退魔忍者深雪〜セーラー服と忍者刀〜


第四章 目からビーム

 時間は跳んでいきなり放課後。
 深雪と小太郎の二人は、年中無休の超研本部に顔を出すため旧校舎へ向かっていた。
 小太郎は超常現象研究なんてどうでもいいんだけれど、深雪が行くから付いていく。
「それにしても、有賀さんって見掛けによらず水泳が上手いんだね。ビックリしたよ」
「そんなことはありませんわ。偶然です」
 深雪はリョーコ(美奈子先生)との水泳勝負のことを言われる度に『偶然』で誤魔化し
ていた。
 カエル跳びターンなんて常人にできるわけがない。人前であんなことしたのはマズかっ
た。
 三本松高校の生徒はみんなお気楽だから気付いていないけれどね。
「偶然でもあれだけ泳げるんだったら水泳部に入ればいいのに」
「でも、超常現象研究部もありますし」
「そっか。有賀さんって本当に超常現象に興味があったんだね」
「それほどでもありませんわ」
 謙遜(?)する深雪。
 一方、小太郎は笑顔を向けられてドギマギ。
 やっぱり有賀さんって可愛いなぁ。
 女性の涙が一発KOのアッパーカットならば、女性の笑みは体に重く響くボディーブロ
ーのようなものだ。初めは効果がなさそうに見えてもダメージは確実に蓄積し、気付いた
ときには二度と立ち上がれなくなっている。
 なんちゃって。
「風間さん。部室はここですけれど」
「あっ」
 廊下を行き過ぎ慌てて引き返す小太郎。
「あんまり来ないから良く覚えてないんだよね。ははははは」
 言い訳しながら扉を開けた。

 ガラガラ

「あれ? サワタリは?」
 部室にいたのは占星術の本を開いている才瑚だけ。柔道部員が本職の大介はいなくて当
然だけれど、佐和子までいないのは珍しい。
「もしかして保健室爆破事件の真相究明中?」
 保健室がグチャメチャになった件は、戸棚の薬品が化学反応を起こして爆発したという
ウソっぽい公式見解が発表されて、深雪と佐和子と由香里先生以外は納得している。
「……保健室の調査は、昼休みのうちに終わらせたみたいです」
「では、どうなさったのですか?」
「……秘密道具を持ってくると言って、一旦家に戻りました」
「秘密道具?」
「……詳しいことは、知りません」
「ふーん。――じゃあ、どうしようか、有賀さん。サボって帰る?」
「そうですわね。――霧島さん、猿渡さんが戻って参りましたら、そうお伝え下さい」
 相変わらずホロスコープを見ている才瑚に言付けを頼む深雪。
 小太郎と一緒に帰りたいのかな?
 いやいや。そんな乙女心じゃないんだよ。
 深雪は早くアパートに帰って『甘えん坊将軍』(時代劇)を見たいだけ。


 その頃。
 やっぱり屋上にいる葉平とセバスチャン。
 葉平はその身に赤い夕日を浴び、腕組みしながら佇んでいる。
 長い影で揺れる尻尾は四本に増えていた。
 と言っても、葉平は尻尾の数を確認しているわけでも日光浴をしているわけでもない。
 ただカッコつけているだけ。
 でも、カッコイイと言ってくれる女の子は一人もいないから、葉平は諦めて後ろの老紳
士に呼び掛ける。
「セバスチャン」
「何でございますか?」
「今日の情報収集はかなりの収穫があったぞ。七不思議のうち四つまで調べ上げた」
「おお。流石は葉平様でございますな」
「ふん。僕の手に掛かればこんなものだ」
 セバスチャンに褒められてちょっと誇らしげな葉平。ブタもおだてりゃ木に登る。
「では葉平様。その四つとは、具体的にどのようなものでございますか?」
「まず一つは美術室の肖像画だ。目から怪光線を放つらしい」
「怪光線でございますか?」
「聞いた話によると、厚さ十五センチの鉄板を易々と焼き切る威力があるそうだ」
「なんと。それは怖ろしいですな」
 ブルブルと身を震わせるセバスチャン。
 でも、うわさを信じちゃいけないよ。こういう話はすぐに尾ひれが付いて一人歩きする
んだから。
「そして、二つ目はプールに現れる亡霊だ。時折、人間に憑依して泳いでいるらしい。今
日も女生徒に取り憑いてカエル跳びターンなどという馬鹿げた泳ぎ方をしていたそうだ」
 本当に取り憑かれたのは美奈子先生なんだけれど、一部の女子の間ではそういうことに
なっていた。
 佐和子の耳に入っていたら深雪に根掘り葉掘り尋問していたことだろう。
「ほほぅ。プールとは盲点でございましたな。――それで、残り二つは?」
「三つ目は例のピアノ、四つ目は骨格標本と人体模型だ」
「ふうぅ。その情報はもう必要ありませんな」
 セバスチャンは溜息を吐きながら首を振る。
「貴様に言われなくともわざわざ説明せん」
 ちょっとムカついた葉平はチラリと振り返って怖い視線を向けた。
「……まぁ良い。貴様はプールを見張れ。僕は美術室へ向かう」
「承知いたしました、九ちゃん」
「その名で呼ぶな」

 ベチンッ(鉄扇)



 一方、超研をサボった二人は帰宅中。
 小太郎には剣道部の練習もあったのでダブルサボり。
「ところで有賀さん。これからどっか寄っていくの? 買い物だったら荷物持ちするよ」
「いえ。今日は真っ直ぐ帰ろうと思います」
「そっか。――あ、もしかして、見たいテレビでもあるの?」
 何気なく訊ねる小太郎。
「はい。将軍様を」
 思わず答えてしまう深雪。
「将軍様?」
「あっ……」
 深雪は激しく後悔した。
 将軍様と言ったら、テレビ番組『甘えん坊将軍』のことに決まっている。
 堅苦しいことが嫌いな将軍様が城を抜け出して、困っている庶民を助けたり、得意の剣
術で悪人を懲らしめたり、美人と評判のお絹ちゃんに甘えたりするストーリー。最近はお
絹ちゃんに熱烈なアタックを仕掛ける同心まで現れて将軍様大ピンチなのだ。
 君も見たいと思ったかな?
 でも、『甘えん坊将軍』の視聴者は六十歳以上のご老人ばかり。
 十六歳の女の子が時代劇を見ているなんて知られたら笑われてしまう。
「いえ、冗談ですわ。本当は『プロジェクトZ』を――」
「隠さなくてもいいって。『甘えん坊将軍』でしょ?」
「は、はい。……あの、笑わないのですか?」
「どうして?」
「時代劇なんて、お年寄りの見るものでしょうから……」
「そんなことないよ。僕も見てるし」
「風間さんも?」
 驚きと喜びの入り混じった声で小太郎に確認する深雪。
「うん。そうだよ」
 小太郎の言葉に嘘はない。小太郎も見ているのだよ、『甘えん坊将軍』も『江戸黄門』
も。
「有賀さんは、『甘えん坊将軍』の中では誰が好きなの?」
 共通の話題が見付かって上機嫌の小太郎が深雪に訊ねた。
「はい。わたしは、将軍様を陰ながらお守りする女忍者の皐月さんを応援しています」
 深雪もすっかり舞い上がって思わず正直に答えてしまう。
「風間さんは?」
「僕はやっぱり将軍様かな。特に殺陣のシーン。悪人の手下をバッタバッタと切り倒すと
ころ」
「そうですわね。まるで本当に剣の達人のようですから」
 忍者の目で見ればトロトロした動きだけれど素直に称賛する。だって好きなんだもん。
「ただ、僕もとしては、あの刀だけは嫌なんだよ」
「刀ですか?」
「うん。お芝居だから仕方ないとは思うけれど、もっとリアルな刀を使ってほしいんだよ
ね。見る人が見れば偽物ってことがすぐに判っちゃうから」
「風間さんは意外と細かいところまでご覧になっているのですね」
 小道具にまで注文を付けるのは厳しいのではないかと思った深雪が言うと、小太郎は当
然のように応えた。
「そりゃそうだよ。僕は刀剣マニアだからね」
 刀剣マニア。
 白刃のきらめきをこよなく愛する特殊な性癖を持つ人々の総称。刀剣の機能美に魅せら
れた彼らは、歴史的・芸術的価値を重視する刀剣コレクターとは一線を画す。
 オカルトオタクとは別の意味で近寄りがたい存在。
「と、刀剣マニア、でございますか」
 忍者も刀を使うけれど、侍と違って刀に特別な思い入れは持たない。
 しかし、せっかくできた時代劇愛好仲間でござるから、風間殿の趣味も認めて差し上げ
たいところでござる……。
「刀剣マニアと言いますと、ご自宅に刀剣を飾ったりなさっているのですか?」
「うん。もう二十本くらいあるかな。日本の刀はもちろん、中国の偃月刀とか西洋のサー
ベルとか。珍しいところでは、日本刀なのに刀身が真っ直ぐの忍者刀もあるよ」
「に、忍者刀……」
 一瞬ドキッとした深雪だけれど小太郎は気が付かずしゃべりまくる。
「あっ、勘違いしないでね。全部イミテーションで斬れないんだよ。でも、手にズッシリ
くる重さは本物だし、先月届いたダマスカスソードなんて刀身に浮き出た紋が怖いぐらい
リアルで思わず試し斬りしたくなっちゃったよ。斬れないんだけど」
 試し斬りしたくなるのが刀剣マニアの証。
「でも、日本刀の冴え冴えする美しさにはかなわないかなぁ。僕が剣道を始めたのも日本
刀が好きだからなんだよね。通販で買った正宗の模造刀があるんだけど、それが惚れ惚れ
する出来映えでさ。あ、正宗って知ってる? 鎌倉後期の刀工、岡崎五郎正宗が――」
「か、風間さん。もうアパートに着きましたわ」
「えっ? あ、本当だ」
 タイミング良くアパートに到着し、世界の終末まで続くかと思われた小太郎の刀剣談義
はひとまず中断。
「ごめんね、有賀さん。僕ばっかりベラベラしゃべっちゃって」
「いえ。面白いお話を聞けて良かったですわ」
 小太郎と深雪はそれぞれの部屋へ入っていった。

 数時間後。
 夜道を疾走する女忍者深雪。
 髪は頭の上で束ねて背中には忍者刀。
 仮眠してきたので体調も万全。
 重厚なのに軽快な『甘えん坊将軍』のオープニングを口ずさみながら、たったの十分で
校門前に到着した。
『わたしたち七不思議と話がしたかったら中庭のムサシを訪ねるといいわ』
 第四コースの亡霊リョーコの言葉を思い出す。
「リョーコ殿の言う通り、今夜はムサシ殿に会いに行くでござるか」
 そんなわけで中庭へ向かった深雪。
 植え込みに囲まれるように宮本武蔵の銅像が台座に立っていた。
 普通の学校は二宮の金さんだけれど三本松高校だから仕方ない。
 台座の下にやってきて銅像を見上げる深雪。
 当然、銅像は銅像だから普通は動かない。
 でも、動かなくちゃ物語が進まない。
「少し話をしたいのでござるが」
 まずは呼び掛けてみた。

 シーン

 動かない。
「第四コースの亡霊、リョーコ殿の紹介で来たのでござるよ」
 他の七不思議とのコネを使ってみた。

 シーン

 やっぱり動かない。
 どうしよう?
 押してダメなら引いてみろ。
 深雪は背中から忍者刀を抜き放った。
「動かなければ、斬る」
「斬れるものなら斬ってみよ!」
 途端に動き出して抜刀する宮本武蔵の銅像。
 台座を蹴って跳び降りると同時に日本刀を振り下ろす。

 ギンッ

 深雪は忍者刀でムサシの攻撃を受け止めたけれど相手は銅像。体重の違いはどうしよう
もなく力負けしてよろめいた。
 慌てて跳び退いて体勢を立て直す深雪。
 ところがムサシは刀を振りかざして突っ込んでくる。
「拙者を三本松高校七不思議の第壱、宮本武蔵の動像と知っての狼藉か!」
 銅像なのに刀は鉄の輝きを放っている。晩年の宮本武蔵は木刀しか使わなかったらしい
けれど、この銅像は真剣を使うようだ。
「待って下され。誤解でござる」
「誤解で済めば同心は要らぬ!」
 聞く耳持たないってこと。
「仕方ないでござるな」
 深雪はスカートの中から八方手裏剣を取り出して威嚇射撃。

 ヒュンッ カキンッ

 ムサシがそれを刀で叩き落とした隙に回れ右して全速離脱。
「待てい、娘!」
「待てと言われて待つ者はいないでござる」
「逃げるでない、卑怯者!」
「これは戦略的撤退でござるよ」
 真正面からぶつかり合うのは忍者の戦い方じゃないもんね。
 恥ずかしがり屋の深雪が得意なのは、カエル妖怪を倒したバック・スタッブ(背後から
一刺し)。
 卑怯かな?
 でも忍者だし。
 取り敢えず今は逃げるが勝ち。



 ガラガラ

 外の物音に気付いた人物が、宿直室から廊下に出てきて窓から中庭を見回した。
 でも、暗かったので銅像が消えたことには気が付かなかったようだ。そのままスタスタ
と宿直室に戻って扉を閉める。

 ガラガラ

「どうでした?」
 戻ってきた人物に訊ねた女性はD組担任、現国教師の亜梨沙先生。
「気のせいだったみたいよん」
 お気楽な声で亜梨沙先生に答えた女性は、もちろん我らが美奈子先生。
 ピアノ焼失事件や保健室爆破事件があったばかりなので本当は男性教諭が宿直するはず
だったのに、職員室で行われたくじ引き大会で見事二人が当選した。
 女性が宿直するのは頼りないと思うかも知れないけれど、美奈子先生は合気道二段、亜
梨沙先生は古武術三段の裏設定があるから大丈夫(?)。
「そうそう。アリりん、紅茶飲む?」
「あ。お願い、ミナぴょん」
 実はこの二人、幼稚園からず〜っと同じクラスで今も同じ職場という超弩級の腐れ縁。
「まっかせといて」
 亜梨沙先生の答えを聞いた美奈子先生は宿直室奥の簡易キッチンで湯を沸かし始めた。
 次に、戸棚から二人分の湯飲みと紅茶の缶を取り出した。
 更に、戸棚の奧から太田先生秘蔵のウィスキーのボトルを引っぱり出した。
「やっぱり紅茶にはコレを入れなくちゃねー」
 ……そうなの?


 さて。
 深雪が動く銅像に追いかけられているのと同じ頃。
 バイトが休みの小太郎はインスタントな夕食を終えてのんびりしていた。
 ヒマを持て余しているんだったら有意義に明日の予習でもすればいいのに。
 そんなわけで、先日返された小太郎の中間試験の成績は五教科平均六十七点。悪くはな
いけれど良くもない。
「よっと」
 そのまま寝るにはまだ早いと思った小太郎は自慢の刀剣コレクションを広げてウットリ
眺めようかと腰を上げた。

 ピロロロロロ

 と、そこに電話が。
「もしもし、風間です」
『あ、コタロー? あたしよ』
 電話の主は猿渡佐和子。
 五教科平均九十六点(学年四位)。
 オカルトオタクは伊達じゃない。
「なんだ。サワタリか」
『なんだじゃないわよ。今すぐ学校に来なさい』
「どーして?」
『どーしてもよ。宮本武蔵の銅像に振動感知式の警報機を取り付けておいたんだけど、そ
の警報機に反応があったの』
「ええっ?」
 ただの女子高生がどーして警報機なんて持ってるの?
 と思った小太郎だけれど、佐和子の両親が怪しげな電子機器メーカーに勤めている研究
員なのを思い出して納得する。
 それより問題は宮本武蔵。
「ホントに銅像が動いたの?」
『だから、それを確かめに行くのよ。超研メンバー全員で』
「それ、本気?」
 夜の墓場も怖いけれど、夜の学校もかなり怖い。
『本気も本気、超本気。これから三十分後、校門前に集合よ。全員懐中電灯を持参するこ
と。おやつは三百円以内。ミユポンも誘って必ず来るのよ。解ったわね?』
「……」
『わ、か、っ、た、わ、ね?』
「ラ、ラジャー」
 電話の向こうの佐和子の表情を思い浮かべて了承する小太郎。ある意味、幽霊や宇宙人
より怖いかも知れない。
『宜しい。クマさんとサイコにはこっちから連絡しておくから』

 プッ、ツーツーツー……

 電話が切れた。
 三十秒ほど立ち尽くす小太郎。
 やがてノロノロと動き出す。
「大丈夫。僕は一人じゃないから」
 そう、深雪を誘って一緒に行くのだ。
 夜の学校にどんな怪物が待ち受けていようとも、深雪の前なら頑張れる(ような気がす
る)。
 惚れた女の為ならば、男は漢になれるのさ。
 でも、どんなに呼んでも叫んでも深雪が部屋から出てくるわけがないのでビクビクしな
がら一人で学校へ向かう小太郎だった。

 学校の裏山。
「何処へ隠れた!? いざ尋常に勝ー負っ!」
 宮本武蔵の動像は深雪の姿を見失って大声を張り上げていた。
 でも、忍者は忍ぶ者だから忍者。夜の闇と深い森という好条件を捨てて挑発に乗る忍者
はいない。
 そもそも、巌流島の決闘で佐々木小次郎に卑怯な作戦で勝ったのは宮本武蔵でござる。
すぐに姿を見せぬからと文句を言われる筋合いはないのでござるよ。
 それに、深雪には戦う前に確かめておきたいことがある。
「少し落ち着いて下され」
 例によって木の上から呼びかける深雪。その声は山彦のように反響して聞こえるので銅
像には深雪の居場所は判らない。
「そなたに一つ訊ねたいことがあるのでござるよ」
「なんだと?」
「そなたは、人と見ればすぐに斬りかかるのでござるか?」
「何を言うか。拙者は動像であって殺人鬼ではない。拙者が斬るはこの地に災いを招く存
在のみ」
「それではわたしを追ってきたのも?」
「決まっておろう。お主に封印を破らせはせぬ」
 封印とは何でござる?
 と思ったけれど、相手が何か誤解していることは判った。
「どうやら、わたしたちは争うべきではないようでござる。どうか剣を収めて下され」
「何?」
「わたしが倒すべきは人に仇為す存在のみでござる。そなたが邪悪な妖怪かどうかを確か
めるためとはいえ、刃を向けてしまったことは謝り申す」
「拙者を騙すつもりではなかろうな?」
 意外と疑り深い動く銅像。
「そんなことはせぬでござるよ」
「顔を見せぬ輩の言葉など信用できぬ」
「いいから信用してあげなさいよ、ムサシ」
 銅像の側に靄状の人影が現れた。
「むっ? リョーコ殿か」
 昼間、美奈子先生に取り憑いた第四コースの亡霊リョーコ。
 普通の亡霊はオドロオドロしいものだけれど、リョーコはプールの塩素で脱色されたソ
バージュヘアをかき上げて、高飛車な口調で告げる。
「悪い娘じゃないわ。わたしが保障するから」
「しかしリョーコ殿。ピヤノ殿ばかりか骨三郎殿と肉之進殿までもが半殺しの目に遭った
今、用心するに越したことはないのでは?」
「このわたしが保障するって言っているんだから、あなたは黙って従えばいいのよ。――
大丈夫よ。降りてきなさい、深雪」
 何やらスゴい理論で銅像を黙らせて深雪を呼ぶリョーコ。
「判り申した」
 深雪はその言葉に甘えて二人の前に飛び降りる。

 シュタッ

 スカートがひるがえって白い足がチラリ。
 銅像なのに顔が赤くなるムサシ。
「よ、良かろう。お主の言葉を信じるとしよう」
 生足に惑わされて刀を収めた。
 隣でリョーコがムッとしたけれど銅像は気付かない。
「拙者は、三本松高校七不思議の長としてこの地を守護する宮本武蔵の動像。かの剣豪、
宮本武蔵殿と比べれば未熟者ではあるが、ムサシと呼んでいただけると拙者としても嬉し
く思う」
「判り申した、ムサシ殿。わたしの名は深雪。雪の深い朝に生まれた故に、深雪と」
 そう名付けたのは深雪の祖父。
「深雪殿と申すか。しかし、深雪殿は一体何者なのだ? ただの娘にしては身のこなしが
常人離れしておる」
「わたしはこれでも忍びでござる」
「忍び!? なんと、お主は忍者であったか」
「ただの女子高生じゃないとは思っていたけれど、まさか忍者だったとはね」
 ムサシもリョーコもそんなに驚かなくてもエエやんか。そりゃあセーラー服の忍者は珍
しいとは思うけれど。
「それよりムサシ殿。ピアノ殿たちが何者かの襲撃を受けたことについて何か知っている
ことはござらぬか?」
「うっ、うーむ。それは、むやみに口にするわけには……」
 何か知っているみたいなのに話を渋るムサシ。
「いいじゃないの。話しても」
「……うむ。そうだな」
 リョーコに促されてしゃべり出した。どうやらリョーコには逆らえないらしい。
「我々七不思議が襲撃を受けるとなれば、理由は一つしか考えられぬ」
「と、言うと?」
「話は五十年ほど前に遡る」
 遠い目になって語り始めるムサシ。
「ある日、この町に強大な妖力を持つ邪悪な妖怪が現れたのだ。この三本松高校を含む一
帯は他の土地より妖気が濃くてな。奴は、この地の妖気を使って何やら大掛かりな悪巧み
を考えていたらしい」
「それを阻止したのがわたしたちよ」
 リョーコが合いの手を入れた。
「うむ。我々三本松高校七不思議は、通りすがりの忍者の協力を得て、その妖怪の力を九
つに分断することに成功したのだ」
「通りすがりの忍者、でござるか?」
 忍者が通りすがるなんて珍しいね。
「名も告げずに去っていったので詳しい素性は知らぬのだが」
「そうでござるか」
 深雪もその忍者が誰か知らないけれど、自分と同じく妖怪退治を使命としている忍者が
いても不思議じゃない。
 同じ忍者の活躍を知って少し誇らしい。
「ともかく、九つに分けた妖力のうち七つまでは、我々三本松高校七不思議が一つずつ封
印したのだ」
「でも、残りの二つは封印する前に逃げられたのよね」
「その通り。ピヤノ殿や骨之進殿、肉之助殿は、五十年ぶりに戻ってきた九分の二の妖力
を持つ者に襲われたに違いない。さぞ悔しかろうに」
 涙を堪えるムサシ。銅像なのに涙は出る。
「感傷に浸るのはまた今度にして、ムサシ。次に狙われるのはわたしたちなのよ」
「そうであったな。恐らく、奴は我々を一人ずつ倒して封印を破り、完全復活を遂げるつ
もりなのだろう」
「それは一大事ではござらぬか」
 九分の二の妖力で踊るピアノを倒した妖怪。
 そんな妖怪が完全復活したら大変だ。きっと怖ろしい実力の持ち主に違いない。
 深雪の脳裏に街を破壊する巨大怪獣の姿が浮かんだ。
 里のテレビで見たB級特撮映画の映像だったりする。
「このようなときに再び忍びの者と出会えたのも何かの縁。どうか我らに協力して下さる
まいか、深雪殿」
 ムサシが深雪の前に右手を差し出す。
「こちらからも是非お願いするでござるよ」
 深雪はその手を取ってガッチリと握手した。
 これで同盟成立。
「感謝いたす、深雪殿」
「礼は不要でござる。わたしたちはもう仲間ではござらぬか」
「かたじけない。――むっ?」
 ムサシが急に校舎を振り返った。
「どうしたのでござる?」
「トイレのフローラから連絡よ」
 言ってリョーコが指したのは新校舎三階東側の女子トイレ。
 そこの窓から、何やら文字の書かれたトイレットペーパーが垂れ下がって風に揺れてい
た。忍者も妖怪も視力は抜群なので遠くからでも書かれている内容は読み取れる。
「どうやら美術室のルビィ殿が敵と遭遇しているようだ」
「マズいわね。ルビィは絵だから動けないのよ」
「絵と言うと、美術室の肖像画のことでござるな?」
「うむ。来て下さるか、深雪殿?」
「もちろんでござる」
 深雪とムサシは校舎へ向けて走り出した。亡霊のリョーコは空中を泳ぐように飛んでい
る。
「時に深雪殿。一つ訊いても構わぬか?」
 深雪と並んで走るムサシが話し掛けてきた。
「何でござる?」
「深雪殿は何故その格好を? そのようにひらひらした服では戦いにくかろうと思うのだ
が」
「この服は、わたしのお爺様が用意して下さった物でござる。鉄板や鎖が編み込まれてい
て、こう見えても丈夫なのでござるよ」
「そうであったか」
 総重量七キログラムの改造セーラー服。
 重さの割に防御力が高く、隠しポケットも多くて機能的。
 でも、スカートの下がスパッツなのは秘密だよ。

「ん?」
 美術室にいた葉平が窓から外を眺めた。
「……気のせいか」
 物音が聞こえたような気がしたけれど、夜の校庭には誰も見当たらない。
「それにしても、この中のどれが例の肖像画なのだ? どんなに待っていても怪光線など
出さないではないか」
 振り向いた葉平の前には十枚の肖像画が並んでいる。目から怪光線を出さなければ不思
議な肖像画も普通の肖像画も区別できない。
 考察する。推察する。推理する。
「まず、これではないだろう」
 葉平は前衛芸術的絵画を七不思議候補から削除した。
 まるで幼稚園児の落書きのようにデッサンが崩れている。
「これも違うだろうな」
 次に、サングラスを掛けた女性の絵も選考から除外した。
 サングラスが邪魔になって目から怪光線を出せない。
 それでもまだ八枚も残っている。
「これは困ったな。手当たり次第に芸術を引き裂いてしまうのは僕の美学に反する」
 葉平は美学にこだわる妖怪だった。
「セバスチャンの様子でも見に行くか」
 諦めて美術室を出ていこうとする葉平。
 その背後から謎の怪光線。

 ジュッ!

 命中して葉平の背中が焦げた。
「くっ」
 彼は痛みを堪えて振り返る。
 そこには相変わらず十枚の絵。
「どれだ?」
 判らない。
 仕方がないので再び背を向け歩き出した
 というのはフェイントでバッと振り返る。
 端から順に一枚ずつ肖像画を観察してゆく葉平。
 彼は一枚の絵の前で足を止めた。
「犯人はお前だ!」
 某少年探偵のように叫ぶと、サングラスを掛けた女性の絵に指を突き付けた。
 その根拠は?
「サングラスが少しズレている」
「しまった」
 ダルマさんが転んだ。
「良くぞ見破りました。わたくしの名はルビィ。三本松高校七不思議の三番目、紅い瞳の
肖像画です」
 ルビィと名乗った肖像画の女性は(絵の中で)サングラスを外し、ルビーのように真っ
赤な瞳を葉平に向けた。
「ピアノさんや骨肉コンビさんに重傷を負わせたのはあなたですね?」
「不本意ながらその通りです」
 ルビィに問い詰められた葉平は相手が女性なので礼儀正しくなって答える。
「彼らが素直に封印を解いて下さっていれば、乱暴なことはせずに済ませることができた
のですが」
「それは、わたくしへの脅迫と取って宜しいですね?」
「いえ、忠告ですよ。肖像画とは言え美しい女性を傷付けるのは忍びないものですから」
「お世辞を言っても無駄ですよ。わたくしの紅玉激光波を受けなさい」

 ビュッ!

 ルビィの双眸が輝いて赤い怪光線が射ち出された。
「交渉決裂ですか。残念です」
 葉平は心底残念そうに呟くと、連続で発射される怪光線を全て紙一重で避け、一歩、ま
た一歩とルビィに迫る。
 紅玉激光波は葉平の服や顔をかすめて後ろの壁を焦がすだけ。
 強いぞ九尾葉平。
 こいつはただの人間じゃない。
 って、妖怪なんだけれど。
「仕方ありませんね。骨肉剣士とやらが護っていた風の妖力を使わせていただきます」
 葉平は鉄扇を取り出して斜めに振り下ろした。
 すると、

 ビュオォッ!

 カマイタチが巻き起こり、真っ直ぐルビィに襲い掛かる!
 妖術、ウィンド・カッター。
 烈風と共に放たれた真空断層は肖像画なんて一撃で真っ二つにする威力だ。

 シュバッ!

 ところが、カマイタチはルビィを支えていた画板の足だけを切り裂いていた。
 支えを失ったルビィはうつ伏せに(絵の面を下にして)床に倒れる。
 手も足もないルビィは目から怪光線を出すこともできなくなってしまった。
「顔が汚れてしまいます。早く起こして下さい」
「失礼。貴女を傷付けたくなかったのです。お許し下さい」
 ルビィの側に歩み寄り、片膝を付いて非礼を詫びるフェミニストな葉平。たとえ絵画妖
怪でも女性には礼を尽くす。
「しかし、これでやっと静かに話せます。どうか封印を解いていただけませんか?」
「う……」
 どうする、紅い瞳の肖像画ルビィ。
 ――と思ったその瞬間。

 パリーン

 突然窓ガラスが割れた。
「何!?」

 コロコロ

 小さな黒い玉が床に転がった。
「これは、まさか?」

 ボシュッ

 白い煙が吹き出して葉平の視界を塞いだ。
 忍者お得意の煙玉。
「何者だ!?」
 割れた窓から侵入してくる者の気配を感じて誰何の声を上げる葉平。

 ヒュンッ

 それには答えず煙の向こうから八方手裏剣が飛来する。
「チィッ」

 ベチンッ

 葉平は鉄扇で手裏剣を叩き落とした。
 そのまま扇を開いてバサリと扇ぐ。

 ブォッ!

 つむじ風を起こして煙を吹き散らした。
「……逃げられたか」
 手品のように扇子を消して呟く葉平。
 煙の晴れた美術室。
 目の前に倒れていた肖像画も消えていた。
 もちろん、侵入してきた人の気配も。
 残ったのは床に落ちている八方手裏剣だけ。
「黙っているのなら見逃すつもりだったが、やはり邪魔をしてきたか」
 その手裏剣を拾い上げた葉平はガラスの破片が散乱する窓際へ歩み寄る。
「どうやら先に片付けておかねばならないようだな……忍者め」
 葉平は校門の辺りに見える人影に一瞥をくれると美術室を後にした。


「くしゅん! ……来ないなぁ」
 校門前で他の超研メンバーが来るのを待っている小太郎。佐和子から全員集合の電話が
あったのに、当の佐和子が来ていない。
「帰っちゃおうかな」
 校門に寄りかかりながらポツンと呟く。
 小太郎の後ろにはデンとそびえ立つ巨大な校舎。
 やっぱり怖いぞ夜の学校。
(その通りですわ、風間さん。こんな所にいて風邪を引いては大変です)
 天使の囁きが心を惑わす。
(何言ってんだ、コタロー。ここで逃げたら男がすたるぜ。ケケケ)
 悪魔の無謀さが羨ましい。
「うーん……。やっぱり帰ろう」
 結局、天使の誘惑に乗る小太郎。
 天使の顔が深雪にそっくりだったのだ。
 ちなみに悪魔の顔は猿渡佐和子。
 そんなわけで帰ろうと思った、その時。

 パリーン

 背後でガラスの割れる音が聴こえた。
 思わず振り向く小太郎。
 しかし、暗くて何も見えない。
 怖いんだから止せばいいのに目を凝らす。
 すると、割れた窓から人影が飛び出してスタッと着地するのが見えた。
 遠いので顔はぼんやりとしか判らない。
 それでも、ポニーテールにセーラー服というのは判別できた。
 小脇に何か四角い板を抱えているようだ。
 地面に降りた人影はそのまま校舎の裏側へ走り去ってしまった。
「……絵画泥棒?」
 出てきたのは美術室の辺りだと判った小太郎は自分の直観を口に出してみた。
 でも、普通の人が校舎の二階から飛び降りたらケガするよなぁ。下はコンクリだし。
 じゃあ、あれは何?

 ブルブル

 どこからか冷たい視線を感じて身震いする小太郎。
 視線の主が美術室にいる金髪の美少年とは気付かない。
「あ、ごめんごめん。待った?」
 そこへやっと佐和子が到着。
「ミユポンは来なかったの? こっちもクマさんが渋ってなかなか承知しなかったのよ。
サイコもクマさんが迎えに来ないんだったら行かないなんてワガママ言うし。あたしはコ
ンビニで三百円分のお菓子を買ってて遅れたんだけど。――あれ? どうしたの?」
 小太郎の様子がおかしいことに気付いて訊ねる佐和子。
「もしかして何か見た? 宮本武蔵の銅像が校庭をランニングしてたの?」
「……宇宙人だ」
「え?」
「宇宙人が校舎に押し入って美術室の絵を盗んでいったんだ!」
 今の小太郎に考えられるのはこの程度。
 女忍者の深雪が霊の宿った肖像画を悪の妖怪の魔の手から救い出したとは夢にも思うま
い。


 一方、すっかり忘れ去られているプールサイドのセバスチャン。
「暇でございますな」
 独りポツンと暗い水面を眺めている。
 幽霊どころかカエル一匹いない。
 いつもはプールにいるリョーコも深雪たちのところへ行っちゃったもんね。
 ただ座っているのもいい加減に飽きてくる。
「散歩にでも行きますか」
 よっこらせと腰を上げた。


前のページに戻る メインページに戻る 次のページに進む

●各ページに掲載されている文章、画像、その他の内容は無断で転載および配布を禁止します●