1 霊の宿った肖像画を悪の妖怪の魔の手から救い出した女忍者深雪は、ひとまず超研本部 まで撤退してきた。
ガラ……
静かに扉を開けて中に入ると、そこには亡霊のリョーコが待っていた。 「間に合ったみたいね、深雪」 「まさに間一髪でござった。ところで、ムサシ殿は?」 「所定の位置――中庭の台座の上に戻ってもらったわ。いつまでも銅像が消えたままだと マズいから」 「それもそうでござるな」 深雪は納得して脇に抱えていた絵をテーブルに置く。 「無事ね、ルビィ?」 リョーコがその肖像画に描かれた女性へ呼びかけると、その女性は(絵の中で)サング ラスを外して頷いた。 「ええ。本当に助かりました。わたくしは手も足もないものですから。――しかし、こち らの女性は?」 絵の中で深雪の方を振り返る肖像画。 「忍者よ。セーラー服だけれど」 「忍者ですか? セーラー服なのに」 「セーラー服でも忍者なのでござるよ」 恥ずかしそうに忍者であることを肯定する深雪。 「忍者だったのですか」 セーラー服ってところがちょっと引っ掛かるけれど、窓から煙玉を放り込んで助けても らったのだから疑う余地はない。 「深雪でござる。宜しくお願いするでござる」 「はい、深雪さん。わたくしのことはルビィと呼んで下さい」 「ところで、二人とも敵の姿は見たの?」 深雪たちが自己紹介を終えたところでリョーコが問いかけた。 「わたしは自分の煙玉で見えなかったのでござるが――ルビィ殿は?」 深雪は左右に首を振ってルビィに訊ねる。 「わたくしはもちろん目撃しました。とは言え、人間に化けていましたので、その正体ま では判りません」 「そう。でも、化けているということは、やっぱり……」 「はい。五十年前に逃げられた九尾の狐の可能性が高いと思います」 九尾の狐。 尻尾が九本もある狐。並みの妖狐じゃ束になっても歯が立たないほどのスゴい妖力を持 っている。 でも、いきなり敵の正体をバラしたら話が面白くないかな? ま、いっか。九尾葉平って名前だけで予想していた人もいるだろうし。 「敵は九尾の狐なのでござるか」 驚きの入り交じった声で確認する深雪。 「そのような大妖怪が、本当にこの町に?」 「少なくとも、五十年前に戦った相手はそうだったわ。悪知恵が働く上に姿を変えるから 厄介なのよね」 「ええ。五十年前は初老の男性に化けていましたが、先ほどは若い青年でした。ただ、わ たしの紅玉激光波がかすったので、妖術などで治療していなければ背中と顔に傷跡が残っ ているはずです」 化ける前に傷を負っていると変化後の姿も同じ箇所に怪我をしていることが多い。 そりゃまぁ、ミイラ男に化けたら傷跡は判らなくなっちゃうんだけれど。 「では、今の姿は顔に傷のある――」 深雪が確認しようとしたその時、
ツカツカ ピタピタ
二人分の足音が部室に近付いてきた。 「隠れるでござる!」 深雪はルビィの絵を抱えて部室の奥にあるガラクタの山に隠れた。 亡霊のリョーコは床をすり抜けて逃げる。 ガラガラ 三人が身を隠すと同時に扉を開けて入ってきたのは風間小太郎と猿渡佐和子。 パッと部屋の明かりを付けてそれぞれ席に着いた。 深雪はどうしたものかと息を潜めて二人を見守る。 「風間殿に猿渡殿……何故ここに?」 「あら。あっちの男、深雪の恋人じゃない?」 いつの間にか背後にやってきたリョーコが深雪の耳元で囁いた。 「リョーコ殿! 唐突に何を言い出すのでござるか!?」 器用に小声で叫ぶ深雪。 「わ、わたしと風間殿は、そういった色恋の関係ではござらぬ」 「そう? プールで見たときはてっきり恋人だと思ったのに。わたしが取り憑いた美奈子 って先生の記憶でも、『コタローくんとミユポンちゃんは恋人同士』になっていたわよ」 「ち、違うでござる。わたしはわたしより強い男性が好みでござるから、風間殿など眼中 にないのでござる。決して、断じて、間違っても」 必死になって否定する深雪。 そんなに否定すると逆に怪しまれるよ。 「だったら、わたしが深雪の恋を応援してあげるわよ。こういうのは得意なのよね」 「リョーコさんが乗り出すと破談に持ち込むだけではありませんか。それに、無理して応 援する必要もないと思いますよ」 ただの肖像画のフリをして小太郎たちの様子を見ていたルビィが口を挟んだ。 「どうしてよ、ルビィ? 面白そうじゃない」 「当然です。深夜に他の女性と密会とは誠意の欠片も感じられません」 「密会っ!?」 ハッとして顔を上げる深雪。 もしや風間殿と猿渡殿はわたしに隠れて男女交際をしていたのでござるか!? 思いっきり誤解する深雪。 「三角関係ね。もっと面白くなりそう」 「笑ってはいけませんよ、リョーコさん。ここは温かい目でなりゆきを見守らなくては」 亡霊と肖像画の無責任な会話には見向きもせず、深雪は小太郎と佐和子を凝視する。 二人はテーブルを挟んで三百円分のお菓子をパクつきながら何やら話をしていた。 角度が悪くて小太郎の顔は見えないけど、佐和子の表情はいつにも増して活き活きして 見える。 「楽しそうでござる」 何故か深雪の心に暗く激しい炎のような感情がこみ上げてきた。 世間一般に嫉妬と呼ばれる感情。 妬み。嫉み。やきもち。ジェラシー。 「リョーコ殿、ルビィ殿。しばしの間、ここで、待っていて下され。二人には、早々に、 帰っていただくので」 深雪は声を震わせながらリョーコたちに告げると、忍者刀を背中から外してガラクタの 山を抜け出した。 普通なら即座に見付かるところだけれど、今の深雪は隠身の術を使っているから、小太 郎も佐和子も深雪の存在に気付かない。 ちなみに、有賀忍者が使う隠身の術は催眠術の応用で、姿を見られても見えていないよ うに錯覚させる術だよ。 逆に、見えていないのに見えていると思わせるのが分身の術。 マンガやアニメで見られる『素早く動いて残像を作る術』は、分身の術じゃなくて残像 の術と言った方が正しい。 ま、それはこっちに置いといて。 隠身の術を使ったまま部室の入口にやってきた深雪は立て付けの悪い扉に手を掛けた。
ガラガラ
「あれ? 有賀さん?」 「ミユポンじゃないの」 扉が開く音で小太郎と佐和子が振り向くと、そこには髪を下ろした深雪の姿があった。 まるで、今、この瞬間に扉を開けて入ってきたように見える。 「ミユポンは来ないんじゃなかったの、コタロー?」 「ドアにメモを貼っておいたんだよ。――それを見たんでしょ?」 「はい」 深雪には何のことか解らなかったけれど話を合わせて本題に入る。 「それより、風間さんと、サルワタシさんは、こんな夜更けに、二人きりで、何をなさっ て、いるのですか……!?」 燃え盛る嫉妬の炎を必死に抑え付けているので声のトーンが一オクターブ低くなってい た。 どうしてこんなに怒っているのか深雪自身も解っていない。 解らないからますます怒る。 でも、深雪の不可解な感情に気付かないお気楽な小太郎は、やっぱりお気楽に答える。 「何をって、僕が宇宙人を見掛けたから、それでサワタリに尋問されてたんだよ」 「コタローが見たっていう宇宙人を追って来たんだけれど、見失っちゃったから、取り敢 えず本部で詳しい話を聞こうと思って」 「宇宙人?」 まさか自分のこととは知る由もない深雪は唐突に出て来たその単語に気勢を削がれ、首 を右三十度に傾げた。 「実は、美術室から絵を盗んでいく人影を見たんだよ。二階の窓から飛び降りたのに何事 もなく走っていくから、宇宙人だと思って」 それはわたしでござる! 心の中で叫ぶ深雪。まさか小太郎に見られていたとは思いもしなかった。 しかし、宇宙人と勘違いしているのならば好都合。催眠術で記憶を消すまでもないから ね。 それなのに、佐和子が余計なことを言い始めた。 「でもね、コタローの話を聞いてみたら、どうも宇宙人じゃなさそうなのよ。宇宙人だっ たら間違ってもセーラー服なんて着ないし、わざわざ窓を割らなくても壁をすり抜けて脱 出できるもの」 「そ……そうなのですか?」 お嬢様の声色で恐る恐る佐和子に訊ねる深雪。 「あたしが思うに、小太郎が見たのは忍者よ」 「忍者!? ……でございますか?」 辛うじて平静を保ったものの、今の心理ショックは深雪の精神防壁を第三層まで貫通し た。 頭の中で赤いランプが点滅し、警戒警報が鳴り響く。 「忍者はあたしの専門じゃないけど、二階からコンクリの地面に飛び降りるなんて芸当が できるのは、サーカス団員かスタントマンか忍者くらいでしょ。でも、この町にサーカス 団は来てないしスタントマン養成所もないから、残る可能性は一般社会に潜り込んだ草忍 者だけよ」 「しかしサルワタシさん。セーラー服の忍者など見たことも聞いたこともありませんわ」 もっともらしいことを言って佐和子の推理を覆そうとする深雪。 「甘いわ、ミユポン。それは忍者の変装よ。セーラー服の忍者なんているはずがないとい う盲点を突くとは敵ながら天晴れだわ」 佐和子は決して曲がらないアダマンタイト製の信念の持ち主だった。 「ともかく、美術室から絵を盗んでいったということは、その忍者は七不思議について何 か知っている可能性大だわ。必ず捕まえて七不思議との関係を聞き出すわよ」 「僕は宿直の先生に早く知らせた方がいいと思うけどね。絵画窃盗事件だし」 「ダメ。あたしが尋問したいから」 小太郎の常識的な意見を真っ向唐竹割りにする佐和子。 「それより、あんたが見た忍者の特長をもう一度良く思い出しなさい。セーラー服以外に 気付いたことはないの?」 「だから、良く判らなかったんだって」 活き活きした表情の佐和子に対して小太郎はゲンナリした顔。 「遠くて暗かったから細かい特徴まで見えるはずがないんだよ」 強いて挙げれば有賀さんに似てたような気がするんだけど。 まさかそんなはずないよなぁ。ははははは。 実は正解。 世界一周の旅プレゼント。自費で。 「仕方ないわね。結局、判っているのはセーラー服を着た女忍者ってことだけ、と」 「いいえ、猿渡さん。本当に忍者が変装しているのでしたら女忍者とは限りませんわ。男 性が女装していることも考えられます」 佐和子の推理を自分から遠ざけておきたい深雪はヘリクツをこねてみたけれど、 「それはないわよ。男がスカートをはいていたら逆に怪しまれて変装にならないでしょ」 「なるほど」 何も反論できない。 こうなったら、小太郎も佐和子もまとめて催眠術か――と思ったら、
ガラガラ
「なんだ。ここにいたのか」 「……こんばんは」 穴熊大介と霧島才瑚が現れた。 四人になってしまったら一度に催眠術を掛けるのは難しい。深雪は胸ポケットから取り 出そうとしていたブツを戻して様子を見る。 「クマさんもサイコも遅いわよ。二人で何してたの?」 「お前らが校門前で待ってなかったのが悪いんだろうが。中庭とか探したんだぞ。霧島の ダウジングで部室にいるって判ったけどな」 「……そもそも、こんな時間に呼び出すなんて非常識です」 もっともな意見だ。 「で、こんなところで何してたんだ?」 「そうそう、それよ。小太郎がにん――」 「さっ、猿渡さん。もう夜も遅いですから、その話はまた今度にしませんか? 明日にな れば新しい発見があるかも知れませんし」 佐和子の言葉を遮って提案する深雪。催眠術を施す相手が増えては大変だ。 「それもそうね。今夜はこれで解散よ」 「人が来てやったらいきなりこれか」 大介は言ったけれど超研部長の決定は覆せない。 五人はそのまま部室を後にした。 残ったのは第四コースの亡霊リョーコと紅い瞳の肖像画ルビィの二人だけ。 「わたくしたちはどうしましょうか?」 「あなたは動けないんだから大人しくここで待っていなさい。わたしは深雪の恋人たちが 帰るのを見届けたらムサシやフローラに事情を伝えてくるわ」 フローラって覚えているかな? 七不思議の六番目、トイレのフローラさんのことだよ。 「では、お願いします、リョーコさん」 「このわたしに任せなさい」 リョーコは空中を泳ぐように壁を擦り抜け姿を消し、ルビィはガラクタの山に紛れて肖 像画のフリを続けた。 動けないって寂しいね。
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