退魔忍者深雪〜セーラー服と忍者刀〜


第七章 自分に正直


 ――五十年前。
 こ……殺せ……。
 一思いに、止めを刺せ……。
「その覚悟、敵ながら天晴れじゃな。お主ら妖怪は死しても甦るとはいえ、死を軽んじて
はいないはずじゃが?」
 もはや立ち上がる力もなく、逃げ延びることはできぬ……。
 ならば、無様に醜態を晒すよりは、いっそのこと……。
「そうか。お主、同じ狐の九分の一でありながら、本体とは違って随分と潔いのじゃな」
 ふん……。
 貴様ら人間も、一つの体に複数の人格を隠し持っているはずだ。たとえ、表に現れてこ
なくても、な。
 この僕も、そんな裏の人格の一つだ……。
 今は、貴様らに分断された妖力の一部を制御するよう主人格から切り離されているが、
所詮は影。やがて主人格に吸収され、二度と日の目を見ることはない。
 それならば……。
「なるほど。生き延びようと、今ここで死のうと、お主には未来がないわけじゃな。むし
ろ、ここでわしに殺されれば復活するまでの永い月日を己自身として眠りに就くことがで
きる。生の意思を持った自殺願望か」
 そんな大層な考えなどない。
 ……さぁ殺せ。その刀で。
「承知した。じゃが、その前に一つ教えておこう」
 ……。
「この忍び刀は、幽鬼をも切り裂き邪気を払う、霊験あらたかな退魔神刀じゃ。この刀で
倒された妖魔は、時に善良な妖怪となって甦ることがある。無論、その妖魔に欠片でも反
省の心があればの話じゃが……。果たして、お主はどうかな?」
 ……知らぬ。早く殺せ。
「良かろう。お主のこと、決して忘れぬぞ」
 ふん……。
 最期に、貴様の名を聞いておこう。
「わしの名か? わしは有賀――」


 ギンッ ガガッ

 日本刀と鉄扇が火花を散らした。
 ムサシとセバスチャンが平行に走りながら激しく斬り結んでいる。
 見た目には二本の日本刀を振るうムサシが有利に思えるけれど、優勢なのはセバスチャ
ン。
 だって、ムサシの目的はリョーコたちが待っている旧校舎へセバスチャンを誘い出すこ
とだもん。
 当初の作戦を思い出したムサシは順調にセバスチャンを誘導している。
 そりゃまぁ、セバスチャンは七不思議たちを倒して封印されている妖力を取り戻したい
んだから、ムサシが逃げれば勝手に追いかけてくる。
「ちょこまかと逃げてばかりで、まるでネズミでございますな」
「唯のネズミと思うな。『窮鼠猫を噛む』ということわざもある」
「ほっほっほっ。私は狐ですからネズミに噛まれはしません」

 ヴィィィンッ

 振動波を放つセバスチャン。
 ムサシはその攻撃を避けつつ旧校舎へ向かう。
「逃がしませんぞ」

 ゴウッ

 そのムサシの前に青い炎が。
「くっ!」
 ムサシは炎を迂回しようとしたけれど、ムサシの進路に割り込んだセバスチャンが扇の
縁で斬り付けてきた。

 カキンッ

 ムサシは刀で扇を打ち払い、仕方なく脇道に逸れる。
 ところが、三歩も進まないうちにムサシはハッと気が付いた。
「しまった! この先は……!」
「そう。この先は行き止まりでございますよ」
 前方には窓一つない校舎の白壁。
 右にはダイオキシン問題で久しく使われなくなった焼却施設。
 左には数年前に完成したばかりの小体育館。
 そして後ろにはセバスチャン。
「残念でございましたな。この私をどこかへ誘い込もうとしていたようですが、あなたは
逆に、この私に追い立てられていたのでございますよ」
「まさか……!?」
 驚愕を隠しきれないムサシ。
 校内の地理に詳しいという有利さを過信して、相手にそれを使われるとは思ってもいな
かった。
「あなた方の居場所は判っておりましたが、私は敢えて手を出さず、付近の地形や建物な
どを調べていたのですよ。直に刃を交えるこのときに備えて」
「むう……。罠にはめるつもりが罠にはまっていたということか」
「その通り。今の貴方はまさに袋のネズミでございます」
「確かに、今の拙者は袋のネズミ……。だが、ネズミがキツネを噛むこともあるのだぞ」
 改めて二本の刀を構えるムサシ。両手の刀がバチバチと、電気を帯びて光って唸る。
「秘剣、降雷剣!」

 ビリビリビリッ!

 ×を描くように刀を振り下ろすと、インド象でも黒こげになりそうな電撃が放たれた。
 打ち出された電撃は弧を描いてセバスチャンの頭上から襲い掛かる!

 バジッ!

 降雷剣を受け止め損ねたセバスチャンの扇子が弾き飛ばされた。
「今だ!」
 勝利を確信するムサシ。
「リョーコ殿には済まぬが、作戦など使わずここで倒させてもらう」
 二本の刀がバジバジと、更に強烈な電荷を纏って輝き叫ぶ!
「秘剣、昇雷剣!」

 バリバリバリッッッ!

 交差するように刀を振り上げると、今度はナウマン象でも消し炭になりそうな電撃が地
面を走る!
「扇がなければ妖術が使えないとでも思いましたか? 甘く見られたものですな。私は葉
平とは違うのですよ」
 セバスチャンは両手を突き出し、左手から旋風、右手から振動波を同時に放った!

 ビュオオオンッ!

「ぬおっ!?」
 風がムサシの動きを封じて電撃を吹き散らし、
「ぐはっ!」
 超振動がムサシの銅像の体を打ち砕く。

 ボゴッ

 吹っ飛ばされたムサシは校舎の壁に激突して崩れた壁の破片に埋まった。
「ふむ。もはや封印を維持する力も残っていないようですな」
 月明かりに照らされて地面に映ったセバスチャンの影は、尻尾が四本に増えている。
「う……ぐぐっ……」
「そのままでは苦しいでしょう? 今すぐ、止めを刺して差し上げます」
 呻いているムサシに止めを刺そうと鉄扇を振り上げるセバスチャン。

 ヒュンッ

 そこへ飛来した八方手裏剣。
 セバスチャンはハエ叩きでもするかのように扇でそれを叩き落とす。
「やはり来ましたか」
 悠然と振り返るセバスチャン。
 やって来たのはもちろん深雪。
「怪我人を放っておいて良いのですかな?」
 セバスチャンは再び深雪の動揺を誘った。
「これ以上、怪我人を出さない方が重要でござろう」
 しかし、深雪はもう挑発に乗らなかった。
「ムサシ殿から離れるでござるよ」
 手裏剣を手にしてセバスチャンを牽制する。
「ほっほっほっ。良いでしょう」
 セバスチャンはあっさり引き下がった。
「どういうつもりでござる?」
「息の根を止めるのは残りの封印を破ってからでも遅くはありません。そこの銅像が何や
ら罠を張っていたようですから、その場所に他の者たちが隠れているのでしょう」
 その言葉を残してセバスチャンは闇に消える。
「もしやリョーコ殿やルビィ殿の元へ……!?」
「み……深雪殿。早くリョーコ殿に……」
「判り申した」
 壁に埋まったムサシを残してセバスチャンを追う深雪。
「深雪殿……。後は、頼む……ガクッ」
 宮本武蔵の動像ムサシ。
 全治二週間の重傷でリタイア。


 一方、宿直室では。
 美奈子先生に無理矢理紅茶を飲まされた才瑚が大変なことになっていますが、彼女が未
成年である事情を考慮し、詳細な描写は控えさせていただきます。
 あしからず。

「遅い」
 旧校舎の前。
 美奈子先生に取り憑いて佐和子たちを宿直室に押し込めたリョーコがムサシの到着を待
っていた。
「遅すぎるわ。何をやっているのよ」
「待ち合わせですかな?」
「そうよ。忙しいんだからナンパお断り」
「誰をお待ちなのですかな?」
「だから、あなたに関係ないでしょ――って、あなたは五十年前の!?」
 振り返るリョーコ。
 そこにいたのはセバスチャン。
「ほっほっほっ。どんなに待ってもお仲間は来ませんぞ」
「どういう意味?」
 言いながらススッと間合いを取るリョーコ。
「こういう意味でございますよ」
 セバスチャンが指を立てると、その指先に電光が輝き始める。
 妖術、サンダーボルト。
 セバスチャンが指を振ると電撃の矢がリョーコを襲う!

 ピッシャアァンッ!

 雷鳴と閃光。
 第四コースの亡霊リョーコもリタイアか?
 と思ったら、地面に刺さった忍者刀が避雷針代わりになって電撃をアースしていた。
「無事でござるな、リョーコ殿?」
 シュタッと現れた深雪がリョーコに声を掛ける。
「ええ。でも、ムサシは?」
「ムサシ殿は重傷でござる」
 深雪は煙の向こうのセバスチャンの動きを牽制しながら事実だけを述べた。
「……そう、やっぱり」
 もう予想していたことなので、リョーコは取り乱すことなく理解した。
「……深雪。あいつを旧校舎の中へ誘い込みたいんだけれど、どうにかならない?」
「例の作戦でござるな。判り申した」
 小声で囁くリョーコに頷く深雪。
「リョーコ殿は先に行って下され」
「解ったわ」
 リョーコは地面に潜るように姿を消した。
 それを確認した深雪は改造セーラー服の隠しポケットから黒い玉を取り出す。
「おや? 忍者お得意の煙玉ですかな」
 ところがコレはちょっと違う。
 セバスチャンの足元に玉を投げ付けると、

 カッ!

 目映い炎が一瞬で燃え上がった。
 今のは煙玉じゃなくて火玉。
 現代風に言うと閃光手榴弾。
 炎は一気に燃え尽きてしまうけど、夜間に使えば敵の目を眩ませて効果的。
 風で煙を吹き飛ばそうと待ち構えていたセバスチャンは至近距離で閃光を見てしまい、
しばらく目が見えなくなる。
「今でござる」
 予め目をつぶっていた深雪は素早く旧校舎へ駆け込んだ。
「正面から戦っても勝てぬと理解しているようですな」
 早くも視力が戻り始めたセバスチャンは罠を承知で深雪の後を追ってくる。
「来ているでござるな」
 深雪はセバスチャンが追いかけてくるのを確認しつつ壁を蹴って廊下を直角に曲がる。
「こっちよ、深雪」
 壁をすり抜けて先回りしていたリョーコがどこかの部室から顔を出して手招きしている
のが見えた。
 深雪は気配を断ち、扉が半開きになっていたその部屋に滑り込む。
 そこへ、数秒遅れでセバスチャンがやってきた。
「ほっほっほっ。どこへ隠れたのですかな」
 深雪の気配が消えたので、即座に反撃できるように身構えながら廊下を進む。
 と、

 ジュッ!

 横手から放たれた紅いレーザー光線がセバスチャンのヒゲを焦がした。
 バッと振り向くセバスチャン。
 階段の踊り場。一枚の肖像画が壁に掛かっている。
 もちろん紅い瞳の肖像画ルビィ。
「遠距離からの狙撃とは考えましたが、鉄板を焼き切る程の力はなかったようですな」
 怪光線の威力がそれほどでもなかったことに安心したセバスチャンは鉄扇に電気を集め
つつ木造の階段を駆け昇る。
 ところが、階段の中央付近に差し掛かったところでセバスチャンの足がズブリと沈み込
んだ。
「こ、これはっ……!?」

 ズブズブズブ

 見る見るうちに、セバスチャンは膝の辺りまで階段に飲み込まれてしまった。
 その間にも断続的に発射されるルビィの怪光線がセバスチャンの身を焦がしていく。
「これは一体どうなっているのでござるか?」
 扉の陰からその様子を見ていた深雪がリョーコに訊ねると、
「ふふっ。彼こそが三本松高校七不思議の最後の一つ、魔の十三階段よ」
 魔の十三階段。
 いつもは十二段しかないのに深夜に数えると一段増えているっていうアレのこと。別の
学校には逆に一段減る親戚もいる。
「階段殿でござるか」
「ええ。彼の異空間にあいつを閉じ込めるのよ。人間を驚かすときは五分かそこらでこっ
ちの世界に帰すけれど、その気になれば二度と戻って来れなくさせることもできるわ」
「それは妙案でござるな」
 異空間に放り込んでしまえば、(次元の壁を越える妖力を持っていない限り)こっちの
世界には戻って来れない。
 妖怪は死んでも復活するので、下手に退治するよりも封印した方が安全確実なのだよ。
 でも、大人しく異空間に飲み込まれてくれるセバスチャンじゃないんだよね。
「甘過ぎですぞ!」

 ピッシャアァァァン!

 セバスチャンは自分の足元に最大出力の電撃を叩き付けた!
「ギャアァァァ!」
 十三階段は絶叫を残して木っ端微塵。
 魔の十三階段、全治二ヶ月の重体で異空間に退場。最初で最後のセリフが断末魔だった
可哀想な十三階段君に惜しみない拍手を。
「……ほっほっほっ。これで、また一つ封印が解かれましたな」
 そして、十二段しかなくなった階段には、自らの妖術でボロボロになったセバスチャン
の姿が。
 その影は、尻尾が五本に増えていた。


「マズいわね」
「マズいでござる」
 唇を噛むリョーコと深雪。
 何がマズいってルビィが大ピンチ。
 セバスチャンは自分の電撃でかなりのダメージを受けたようだけれど、自力で動けない
ルビィでは文字通り手も足も出ない。目からビームは出せるけれど鉄板を焼き切る威力は
持っていない。
「リョーコ殿は隠れていて下され」
 深雪は隠れていた部屋を飛び出すと、大きく息を吸い込んで、
「キエェェェィッ!」
 セバスチャンに向けて甲高い叫声を放った!
「うぐっ……!」
 裂帛の気合いを受けたセバスチャンの体がビクッとなって硬直する。
 忍法、金縛りの術。
 気合いと共に超音波を放って敵を麻痺させる術。
 相手が妖怪だから効果は一瞬しか保たないけれど、今はそれで構わない。
 深雪はセバスチャンの頭上を跳び越えて、ルビィを壁から外して二階へダッシュ。
「おのれ……!」
 硬直状態から脱したセバスチャンは深雪を追って動き出す。
「表に出るでござるよ」

 パリーン

 窓ガラスが割れる音。
「逃がしはしませんぞ」
 傷付いた足で階段を駆け昇ったセバスチャンは割れた窓から外へ飛び出した。
 でも残念。
 深雪はまだ校舎の中だよ。
 ただガラスを割っただけで、ルビィと一緒に廊下の陰で息を潜めていた。
「深雪、ルビィは?」
「無事でござる」
 床から顔を出したリョーコに応える深雪。
「今の機会を逃しては勝ち目はござらぬ。ルビィ殿を頼むでござるよ」
 深雪はルビィをリョーコに託すと、セバスチャンを追って夜の闇へ飛び出していった。

「あの小娘忍者、一体何処へ?」
 一足先に窓から飛び出したセバスチャンは深雪の姿を探して首を巡らせた。
 すると、深雪ではない別の声がセバスチャンを呼び止める。
「待て。セバスチャン」
 現れたのは金髪の美少年、九尾葉平。
「おや、葉平ではございませんか。尻尾は尻尾らしく、この私のしもべとなって働く気に
なりましたか?」
「いいや。僕が戦う相手は貴様だ、セバスチャン」
 葉平はセバスチャンを真っ直ぐ指差す。
「……ほっほっほっ。愚かなことを」
 セバスチャンは眉をピクッと動かすと、口調だけは穏やかなまま葉平に言った。
「ろくに妖術も使えない今の貴方に何ができるというのですか?」
「ふん。確かに、尻尾である僕は、本体である貴様の力を借りなくては妖術を使えなかっ
た。炎も風も、全て貴様の妖力だからな」
 葉平は自虐的な笑みを浮かべた。
「――だが、僕は元々、貴様から切り離された九分の一の妖力から生まれた存在だ。つま
り、貴様の妖力の一部は、今は僕自身の妖力としてこの身に宿っている」
 右手を頭上に掲げる葉平。
 同時に、周囲の木々がざわめいた。
「喰らえ!」

 ズザザザザッ!

 葉平が腕を振り下ろすと四方八方から飛んできた木の葉がセバスチャンに襲い掛かる!
 妖術、ダンシング・リーフ。
 近くに葉っぱがなければ使えないけれど、植物が豊富にある場所ならば威力は絶大。
 セバスチャンは鋭い刃と化した木の葉に全身を切り刻まれて地面に倒れる。
 でも、相手は九尾の狐(九分の五)。血を流しながら立ち上がって妖術を放った。

 ズドンッ!

「がはっ!」
 吹っ飛ばされた葉平は校舎の壁にクレーターを作った。
 妖術、グラビティ・プレス。
 十三階段を倒して取り戻したのは重力を操る妖力だった。今のセバスチャンは反重力で
空も飛べるのだ。
「ほっほっほっ。植物を操る妖力に目覚めたようですが、たかが尻尾ごとき、この私が本
気を出せばこの程度でございますよ」
「ふん……。たかが尻尾ごときに本気になるとは、貴様も底が知れているな」
 どんなにボロボロになっても口が減らない九尾葉平。
「なんですと?」
「貴様は他人の上に立つ器でない、ただの俗物だと言っているのだ。貴様はこの僕にドツ
かれている執事役が相応しい」
「お黙りなさい……!」
 怒り心頭のセバスチャン。
 しかし、葉平とドツキ漫才をしていたときの自分が、ちょっとだけ楽しかったのもまた
事実だった。
 葉平をおだてる芝居のはずだったのに、セバスチャン自身も確かに、ドツキ漫才を楽し
んでいたのだよ。
 君もセバスチャンが面白がって葉平にドツかれていると思ったよね?
 でも、セバスチャンはそんなことを認めない。認めたくない。
「……もはや貴方は必要ありません。魂魄までも打ち砕き、二度と復活できぬようにして
差し上げます」
 葉平の言葉に反論できなくなったセバスチャンは、葉平の存在そのものを消し去ろうと
した。
 そうしなければ、セバスチャンが目を逸らしてきた自分自身の矮小さを認めることにな
るから。
「これで、永遠にお別れです」
 セバスチャンが葉平に止めを刺そうと腕を向けた、その時。

 ボシュッ

 セバスチャンの足元で煙玉が弾ける。
「また来たのですか、小娘忍者がっ」
 八つ当たり気味に旋風を起こして煙を吹き散らすと、二人の深雪がセバスチャンの左右
に現れた。
 忍法、分身の術。
 二人の深雪は周囲を跳ね回り、セバスチャンを翻弄する。
「覚悟するでござる、セバスチャンとやら」
「違いますぞ!」
 セバスチャンは葉平に名付けられた執事の名前で呼ばれて激昂。
「私の名はセバスチャンではなく、し――」

 ダダッ

 セリフの途中で二人の深雪が同時に斬りかかった。
 右か左か、どちらが本物?
 実はどっちも不正解。
「後ろですな」
 セバスチャンは二人の深雪をどちらも幻覚と見抜いて振り返る。
 そこには、セバスチャンの背に忍者刀を突き立てようとするもう一人の深雪の姿が。
「いい加減に、死になさいっ!」

 ドガグラピッシャアァァァンッ!

 炎と雷の合成妖術を放った!
 深雪の体が幾条もの炎雷に撃たれて黒焦げに――ならない。
 灰すら残さず消えてしまう。
「なんと!? こちらも分身……!?」
「その通りでござる」

 ザクッ

 セバスチャンの胸を貫いて刀の切っ先が現れた。
 背後から一刺し。バック・スタッブ。
 殺気も怒気も消した完璧な隠身の術は、冷静さを欠いていたセバスチャンには見破れな
かった。
「ゴッ、ゴボッ……。こ……この私が、白面銀毛九尾狐であるこの私が、人間ごときに殺
られるとは……!」

 ボムッ

 セバスチャンは断末魔代わりに呪詛の声を上げ、煙のように消え去った。
「自分以外の全てを、自身の一部分さえも見下そうとしているそなたに、初めから勝ち目
などなかったのでござるよ」
 深雪はセバスチャンの最期を見届けると片膝を付いた。隠身の術だけならともかく、一
度にたくさん分身を作ると精神的に疲労するのだよ。
「やったわね、深雪」
 そこへリョーコが出て来て深雪に労いの言葉を掛ける。
「疲れているでしょう? すぐにフローラを呼んでくるわ」
「それでは頼むでござる」
 刀を収め、リョーコが戻るのを待つ深雪。
 でも、深雪はふと気が付いて、セバスチャンが消えた辺りを振り返る。
 なんと! セバスチャンが巨大化して復活!
 なーんてことはないから大丈夫。
「……気のせいでござるな」
 そこにあるのは夜の闇だけ。
 人は何故に暗闇を怖れるのか?
 だって何か出そうだもん。
 それは、人に備わった想像力。
 想像力は創造力。
 人の心が妖怪を生む。
 人が暗闇を怖れる限り、妖怪がこの世から消えることはない。
 人が妖怪を信じる限り、妖怪はあの世から何度でも甦る。
 しかし、人々が妖怪に抱いている想いが変われば、邪悪な妖怪でも善良な妖怪として生
まれ変わることがある。
「現世の夢を見ながら反省するでござるよ」
 深雪は、いつの日か甦るセバスチャンが改心していることを願った。

「もういいわよ。気分はどう、葉平くん?」
「ええ。もう大丈夫です」
 フローラに礼儀正しく応える葉平。
 葉平は癒しのキッスで傷を治してもらったのだよ。
 どーして葉平を治してやるのかって?
 踊るピアノや骨肉コンビに大ケガさせたのは事実だけれど、セバスチャンの口車に乗せ
られてやったことだし、最後はセバスチャンに立ち向かっていたし、おまけに美男子だか
ら、今回は許してあげようってことになったのだ。
 なんだかんだ言ってハンサムに弱い七不思議女性陣。
「本当にありがとうございます。許していただいたばかりか治療までしていただいて、感
謝の言葉もありません」
 傷の治った葉平がフローラや深雪たちに頭を下げる。
 葉平はエエカッコシーだから、どんなに落ち込んでいても女性の前では礼儀正しくなっ
ちゃうのさ。
「ところで、これからどうするつもりでござるか、九尾殿?」
「しばらく旅に出ようと思います。自分自身を見つめ直す旅に」
 深雪の問い掛けに遠い目になって答える葉平。
「ですが、いつの日かセバスチャンが復活して再び愚かな行為を繰り返すつもりならば、
僕は必ずこの町へ戻り、僕の手で奴を止めてみせます。セバスチャンは、僕の分身ですか
ら」
「そうでござるか。それは頼もしいでござるな」
「だったら、ワタシが封印してる妖力をプレゼントするね。葉平くんだったら使えると思
うから」
「ちょっと、フローラ!」
「そんなことを勝手に決めないで下さい」
 軽率なフローラを諫めるリョーコとルビィ。
 ちなみに、リョーコが封印しているのは水を操る妖力、ルビィが封印しているのは光と
影を操る妖力、フローラが封印しているのは魅了の妖力だよ。裏設定だったけれど。
「いいえ。そのお気持ちだけで充分です」
 ところが、葉平は首を左右に振ってフローラの申し出を辞退した。
「妖力に頼らずとも強くなれます。深雪さんの恋人に教えられましたよ。一介の人間であ
りながら正々堂々と僕を打ち負かした、あの風間小太郎に」
「なっ!? 何を言っているのでござるか! 風間殿は恋人などではござらぬ」
 例のように真っ赤になって否定する深雪。
 でも、誰も深雪の言葉を信じていない。
「それでは、さようなら深雪さん。そして、七不思議の皆さん」
「近くに来たら遊びに寄ってね(は〜と)」
「ええ。そうしますよ。――そうそう。深雪さんのゴザル言葉は直した方が良いと思いま
すよ」
 最後に余計な一言を残して、葉平は三本松町を去っていった。
 翌朝のホームルームで美奈子先生から九ちゃんの急な転校を知らされた二年C組女子一
堂がガッカリする話は、ストーリーの都合上カットさせていただきます。
「さてと。これで一件落着ね」
 葉平の後ろ姿が見えなくなったところでリョーコが言った。
 すると、フローラはゼロ円スマイルでリョーコにウィンクする。
「まだ落着してないでしょ。早くムサシくんもヒーリングしてあげなくちゃ。ほっぺにチ
ュッって」
「ムサシはそんなに重傷じゃなさそうだから放っておいても構わないわよ」
 先にムサシの様子を見てきたリョーコは冷ややかに断言したけれど、フローラはリョー
コの心もお見通し。
「心配しなくてもダイジョブよ。リョーコちゃんがラブラブのムサシくんを奪ったりしな
いから」
「なっ!? 何を言っているのよ! わたしは別に、ムサシなんて眼中にないわ。絶対に、
完璧に、これっぽっちも」
 亡霊なのに真っ赤になるリョーコ。
 リョーコと深雪は似た者同士だったのだよ。
「もう五十年近くあの調子なのですよ、リョーコさんは。見ているこちらが焦れったくな
ってきます」
 深雪がどうしたものかとリョーコとフローラの言い合いを見ていると、ルビィが絵の中
から話し掛けてきた。
「わたくしたちは寿命がありませんから、何年待っても良いのですけれどね。――でも、
あなたは人間なのですから、早くしないとお婆さんになってしまいますよ」
「はぁ」
 あいまいに相槌を打つ深雪。
 小太郎の顔が脳裏に浮かんできちゃったりなんかしちゃったけれど、それは忍者の精神
防御で即座に振り払った。
「では、深雪さん。今夜は失礼いたします」
 絵の中で頭を下げるルビィ。
「グッバイ、ミユポンちゃん。また明日ね」
 そのルビィを抱えたフローラ。
「そのうち水泳でリターンマッチするわよ。待っていなさい、深雪」
 未だに頬が赤い亡霊のリョーコ。
「また今度でござるよ」
 そうして七不思議女性陣と別れた深雪は一人、新校舎の屋上へ。
 そこでは、小太郎が深雪を待っているのだ。


「……風間殿。風間殿」
 屋上で眠りこけていた小太郎に呼び掛ける深雪。
「うーん…………あ、あれ? 有賀さん?」
 小太郎は半分寝ぼけていたけれど、やがてハッとして飛び起きる。
「あっ! 無事だったんだね、有賀さん。悪い人はやっつけたの?」
「倒したでござるよ」
 小太郎の問い掛けに凛々しい笑みで応える深雪。
 悪い人じゃなくて悪い妖怪だけれどね。
「それより、風間殿こそ、体の具合は?」
「うん。大丈夫だよ。良く解らないけど眠ってる間に治っちゃったし。ははははは」
 笑って答える小太郎。
 そのほっぺにフローラのキスマークがあるのは言わずもがな。
「そうでござるか。では――」
 でも、重大な決意を小さな胸に秘めていた深雪はキスマークに気付かずに、胸ポケット
から例の物を取り出す。
 再び登場、寛永通宝。
「忘れて下され」
 催眠術で過去一時間の記憶を封印。


「……風間さん。風間さん」
 屋上で眠りこけていた小太郎に呼び掛ける深雪。
「うーん…………あ、あれ? 有賀さん?」
 小太郎は半分寝ぼけていたけれど、やがてハッとして飛び起きる。
「あっ! 無事だったんだね――って、何が無事なの?」
 首を左六十度に傾ける小太郎。
 深雪を心配していたはずなのに、何を心配していたのか思い出せない。
「夢でも見ていたのではございませんか?」
「そうかな?」
 深雪に言われて小太郎は再び頭をひねったけれど、どんな夢を見ていたのか思い出せな
い。
「九ちゃんと決闘したところまでは覚えてるんだけど……それから何か大事件があったよ
うな気が……?」
「いいえ。風間さんは九尾さんとの決闘に勝ったものの、疲れ果てて眠ってしまったので
すわ」
「なーんだ。そうだったんだ」
 と、小太郎が納得したところへ、
「ミユポーン、いるー?」
「おーい、コタロー。返事しろー」
「私の亀甲占いでは……まだ屋上にいるはず」
 佐和子、大介、才瑚の声が聞こえてきた。
「皆さんがいらっしゃったようですわね」
「それじゃ、早くアパートに帰ろうか、有賀さん」
 立ち上がって歩き出す小太郎。
「ええ。帰りましょう」
 深雪も小太郎に続いて屋上を後にした。


「……これが一番なのでござるよ」
 アパートに戻った深雪は、靴を脱ぐこともせず、玄関に立ち尽くしたまま呟いた。
 忍者の正体は最重要機密事項。正体を知られたら死んでもらうしかない。
 だから、小太郎のためにもこれが最善の策。
 忍者は自分の心に正直になってはいけないのだ。
「これが……一番なのでござるよ……」
 決して他人と共有できない秘密を抱えた自分の宿命に、深雪の心が大きく揺れた。


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