退魔忍者深雪〜セーラー服と忍者刀〜


第六章 九ちゃんの苦悩


 ……ここはどこだ?
 僕は何をしていたのだ?
 いいや、それより――僕は誰だ?
 何も知らない。
 何も解らない。
 何も、何も、何も……。
「――葉平様、葉平様。目を覚まして下さいませ」
 ん? 誰だ……?
「気が付かれましたか、葉平様」
 葉平? それが、僕の名前なのか?
「その通りでございます、九尾葉平様」
 貴様は、僕が何者か知っているのか?
「はい。葉平様は、妖狐の中で最も高貴なる九尾の狐でございます」
 九尾の狐だと?
 ……僕の尾は一本しかないではないか。
「葉平様は五十年ほど前、ある者たちによってほとんどの妖力を封じられてしまったので
す」
 ある者たち?
「葉平様の強大な妖力を怖れた善を称する妖怪どもでございます。あの者どもは、我々と
同じ妖怪でありながら、忍者と呼ばれる人間と手を組み、葉平様の力と知識を封印したの
です」
 ……そうか。そうだったのか。
「どうぞ、この扇子をお持ち下さい」
 これは?
「私が探し出しました葉平様の妖力の一部でございます。これで妖力は九分の二。この力
を持って残りの封印を破りに参りましょう」
 そうか。解った。
 ところで、そういう貴様は一体誰だ?
「私は葉平様の忠実なる家来。白銀とお呼び下さい」
 家来? シロガネだと?
 ……ふん。
 名前が気に入らん。今日から貴様はセバスチャンだ。

 ダッダッダッ
 屋上へ続く階段を全力で駆け上る足音。
「……来たか」
 目を閉じて何やら考え事をしていた葉平が顔を上げる。
 深雪とフローラも即座に行動できるように身構えた。
「ムサシ殿が来たようでござるな」
「お願いね、ミユポンちゃん」
 と思ったのに、

 バンッ

「有賀さん!」
 勢い良く扉を開けて現れたのは、正宗(模造刀)を腰に差した風間小太郎。
「かっ、風間殿!?」
「殿?」
「いえ、風間さん!」
 小太郎が来るなんて予想外だったから嬉しさ三倍増の深雪。
「助けに来たよ、有賀さん」
「そうはさせんぞ、風魔小太郎」
 深雪に駆け寄ろうとした小太郎の前に葉平が立ち塞がる。
「五十年前の忍者が貴様に所縁のある者かどうかは知らぬし、全ての忍者に復讐しような
どと愚かなことも考てはいない。残りの封印を守っている者どもが何処にいるか、素直に
話せば見逃してやろう」
「だから、僕は忍者じゃないし、封印とかいうのも知らないって。たぶん人違いじゃない
の?」
「ふん。忍者の端くれである以上、そう簡単には話すまいと思ってたが、まさかここまで
強情とはな。だが、こちらにも決して退けぬ理由があるのだ。そこで、だ。今ここで貴様
に決闘を申し込む。無論、正々堂々、一対一の決闘だ。万が一にも貴様が勝てたならば今
回は大人しく退いてやろう。だが、貴様が負けたときは――って、僕の話を聞けっ!」
 葉平が長々と前口上を述べているうちに、小太郎は遠回りして深雪の元に辿り着いてい
た。
「怖くなかった、有賀さん? エッチなことされなかった?」
「はい。九尾さんは思っていたよりイイ人でした」
 人じゃなくて妖怪なんだけれどね。
「しかし、どうして風間さんがこちらへ? ムサシさんはどうなさったのですか?」
「えっ? あのおじさんだったら大介たちが押さえ付けてるよ。止められたけど、九ちゃ
んに呼び出されたのは僕だし、やっぱり、その……有賀さんは僕が自分の手で助けたかっ
たから」
 ポリポリと右こめかみの辺りを掻きながら照れる小太郎。
「風間さん……!」
 思わず喜びの声が漏れる深雪。
「やっぱり恋人じゃないの。ミユポンちゃんったらコーナーに置けないんだから」
 と言ったのは、深雪の隣にいたフローラ。
「有賀さん。この人、誰?」
「え……。彼女は、留学生のフローレンスさんです」
「イェース。二年D組のフローレンスよ。フローラって呼んで」
「そう言えばD組に留学生が来ていたんだっけ。でも、フローラさんはどうしてこんな時
間にこんな場所にいるの?」
「星が綺麗だから見に来たの(は〜と)」
「なーんだ。そうだったのか」
 魅惑のウィンクで全ての疑問を納得してしまう小太郎。
「ええいっ、無視するな!」
 納得できない葉平が叫んだ。
「単刀直入に言う。この僕と勝負しろ、風魔小太郎」
「だーかーらー、僕の名前はフウマコタロウじゃなくてカザマショウタロウなんだよ」
「まだ言うか。どうしても決闘に応じないのならば仕方あるまい」
 葉平は銀色の扇を取り出して、それを真っ直ぐ小太郎に向ける。
「戦う気があろうとなかろうと、二度とこちらの邪魔をできぬように貴様の動きを封じて
おく。手足の骨を折ってくれるわ」
「ええっ!? そんなことしたら痛いって」
「それが嫌ならば刀を抜け。行くぞ!」
 閉じた扇子で小太郎に殴りかかる葉平。
 扇子は扇子でも葉平が装備しているのは木や紙じゃなくて薄い金属板を重ねた鉄扇。あ
んな物で殴られたらきっと痛いだけじゃ済まない。
「しょーがないなぁ。刀が傷付くからイヤだったのに」
 小太郎は刀が傷物になる覚悟を決めて、ついに正宗(模造刀)を抜く。

 ガギッ

 鉄扇と模造刀がぶつかって火花を散らした。
「風間さん!」
「危ないから隠れてて、有賀さん」
 葉平と鍔迫り合いを続けながら、深雪を下がらせる小太郎。
「でも、風間さん」
「大丈夫だよ。僕は剣道部だし」
 でも、相手は妖怪なのでござるよ。
 そう言いたかったけど妖怪の存在を一般ピープルに話すわけにはいかない。
「では、油断せずに気を付けて下さい」
 しょーがないので深雪はフローラと一緒に避難した。
 葉平は深雪やフローラを一般人と思っているから、二人が見ている前では妖術を使わな
いだろう。
 それに、小太郎は仮にも剣道部員。妖怪相手に勝てとは言わないけれど、ムサシが来る
まで時間稼ぎくらいできるはず。妖怪は生まれ持っての高い身体能力や妖力に頼って技術
を磨かないことが多いのだ。
 深雪は念のために手裏剣を隠し持って小太郎の闘いを見守ることにした。

 ガガッ

 深雪の正体を知らない男たちは互いに跳び退いた。
「腰抜けの割には、なかなかやるようだな」
 鉄扇を握り直して呼び掛ける葉平。
「こう見えても、去年の新人戦では県内四位だったんだよね」
 模造刀を青眼に構えて応える小太郎。
「ケガしても知らないよ?」
「それはこちらのセリフだ。来い!」
「ホントにしょーがないなぁ。――行くよ」

 ダッ

 小太郎は刀を振り上げ斬りかかった。
 葉平は小太郎の外見に似合わぬ素早い踏み込みに驚きつつ、模造刀の斬撃を受け流そう
と反射的に鉄扇を掲げる。
 ところが、小太郎の狙いは扇を持っているその右手。
「小手ーっ!」

 バシッ

 見事な一本。
 模造刀の平で打たれた葉平の手から扇子がこぼれ落ちた。
「こっ……こんな小手先の技にやられるとは……!」
 小手先の技だけれど実戦向きの攻撃だよ。手が使えなくなれば相手の戦闘力はガタ落ち
だからね。
「痛かった? ごめんね。峰打ち――じゃなくて平打ちだったんだけど」
 律義に謝る小太郎。
 でも、葉平は無言のまま屋上に転がっている扇子を拾い上げる。
 妖怪だからそんなに痛くなかったけれど、心理的なショックが大きかった。
「まだ続けるの?」
「当然だ!」


 一方。
 課外活動専用棟(旧校舎)。
「遅いわね」
 宙に浮いたまま亡霊のリョーコが呟く。
「そうですね」
 壁に掛けられた肖像画のルビィが同意する。
 二人は階段の踊り場でムサシが葉平を誘い込んでくるのを待っていた。
 どうしてそんな場所で待っているの?
 作戦だから秘密。
「いくらなんでも遅すぎるわ」
 せっかちなリョーコは早くもしびれを切らした。
「ちょっと見てくるわね」
「気を付けて下さい」
 一人じゃ動けないルビィは壁に飾られたままリョーコを見送る。
「やはり自分の足がないと不便ですね。――あなたも、そう思いませんか?」
 あれれ? ルビィは誰と話しているの?
 作戦だから秘密。

 一眼二足三胆四力。
 剣道に必要なものを並べた言葉。
 最も大切なのは、目。
 相手の構えを視て弱点を探り、相手の動きを観て心を読む。
 次に重要なのが、足さばき。
 足さばきは体さばきの基であり、そして、太刀さばきの基になる。
 あらゆる場面で冷静に対処する剛胆さも必要だけれど、腕力は二の次三の次。
「風間殿……実は強かったのでござるな」
 深雪が見守る中で、小太郎は葉平と互角以上に渡り合っていた。
 葉平が繰り出す攻撃のことごとくを避け、受け、払い、それどころか逆に葉平の隙を突
いて反撃している。
 深雪はちょっとだけ見直した。
 小物妖怪に追いかけられて気絶するだけの情けない男ではなかったのでござるな。
「コタローくんだっけ? 強いじゃないの」
 深雪の脇を肘でつっつくフローラ。
「さっすが、ミユポンちゃんの恋人ね」
「だっ、だから違うのでござるよ。わたしと風間殿はまだ恋人ではござらぬ」
 深雪の答えには、いつの間にか『まだ』という言葉が追加されていた。
 でも、深雪は自分が言ったセリフの意味に気付いていない。
「はいはい。――それにしてもラッキーね。このままコタローくんが勝ったら、葉平くん
は帰ってくれるんでしょ」
「決闘前の口約束を守れば、の話でござるが」
 葉平は紳士っぽいから約束は守るとは思うけれど絶対とは言い切れない。負けた途端に
逆ギレして妖術を全開にして襲ってくるかも知れない。
「ともかく今は、コタローくんを応援しなくちゃね」
「そうでござるな。――風間さん、がんばって下さい」
 深雪はお嬢様の声色で声援を送った。
「うん」
 深雪の声援を受けて小太郎の手に力がこもる。
「勝ったらキスしてあげるね(は〜と)」
 フローラは小太郎に投げキッスを送った。
「ぶっ!」
 こもった力が口から吹き出した。
 彼女いない歴十六年と八ヶ月の小太郎には刺激的なセリフだったのだ。
「フローラさん! な、ななな、何を言っているのでございますか!?」
 振り返って怖い顔をする深雪。
 でもフローラは即座に切り返す。
「どーして? コタローくんはミユポンちゃんのステディじゃないんでしょ?」
「どーしてもでございますったらございますでございますっ!」
 深雪は思いっきり動揺している。
 でも、動揺しているのは小太郎と深雪だけじゃない。
「貴っ様ぁっ! 深雪さんという人がいながら二股を掛けていたのか!?」
 吠える葉平。
 葉平はフェミニストな紳士だから、他人がそーゆー不誠実なことをするのが許せない。
 深雪とフローラが何やら言い争っているのを目にして怒りゲージが更に高まった。
「スレンダーな大和撫子もグラマラスな金髪美女も手に入れようなどと、羨ましい、もと
い、人の道に外れた真似を!」
 ってゆーか、それはただのヒガミじゃないのかい、葉平君?
「ごっ、誤解だって。僕、フローラさんと話したのは今夜が初めてだし」
 小太郎は手をパタパタ振って否定するけれど、
「聞く耳持たんっ! こうなったら深雪さんはこの僕がもらうぞ。貴様のような外道に美
しい深雪さんは渡さん」
「有賀さんを!?」
「う、美しい……?」
「三角関係ね。あとでリョーコちゃんとルビィちゃんに教えなきゃ」
 葉平の爆弾発言に三者三様の反応を示す小太郎、深雪、フローラ。
「有賀さんを賭けて決闘の続きだ、風魔小太郎!」
「んー。だから違うんだけどなぁ……。それじゃあ、これで最後にするからね」
 小太郎は名前の訂正を諦めて再び模造刀を青眼に持ってきた。
 そして、ゆっくりと呼吸を整える。
 刀を持つと気分が落ち着くのも刀剣マニアの証。
「そうだ。それで良い」
 対する葉平も銀色に輝く鉄扇を構え直した。
「ごくっ……」
 自分を巡って対峙する二人を前に息を飲む深雪。
「負けてくれたら葉平くんにもキスしてあげるね(は〜と)」
 心理攻撃を仕掛けるフローラ。
 でも、葉平は決闘のことで頭がいっぱいだったので効かなかった。
 小太郎と葉平の間に張り巡らされた緊張の糸が細く長く引き延ばされ、そして――
「来い!」
「行くよ」
 数分前の再現。
「小手っ」
 一足飛びに間合いを詰めた小太郎は先ほどと同じく葉平の左手を狙った。
「甘いっ!」
 葉平は素早くバックステップして攻撃をかわす。もう同じ手は喰わない。
 でも、それは小太郎のフェイントで、
「面っ」
 流れるような動きで小太郎の刀の平が葉平の脳天を襲う。
「くっ!」

 ガガッ

 葉平は鉄扇を頭上にかざし、斬撃の軌跡を横に払い除けた。
「もらった!」
 連続攻撃を耐え切って勝利を確信した葉平だけれど、
「胴ーっ!」

 ボグッ

「かはっ……」
 小太郎は返す刀で葉平の右脇腹を打ち据えた。
 初めから小手・面・胴の三段技だったのだ。
 葉平はガクッと膝を折って扇子を取り落としてしまう。
 勝負あり。勝者、風間小太郎。
「風間さん――!」
「コタローくん、約束のキスね(は〜と)」
 勝利を祝福して駆け寄ろうとした深雪を押し退けて、フローラが小太郎の首に抱き付い
た。
「いっ!? そんなのいらないよ」
 慌てた小太郎はフローラのキスから必死に逃げる。深雪の前でデレデレした顔は見せら
れない。
「ふん……。どうやら二股疑惑に関しては僕の誤解だったようだな」
 フローラから逃げる小太郎の姿を見て葉平は一人で勝手に納得した。
「初めからそう言ってるじゃないか。だいたい僕は忍者なんかじゃ――むぐ」
 余計なことを言い出す前に、深雪が音もなく小太郎の背後に回り込んで口を塞いだ。
「そ、それより九尾さん。風間さんが勝ったのですから、あなたが言う封印などというも
のは諦めて、帰って下さいますね?」
「はい。約束は守りますよ。――というより、もはや、どうでも良くなってしまいまし
た」
 葉平は憑き物が落ちたような晴々した表情で深雪に告げた。
「失われたものを取り戻しても過ぎ去った時間は取り戻せません。過去の因縁に囚われて
立ち止まるより、未来に己の道を探しながら進もうと思います」
「そうですか。それは素晴らしいことだと思いますわ」
 本当に諦めてもらえたようでござるな。
 誰も傷付くことなく事件が収まりそうで、深雪はペタンコな胸を撫で下ろした。
 深雪に口を塞がれたままの小太郎は息ができずに胸をかきむしっているんだけれど。
「無関係な貴女まで巻き込んでしまって申し訳ありませんでした。もう二度と会うことは
ないでしょう。では……」
「そうはゆきませんぞ。こんなところで諦めていただいては困ります」
 立ち去ろうとした葉平の前に執事のセバスチャンが現れた。


 その頃、新校舎の一階廊下では。
「ぎゃはははははははははははははははっ!」
 七不思議のリーダー、宮本武蔵の動像ムサシ。
 佐和子のくすぐり攻撃に大爆笑中。
 大介が腕ひしぎ十字固めを続けているので逃げることもできない。
「どう? 少しは話す気になった?」
「判った、話す。話すから止めてくれぇ! ぎゃははははぁっ!」
 ついに屈伏するムサシ。
 銅像の姿に戻っちゃえばゼンゼンくすぐったくないんだけれど、そんなことしたら、一
発で妖怪ってことがバレるもんね。
「さーて。何から聞こうかしら」
 ムサシの腹筋の上にドッカと腰を下ろす佐和子。
 才瑚が懐中電灯の光をムサシの顔に当てる。
 警察の取調室にある電気スタンドの代わりらしい。
「まず、オジサンの素性を話してちょうだい。本名は? 住所は? 職業は?」
「そ……それは……」
 本名は持っていないけれど自称ムサシ。
 住所は三本松高校、中庭の台座の上。
 職業は七不思議の一番目、宮本武蔵の動像。
 なーんて言えるわけがない。
「キリキリしゃべりなさい。素直に吐けば楽になるわよ」
「拙者は……拙者は……」
 適当なことを言って切り抜けたいところだけれど、ムサシは身も心も文字通りの堅物だ
からウソをつくのが苦手。
 絶体絶命のピーンチ。
 だが、絶体絶命のピンチに救世主が現れた。
「そこで何をしているの?」
「あっ、ミナちゃん」
 廊下の向こうから現れたのは美奈子先生。
「今日はミナちゃんが宿直だったの?」
「そうよ。それより、早くその人を放してあげなさい」
 美奈子先生は大介に腕ひしぎ十字固めされているムサシを指して言った。
「えっ? でも、このオジサンは――」
「このわたしが放しなさいと言っているんだから、あなたは黙って従えばいいのよ」
 美奈子先生はどこかで聞いたようなムチャクチャな理論で佐和子の反論を切り捨てた。
「ま、そこまで言うんだったら」
 いつにない美奈子先生の強い口調に気圧されて、大介も腕ひしぎ十字固めを解いた。大
介がやめたので、才瑚も懐中電灯をムサシの顔からどける。
「ほら。早く行きなさい、ムサシ」
「かたじけない」
 ムサシは美奈子先生に一礼すると小太郎を追って階段を昇っていった。
「ミナちゃん、あのオジサンを知ってるの?」
「そんなことより、あなたたちは宿直室よ」
 どうも様子がおかしい美奈子先生は佐和子の腕をムンズとつかむと強引に宿直室へ引っ
張っていく。
「いつもの先生と雰囲気が違うな」
「……人が変わったみたいですけど」
「そ、そんなわけないじゃない」
 大介と才瑚のツッコミに慌てる美奈子先生。
「いいから来ればいいのよ。深雪とその恋人はムサシに任せればいいわ」
「あれ? どーしてミナちゃんがそのことを知って――むぐぐ」
「早く来なさいっ」
 佐和子の口を塞いで廊下を引きずっていく美奈子先生。
 仕方なく付いていく大介アンド才瑚。
 君も変だと思ったよね?
 酔いつぶれていた美奈子先生にリョーコが取り憑いてムサシを助けに来たんだよ。

「そうはゆきませんぞ。こんなところで諦めていただいては困ります」
「……セバスチャン。もう良いのだ」
 屋上に現れたセバスチャンにスッキリした表情で告げる葉平。
「僕は諦めたのではなく、要らなくなったのだ。過去を思い出さずとも生きていける」
 しかし、
「貴方の意見など聞いておりませぬ。それでは、私の計画に支障が出ると言っているので
ございます」
「なんだと?」
「この扇子もそろそろ返していただきましょうか」
 パチンと指を鳴らすと、屋上に転がっていた銀色の扇子が宙に浮いてセバスチャンの手
に収まった。
 同時に葉平の影にあった四本の尻尾のうち三本が消えて、逆に、セバスチャンの影に三
本の尻尾が生える。
 葉平には一本しか残っていない。
「何をした、セバスチャン?」
「ほっほっほっ。まだ解りませんか?」
 鉄扇を開いてパタパタと自分を扇ぎながら肩で笑うセバスチャン。
「この私こそが九尾の狐だったのでございますよ。この扇子は、白面銀毛九尾狐である私
の妖力を貴方に貸し与えるための媒体だったのです」
「何っ!?」
 驚愕を隠せない葉平。
 でも、深雪とフローラと小太郎は黙って聞いているだけ。特に小太郎にはチンプンカン
プンな話で理解できない。
「貴様が九尾の狐ならば、それでは僕は……僕は一体何者なのだ!?」
「貴方は、九分の一に分断された私の妖力の化身。言うなれば、尻尾です」
「尻尾だと?」
「はい。まったく予想外でございました。切り離された妖力に自意識が生まれ、私に吸収
されるのを拒むとは」
「どういうことだ?」
「では、冥途の土産にお教えしましょうか」
 悪の大ボスが得意な『冥途の土産』が始まった。こーゆー話は難しいから適当に聞き流
してね。
「あれは今から五十年ほど前のことでございます。戦いに敗れた私は妖力を九つに分断さ
れたものの、妖力の化身たる尻尾のうち二つは封印の前に敵の手を逃れ、再起を謀って撤
退しました。ところが、尻尾の一つは追ってきた忍者によって倒されてしまったのです。
もちろん、我々妖怪は不死身ですから、倒された尻尾も数十年の月日を経て復活しました。
しかし、予想外の問題が起こりました。甦った尻尾には、本体である私とは別の自我が芽
生えていたのです」
 語り続けるセバスチャン。
「それこそが貴方ですよ。貴方は記憶を封じられたのではなく、初めから過去が存在しな
かったのです。封印を破れば記憶が戻るという話も真っ赤な嘘。私の方便でございます。
自我があるとはいえ何も知らない赤子の状態ですから、適当におだてておけばスケープゴ
ートに使えるかと考えていたのですが、私の見込み違いだったようですな」
 説明終了。
「そんな……」
 自分がセバスチャンの手の上で踊らされていただけだと知ってガックリと膝を折る九尾
葉平。
「解ったのなら、ここで私が戻るのを待っていなさい。残りの封印を解いた後で、その余
計な人格ごと、無理矢理にでも吸収して差し上げます」
 セバスチャンは葉平にそう告げると、今度は小太郎たちに向き直った。
「なるほど。確かに忍者でございますな。五十年前の忍者と同じ目をしております」
「だーかーらー、僕は忍者じゃないんだよ」
 小太郎はまた自分のことかと思ってセバスチャンに抗議したけれど、
「お黙りなさい、一般庶民。私が忍者と申したのはそちらの娘でございます」
 セバスチャンが扇子で指し示したのは深雪。
 バレたでござる!
 でも、小太郎の前で自分の正体を明かすわけにはいかない。
「何を言っているのですか? わたしも忍者などでは――」
「ほっほっほっ。隠すのは貴女の勝手ですが、それは自分の死期を早めるだけですぞ」
 セバスチャンは鉄扇を開き、深雪に向けてバサリと振り下ろした。

 ビュオォッ!

 巻き起こったカマイタチが深雪を襲う!
「危ない、有賀さん!」
「風間さん!?」

 シュバババッ!

 不可視の烈風は深雪の前に飛び出した小太郎をズタズタに切り裂き鮮血を吹き上げた。
「それは、僕の妖術……」
「いいえ。これは元々私の力。貴方は借り物の妖力を使っていたに過ぎません」
 後ろで葉平が漏らした呟きを否定するセバスチャン。
「違うとおっしゃるのでしたら、ご自分の力で術を使ってはいかがですかな?」
「くっ……」
 セバスチャンの言った通り、葉平は扇子がないと妖術が使えない。葉平はギリリと奥歯
を噛み締めた。
 一方、小太郎を抱きかかえる深雪。
「風間殿!」
「あ……有賀さん、ケガしてない?」
「無事でござる。風間殿のおかげでござるよ」
「そっか、良かった……」
 苦しそうな顔で嬉しそうな顔をする小太郎。
「良く解らないけど、有賀さんが危ないって思ったら、体が勝手に動いちゃって……。は
はは……こんなに血がいっぱい……あれ? 有賀さん、今、ゴザルって言わなかっ――」
「それ以上しゃべっては駄目でござる!」

 ゲシッ

 余計なことに気が付いた小太郎の首に素早く手刀を叩き込んで気絶させる深雪。
「ゆっくり休んで下され、風間殿」
 小太郎の体は吹き出した血で真っ赤に染まっているけれど、深い傷は見当たらないので
命に別状はないだろう。
 でも、こんな姿になってまで自分をかばってくれた小太郎に深雪は心を打たれた。
 痛みに堪えて良く頑張った。感動した。
「フローラ殿。風間殿を頼むでござる」
 深雪は小太郎をフローラに預けてスックと立ち上がり、下ろしていた髪をササッと縛る
と、セバスチャンをキッと睨み付ける。
「よくも風間殿を……許さないでござる!」
「止めの一撃を喰らわせたのは貴女のような気もいたしますが、今はそういうことにして
おきましょうか」
 セバスチャンは口元の笑みを消さないまま、冷たい視線を深雪に返した。
「次は、貴女を血祭りにして差し上げます。残り五つの封印は、その後でゆっくり――」

 ヒュンヒュンッ

 前口上の途中でダブル八方手裏剣。
 セバスチャンはムカっとしたけれど相手は忍者。セリフをキャンセルされても卑怯だな
んて言っちゃダメ。
 セバスチャンは扇子で旋風を起こし、飛来する手裏剣を吹き散らした。
 続いて扇を振ると、

 ゴウッ!

 青白い炎が渦を巻いて深雪に迫る!
「この青白い炎……やはりピアノ殿の仇。ますます許せないでござる!」
 深雪は隠しポケットから黒い玉を取り出して足元に叩き付けた。

 ボムッ!

 炸裂弾。いわゆるひとつの手榴弾。
 爆発の衝撃波で炎を吹き散らした。
「むむっ?」
 セバスチャンが目を見張る。
 炎が消えると深雪の姿も消えていたのだ。
 深雪が得意な隠身の術。
 姿を消した暗殺者は音もなくセバスチャンの背後に回り込んでバック・スタッブ。
 ところが、セバスチャンの背を貫こうとしていた忍者刀は鉄の扇に止められた。
「そのように殺気を撒き散らしていては、いくら姿を消しても無駄なことです」
 セバスチャンは開いた鉄扇の鋭い縁で深雪の腕を浅く薙ぐ。
「くっ……!」
 隠身の術を破られた深雪は小さく呻きつつ鉄芯入りの靴で回し蹴り。
 セバスチャンは一歩退いてそれを避ける。
 鉄芯回し蹴りを外した深雪は空振りの勢いを乗せた後ろ回し蹴りを放つ。
 今度は避けきれず、セバスチャンの手から扇子が弾き飛ばされた。
 そこへすかさず深雪の連続攻撃。
 蹴り、蹴り、蹴り、殴り。

 バシュッ

 パンチを受けたセバスチャンの左腕が切り裂かれた。
 いつの間にか深雪の両手には鉄爪付きの手甲が装備されている。忍者は体術も得意なの
だ。
 左手でフェイントを仕掛けて右正拳突き。
 相手の頭上を跳び越えて背中に肘打ち。
 振り向きざまに鉄の爪でネコパンチ。
「風間殿の痛みはこの程度ではござらぬ」
「ふむむ」
 怒りに燃える深雪の猛攻にセバスチャンは防戦一方。
 そして、
「破っ!」

 ザクッ

 鉄の爪がセバスチャンの肩口に深々と突き刺さると同時に、

 ドゴンッ!

 手甲に仕込まれていた指向性爆薬が炸裂。
 深雪の腕にも反動があったけれど、セバスチャンはコンクリートに思いっきり叩き付け
られる。
 しかし、
「ほっほっほっ。小娘と思って少々油断いたしました」
 セバスチャンは何事もなかったようにムックリと起きあがった。
 パチンと指を弾くと深雪が蹴り飛ばした扇が手の中に戻ってくる。
「はぁ、はぁ……」
 一方、深雪は屋上のコンクリートの膝を着いて早くも息を荒くしていた。
 沸き上がる怒りそのままに攻め立てていたので、体力の配分ペースを考えていなかった
のだ。
「体に無理をなさっているようですが?」
 深雪を見下ろして嘲笑するセバスチャン。
「そんなことは、ござらぬ!」

 ヒュンッ

 深雪はその指摘を否定して八方手裏剣を投げた。
 でも、セバスチャンは妖術を使うまでもなく扇子で叩き落とす。
「ほっほっほっ。技の切れも鈍ってきたようですな」
「はぁ、はぁ、はぁ……。くっ……」
 悔しげに唇を噛む深雪。
 しかし、乙女のピンチには正義の味方が駆け付けるのがお約束。

 バンッ

「ムサシ参上っ!」
 屋上の扉を蹴破ってムサシが現れた。

「三本松高校七不思議の長、宮本武蔵の動像ここに推参っ!!!」
 ムサシはコンクリートの屋上を踏み鳴らしつつ名乗りを上げた。
 佐和子のくすぐり攻撃で大爆笑した直後だからテンションが異常に高まっている。
「お主は五十年前の九尾狐! 戻ってくるとは命が惜しくないと見える。覚悟せい!」
 ムサシは深雪と対峙しているセバスチャンを見つけるや否や抜刀して突撃。
 セバスチャンは迎撃のカマイタチを放ったけれど、相手が銅像だから効果はいまいち。
 ムサシは乱気流を突っ切って、
「秘剣、十文字斬りぃ!」

 ガガッ

 ムサシの斬撃を辛うじて扇子で受け止めたセバスチャン。
 しかし、ムサシの剣圧に堪えきれず跳ね飛ばされたセバスチャンは落下防止用のフェン
スを突き破り、放物線を描いて落下する。
 勢い余ったムサシも一緒に自由落下。
 いくら妖怪でも十数メートルの高さから落ちたら無傷じゃ済まない。
「はぁ、はぁ、はぁ……ムサシ殿ー!」
 深雪は屋上の縁に駆け寄って下を覗き込む。
 すると、ムサシは校舎の壁に刀を刺して空中に留まり、地面に叩き付けられるのを免れ
ていた。
 ホッとする深雪。
 でも、セバスチャンも風の妖術を使ってフンワリと着地するところだった。
 それに気付いたムサシは壁から刀を抜くと校舎を蹴って空中から斬りかかる。
「でやぁっ!」
 紫電を帯びた日本刀を目にしたセバスチャンは一時撤退し、ムサシもそれを追って闇の
中に見えなくなってしまった。
「ムサシ殿……今、行くでござる」
 ふらつく足で一階へ急ごうとする深雪。
「ストップ、ミユポンちゃん」
 そのポニテをつかんで止めたのはフローラ。
「しかし、風間殿の仇を討たなければ……」
「こんなにフラフラじゃ戦えないでしょ? ワタシがヒーリングしてあげるからこっちに
来て」
「そ……そんなことができたのでござるか?」
「イェース。だから早く、こっちに来て目を閉じて」
「判り申した」
 深雪は言われた通り目を閉じる。
「じゃ、行くわね(は〜と)」
 フローラは意味深な笑みを浮かべると、深雪の頬に自分の唇を、

 チュッ

「なっ、なななっ、何をするのでござるか、フローラ殿!?」
 顔を真っ赤にして跳びすさる深雪。
「何って、癒しのキッスよ」
 妖術、癒しのキッス。
 キスした相手の傷を少しだけ治す。
 踊るピアノや骨肉コンビのような絶対安静の重傷者は治しきれないけれど、魅惑のウィ
ンクと違って男女どちらにも効果がある。
「そ……そうでござったか」
 言われてみると、確かに、鉄扇で切り付けられた腕の傷が消えている。
「では、今度こそ風間殿の仇を討ちに行くでござるよ」
「待って、有賀さん」
 再び深雪を引き止める別の声。
「風間、殿……」
 深雪が恐る恐る振り返ると、やっぱり小太郎が目を覚ましていた。
 ちなみに、小太郎の全身にあった傷はうっすらとした痕跡を残すだけになっている。
 フローラが癒しのキッスで治したんだけれど、それを教えると深雪が怒るから秘密。
「か、風間殿。これは、その……」
「うん。有賀さんが忍者だったんだね」
「……」
 無言で頷く深雪。
「やっぱりそうだったんだ。何度か見たはずなのに、どうして忘れていたんだろ」
 どうやら封じていた記憶も甦ってしまったらしい。
「……風間殿。今まで秘密にしていて、申し訳ないでござる。忍者の掟なのでござるよ」
 正体を隠していたことで小太郎に責められると思った深雪は自分から先に謝った。
 謝る必要はないんだけれど、深雪は何故か謝りたかった。
「いいんだよ、それは。それより急いでるんでしょ? 僕は大丈夫だから、有賀さんは忍
者の仕事をがんばってね」
 しかし、小太郎の口から出たのは非難ではなく激励の言葉だった。
『忍者の仕事をがんばってね』
 深雪はその言葉にハッとして顔を上げる。
 わたしは……戦う目的を履き違えていたでござる。
 有賀忍者が妖怪を退治するのは世のため人のため。そして、悪事を働いている妖怪たち
自身のため。
 これ以上、彼らが悪に手を染めぬように。
 決して個人的な恨みを晴らすためじゃないし、まして小太郎の仇を討つためでもない。
 もちろん、小太郎はそんなお説教をするつもりで言ったんじゃないけれど、おかげで深
雪は目が醒めた。
「風間殿……承知したでござる。――フローラ殿。後は頼むでござるよ」
「オーケー、ミユポンちゃん」
「無茶しないでね、有賀さん」
 深雪はフローラと小太郎に見送られながら、セバスチャンを追って駆け出した。
 そして、屋上には小太郎とフローラだけが取り残される。
「……ところで、九ちゃんはどこ行ったの?」
 いつの間にか九尾葉平も屋上から姿を消していた。
「でも、コタローくんはもうちょっと眠っててね(は〜と)」
「うん。そうだね。グーグーグー……」
 魅惑のウィンクで眠りに落ちた。


 その頃。
 佐和子たちが連れてこられた宿直室では。
「あれれん? どうしてサワちゃんたちがここにいるの?」
 正気に戻った美奈子先生が目の前に座っている佐和子たち三人に疑問を投げかけた。
「ミナちゃんが連れてきたんでしょ」
「しかも強引に」
「そうだったっけ? 良く覚えてないけど、まぁいいわよねー。ヒック」
 元々酔っていたので全て納得してしまった。
「……良くないんですけど」
 ツっこむ才瑚。
「はい、どうぞ」
 その才瑚の前にティーカップを差し出す美奈子先生。佐和子と大介の前にもそれぞれカ
ップを。
 中には紅茶が入っている。紅茶とは別の不思議な甘い香りも漂ってくる。
 とても美味しそうだ。
「それじゃあ、一杯だけ飲んだらコタローの様子を見に行きましょ」
「そうだな」
「……はい」
 三人はカップに口を付けて、
「ミナちゃん! お酒が入ってるわよ!」
「そうよん。ウィスキー・ティーだもの。レモン果汁が隠し味」
 何を今更という顔で応える美奈子先生。
「じゃなくて、おれたちが飲んでもいいんですか?」
「もっちろんよ。高級スコッチウィスキーだけど奮発しちゃうわねー」
「……そうじゃなくて、未成年なんですけど」
「大丈夫よん。スコチしか入れてないから」
 だったらどうして亜梨沙先生が酔い潰れているの?
 お酒は大人になってから。


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