2002年7月 インテンシブ初級1〜初級2
 

7月1日(月) 大人数の授業

昨日まいちゃんがテレビと冷蔵庫がロータスからきちんと配達されたか心配して電話をかけてきた。大丈夫。届いた。P'Puiも確認のためロータスに土曜日に電話してくれたみたい。でもロータスの違う支店に電話をかけてしまい、しかもお店の人に「配達リストにありませんよ」といわれて腹を立てマネージャーまで呼び出してしまったらしい。「後で勘違いだと分かったけどすごい恥をかいちゃった。」と言ってた。気持ちは嬉しいからまあ落ち着いて。

午前中の授業の途中で他のクラスが急に合流して13人の大所帯で授業が行われた。他のクラスで学生が気分が悪くなり先生が彼女を医務室に連れて行ったため。13人は多すぎ。人が多すぎてみんなあまり喋る機会がなく語学学習にはいまいちだった。先生も焦ったのか時間を忘れてお昼を30分過ぎても授業をしていた。やっぱり語学学習は少人数の方が効果があると思う。


7月2日(火) 復習の日2

クラスメートのイラク人は政府から翻訳者育成のために派遣されているため奥さんと子供を国に残し頑張っている。今日は1週間の復習で1人が前に出て与えられた単語をタイ語で説明し他の人が単語を当てるゲームをした。イラク人男の最初の単語のヒントは「先週の金曜日先生に頼まれてれいことマーケットにケーキを買いに行きました」。それだけ?っていうかそれヒントじゃなくて単なる事実説明だよ。答えは「甘い」と言う単語 。む、難しい。次の単語のヒント「今日のお昼に食べました」。答えは「鳥肉」。何食べたか知らないって。つっこみどころ満載の難問続々だった。その後「クラスメートがあなたの国に遊びに行ったらどこに連れて行きますか?」という質問にみんなが順番に答えていった。イラク人男のお勧めは「サダムタワー」。名前だけで行ってみたくなった。100階建て以上の建物で最上階には回る展望レストランがあるそう。魅力的すぎる...

午後は動物の鳴き声の話になった。最初先生が「日本ではブタはなんと鳴きますか」と聞いたときはまだみんな比較的まともだったのに、そのうちみんな競うように江戸家猫八ばりに物まねをし始めてすごかった。教室中に「ブヒー」とか「キキキキ」とか異様な音が鳴り響いてた。みんなおかしいってことに気付こうよ。


7月3日(水) ちょっとだけ政治的な話

午前中の授業は政治的な話で盛り上がった。きっかけはアメリカ人女がイラク人に「アメリカ人のことどう思ってる?サダムフセインをどう思う?」と聞いたことだった。私もずっと気になっていた質問!イラク人はアメリカ人を特別に敵視はしていないこと、サダムフセインに不満は持っていないこと、でも支持をしている訳でもないことを彼は英語でとうとうと語っていた。なかなか普通の回答だとは思うのだけど私は「イラク人はアメリカ人を特別に敵視はしてないよ。」と言った後「アメリカ人みたいにね。」とちっちゃい声で言っていたのを聞いちゃった。どこの国も複雑な感情を持ってしまう国ってあるよなと思った。ほら、日本人だって韓国に対するときは微妙だし。

日本に対するイメージもテーマになり、みなさん異様にほめてくれた。勤勉、時間に正確、まじめ、マナーがいい等。こういうステレオタイプのイメージは私達海外にいる日本人から受ける印象から作られる部分も多分にあると思うので海外にいるときも行儀よくしましょう。旅の恥はかき捨てでは決してありません。

今日の授業はなかなか楽しかった。やっぱりアメリカ人はよく自己主張するね。日本人も負けられない。でも英語のスピードについて行けないみたいでみんなあまり喋らないんだよね。クラスで気になってる男の子(そう言う意味じゃなくてね)がいて彼は本当に喋らない。指されても黙り込んでずっと考えているし。「黙っていたら何を考えているか分からないから片言でもなんでもいいから言えばいいのに」とおせっかいおばさんの私は思うんだけど何だろうね。多分恥ずかしがっているんだとは思う。でも語学の勉強は恥ずかしがっていたら終わりだよね。間違ってもいいから喋らないと。私の英語もタイ語も間違えだらけだけどもう恥ずかしがる年はとっくに過ぎたみたい。昔はこれでもちょっと恥じらっていたのに。


7月4日(木) お化けの話

授業でお化けの話になった。日本人の女の子がシーウィー博物館に行ってお化けに会ったという話をしたのがきっかけ。この博物館気持ち悪い。「切断された腕、胎児とかのホルマリン漬が沢山あるところだ」ということをリアルに丁寧に先生が説明してくれた。行った子によると日によって死体解剖に出くわすらしい。そこは病院の付属施設で医学生の勉学のため設立されたけど、日本人の観光客に人気だそう。地球の歩き方にも載ってた。それにしても悪趣味過ぎ。医学生でもない観光客が好奇心がてらみてもしょうがないでしょ。その後クラスメート達はお化けをあそこで見たとか寝てるとき金縛りにあったとか嬉しそうに話していた。タイ人はお化けの話が大好き。稲川じゅんじを連れてきたら受けること間違いなし。日本人もお化けの話が好きな人いるよね。でも私そういう話興味ないのでまったくもってつまらなかった。なんでみんなお化けの話が好きなんだろう。

学校帰り電車に乗ってるとき豪雨が降り始めた。ホームにいても吹き付けてくる程の雨だった。こういうときは無理やり傘を差して歩いても濡れてしまうだけ。熱帯の雨なので1時間もすればやむはず。タイ人は屋根のあるところでよく雨宿りしていり。私もしょうがないので最寄り駅で40分ぐらいずっとお菓子を食べながらぼーっとしてた。雨が降ると嫌なのは虫が湧いてくること!アパートの部屋の中にもコバエをはじめ、蟻、羽蟻、よくわかんない虫が飛び交っていて腹が立った私は殺虫剤をまいてしまった。閉め切った部屋の中でまいたので気分が悪くなった。ああ、また窓を開けなくては。でも窓を開けるとまた虫が。。。。悩み深き夜。


7月5日(金) カラオケ

相変わらずおかま先生2号の勢いは止まらない。まいちゃんもチュラ大の文学部出身なので聞いてみたら先生のことを覚えてた。先生はまいちゃんの上級生だったけど学生時代から有名だったので記憶に残っているらしい。そのことを先生に言ったら「私有名だったの?きっと珍しいあだ名(*注参照)だったからよ。」と自分のあだ名の由来を話しだした。生徒はみんな「いや、そのキャラクターだろ」って心の中でつっこみつつ話を聞いていた。つっこみを入れるような暇もないトークなんだな。願わくはもうちょっとタイ語で喋ってくれると勉強になるんだけどほとんど英語。

授業が終わってから日本人の友達とタイ人の学生とカラオケに行った。タイ人がhitomiやChemistryを日本語で流暢に歌うのでびっくりした。今度は私もタイ語の歌をマスターして披露しよう。練習練習。

*注:タイ人は本名で呼び合うことはほとんど公式の場でしかなく職場などではすべてあだ名で呼び合ってる。あだ名は名前の一部を取ったものから生まれたときに両親がつけたものまで様々。レック(小さい)、エーン等ポピュラーみたい。ボールとかゴルフとかもいる。お友達のまいちゃんも「新しい」と言う意味のあだ名。ちなみに日本人の友達でサラパオ(お饅頭)と名付けられた子がいる。なぜなら顔が丸いから。他に太ってるからソムオー(ザボン)とつけられた人もいたりして結構失礼なつけ方される。私も付けてもらったけど「れいこ」と言うのはタイ人にとって発音し易いみたいでそのまま名前で呼ばれる。もしくは「白鳥麗子だ」とおもしろがられる。


7月6日(土)瞑想教室

王宮近くにあるワットマハタートで開かれているMeditation Courseを見学しに行った。王宮付近は電車が通っていないのでバスで行った。バスは普段私の通り道ではない官庁街や古い町並みを通って行くので楽しかった。ワットマハタートの周りは道ばたで沢山お守りを売っていることで有名。今日も怪し気なおじさん達が熱心に道に座り込んでお守りを物色してた。私も霊験あらたかなお守りを買いたいと狙っているんだけど怪しい親父の世界っぽく見た感じ素人には入りがたい世界だった。 帰りにその通りを通ったらお守り屋さんは警察の摘発にあい店仕舞いしていた。そんな場面初めて見たのでちょっと感動。警察も一応頑張っているのね。Meditation Courseはせっかく行ったのに建物に誰もいなく無駄足で帰ってきた。普通バスで往復2時間もかけたのにな。

タイではショッピングセンターに有料体重計がおいてある。通り道に体重計があったので1バーツ払って乗ってみた。日本にいた時とまったく変わっていなかった のでがっかり。


7月7日(日)クラスメートと日本料理に行く

日本料理を食べに行きたいと言うイラク人男の要望によりスクムウィットまでクラスメート総勢7人+他のクラスのアメリカ人男と食べに行った。6時集合だったのだけど20分前に行くともう4人は既に来ていたのでびっくりした。みんなまだタイ時間ではないんだね。優秀優秀。

楽しかった。特にアメリカ人男。ばかっぽくってからかいがいがあった。なんか本当おかしな人なんだよね。イラク人男はウナギの握りが気に入ったと言ってた。でも日本人からすると料理はいまいち且つ値段は高めだった。久しぶりに飲みんだよ。ビール、日本酒、ラム&コーク、シェリーブランデー。お酒が入って盛り上がっていた私たちは2次会のバーで「よーし、これからカラオケだ!!」と気勢を上げていたけどさすがに明日授業があることを年長者の私が思い出しカラオケは金曜日になった。更になぜか大いに盛り上がった私たちは今度の休みにアンコールワットに行くことまで約束して家路に着いた。


7月8日(月)宴の後

昨日の飲み会の余韻か3名が大幅に遅刻して来た。私も眠かったので学食でコーヒーを飲んだけど授業中目を開けているのが大変だった。しかも日本料理店に傘を忘れたので取りに戻らないといけないしさ。ばかだ。

今日の授業は体の特徴に関してだった。「○○さんはどんな人ですか?」という質問に対し 「赤色の長そでシャツを着てます。背が小さくてハゲています」というように回答をして行くの。そのうち先生が「じゃあ、他のクラスの人の特徴をあげて下さい。誰がいいですか」というのでイラク人男が「Mさん」と言ったまでは良かったんだけど実はMという子は2人いるんだよね。先生は「どっちのMさん?特徴をあげて下さい」と質問したので日本人一同がちょっとためらっているうちに先生はみんなが心の中で思っていたことを言ってしまった。「太ってるほうのMさん?」そりゃみんな心の中では「太ってるMか?痩せているMか?」とか思ってはいたよ。でもさすがに日本人は「そんなこと言えないよな」と思っていたのにタイ人は気にしないみたい。先生は言ってしまった後に「ああ、言っちゃったよ」という日本人の雰囲気に気付き「あ、太ってるというかぽちゃぽちゃしてるほう。」ってフォローしてた。遅いよ。


7月9日(火) 悩み所

日本人のクラスメート2人がタイ語が上達しないことに焦りを感じるとか、タイ語に疲れてきたって喋っていた。ちょっとホームシックになっているみたい。私は未だ日本食も日本も恋しくなっていない「可愛げのない奴(by某H氏)」だけどそれは2回めだからかな?そのうちすごいホームシックになるだろう。

私は「英語がわかるからまだいいよね」って言われることがあるんだけど英語は使えるけどなんちゃってだしな。それに英語が喋れることがタイ語の学習にプラスなのかどうかは疑問。クラスメートと意志の疎通を図るのは英語だし授業も英語だけどさ、お昼御飯を食べているとき等に「タイ語の勉強に来ているのになんで私英語ばっかり喋っているんだろう」って疑問に思うときもあるんだよね。しかも最近クラスメートのアメリカ人女と仲良くなったので日常のほとんどを英語で過ごしるし。それはそれでお得だなとは思うけど私のタイ語はいつになったら上達するのか?って心の中で焦ってる。親友のまいちゃんとも英語で喋ってしまうのでタイ語で喋る友達がまだあまりいない。タイ語を家やテレビで地味に勉強しているけど使うときがないと言葉は覚えるのが難しい。勉強計画をしっかり建てないと目的を果たせないまま日本に帰ることになってしまう気がする。


7月10日(水)Mr.アンバサダー

今日はクラスメートのアメリカ人男についてちょっと一言。
彼の両親はタイ人だけど彼自身は生まれも育ちもアメリカ。両親はタイ語で話し掛け彼は英語で答える生活を送っているそう。従ってタイ人がしゃべることは完全に理解しているけどしゃべるのは苦手みたい。お父さんはお医者さんと言っていたのでぼっちゃんなんだね。ちょっと尊大な感じがして私は近寄らないようにしている。政治学部で政治的な話が大好きなのでおかま先生2号に「Mr.アンバサダー」って呼ばれてる。彼について他の人はどう思っているのかと思い友達のアメリカ人女に聞いたら「ああ、私たちアメリカ人の中でも威張ってるし女好きだから嫌われているよ」って言ってた。 そんな彼は女の子大好き。「プーケットの女の子は美人ぞろいだ」とか「チュラ大の文学部は可愛い子がそう多い」とかそんな話題ばっかり授業でしるから私はジョークで言ってるんだろうなと思ってたんだけど、ある日そんな話をしてる彼を見たら目がうっとりしてた。あ、まじだったのね。女の子に関してはいままでガールフレンドがいたことない頭でっかちなぼっちゃんなんだけどね。

夕方からはまいちゃんと食事に行った。まいちゃんが前に行ったことのあるイサーン料理店に行ったけどいまいちだった。オーナーが変わったらしく店の名前も変わっていたみたい。人もまばらでお客さんも少なかった。二人ともちょっとブルーになってしまった。しかも音楽が大き過ぎ話していることがお互いに聞こえなかったしさ。タイはどうも音楽や生バンドの音が大きすぎる店が多いので嫌だ。立川グランデュオにあったイタリア料理店を彷佛とさせる。ああ、ローカル過ぎて分かる人が少ないな。


7月11日(木) 卒業式

今日と明日はチュラ大の卒業式。一般の学生は授業がないけど私たちは特別なのでいつも通りの授業だった。タイの卒業式には白いシースルーのガウンを着るのが一般的。後輩や家族が大勢駆け付け花束や人形を贈る。大学までの道の脇には花や人形の屋台がぎっしり出ていた。すごいのは写真で、1人平均フィルム10本は軽く撮ってしまうそう。専属のカメラマンを雇い偏光板まで使って写真を撮ってる人もいた。女の子の化粧も凄く気合いが入っているけど気合いが入り過ぎて日本だとどっかのパブかクラブで働いていそうなお姉さんばりになっていた。

チュラ大は国立大学なので王族が卒業証書を授与しに来る。1995年までは王様御自身が様々な大学で授与されていたけど現在は高齢のため王女様や皇太子が来るらしい。チュラは王女様が来た。


7月12日(金) 卒業式その2

学部毎に日程をわけているので2日に渡っているので今日もチュラ大は卒業式だった。さすがに2日目になると物珍しいのも飽きて来る。1年生は同じ学部の卒業生を見つけると卒業生を取り巻いてチュラ大の歌をがなりたてそれにより学部のための寄付金を卒業生から募るんだけど人が多くてイライラしている私をこの歌が更にイライラさせるんだよね。ただ叫んでいるだけで全く持って歌には聞こえずただの騒音としか思えない。しかもこれをあちらこちらでやっているものだから「いいかげんにしろ!」って言いたくなる。タイの大学生はやっていることがかなり子供っぽい。

夜はまたクラスの人たちと飲みに行った。やっぱり金曜日の夜は遊ばないと!今日は先週のお返しでアメリカ人女と他のクラスのアメリカ人男が私達をメキシカン料理に連れて行ってくれた。お酒の名前が凄かった。Blow JobやScreaming Orgasmとか...アメリカや本場メキシコでも本当にそんな名前らしい。このBlow Jobというのはショットなんだけど特別な飲み方があってメキシコにも留学したことのあるアメリカ人女の指導により女の子はみんなその飲み方で飲んだ。それにしても冷静になってみると下品だったな。


7月13日(土) 今日も宴の後

お昼頃までぐっすり眠って洗濯、お風呂場の掃除を済ませ午後からサヤームに行ってきた。特別な目的があったわけではなく暑い家にいるよりも涼しいお店で勉強でもしようかなーと思っただけ。それとちょっと気になることができたのでコーヒーを飲みながら考え事するのもいいなと。目的は果たしてきた。

夜眠れなくてぼーっとテレビを見ていたらSilly Foolsのボーカルが突然ライブで歌いはじめた。「おお、生は始めて見たぞ」と思ってその番組を見続けていたら歌は1分ぐらいで終わってその後ボーカルは変なクイズのネタにされて、そのクイズもすぐに終わってしまい気付くとドリフのコント見たいなのに巻き込まれていた。かっこいい系で売っているバンドなんだから仕事は選ばないと。

気付くとお財布の中身が400バーツほどしかなくなってた。日本円にして1500円ぐらい。お金をおろさないでこれで何日生活できるかやってみよう。


7月14日(日) 親の臑をかじる人々

タイ人に「お父さんがお金だしてくれてるの?」って聞かれてびっくりした。だって27にもなって親のすねかじるか失礼な!?って思うよね、普通。先生によるとタイ人はいつまでも親にお金を出してもらうのが当たり前だそう。結婚しなければいつまでも親と住むのが普通、というかそれが子供としての義務だし大学生であってもアルバイトする人は少ないそう。「アルバイト=親がお金を持っていない」と社会的には考えられるので親のほうがバイトを恥ずかしがってさせないんだって。先生曰く「これだからタイの男はいつまでたっても自立しないのよ」。何となく納得。しかもタイ人は子供に甘い。甘過ぎる!子供を可愛がっていると言うよりは甘やかし過ぎて駄目にしているとしか私には思えない。でも子供は両親に対して私たち日本人より(というより私より?)はるかに親の希望に沿うようにして人生を決めている。それも場合と程度によるよね。そういう意味でタイでは自立した人って少ないのかもしれない。私自身は学校卒業したら経済的にある程度は自立しないとと思うからさ(他はかじってたりするけど)。なんてったって私の卒業した大学の教育方針は「自立した女性を育てる」だもんね。


7月15日(月)いつものこと

私は大学を卒業してから精神的に「よーし、大学院に留学するぞ!」と意気込む時期と「やっぱりやーめた。違うことしよう」と言う時期を行き来しる。タイに来たのは「違うことしよう」という時期だったけどタイに来たら「よーし、大学院に留学するぞ」と言う気にまたなってきた。多分私の古き友達達はみな「また言ってるよ」と画面の前で思っていることだろうけどその通り。告白します。はっきり行ってこっちに来たときには将来に対するヴィジョンはあまりなかった。そのままタイで暮らしてもいいし、日本に帰ってタイ語関係の仕事を探してもいいし、と思ってた。でもこっちに来てアメリカ人のクラスメートと話していると欲が出てきて「もっといい仕事がしたい!」と思うようになった。ということでちょっといろいろバンコクでやれることがないか調べはじめたところ。
以前私には長期的な将来設計がないと言われたけど確かにその通りかな。思いつきで計画を話して思いつきで計画を変更してるとも言われた。全くその通り。きっと付き合いの長い友達なら「あ、あのことか?」「あれも思いつきだったんだろうな」ぐらい簡単に思い浮かぶだろうし。私は思いつき&直感でここまで生きて来た気する。そして、きっとこの性格は死ぬまで変わらないだろうし。来週には「やっぱりやーめた。違うことしよう」の時期に入っているかもしれない。とにかく私が目指しているのは常に向上心を持ち且つ精神衛生上楽しい生活。

私と友達でいるための教訓:れいこの話は話半分に聞いておこう。

友達のリクエストにより今週一周間食生活をレポート。
朝:トースト、メロン(昨日の残り) 計0バーツ
昼:ラーメン、チャーイェン 計20バーツ
夜:蒸し卵、豚肉のつみれ 計20バーツ
おやつ:コーヒー、チョコレートクロワッサン 計70バーツ


7月16日(水) 大丈夫?

「この人たちはだまされてないか?大丈夫か?」と思うこと。

[アメリカ人女の場合]
彼氏はアメリカ在住タイ人。32歳。離婚歴1回、2人の子供あり。
この人の場合別にタイ人の男とはどんなものか知らなければ何も問題には見えない。でもタイの男は普通じゃない。ほとんどのタイ人女性曰く「タイの男はジャオチュウです」。ジャオチュウとは複数の女の人とつきあう男の人と言う意味。これって単なるステレオタイプの見方だと思うでしょ?でもまじなんだよね。本当にタイの男はまめに複数の女の人とつきあってる。私自身タイの男に関して周りでいい話なんて聞いたことないし。逆に「本当にそんなことってあるんだ」っていう手の話がゴロゴロしてる。ある日本人の運転手さんの話。彼の奥さんもその日本人の家でお手伝いさん(妻1号)として雇われていた。運転手と妻1号の間には子供もいて私も写真を見せてもらったことがあえう。ところがその運転手は田舎に一人(妻2号)、バンコクにもう一人奥さん(妻3号)がいたそう。それがある日ばれて妻3号が日本人の家にまで乗り込んできて妻1号と修羅場を演じたそう。ひえ〜。
こういうタイの男の話をしょっちゅう聞いている私としては「アメリカ人女の彼は2人の子供の妻と本当に別れているのか?」という疑問が湧いてくる。でも彼らは大学卒業したら結婚する気らしい。

結論。このカップルは彼が「ジャオチュウ」ではないタイ人男なのかもしれない。

[マレーシア在住インドネシア人女の場合]
彼氏はインド系スコットランド人。彼女は26歳、彼は21歳。
最初は何も背景を知らなかったので「彼が大学を卒業したら二人でタイでレストランを開くの」とか聞いて「あら、うらやましい」ぐらいしか思わなかったんだけど話を聞けば聞くほど大丈夫なのかな〜という気になってきた。彼女の家族はマレーシアでゲストハウスを運営している。彼は2年前にそこのお客さんとして泊まったそう。そして二人は恋に落ち?それ以来つきあっている(彼女曰く)。2年前の数日以来全く会っていなくメールのやり取りだけ。これってどうよ。インドネシア人女は見るからに純情そうなので心配。

結論。彼等はまれに見る純愛カップルなのかもね。

こんな風に穿った見方をしている私が腹黒?まあ、恋愛は個人の自由だし意見を求められたわけでもないので口は出さないけどさ。人の恋愛話の心配をしているより自分の相手を探さないと。

今日の献立
朝:トースト2枚* 0バーツ
昼:野菜いためと御飯、チョコレートケーキ半分 55バーツ
夜;ブタの唐揚げ、メロン 30バーツ
おやつ:マックでコーラ 22バーツ
*13枚入り21バーツのものを冷凍してトースターで焼いてる。


7月17日(水)まだ一か月なのに難しすぎる

朝学食で落ち着いて一人でコーヒーでも飲もうと思いいつもより家を早く出た。それなのに学食を歩いていたら早速タイ人の女の子に見つかり一緒に飲むことになった。「まあ、2人ぐらいならいいか」と思っていたら次にクラスメートのインドネシア人女に大声で呼ばれそこの机にいた他のクラスの2人とも合流することになった。「いつのまにか5人の大所帯だよ」と思っていたら日本人男がめざとく私たちを見つけ、ついでにアメリカ人男まで加わって合計7人で朝御飯を食べるはめになってしった。朝ぐらい静かに1人でぼーっとしたかったのに。朝から人に気を使うのは疲れるからいや。

昨日から授業が結構シリアスなテーマになってきて面白い。昨日は宗教について今日は王制についてだった。先生は「日本人はなぜ無宗教なのか」「日本人は天皇をどうでもいいと思っているのはなぜか」「自殺をしてはいけないと考えるのは宗教的理由ではないのならなぜか」とかかなり私の心をくすぐる質問をしてくるけど何せタイ語なもんで満足に意見を言えないのが悔しい。「日本人は無宗教と言うけど信仰を意識していなくても行動基準や価値観は仏教理念や土着信仰に影響を受けています。第2次世界大戦以降の教育によって宗教が腫物のように扱われている影響もあると思います」なんて1か月しか習ってないのにタイ語じゃ言えないね。途中からついつい英語になってしまうけどそれじゃだめだよ。。。反省反省。

今日の献立
朝:トースト1枚、メロン(昨日の残り)、アイスコーヒー 5バーツ
昼:餅米、鳥の唐揚げ 15バーツ
夜:蒸し卵、メロン 20バーツ
おやつ:コーヒー、スコーン 65バーツ


7月18日(木) 電話回線不調

一昨日から電話がかけられなくなり、かなりイライラした。今日アパートの管理人に直してもらっただけどまた夜になるとかからなくなったらやだな。原因不明。ネットに繋げないとどんなに寂しいかと言うことがよくわかった。

家の近くのカフェでコーヒーとおやつを食べながら勉強するのが快適でゆっくりできるので最近お気に入り。でも冷静になってみると高い。だって、1日の主食代は3食あわせても50バーツもいかないのにカフェでお茶すると軽く70バーツは越えるんだよ。日本円にすると300円もいかないからどうってことないんだけどこちらに暮らしているとついつい物価もこっちの感覚で計算してしまう。以前バイクタクシーのドライバーと2バーツ(6円ぐらい?)で争ったことがある私は実はとっても経済的なの。この場合ケチとは決して言わない。

今日の献立
朝:トースト1枚、タップティンクロップ(クワイをタピオカでくるんだものをココナッツミルクに入れたデザート) 5バーツ
昼;バミーヘン(汁なしラーメン)、チャーイェン 20バーツ
夜;サトー豆ととり肉の炒め物、御飯、メロン(昨日の残り) 25バーツ
おやつ:たまごパン 12バーツ


7月19日(金)進級試験

進級試験。開始はいつも通り10時。私はいつもの時間に家を出て駅に着いたんだけど理由は分からないけどいつもなら5分間隔で運転している電車が15分も来なかった。しかも電車が来て乗り込んでも5分ぐらいドアを開け閉めし続け出発ないし。タイ語で車内放送をしているけど私には最後の「ご迷惑をおかけして申し訳ありません」しか聞き取れず不安になった。これじゃ10時に間に合わない。学校の最寄り駅に着いたときは既に9時50分だった。駅から学校まで頑張って歩いても10分以上はかかるからしょうがないのでバイクタクシーに乗った。20バーツもする上に恐いのであまり乗りたくなかっんだけど背に腹は代えられない。いつもの授業なら遅れても何ともないけどテストに遅れるとヒアリングパートが終わっちゃうし、先生の冷たい視線が凄いらしいとの噂を聞いていたのでしょうがない。バイクタクシーのお兄ちゃんに「急いで急いで!10時には必ず大学に着かなきゃ駄目なの!!!」と喝を入れつつ道順を指導したらどうにか10時には学校に着いた。それにしても出だしから不吉な予感がして嫌なんだけど。案の定10分ぐらい遅れて来た人はヒアリングパートを2、3問聞き逃していた。

進級試験は聞き取り、文章作成、会話問題がある。問題は思ったより簡単だった。ただ会話は難しかった。60%以上正解しないと落とされるのけど多分大丈夫だと思う。結果は月曜日に学校に電話して確認。今日はこれから打ち上げに行ってくる。クラスのみんなでイサーン料理にいく予定。とりあえず試験が終わったのではればれ。


7月20日(土)偶然の出会い

スタバでお茶をしてから伊勢丹をうろちょろしていたら偶然まいちゃんがお母さんと買い物をしているところに出会った。私はお茶をする以外何も目的なくぶらぶらしていたのでまいちゃん達に合流し一緒に買い物につきあいうことになった。まいちゃんは洋服を3着も買ってた。そういえば前から買い物好きでばんばん散財する人だった。

1時間ぐらい買い物をしてから車に乗り込み帰り道の途中にある「おとこマーケット」に行った。名前は怪し気だけど普通の市場で私の家の近くではおいしいものが沢山売っている市場として有名。以前から名前はインパクトがあるので聞いていたけど行くのは初めてだった。そこでまいちゃんとお母さんは夜御飯を買って行くと言うので私も何か買おうと思ってついて行ったんだけどまいちゃんのお母さんもまいちゃんに負けず買い物好きだった。行く店行く店で「れいこ、これを食べなさい。」っていろいろ買ってくれるんだけどどう考えても私が一人で食べきれる量じゃないんだよね。今日の夜御飯にナムトックムー、餅米、ムーピン(ブタの串焼き)を買ってくれ、その後果物屋台で「辛いものを食べた後は体の熱を下げないとね」って言ってマンゴスチンを1kgも買ってくれた。ジュース屋台では生のにんじんジュースを2瓶も買ってくれた。しかも「生だから2日以内に飲むのよ」と言われた。無理だから。一応私とまいちゃんは「1人暮らしだから食べきれない」って抗議したけどお母さんはどこ吹く風でばんばん買ってくれた。どこの家庭でもお母さんはおせっかいやきなんだね。ありがとうございます。頑張って食べます。

今日の献立
朝&昼:クワイティアウ・トムヤム(濃い味付けの米麺)、水 29バーツ
夜:ナムトックムー(豚の東北風サラダ)、餅米、ムーピン、マンゴスチン、にんじんジュース(まさににんじんそのままでまずかった) 貰い物なので無料
おやつ:スタバでキャラメルマキアート 確か80バーツぐらい


7月21日(日) バスでの出来事

タイのバスは真ん中のドアのすぐ後ろの2人掛の席はお坊さん優先席。もしお坊さんが乗ってきたら譲らなければいけない。私はそこの席の窓側にタイ人の男と同席していたけど途中からお坊さんが乗ってきたので立って譲らなければならなくなってしまった。席を譲ってから立っていたらタイ人のおじさんが「ここに座りなさい」と意図不明ながら譲ってくれた。断るのも何なのでありがたく座ることにした。時々こういうおじさんや、荷物を持ってくれるおばさんがるんだよね。

以前何番バスが目的地に行くか分からなかったのでとりあえずうろ覚えの行きそうなバスに適当に乗ってみて車掌に聞いたら「サイアムスクエアには行かないよ」と言うので次で降りたら料金は請求されなかった。タイ人に聞いてみたらバスを乗り間違えたら普通は料金を請求されないんだって。なんていいシステムなんだろう。しかも乗り間違えたバスを降りたら後ろにいたおばさんが親切に「このバス停から○○番のバスに乗ればサイアムスクエアには着くよ」と教えてくれた。ちょっとした親切なんだけど外国で受けるとかなり嬉しい。


7月22日(月) テスト結果

先週の金曜日の進級テストの結果を事務所に電話をして聞いた。おかげさまで100点中96点で合格。これで晴れて来週の月曜日から初級2のクラスに進る。安心したところで以前からの懸案事項だった日本語図書館に行ってきた。せっかくバスで1時間もかけて行ったのに私の興味を引く本はなく、雑誌も週刊新潮や週刊朝日ぐらいしかなかった。そんなおやじ雑誌に目を通して1時間ぐらいで帰ってきました。でもナンシー関の記事が見れたのでまあ目的達成。

帰りは同じ番号のバスに乗ったけど偶然特別ルートのバスで民主記念塔までしか行かなかった。私の家は民主記念塔より北にあるのでこれでは家に着けない。私はうっかりバスの横にある「民主記念塔で引き返します」という赤い看板を見落としてたみたい。結局民主記念塔から歩いて乗換所まで行くのが面倒なので電車に乗ってしまった。これなら最初から電車に乗れば良かった。

今週は授業が休みなので明日からコ・サメット(コ=島)へ3、4日遊びに行ってくる。メンバーはいつもの如くクラスメートのアメリカ人女、イラク人男、他のクラスのイラク人男、日本人男、日本人女、私の計6名。日本人は私以外英語が喋れず又メンバーはみなまだタイ語ではコミュニケーションがとれない状況なのでかなり微妙。まあ、ネタづくりということで。


7月23日(火)サメット島に出発

東バスターミナルからバスに乗りサメット島に向かった。朝9時にエカマイ駅で待ち合わせをした。私は一番乗りでその後アメリカ人女、日本人男、日本人女、イラク人男2人の順で待ち合わせ場所にあらわれた。アメリカ人女はすごく時間にきっちりした人でいつも10分前には必ず来てる。アメリカ人女の荷物が異様に大きいので「アメリカンサイズだ」ってみんなにからかわれてた。往復チケットを買いバスに乗り込み3時間でサメット島の対岸のバンペーに到着。サメット島へはそこから船に乗って更に40分。

サメット島ではパイ湾のバンガローに泊まった。女の子3人で部屋を取り一人200バーツだった。部屋はお世辞にも清潔と言えなくバックを置いてふと床を見るとすぐそばでゴキブリが死んでた。蚊も沢山いて本当に泣きたくなった。と思ったのは私だけではなくてアメリカ人女も部屋を移りたがって結局夜の7時頃に翌日泊まるところをてくてく15分ぐらい歩いて探しに行った。隣のサイゲオビーチにはきれいな宿があったので私とアメリカ人女だけここに移ることになった。微妙に別れてしまった。そしてここからはアメリカ人女の独壇場となっていくんだな。夕食を食べているときに後から来たタイ人女と日本人男のカップルが合流して8人の大所帯になった。その後みんなでバンガローの近くにあるバーで飲んだ。アメリカ人女すごい。酔うとみんなを踊りに誘いバーのステージで踊ってた。すごいから。本当に。でも私も調子に乗って2時頃まで一緒にいた。その後は3時頃までバンガローで下らない話をしてました。


7月24日(水)アメリカ対イラク

朝10時頃遅い朝食を取り私とアメリカ人女は引っ越しをした。その後ビーチで遊んでいる他の人に合流しタイマッサージを受け至福のひとときを過ごした。

昨日から微妙にアメリカVSイラクが目立ってきてハラハラする。きっかけはイラク人男が野良犬を蹴る真似をしたこと。アメリカ人女は大の動物好きでそれが許せなかったらしく「私こういう問題にはとっても繊細なんだからね。真似だけでもすごく許せない」ってことをとうとうと語りだし一瞬雰囲気が険悪になった。でもこのときは10分ぐらいだんまりが続いただけだった。そして今度は夕方に食事の席で別のイラク人男か狩りが趣味でイラクではよく犬やウサギを狩っている話をし始めた。「普通さ、さっきの蹴る真似の反応からみてそんな話題持ち出さないだろ」って日本人は誰もがそう思ったけどイラク人男はおかまい無しなんだな。「ハンティングは楽しいぞ」ということをずっと話しているのでアメリカ人女がまた切れて「生活のため以外のただの楽しみだけのハンティングなんて許せない」って反論を始め二人で火花散らしてた。日本人は誰もが「イラク人め。よけいな話題持ち出してやがって。アメリカ人も流せよ〜」って思っていたんだけどなんせ日本人なもんでみんなで「早く終わんないかな〜」って黙って見守ってた。ハンティングの話題が落ち着いたと思ったら今度は違うイラク人男が「俺は女は嫌いだけど生きて行くためには女は必要だ」とすごく失礼なことを言うし。だから場を見て話題を持ち出せ!これはさすがに私も流せなくてすごく反論してまた場を盛り下げてしまった。アメリカ人女は腹にすえかねてもう喋らなくなってるし。ああ、疲れる疲れる。

アメリカ人とイラク人はやっぱり根本的なところで文化があわないんだね。どっちかがちょっと譲るか避ければいいだけの話なのにどっちもそんなことしそうもない人たちだとよーくわかったよ。


7月25日(木)置いて行かれた二人

今日のお昼頃みんなで帰る予定だったけどアメリカ人女と私は置いて行かれた。なぜって?私達二人は二日酔いでとても船とバスを乗り継いでバンコクまで帰ってくる気力がなかったから。昨日の夜はスペシャルバケットが無料でもらえるというのでSilver Sand Barで飲んだんだけどこのバケットがただもんじゃなかった。ちっちゃなバケツに入って4、5人で飲むようになっているんだけど中身がレッドブルと言う強壮剤と多分コーラとタイのウイスキーが入っていた。そんなに飲んでいないのに具合が悪くなり1時頃バーを後にして一人で日本人女の子の部屋で寝たにも関わらず朝起きたらすごい二日酔いで歩くだけで吐き気がした。アメリカ人女はすごくパワフルだった。朝2時頃私の様子を見にきて私が「気持ち悪い」っていうと"It's gonna be OK, baby"ととってもアメリカンなコメントを残しまた飲みに行っちゃたし。何なんだよ。他の人の話によると彼女はその後みんなをダンスに誘ったり無理やり飲ましたりした後一人で4時頃までDJと話していたらしい。翌日朝8時頃ふらふらになりながら私が泊まっている日本人女の部屋に来て私と宿まで戻って行った。宿までは普通に歩けば10分もかからないんだけど2人ともご老人のようによたよた歩きなので通常の倍以上かかって宿まで着くとそのまま夕方の4時頃まで眠ってた。そんな私とアメリカ人女を残して他の6人は帰って行った。さみしい。。。

ところがアメリカ人女の本領は発揮されきっていなかったんだな。夕方4時頃2人で食事を取り8時頃までぼーっと海を見て過ごしていたら「9時からバーで飲むから一緒にいてくれない?」って言うんだよ。「寂しがりやなのは分かるけどもう嫌だよ。まだちょっと気持ち悪いんだけど。」って言ったんだけど許してくれず結局彼女が一杯飲み終わるまで付合わされた。さすがにつきあいきれなくなって私はお酒は飲まないで彼女を見守り30分程で彼女を置いて帰ってきた。結局彼女が部屋に帰ってきたのは翌朝の5時半。何やってんだか本当に。パワフルなんだから。

私の頭を駆け巡っていたのは杏里の「思いっきりアメリカーン」という歌だった。


7月26日(金) やっぱり家が一番

朝の10時頃起きるとアメリカ人女と私は朝食を取りバスに乗って帰ってきた。私はさすがにお酒はすっきり抜けてるけど風邪を引いたっぽく道中ずっと気持ち悪かった。一方アメリカ人女は5時半まで飲み遊んでいたので道中ずっと気持ち悪いって言ってた。そりゃそうだろう。自業自得。でも私が彼女に「今日は私一人でも絶対に帰るからね」って言っていたので彼女も「一人にしないでよ〜」って頑張って一緒に帰って来てた。

バンコクの家に着くとほっとした。旅行もいいけどやっぱり家が一番落ち着く。3日ぶりに清潔なシャワーとベットを満喫でご機嫌!!


7月27日(土)再びワットマハタート

ワットマハタートで仏教に関する講習があると噂を聞いて行ってきた。3時からお寺の中にある仏教大学内の集会所のようなところでお坊さんによって英語で講義がされた。ちなみに私は信心深い訳ではなく宗教関係の話を聞くのが好きなだけ。

今日のテーマは「カンマ(業)とは何か」だった。お坊さんの英語の癖が強くて基本を知らなかったら眠ってたかも。参加者は私以外ファラン(注参照)だった。質問の時間になるとみんな活発に発言していたけど私はいまいち質問する気になれなかったんだよね。どうも質問自体が枝葉末節でどうでもいいことに私には思えたんだよね。要するに一言で言えば「因果応報。現世は前世の業によって決まり来世は現世の業によって決まる」ってことなんだけどどうもファランにはこの思想自体を理解することできないみたいだった。なんだかんだいったって日本人は仏教の思想に影響を受けているんだなということ再認識した一日だった。

このお寺では瞑想教室もやってるけど私は瞑想で自分の精神を鍛えるよりも話を聞くのが好きなので今後瞑想教室に通うつもりはない。やじ馬根性みたいなもんだね。講義が終わるとワットアルン(暁の寺)から来ていたお坊さんとお友達になりバス停までお話を伺いながら帰ってきた。有意義な時間だった。

注:外見が白人系の人はアメリカ人であろうとドイツ人だろうとみんなファランと呼ばれる。逆にアメリカ人であっても外見がアジア系だとファランとは呼ばれずただのアメリカ人と呼ばれる。語源はアユタヤ時代に最初にタイに来た白人系がフランス人だったためフランスがなまってファランになったと言われているらしい。果物のグァバも同じ綴り、同じ発音でファランというけど関連性は不明。私はグァバは実が真っ白だからか?と密かに疑ってる。


7月28日(日)美容院

日本にいるときは「髪伸ばします」って宣言していたけどついに暑さに耐えきれず切りに行った。以前の経験からタイの美容院はろくなもんじゃないとは知っていたのでとりあえず流行の最先端を行ってるはずのサヤームに切りに行った。前から目を付けていたMBKというショッピングセンターに入っているロレアル直営店に行った。ここなら少なくともカラーはちゃんとやってくれるかなと思ったの。

料金表がなくどうしようかと入り口で迷っていたらお店の人が来て「カットとカラーで1600バーツですよ」と教えてくれた。「日本と比べると安いんだけどこっちの物価からすると高いな〜。私のアパートの下に入っている美容院はカット150バーツって書いてあったぞ。」って思って黙って悩んでいたら向こうが勝手に「じゃあカット&カラーで1500バーツでどうだ」ってまけてくれたのでとりあえずこの店で切ってもらうことにした。担当の美容師さんは多分おかまのお兄ちゃんだった。「どうするの?」って言うから「ショートにして」って言ったら途端に切り出した。あわてて「スタイル聞かないの??」って言ったら「短くでしょ」っていってまた切り出すから焦った。「写真写真!」って騒いだら漸くカタログみたいなの持ってきてくれた。私が意中の写真をさすとちらっと見てまたおもむろに切り出した。しかもカミソリで。「なんでハサミ使わないの。」って聞いたらお気楽に「後で後で」って流されちゃったし。大丈夫かな。眼鏡はずされたから詳細が分からないまま20分ぐらいでカット終わっちゃった。早いぞ。その後1時間半ぐらいでざざっとカラーも終わった。出来上がりはまあ恐れていたほど変ではなかったので安心したけど写真と全然違うし。今回は本当に日本に帰りたくなった。半年頑張ったけどまた黒髪ショートにもどしちゃった。

思わぬ出費だったので帰りは地道にバスで帰ってきた。民主記念塔を過ぎたところで私の乗ったバスが後ろからバイクに衝突された。バスはバス停に泊まっていたのでバイクの運転手も大した怪我はなかったけどいろいろ交渉があるみたいで10分ぐらいバスは道に止まったままだった。車掌の「待ってて下さい」という言葉を信じて待っていたら、後ろから同じ番号のバスが来て他のタイ人がそのバスに乗り換えはじめたので私も一緒に乗り換えた。前のバスの乗車券を見せるとそのままお金をとられずに乗ることができた。なるほど、そういうシステムなのか。


7月29日(月)初級2

9日あった休みも終わり今日から初級2が始まった。クラスは初級1の時と同じで3クラス。メンバーもほぼ同じだけどそれぞれのクラスに新しい人が入ってきた。全部で4人新メンバーがいるみたい。うち2人は日本人、後はスウェーデン人1人、ノルウェーとタイのハーフ1人。私のクラスには日本人の男の子が新たにメンバーとして加わった。まだ喋ったことがないのでキャラがわかるまでちょっと様子見状態。初級2からは読み書きの勉強も始まった。午前中に読み書きの練習、午後はいつも通りに会話の練習。それにしても宿題の量が多い。手が腱鞘炎をおこすような勢いで沢山書かされた。

先週から新しいドラマを見始めた。タイトルは「鉄の馬野郎」。辞書で引いて直訳したらこんなタイトルになってしまった。私の直訳が間違っているのだとは思うけどまあ雰囲気はそんな感じ。でもやっぱりアホっぽい響きが拭えないのは何故?野郎っていうのがいけないんだな。まるで「特攻野郎Aチーム」みたいだもんね。私は高校生の頃「特高野郎Aチーム」の大ファンだった。頑張ってオリジナルの英語バージョンで見てた程好きだった。それにしてもドラマの主役の女の子が腕の毛がぼうぼうで気になる。ドラマの内容よりもそれが気になっちゃって、ずっとドラマの間中「いや〜、濃いな。」って気が散る。そういえば有名な歌手も腕の毛がぼうぼうだってことを思い出した。みんな気にしないんだね。でも芸能人だからお手入れしたほうが、少なくとも脱色したほうがいいんじゃないと思うのは日本人だけなんだろうか。


7月30日(火)同性愛者に対する認識

私の友達からの素朴な疑問「なぜタイは同性愛者が多いの?」
今日はまじめな話なのでおかまとはあえて呼ばない。同性愛者です。そして下記はあくまでも私の意見。

タイが特に同性愛者の割り合いが多い訳ではなくタイが同性愛者に対して寛容だから世間的に「同性愛者です!」って名乗りやすいだけだと思う。同性愛者にとってこの国ほど暮らしやすいところはないでしょう。性転換は安く且つ高水準。同性愛だということを周りは自然に受け入れ、大学、会社、軍隊でだって普通に勤められる。「同性愛者にとって」と限定すればタイは偏見のない国だと思う。私も女装の先生がいることなんてなんとも思わなくなった。デパートの店員や大学生なんて同性愛者がいて当たり前。なんでかわからないけどタイ人は同性愛者はそういう人って受け入れ普通に共存している。すばらしい。

以前何かの本で読んだんだけど世界中どの国でも同性愛者の割り合いというのは同じなんだって。大学時代に友達が「同性愛者は遺伝子的要因によって決まるっていう論文読んだよ」って言っていたので生まれついてのその人の個性であると言ってもいいのかもしれない。ただその国が同性愛者に対して社会的にどう接しているかという違いだけだと思う。同性愛の話になったときインドネシア人女は「そんな人は私たちの国にはいない」って嫌そうな顔をしながらいってたし、イラク人は「イラクでは即刻逮捕で6か月精神病院で矯正される」って言ってた。イスラム系の国の人たちは同性愛者に対しある種の宗観念に基づく嫌悪感があるみたい。インドネシアやイラクがそんな環境ならたとえ同性愛者であってもそうだって言えないよね。「そんな人」と呼ばれ生まれ持っての性向なのに「逮捕」とかされちゃうんだよ。日本だってあるときはキワモノ扱いされ、社会的には差別されてると思う。会社勤めの人が堂々と「同性愛者です。」ってComing Outして化粧して会社来たりしないでしょ。

ちなみにタイでも他のことに関しては差別や偏見はある。ある人は「ベトナムはまだまだ発展してないんだからベトナム人はタイ人より劣っている」と発言してた。ラオス人のことも田舎者って馬鹿にしてる。また黒人に対しての偏見も強い。普段自分が感じないからといって、どの国にもその国が抱える問題や差別偏見はあると思う。日本が見習うべきところがあるのは確かだけどタイが同性愛者以外全員にとっても天国であるとは私には思えない。


7月31日(木) 路上の人々

タイの路上には沢山の乞食がいる。乞食と呼んで差別にならないのかな?勉強不足だから分かんないや。ホームレス?でも日本のホームレスと違って物乞いしてる。まあ、とにかく彼等はある人は手や脚がなく、ある人は子供を抱えている。タイ人はお金をあげるのか、この人たちについてどのように考えているか気になっていたらちょうど授業中にその話になった。以下は先生の話。

タイの乞食はそのほとんどがギャングの支配下にあり日当を貰って乞食をしている。あるタイのテレビ局が以前、乞食の一日を隠しカメラで撮ったものを放送したそう。早朝乞食はギャングの車から降り物乞いを始める。ギャングの一員は乞食を物陰から見張っている。ある程度お金が集まるとギャングがやってきてお金を回収してしまう。夕方になると乞食はギャングと共に車に乗り帰って行く。そもそも手や脚がないのも子供のうちに誘拐してきて切ってしまうからだそう。5年前に誘拐された我が子が乞食をしているのを見つけ救い出したときには両手とも切られてなくなっていたという実話もあるそう。親子の乞食もそのほとんどが本当は親子ではないらしい。また、乞食はそのほとんどが死にそうな様子でお金を乞うているけどあれは演技だね。以前友達と道を歩いていると脚のない乞食がスケボーに乗ってすごい勢いで道を渡って来たのに私たちを見たとたんに死にそうな演技を始めお金を乞い始めたし。どう見たって演技だってわかるって。元気なとこ見ちゃったもんね。今日見た乞食は犬5匹とあひるを引き連れてた。あひるもギャングの派遣なのか??

私たちがお金を寄付し続ける限り誘拐もギャングの乞食ビジネスもなくならない訳だからお金はあげないほうがいいと思う。先生によると例外は子供の乞食なんだって。彼等はラオスやミャンマー、カンボジアから国境を超えてタイにやって来ているから。タイ語も「お腹すいた。御飯を買うからお金ちょうだい」ぐらいしかわからないそう。そんな子供達にはお金ではなく本当に御飯を買って与えるのがベター。でも「じゃあ、御飯買ってあげるから」って言うと「本当はお腹すいてないからお金がいい」という子もいるらしい。もう一つの例外は働いている乞食。目の見えない人が道端で歌を歌っていたりするけどそういう人は働く意志があるのでまあお金あげてもいいかなという気には確かになる。ちゃんと目が見えなくても宝くじや飴を売って商売している人もいるんだけどね。

ちなみに私はこういう人にはもともとお金をあげない主義。