退魔忍者深雪〜セーラー服と忍者刀〜




 翌朝。
 深雪は小太郎と一緒に登校しようと、小太郎が部屋から出てくるのを待っていた。
 えっ? いつの間にそんな仲になったんだって?
 違う違う。そんな乙女チックな理由じゃないんだよ。
 深雪が小太郎を待っているのは、学校へ向かう前に昨夜の催眠術の効き具合を確かめる
ためなのだ。
 最初に催眠術を掛けたときは微かに記憶が残ってしまったようなので、今回も効きが悪
ければ、もう一度念入りに催眠術を掛け直すつもり。
 それでもダメならその時は……。

 ガチャッ

 扉を開けて小太郎が出てきた。
「あっ、有賀さん」
「おはようございます、風間さん」
 最悪の考えを頭の片隅に追い払って挨拶する深雪。
「どうしたの、有賀さん? こんな時間にアパートにいたら遅刻しちゃうよ」
「はい。風間さんとご一緒させていただこうかと思いまして。宜しいでしょうか?」
「ええっ? そういうことなら喜んで」
 思わぬ申し出を受けた小太郎は八百万の神々に感謝した。
「それじゃ、行こうか」
「はい」
 歩き出す二人。
 遅刻しそうなので少し早足。
「ところで有賀さん。昨日は良く眠れた?」
「ええ。ぐっすりと」
 微笑む深雪。
 忍者の圧縮睡眠法はいつもグッスリ。
「風間さんは?」
「うん。グッスリ」
 照れながら答える小太郎。
 どうしてグッスリだったのかは深雪だけが知っている――はず。
 どうやら催眠術は完璧のようだ。
 でも、それだけでは安心できない深雪は念のためにさり気なく話を切り出してみる。
「それでは、昨夜のことはあまり覚えていないのではありませんか?」
「有賀さんが忍者ってこと?」
 しっかり覚えているでござる!
 思わず叫びそうになる深雪に小太郎はお気楽に説明する。
「実は半分ぐらい忘れてたんだよ。でも、ズボンのポケットに入ってたコレを見て思い出
したんだ」
 小太郎は昨夜拾った八方手裏剣を取り出して見せた。
「そ、それを知っていながら、どうして風間殿はいつも通りにしているのでござる
か!?」
 小太郎の手から手裏剣を素早く取り上げ、ゴザル言葉に戻って訊ねる深雪。
 でも、小太郎は、
「えっ? だって、忍者でも有賀さんは有賀さんだし」
「忍者でも……わたしはわたし?」
「うん」
「……そうでござるか」
 小太郎が深雪に好意的なのは、深雪が忍者という事実を知らないからだと思っていた。
 もしも忍者だと知られれば、小太郎は自分から離れていくに違いないと考えていた。
 深雪が小太郎に正体を知られたくなかったのは、忍びの掟というよりむしろ、小太郎に
嫌われたくなかったからなのだよ。
 それなのに小太郎は……。
「最後にその言葉を聞けて、嬉しかったでござるよ」
「えっ? 最後?」
「これを」
 深雪は例の物を小太郎の前に突き出す。
 四度目の登場、寛永通宝。
「もう一度、忘れて下され」
 ただ催眠術を掛け直すだけでは同じ結果になるだろう。
 しかし、深雪が小太郎の前に二度と姿を見せなければ、そう簡単には思い出さないので
はないか。
 深雪は小太郎に会えなくなるけれど、小太郎の命を救うためには自分の感情を切り捨て
なければならない。
 その覚悟はできているつもりだった。
 ところが、
「もう効かないよ、有賀さん」
 小太郎は深雪の手を取って寛永通宝の動きを止めた。
「そう何度も引っ掛からないって」
「そっ、それは駄目でござる! それでは……それでは、わたしは風間殿を斬らねばなら
ないのでござるよ」
「ええぇっ!?」
「だから忘れて下され。わたしのことを」
 なんとしても小太郎の記憶を消したい深雪。
 非情なる女忍者の目から涙がこぼれる。
 どうして?
 そんなこと知らないでござる。
 本当に?
 絶対に知らないったら知らないのでござる!
「ど、どーしてもダメなの、有賀さん?」
 葛藤する深雪に念を押して確認する小太郎。
「誰にもしゃべらないから見逃して、っていうのも?」
「もしわたしが見逃しても、他の忍者が黙っていないでござるよ」
「そんなぁ……。他に方法はないの?」
「そ、それは……一つだけあることはあるのでござるが……」
 言葉を濁す深雪。
 実は、記憶を消さず、殺さずに済む方法もあったのだ。
 その方法とは何か?
 もう予想している人もいるだろうからサッサと教えちゃおう。
 小太郎が深雪のお婿さんになれば良いのだよ。
 決して他人と共有できない秘密だけれど、他人じゃなくなれば共有できる。
 でも、そんなことをどうやって小太郎に伝えればいい?
 だって、『わたしのお婿さんになれば良いのでござる』なんて、まるでプロポーズする
ようなもの。
 恥ずかしがり屋の深雪には口が裂けても言えやしない。
「なーんだ。他の方法もあるんだ。どうすればいいの?」
 そんな深雪の複雑で繊細で微妙で敏感な乙女心に気が付かないお気楽者の小太郎はお気
楽に訊ねた。
「それは……」
「それは?」
「風間殿が、わたしの……」
「僕が、有賀さんの?」
「お……」
「お……?」
「……そっ、そんなこと言えないでござる!」

 ドゴッ

 深雪は恥ずかしさのあまり、思わず小太郎のアゴに掌底を叩き込んでしまった。
 か弱い女の子の掌底でもかなりの威力があるけれど、それに加えて深雪は血統書付きの
忍者。吹っ飛ばされた小太郎は後ろのブロック塀に頭をぶつけて意識混濁。
「かっ、風間殿!」
 慌てて助け起こす深雪。
「うっ、うーん……」
「大丈夫でござるか、風間殿?」
「あれ? 有賀さん、ゴザルなんて変なしゃべり方してどうしたの?」
「はい……?」
 目が点になる深雪。
 今更になってゴザル言葉を変に思うなんておかしいでござる。
 ……もしや?
「風間殿――いえ、風間さん。昨夜のことを忘れてしまったのでございますか?」
 お嬢様の演技で訊ねる深雪。
「昨夜……? 確か、サワタリに呼び出されて、九ちゃんから挑まれた決闘に勝って、そ
れでアパートに帰ったんだよね。――あれ? 他にも大切なことがあったような……?」
 記憶喪失でござる。
 しかも、都合良く部分的記憶喪失でござる。
 どうするの?
 そりゃもう決まっているじゃないか。
「それはきっと恐らく絶対に気のせいですわ」
 キッパリ断言する深雪。
「なぁんだ。気のせいか。ははははは」
 深雪に笑顔を向けられて照れる小太郎。
 これで問題はひとまず解決。根本的な解決になっていないんだけれど。
「――あっ、もうこんな時間だよ、有賀さん。急がないと遅刻しちゃうって」
 道路にしりもちを付いていた小太郎が腕時計を見て立ち上がった。
「そうでしたわ。風間さんが連続遅刻新記録を達成しては大変です」
「それを言わないでよ、有賀さん。ははははははは」
 笑ってごまかしながら走り出す小太郎。
 脇見して走ると危ないよ。

 ガンッ

 小太郎は電柱に正面衝突して目を回した。
「はぁ……。やっぱり情けないでござる」
 深雪は溜息を漏らすと、三十八回連続遅刻が確定した小太郎を見捨てて歩いていく。
 でも、チラリと振り返って一言。
「早くわたし好みの強い男になるでござるよ」
 なかなか正直になれない深雪だった。

〔終〕


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