかっていれば本やれいこ iPod持って来たのに。本当に腹立つな。 それと帰りの飛行機は昨日は金曜日の2時40分に出ますって言っていたのにいつの間にか金曜日の5時発に予定が変わっていた。ノンカイの寝台列車は19時15分発なので乗れるかどうかそれよりも寝台チケットがあるかどうか心配。 9月6日(金) ラオス3日目ールアンパバーンからノンカイへ まったくの偶然だったけど今日は1年に一度のボート祭りだった。1時からメコン河でレースが始まると聞いたのでフランスパンとコーヒーの朝食を食べてゆっくりしていた。このフランスパンとコーヒーは屋台で食べれるのにタイに比べて格段においしい。タイのパンって本当にまずいしコーヒーも最悪だけどラオスのパンは日本のフランスパンと比べて全く見劣りしないどころかそれ以上。コーヒーも豆がおいしい上練乳をいれて飲むのも私好み。これってまったくヴェトナムと一緒なんだよね。結局フランス植民地時代のなごりだと思うとちょっと複雑な気持ち。ヴィエンチャンにはヨーロッパ風の建物もぽつぽつあってタイが西洋諸国の植民地にならなかったという言葉が実感でる。 1時からはメコン河沿いでレースを見た。レースは面白かった。たしか昔うるるん滞在記でまさしくこのレースのことをやっていたような気がする。このレースはルアンパバーン以外の村からも多分参加しているみたいで街は見学に来た他の村の人でごった返していた。それにしても彼等は私が珍しいらしくじろじろ見られた上子供にぺとぺと触られた。何なんだよ。私は同じアジア系なんだからそんな珍しくないだろと思うんだけどね。 私の今日の目標は19時15分ノンカイ発の寝台列車でバンコクに帰ること。5時にルアンパバーンを飛行機で出ると5時35分にヴィエンチャンに着いた。その後タクシーに乗り友好の橋まで急いだ。「急いでね」って言ったんだけどおじちゃんのタクシーはかなりぼろかった。「何キロ出てるんだろう」ってメーター見たら壊れてるみたいでゼロで止まってるし。大丈夫かな。私の心配をよそにおじちゃんはのんきに「これ娘」とかなぜか助手席に座っている娘のこととか話しながら運転してた。そうそうラオスではタイ語が話せればまったく困ることがなかったのでよかった。英語よりタイ語のほうがぼられなさそうだったので私はずっとタイ語で通してた。いい練習にもなったな。 友好の橋には18時20分頃着いた。イミグレを済ませるとタイ側にまたバスで渡りタイでのイミグレを済ませた。タイのイミグレでおじちゃんに「これお前か?」って日本人のパスポートのはり紙を指差された。どう見たって顔が違うじゃん。どうもその日本人の女の子は何かやらかしたらしい。おじちゃんに「この人どうしたの」って聞いたら「悪い奴なんだ」って言ってた。もっと具体的に言ってくれ。そんなあほな会話で時間をロスして19時ギリギリにノンカイの駅に着いた。寝台列車の切符は売り切れで3等しか残っていなかった。ノンカイのゲストハウスに泊まるのも嫌だし、やけにもなっていたので3等で帰ることにした。チケットは163バーツ。寝台より400バーツも安い。不安だな。11時間も堅い座席に乗って耐えられるかな。 9月7日(土) バンコク到着 3等に乗り込んだときは事前に切符を買っていなかった自分にうんざりして不機嫌だったんだけど乗り込んでからはまあまあ楽しかった。バンコクに出稼ぎに行くっぽいタイ人に囲まれ庶民のタイを満喫というか経験した。3等車両には時々物売りが乗り込んでくるのでそれも楽しかった。普通に食事やお菓子、お饅頭とかを売りにくるのけど朝になるとおしぼり売りも来た。パンって袋を割ってくれるのでおかげで目が覚めた。やめてよね。 3等車両にはラオスのイミグレから一緒だった妻が異様に気が強く夫はおっとりしてるので一生尻に引かれそうな新婚のファランも乗っていたけど途中で降りて行ったみたい。その後は私が唯一の外国人になってしまった。私は男の子1人の家族とボックス席に同席だった。でも彼等は寝る頃になるといつの間にかどっかに消えてた。ボックス席ひとりじめと思ったらタイ人の男がすかさず反対側の席をひとりじめしてた。みんな考えることは一緒だ。やっぱり11時間の旅はきつかった。ベット無しでボックス席で寝るんだけど冷房がないので虫が入ってくるし蟻もいるし。あまり眠れなかったのでドンムアン駅(空港の前の駅)に着いたときにはくたくただった。いやー本当に疲れた。でも意地になってタクシーには乗らずバスで帰って来た。私って本当にばかだよね。家に着いたのは朝の6時半。洗濯を済ませ一寝入りして今日記を書いている。本当に家はいいね。バンコクはすばらしい。でもラオスも楽しかった。 9月8日(日) 写真を現像 ちょっと鼻風邪ぎみ。どう考えてもアメリカ人女にラオスで移された。でも大丈夫そうなのでラオスの写真を現像しにMBKまで行って来た。1時間で現像して見てみたらどの写真もあまり上手に映ってなかったのでがっかり。影が入っていたりぼけてたり。そういえば私友達によく「写真取るの下手だね」って言われるのを思い出した。ラオス旅行で得たものは脚にある無数の蚊に刺され痕ぐらいかな。 帰りにチャトチャックに寄ってスカートとかごを買って来た。スカートは100バーツ。安くてかわいいのでご機嫌!かごは値切ったけど50バーツだった。夕食用にいつもの果物屋台でパイナップルを買った。おやじに「今日はメロンじゃないのか?」って聞かれた。いいじゃん。今日はパイナップル気分なの。主食何にしようかなと思ってぶらぶらしていると本で読んで前から狙っていた卵に浸した焼きおにぎりを発見した。さっそく一つ買ってみたらかなりおいしい。普通に焼きおにぎり。 9月9日(月) 初級3 朝大金を抱えて事務所に行くと初級3からクラス替えがあったことを知らされた。私はクラスAで日本人3人、スウェーデン人男、イラク人男、インドネシア人女、アメリカ人男(にゅーかまー)各1人の計7人のクラス。イラク人男は前のクラスのあのイラク人男。前のクラスから引き続き一緒なのはこの人だけ。なんでこの人と私っていつもペアなんだろう。今日も私が質問の答を考えているうちに先に答えられてしまった。まだ私の戦いは終わらないみたい。 スウェーデン人男は私が密かに注目していた、いいキャラしてそうなおじちゃん。前から興味津々だったんだよね。予想通りいいキャラしてた。授業中何が面白いのか、こてこてギャグに1人で「ひゃひゃひゃひゃ」って楽しそうに笑ってた。興味深い。にゅーかまーアメリカ人男は今日は欠席だったので「顔はかっこいいけど背が低くい。でも恋人がタイ人だ」という妙に中途半端な情報を手に入れただけだった。 授業は覚えなければいけない単語が恐ろしく増えた。しかも単語自体も「曵き船」「精米」「八百長試合」とか難しいものばかり。毎日ディクテーションもしくは単語テストもあるみたい。初級3で辞めて行く人が多いと言うのも何となく納得の初日だった。 9月10日(火) 再び病院に行く 今日からアメリカ人男が授業に来た。背が低いと言う情報は本当だったけどその他の情報はどうだろう、というより別にかっこ良くないじゃん。デイブスペクターみたいな感じ。ちなみにお母さんがイタリア人とタイ人のハーフだそう。偶然帰りが一緒になったのでBTSの駅までの近道を教えがてら一緒に駅まで行った。なんかどんくさそうな人だった。しかもBTSの駅までの道教えてあげたのに駅で私が切符を買っているうちに1人でさっさと先に行ってしまってやな感じ。1人でさっさと行った割には乗り場間違えていたのが笑えたけど。 風邪はそんなにひどくないけど授業を休みたくないしちゃっちゃと直してしまいたいのでヒロシに会いに病院に行った。受付で「どの先生にしますか?」って聞かれたけどついつい「誰でもいいです」と言ってしまった。ヒロシって言えば良かったけどなんとなく恥ずかしくて言えなかった。今日の先生は英語だった。とりあえず喉が腫れているだけだったのでたっぷり薬をもらった。体重を量ったときに1kg太っていたのがちょっとショック。。。 夕方からは友達の友達がタイに来ていたのでその人とクラスメイトと食事をした。以前から食べたかったラオス鍋の屋台に行った。ビール3本、ラオス鍋、ラープ、コームーヤーング、スアローングハイを食べて1人90バーツぐらいだった。安い。ラオス鍋はタイスキよりおいしい。また絶対行こうっと。 9月11日(月) WTCのテロから1年だけど普通の一日 早いものでWorld Trade Centerのテロからもう1年も経ってしまった。タイのテレビでも記念式典の様子をCNNの映像そのままの生中継をタイ語解説付きでやっている。内容がよく分からないので残念。いろいろ考えることもあるけど私のタイでの1日はいつも通りに過ぎていった。 チュラのコースに入って来た誰もが一度は言う台詞 「本当にインテンシブだよ」 最近この言葉が再び頭を駆け巡っている。毎日授業でディクテーション、単語テスト、会話の練習、ちょっとした長文読解をやっている。学校から家に直行し予習復習をするとほとんど自分の時間はない。読み書きの力は着実についてきていると思う。ドラマ本を読んでいても辞書を引かなくても意味がわかるセンテンスが増えて来たのでちょっと嬉しい。でも話すのはまだ全然。自分の言いたいことの3分の1もまだ言えない。構文もめちゃくちゃだし。聞き取りもまだまだ。スピーキングとリスニングは英語でもいまいちなので私の語学学習に於ける永遠の課題だな。 9月12日(木) クラスがつまんない クラスが変わったので前よりつまんない。イラク人男の相変わらずの自己アピールぶりは日に日に私の神経を逆なでし、アメリカ人男のよくわからない間合いの皮肉っぽい笑いにもいらいらさせられる。私の唯一の楽しみはスウェーデン人おじちゃんのしゃべる森本レオ風タイ語だけ。おじちゃんいいよ。癒し系。 今日授業で「自分の国のもので何が一番恋しい?」って聞かれ私を含め日本人の答えは全員「お風呂」だった。他の外国人は笑ってたんだけど、なんかおかしい?シャワーだけじゃやっぱり日本人的には満足できないもの。他の人が「国の料理」とか「静けさ」って答えているなかアメリカ人男だけは「お母さん」って答えてた。マザコンか? 授業が終わって建物の周辺をうろうろしていたら日本語学科の女の子達につかまって日本に留学する子の送別用の写真を一緒に撮らされた。私はその留学する子のこと全く知らないのにいいの? 家に帰るとまいちゃんが「何度電話してもでないからラオスで行倒れにでもなったかと思った」って心配の電話をして来てくれた。やっぱり仲良しの友達がいると心強い。 9月13日(金) 金曜日のお出かけ復活 久し振りに金曜日に元クラスメイト達と食事に行った。今日は日本人の男の子2人、インドネシア人の女の子とマレーシア人の女の人も一緒だった。女の子は他に例のアメリカ人女と私の計4人で私以外みんなタイ人と結婚している若しくは結婚予定の人ばかり。みんな勇気あるな。 今回はスクムウィットにあるイサーン料理の店に行った。このお店はとても有名で私も一回人に連れて行ってもらったことがあった。イサーン音楽の演奏とダンスもあり観光客にぴったり。私たちは観光客じゃないけどまあね。御飯もおいしかったしそんなに高くなかったので良かった。でも私的には水曜日に行ったラオス鍋屋さんのほうがお勧めかな。 食事をした後は日本人だけで戦勝記念等周辺に飲みに行った。後でもう二人日本人の男の子が合流して5人で飲んだ。飲んだ場所はパブとかバーではなく普通のレストランにちょっとバーが付いているっぽいところだった。ちょっと鄙びててお客さんもファランが数組いるだけだし何より音楽が普通のタイのバーみたいに頭が痛くなるくらい鳴り響いている訳ではなかったので長居できた。久し振りに下らない話をして楽しかった。その中でちょっと印象に残ったこと。先生が授業中に「語学ができる人は得てして数学が苦手と言う話をどう思いますか?」という質問をしたらアメリカ人女が「私、語学もできるし数学も得意だからその話は嘘だと思います」って答えたそう。すごいよね。日本人なら普通「数学得意」とか「語学ができる」とか自分で言わないよね。文化の差をまた感じた。 9月14日(土) パンティップにお出かけ 今日はゆっくり起きてパンティッププラザに買い物に行った。あるソフトが欲しかったのんだけどタイはMacを使っている人が少数派なので欲しいソフトはウィンドウズ用しか発見できなかった。代わりと言ってはなんだけどMP3を買って来た。 日本ではスピッツが新しいアルバムを出したんだよね。欲しい。邦楽は好きじゃないけどスピッツだけは全部持ってるぐらい好き。今日伊勢丹上のCDショップをチェックして来たんだけどやっぱりまだ売っていなかった。というかタイ人の趣味に合致してる日本の歌手のCDは沢山あるのにスピッツは1枚もなかった。それにしてもタイ人の趣味もどうにかして欲しい。Kinkid Kids等のアイドルまたはヴィジュアル系バンドばっかりなんだもん。 9月15日(日) 学生ボランティアミーティング アメリカ人女の帰国時のお土産を買うのにつきあってチャトチャックに行った。アメリカ人がどんなものをお土産にするのか興味津々だったのでなかなか楽しい買い物だった。彼女は水上マーケットの彫刻がついたアルバム、象さん模様の壁掛け、象の置き物、仏像と何かサンスクリット語っぽい字が書かれたランプカバーを買ってた。ランプカバーは素敵だった。私も欲しくなったけど日本に帰るまで使えなさそうなので保留。代わりに木製のロウソク立てを購入。一緒に食事をしてから別れた。 夕方からはカオサンで日本のNPOのバンコクでの学生ボランティア達と食事をした。参加者はタマサートの留学生3人とチュラのインテンシブの人2人と私です。NPOといってもバンコクでは立ち上げたばかりでまだ活動は本格的にしていないので何を活動の軸にするかと言うのが会合のテーマだった。5年ぶりにカオサンに行ったのけど相変わらずすごい場所だ。今日は時間がなくてあまり見れなかったのでまたじっくり見に行きたい。 9月16日(月) パッポン好き タイに来るまでイラク人のイメージは「イスラムなのでお酒は飲まないはずだ、イラクは厳しそうだから夜遊びはしなそうだ、もちろん豚肉は食べないだろう。」という感じだったけど私のクラスメートのイラク人男は見事にその思い込みを覆してくれた。 彼はお酒大好きで先週末もチャトチャック、セントパウロ病院(なんで病院?)、Royal City Avenue(RCA)のディスコを梯子しお酒を飲んだんだって。RCAではルート66という有名なディスコに行き他のイラク人仲間と店の閉まる2時まで踊ったって食事の時嬉しそうに言ってた。彼曰く「イラクはディスコは外国人しか入れないんだ。お酒も家でしか飲めない」んだって。今日のお昼御飯のとき日本人の男の子達と今週ナナプラザにあるゴーゴーバーに行く約束をしてた。私も誘われたけどゴーゴーバーは女の子には話の種に1回行くだけで十分。というかつまんない。パッポンにもイラク人の友達と行っているみたい。国を離れてはじけるイラク人男。ちょっと見直した。 ちなみに豚肉は以前一回知らないで食べちゃったって言ってた。いいの? 9月17日(火) 新たなツワもの イラク人男には私が慣れたのか最近彼の強烈アピールがそんなに気にならなくなった。彼自身も落ち込みぎみだったのが以前のように元気になってきたのも一因だと思う。 クラス自体は授業を重ねるに連れて面白くなって来た。今日は戦争がテーマだったのでつたないタイ語ながら熱く語ってしまった。そんななかでスウェーデン人のおじちゃんはやっぱり私のオアシス。今日はなぜかヴァイキングの話になったんだけどヴァイキングについて森本レオの声で熱く語ってた。また動物の鳴き声の話になったとき犬のまねで「バウバウ」いってるおじちゃんの顔はセントバーナードそのものだった。なごむなごむ。 学校の帰りにまいちゃん待ち合わせてVCDを借りた。まいちゃんは仕事が6時に終わるのでそれまで彼女のオフィスの下にあるスタバで勉強をしていたのだけど寒くて凍え死にそうだった。大げさに言っている訳ではなくて本当に寒かった。全身鳥肌だらけになった。省エネしようよ、まったく。途中で耐えられなくなって建物の外でぼーっと待ってた。まいちゃんはいとこがオーストラリアから遊びに来ているので今日は御飯を食べないで家まで送ってもらっただけだった。でも菓子パンとタイダイのバックをもらった。 9月18日(水) 読み間違え 授業のテーマは「インターネット」。イラクのインターネット事情は一般市民のレベルには達しておらず政府関係者が主に使用しているだけなんだって。ネットを繋げようと思ったら年間600USDはかかるそう。インターネットだと遠くにいてもみんなと繋がっている感じがするので私は大好き。しかも面倒くさがりの私でもお手軽にメールやカードが送れるしペーパーバックも日本だと通常の本屋さんで買うより安いのでよく活用していた。日本のネット事情はかなり進んでいるなとちょっと実感。バンコクでダイアルアップで苦戦している私にはADSLが懐かしい。 午後の授業で先生が「ティーンネイジャーの頃は暇なとき何をしてましたか?」という質問をした。イラク人男は「タム イング」と答えた。直訳すると「女とやる」という意味なので他のクラスメートはどよめきたったんだけどよく聞いてみると発音を間違えていて「ターム イング」だった。タームはFollowという意味なので女の子を後を追い掛けてたということが言いたかったみたい。あ〜、よかった。そういう私も音読のときに「タロート チーウィット(一生)」というのを「タラート チーウィット(人生の市場)」って訳わかんない読み間違えをしてしまった。まだまだみんな修行が足りないね。 9月19日(木) 蛇を日常的に追い払う国々 今日のテーマは男女の役割についてだった。先生が「みなさんの国では夫の役割、妻の役割と決められていることがありますか?」という質問をするとアメリカ人男が「蛇を殺すのは夫の役割です。」って答えていた。私は「え?蛇?」って思っていたらインドネシア人女が「インドネシアでも蛇を殺すのは夫の役割です。」といい、イラク人は「イラクでも夫だな」と答え、先生も「タイでも夫の役割ですね」って普通に話を進めていた。蛇?蛇?一つ知識が増えた。蛇を殺すのは夫の役割なんだね。というかなんで蛇?ゴキブリでいいじゃん、ゴキブリで。 帰りに大学の裏の道を歩いていると近くの高校生3人が道をふさいで歩いていた。邪魔だなと思いつつ彼等の後をとろとろ歩いていると3人のうちの1人の男の子が突然木の幹に引っ掛かって思いっきり転倒した。手に持っていたビニール袋入りコーラが宙を舞い、道路にゴロっと横たわっていた。すごかった。まさにマンガでバナナの皮を踏んじゃった人の転び方だった。近年まれに見る見事な転びっぷりに感動した。いいもの見せてもらった。ちなみに男の子はたいした怪我はしてなかった。 9月20日(金) 電車 毎日BTSという高架電車に乗って学校まで通っている。とにかくマナーがなっていないのでむっとすること多々あり。並んで電車を待っていても横からおばちゃんやおじちゃんが平気で割り込んでくるし、子供が靴のまま椅子の上に立っても母親は何にも言わない。いらいら。ちなみに携帯電話の使用は当たり前。あっちこっちで鳴っている。 日本と比べていいところももちろんある。妊婦、子供、老人には素早く席を譲ってあげる。とても自然に席を譲るので見ていて気持がいい。私もいつか自然に席を譲ってみたい。子供は立たせとけとも個人的には思うんだけどね。なぜか私も電車の中に限らずバスの中でもよく席を譲られる。なんでだろう?妊婦に見えるほど太ってないはずだし、いくらなんでも子供にも見えないはず。黙っていればタイ人に見えなくもないはずだし。か弱く見えるのかな?それならそれでお得だけど。でも若い女の子にも譲られるのでやっぱりどういう基準で席を譲られているのか不明。この前はファランに譲られた。やっぱりわからない。 9月21日(土) 在日本タイ人の友達 私が巣鴨の某タイ語学校に通っていた頃授業の後行っていたタイ料理店が池袋にある。その頃は店長のP'Bunや彼の奥さん、料理人夫婦に「学生さん」と呼ばれながらタイ語を教わっていた。週1回食べるタイ料理も楽しかった。毎週土曜日はその店に4〜5時間は居座っていた。 昨日P'Bunが突然電話して来て「今タイにいるから今晩御飯一緒に食べようよ?」と 誘われた。いくら何でもその日約束のその日お出かけは私も忙しい身なので断り今日合うことになった。富士レストランで日本食を食べた後バンカピにいるタイ人の友達の家に連れて行かれた。いきなり知らない友達に紹介されるのはタイではよくあること。当日にいきなり遊びに誘われることもよくあること。P'Bunのお友達のP'Boyは人材派遣会社を経営していて私が日本人でなんちゃってタイ語と英語が喋れると聞くと興味を持ったみたいで「じゃあ、履歴書送ってよ」って言われた。いや、別に働く気はないんですけど。まあ、断るのもなんなのでとりあえず履歴書を送ることになった。帰りに家まで送ってもらってるときP'Bunに「彼から経営のノウハウを教われるよ」って言われた。別に自分でビジネスする気もないんですけど。 9月22日(日) 中華街のお祭り 昨夜寝付けなくてベットでゴロゴロしていると夜中の1時頃にいきなり隣の部屋から大音響でX-JapanのForever Loveが流れてきてかなりいらいらした。なぜX-Japan?私に対する嫌がらせとしか思えない。殺意を覚えたね。 今日は中華街でお祭りがあると聞いたのでアメリカ人女、日本人の女の子と出かけた。ヤワラートという中華街のメイン通りがずっと歩行者天国になっていて両側を屋台が埋めていた。私たちは飲茶、チャオグアイ、ホットドック、ソムタムなどを食べて、その後獅子舞を見た。私とアメリカ人女が並んでソムタムを注文しているといきなり隣に並んでいた中国人の親父が英語で「ソムタムの食べ方を知ってんだね」って訳わかんないこと言って「俺たちはあそこのホテルで食事をしているから一緒に行かないか」ってナンパしてきた。そりゃ誰だってソムタムの食べ方ぐらい知ってるよ、しかもいきなりホテルかよ。ああ、気持ち悪い、人を売春婦かなんかみたいに扱いやがって。これだからアジア系の親父は気持ち悪いしうざいんだよね。 9月23日(月) 愛しの君の主演映画 タイに来て最初に見たドラマの主人公が今の私の最高のお気に入り。彼はHugoという名前で母方のおじいさんが王族の血を引く人で外国人と結婚していなければ王様になっていたかもしれないほどの人なんだって。お母さんはイギリス人とタイ人のハーフ、お父さんは確かイギリス人。ちょっと前にテレビでスターお宅拝見をやっていて、そこですごい豪邸に住む坊ちゃんだと言うことも確認済み。私が彼を好きなのは血統のよさだけではなく、とにかくかっこいいのさ。背も高いし、顔もかっこいいし、憂いをもった感じの目もともいい感じ。ちょっと私の妄想が入ってるので8割引きぐらいで聞いていただければ。そんな彼の唯一の欠点は体毛が濃いことぐらいかな。昔の日本人が毛唐とはよく言ったもんだというほど濃い。 そんな愛しの彼の主演映画が20日から始まったので学校帰りに見に行った。”999−9999”というタイトルのホラー。最近タイ映画はホラーが流行みたい。英語字幕がついていたので話の筋は理解できた。ただ、内容はどうしょうもない映画だった。家に帰って来たらすっかり忘れてしまったぐらい。つっこみどころだけは満載で一緒に行った日本人の女の子と「なんでそこでギターを弾くかな」とか「ありゃあばずれ女だね」とか楽しく語り合えた。Hugoがかっこよかったので全て許す。それにしても「ダイアモンドの心を持った男」といい「999−9999」といい、いくらかっこいいからといっても仕事は選ぼうよ。 9月24日(火) 3分間スピーチ 今日は各自3分間タイ語で何の話でもいいので話すように言われた。私はとっても人前でスピーチするのがとてつもなく嫌い且つ苦手。会話は平気なのだけど場所を与えられてスピーチしろなんて言われた日にはとてもじゃないけど生きた心地がしない。普段はこんなにネタ持ちさんなのに案の定つまんない話しかできなくて場を盛り下げてしまった。私が話終わったときのシーンとした雰囲気は居心地がとても悪かった。ああ、私のばかばか。 他の人はそつなくこなしていてうらやましい。友達がイラン旅行中睡眠薬を飲まされ身ぐるみ盗まれ夜中に砂漠で目が覚めた話とかタイ人とのドロドロ恋愛バトルとか興味深い話ばかりだったた。今私の密かな注目株になりつつあるインドネシア人女はインドネシア人のタイ人感について語っていた。すごかった。「インドネシアではタイ人の女の人は魔法があると思われています。なぜならあそこで風船を膨らましたり、瓶の栓を空けたりするからです。」って言ってた。いや、それは曲芸ではあるけど魔法ではないだろう。魔法ってなんなんだろう魔法って。確かにアメイジングタイランドではあるけど。彼女は他にもイラク人男に「イラクにアラジンはいますか?」って質問していた。でもイラク人男もイラク人男で「います」って返事してた。訳わかんないよ。そのイラク人が何を話したのか気になるところだけどどうしてもトイレが我慢できなくてイラク人男のとき席を外してしまい彼の話を聞き逃してしまった。残念。 9月25日(水) 先生の休み 先生が体調を崩して休みだったので私のクラスが二つに別けられそれぞれ他のクラスと一緒に勉強した。私はアメリカ人女や攻撃的なイラク人男のいるクラスに入れられた。11人の大人数だったので発言しにくくて嫌だった。私とペアの方のイラク人男はもう一つのクラスに別けられたはずなのになぜか私と一緒のクラスにいた。ペアだから? 攻撃的なイラク人男はお昼休みも相変わらず攻撃の手を緩めることなくアメリカ人女に果敢に挑んでた。「君は怒りっぽいよね」とか「恋人の子供を2人も引き取って育てられるの?」とか「自分の過ちを認めないよね」とか。なんで普通の話題を提供しないんだろう。ちなみに彼はコ・サメットで犬を狩る発言をした人。 9月26日(木) 再び病院へ アメリカ人男は「知らない」を授業中連発する。例えば税金の話のとき先生が「アメリカでは消費税やVATは何%ですか?」と聞くと「知らない」って答えてた。そんなはずないだろう。普通に生活してれば知ってるって。みんなが色々質問してようやく最終的に6%とだということを聞き出した。昨日も各国の政治の話をしていて「ブッシュのアメリカでの地位は何ですか」と聞かれ「知らない」って言ってた。大統領でしょ。その前は「アメリカで10代の子供について一番の問題は何ですか」って聞かれて「知らない」ってまた言ってた。麻薬問題とか中絶問題とかなんでもいいから問題提起をすればいいのに。 昨日の夜から目が腫れてお岩さんのようになってしまったのでまた病院に行った。それにしてもまるで保険料を取り戻そうとするかのようによく病気になるので嫌になって来た。今日は眼科のおじいちゃん先生に見てもらった。ヒロシにはもう当分合わなそう。診察の結果単なるものむらいだったので塗り薬をもらい帰って来た。さすがに3回目になると慣れたので待ち合い室で無料ジュースを飲んでくつろいでいた。本当にこの病院は素晴らしい。落ち着く。 9月27日(金) イサーン鍋 授業中アメリカ人男が突然私の方を向いてドラえもんのノートパッドを上下に振りながらドラえもんの歌を歌いだした。余りにもびっくりして「ドラえもん好きなんだ」っていう普通の感想しか言えなかった。何なんだよ。アメリカ人女も「彼って話せば話すほど変わり者だって思いが強くなって来た」って言ってた。変わり者度ではインドネシア人女も負けていない。授業中に破傷風の話が出たときにスウェーデン人のおじちゃんがよくわからなかったらタイ語で「足の裏に傷があるとき裸足で馬の糞を踏むとなる病気です」って説明してた。なぜ馬の糞?しかも裸足?タイ人の先生も笑い過ぎでしゃべれない程うけてた。でもインドネシア人女はいたって真剣なんだよね。後で彼女に「なんで馬の糞なの?」って聞いたら「学校でそう習ったの」って言ってた。インドネシアの学校、興味深い。 夕方はクラスメートや日本人達とまたイサーン鍋に行った。イサーン鍋の後はみんなでハブに行ったんだけどそこにいたイラク人男やその他男達がそわそわゴーゴーバーに行きたそうだったのでプレッシャーに耐えきれなくなり私と女の子の友達は早めに切り上げて帰って来た。何が楽しいんだか。 9月28日(土) 再びアメリカ人女とチャトチャック アメリカ人女とチャトチャックにまた買い物に行った。私は本当にほぼ毎週行っているのでそのついでに彼女のお見上げ買い足しにつきあった形。彼女はまたアルバム4冊、象の置き物5頭、変な人形のついたキーホルダー一袋(なんか一番もらって困るような感じのもの)、皮製の操り人形3つを買っていた。私は部屋に飾るポプリと先週も買ったパンを買って帰った。 最近私はチャオ グアイという亀ゼリーみたいなものに凝っている。今日もチャトチャックで買って食べながらお店をうろちょろ見ていた。私は食べ物に対する好奇心が強いのでいろいろチャレンジしてる。タイ人の子に「食べ物の名前を言うときはタイ人見たいな発音だね」って言われた。学食のおばちゃんにも「発音いいのね」って言われた。普段は言われたことなくて食べ物の名前を言うと「発音いいね」って言われることが多い。前出のタイ人の女の子に「普段の会話の発音は?」って聞いたら「う〜ん。食べ物の発音はとってもクリア」って微妙なことを言われた。まあ、自分の興味あることから少しずつ覚えておけばいいよね。 9月29日(日) ドリームワールド タイ人の学生に誘われてランシットにあるドリームワールドという遊園地に行った。戦勝記念塔から高速冷房バスに乗って約1時間。行く前は結構ばかにしていたんだけど大きくて乗り物もヴァイキング、フライング カーペット、ジェットコースター等結構充実していた。でもやっぱり隅々のつくりはタイ人の作った遊園地という感じだった。 一つ一つの乗り物を回す時間が長過ぎ。ハリケーンの場合日本での1回分が終わるとDJが「もう一回載りたい?」みたいなことを聞いてそのままもう1回分乗せてくれる。オクトパスに乗ったときはくるくるいつまで経っても止まらないので酔っちゃった。ウォータージェットコースターもすごくて水しぶきのあがり方が尋常じゃない。みんな背中がびしょぬれになった上無意味に出口付近に滝があって更に濡れた。気持ち悪かった。とどめはグランドキャニオンという乗り物で丸いタイヤみたいなのに8人位乗って川を下って行くようなものだった。待っているとき降りてくる人降りてくる人みんなびしょぬれなのでいやーな予感はしていたんだけど、この乗り物は濡れるために作ったとしか思えない。タイヤが傾く度に下から水が入ってくるし、両脇からも無意味に水鉄砲みたいなのが出てくるし、滝みたいなものもあるし。顔の化粧が落ちて、髪が洗いたてみたいになり、ジーンズもびしょぬれになるほど濡れた。どうりでタイ人は短パンとTシャツの軽装をしているはずだ。その格好で夜まで過ごすことになったので寒くてしょうがなかった。これって水着で乗る乗り物だって。タイ人は遊ぶときは徹底的に遊ぶのでびしょぬれのまま夜6時頃まで遊び続けていた。もうみんなよりかなり大人な私は疲れた。最後の方は見学のみ。 ドリームワールドはタイ人の夢の詰まった場所だった。遊園地なんだけど何かが日本と違った。タイ人のセンスが光ってた。もう二度と行くことはあるまい。 9月30日(月) クジラの話 授業で珍しいものを食べた経験の話になった。いつの間にかクジラの話になり、スウェーデン人のおじちゃんが「日本人がクジラを捕獲するからクジラが絶滅寸前なんだ。なんであんなかしこい動物を食べるんだ」って発言した。この発言が私のツボを押してしまってかなり白熱して反論しちゃった。何より私はファランの何でもかんでも動物愛護っていう考え方が大嫌い。活け造りは残酷だとか犬を食べるのは残忍だから止めろとか、ある国の食文化は正しくてある国の食文化は正しくないっていうのもおかしくない?じゃあ、トナカイ食べるなよって言いたくなるよね。私だってその動物を食べることによって絶滅してしまうのなら保護すべきだと思う。でもクジラって今なら数を制限しながら捕獲すれば絶滅の危機にはならないというデーターがあるっていう記事を読んだことがあるし「この動物は頭がいいから食べちゃ駄目、これは頭悪いから食べてもいいよ」っていう理論はとっても自分勝手な考え方だと思う。頭がいいって何が基準な訳?人間でしょ?それこそ人間の思いあがった考えだよ。ファランが人の文化に対して偉そうに評価をくだすのは辞めて欲しい。これはとってもある意味政治的な話かな。 クジラの話の後イラク人男が「中国では猿の脳みそを活け造り(っていうのかな)食べるらしいです」って言って「生きたまま箱にいれて頭を開いて。。。」と詳細に説明していたら突然アメリカ人男が「オエッ」って言ってすごい勢いで教室を出て行った。びっくりした。猿の活け造り想像しちゃったんだね〜。以外と繊細なんだ。トイレから戻って来た後もまだ「蛇の生き血が好きな人が頭に寄生虫が沢山寄生していた」とかゲテモの系が続いていたのでちょっと可哀想だった。でもこういう人に限って後で「猿の活け造り反対!」って短絡的にNGOを立ち上げちゃったりするのかもね。 |
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