退魔忍者深雪〜セーラー服と忍者刀〜


第三章 ファントム・スイマー

 翌朝。午前八時。
 小太郎は自分の部屋の前で深雪が出て来るのを待っていた。
 どうして?
 もちろん偶然を装って深雪と一緒に登校するため。
 昨夜の深雪との遭遇は催眠術ですっかり忘れていた。
「早く出てこないかなぁ、有賀さん」
 ドキドキ。
 ワクワク。
 でも、残念ながら、深雪は十分も前に部屋を出た後。小太郎と違って深雪は早起きなの
だ。
 そんなわけで、いくら待っても深雪が現れることはないのだよ。
 結局、小太郎は二十分ほど待ち続け、彼の連続遅刻記録は三十七回を記録した。
 祝・校内タイ記録。


 で、四時限目。
 二年C組は隣のD組と合同で、男女に分かれて体育の授業。
 男子は校庭で持久走。
 直射日光の下で走るなんてヤダなぁ。
 女子はプールで水泳。
 水の中は気持ち良さそうでイイなぁ。
 そんなわけで物語の舞台はプールへ移動。
「これが、プールでございますか」
 初夏の太陽が輝く中、色気の全くないスクール水着でプールサイドに現れた深雪。
 初のプールで浮かれている。
 忍びの里にいたときは近くの沢で忍者装束を着たまま泳ぎの練習をしていたけれど、プ
ールのように比較的安全な場所で、しかも水着で泳ぐのは初めてなのだ。
 あ、そうそう。
 深雪はムダ毛処理済みだよ。忍者は自分の臭いを消す必要があるから少しでも体臭が残
らないように気を使っているのだ。
 忍者はとっても綺麗好き。
「プールなんてそんなに珍しくないでしょ、ミユポン」
 その深雪に同じくスクール水着の佐和子が話し掛けた。
「申し訳ございません。世間知らずなもので」
「プールが珍しいのは世間知らず以前の問題だと思うけど、まぁいいわ。それより、音楽
室のピアノが燃やされた話、知ってる?」
「まぁ。本当でございますか?」
 しらばっくれる深雪。
 忍者は真の感情を内に秘め、決して表に出さぬもの。
 でもそれは、感情が稀薄って意味じゃないんだよ。
「それが本当なのよ。音楽室を覗いて焦げたピアノを見てきたから間違いないわ。小指の
呪いが怖くてしばらく音楽室に置いておくみたいだから、ミユポンも見てくれば?」
「はい。しかし、心無い方がいるのですね。ピアノを燃やしてしまうなんて」
「それそれ、それよ。今朝の職員会議で先生たちが犯人当て推理合戦を繰り広げていたけ
ど、あたしの予想じゃ犯人なんて捕まるはずないわ。ピアノと言えば七不思議でしょ」
「と、言いますと?」
 ちょっと真剣な表情になって訊ねる深雪。
 踊るピアノは生きていたけれど、悪い妖怪を捜さなくてはいけないことに変わりない。
 そのためにも情報収集は大切。
 でも、佐和子の情報は役に立つときと立たないときがある。
「あたしが思うに、あのピアノはファイアダンスを踊ろうとして失敗したのよ。それで、
持っていた火が自分の体に引火して床を転げ回った挙げ句、燃え尽きちゃったのね」
 その推理には無理がございませんか?
 と答えたかったけれど、何を言っても佐和子は聞く耳を持ちそうにないので、深雪は素
直に同意する。
「そうかも知れませんね」
「その通り。ピアノがファイアダンスを踊ろうとしていたのなら、それは即ち、七不思議
が実在するという証拠よ。他の七不思議現象にも警戒しておく必要がありそうね」
 三本松高校七不思議の真相究明に闘志を燃やす佐和子。
「はぁ。そうですね」
 あいまいに応える深雪。
「ほらほら。サワちゃんもミユポンちゃんも早く並んでねー。準備体操始めるわよん」
 美奈子先生の声が飛んだ。
「はーい」
「申し訳ございません」
 謝る二人。そそくさとプールサイドに並んで準備運動を始める。
 一方、プールサイドの隅にある木陰では様々な理由で見学中の女子十数人が涼んでいる。
 超研の諜報員一号である霧島才瑚は留学生のフローレンスさんの手相を見ていた。
 いつでも占っているの?
 実はその通り。
「ところで、どうして美奈子先生が水泳の指導を行っているのでしょうか? 美奈子先生
の担当は英語のはずですが」
 深雪は他の生徒の動きに合わせて準備体操しながら佐和子に訊ねた。
「ミナちゃん? あれでも昔は水泳部でインターハイまで行ったことがあるから、水泳の
授業だけ特別に教えることになってるのよ」
「そうでございましたか」
 深雪は、インターハイが全国高等学校総合体育大会のこととは知らなかったけれど、言
葉のニュアンスで納得した。
「ほんとはミナちゃんが泳ぎたいだけなんだろうけど」
「はいはい、静かにー。見学してる人もこっちに注目ねー」
 美奈子先生がパンパンと手を叩いた。
「今日はクイックターンを教えるわねー。クイックターンは水中で前転して壁を蹴り出す
回転式ターンのことで、水平式ターンよりも素早く反転できることから、この名前が付い
たのよん」
 プールの縁の一段高いところに立って本日の授業の説明を始めた美奈子先生。口調はと
もかく内容は真面目。
 だけど、真っ赤なビキニでダイナマイトボディを強調するのはどうにかならないの?
 校庭で持久走をしている男子生徒が余所見して次々と玉突き衝突事故を起こしているん
ですけれど。
「それじゃあ、実際にクイックターンしてみせるわよん。みんなはそこで見ててねー」
 美奈子先生はスタスタと歩いていって、全部で七コースある二十五メートルプールの真
ん中、第四コースに上がる。
「あっ。考えてみればここも七不思議の一つだったのよね」
「そう言えば」
『第四コースを泳ぐプールの亡霊』
 佐和子の言葉で深雪が思い出すと同時に、

 チャプン

 美奈子先生が華麗なポーズでプールに飛び込んだ。飛び込みが上手いと水音が小さい。
「ミナちゃん、カッコイイ」
 周囲からパチパチと拍手が上がった。
 クロールで泳ぐ美奈子先生は、速く、力強く、そして美しい。下一桁を四捨五入したら
三十歳とは思えない素晴らしい動きだ。
 流石は元水泳部員。
 流石は現水泳部顧問。
 やがてプールの反対側に到達した美奈子先生は、そのボディを水に沈めたかと思うと、

 クルッ

 目にも留まらぬ早業で反転した。
「これがクイックターン……。一瞬で反転できるとは素晴らしい技術でござる」
 思わずゴザル言葉で感嘆する深雪。彼女が学んだ忍者泳法にはクイックターンなんてな
かったのだ。
 そんな深雪を含めた女子一同が見ている中、美奈子先生は壁を蹴った惰性でしばらく進
むと、再びクロールで戻ってきてスタート地点の壁にタッチ。
 タイムは二十九秒。
 なかなかの好成績だ。
「ミナちゃん、カッコイイ」
 再び拍手。
 ところが、美奈子先生は無言でプールを上がると、水を滴らせながら真っ直ぐ深雪の前
にやってきた。
「美奈子先生……?」
 先生の意図を計りかねて左十五度に首を傾げる深雪。
 すると、彼女は深雪の細い両肩をガシッと捕まえて、
「有賀深雪、わたしと水泳で勝負しなさい」
「はいぃ?」
 変な声を出す深雪。
 そりゃまぁ、いきなりそんなこと言われたら忍者だって対応に困る。
「勝負するの? しないの?」
 口調が違う。
 目つきが違う。
 何かがおかしい。
 これは……憑依されているでござるか!?
 憑依。
 幽霊などが乗り移ること。憑かれた者は体の自由を奪われて好き勝手に操られてしまう。
 つまり、今は美奈子先生を人質に取られているのと同じ。
 どうするでござる?
 自問する深雪。
 選択肢は四つ。

(1)人質を見捨てて逃亡する
(2)人質ごと犯人を刺殺する
(3)交渉を長引かせて時間を稼ぐ
(4)犯人の要求を呑む

 個人的には(2)でござる。
 ファイナルアンサー?
 冗談でござるよ。
 深雪は(4)を選択して顔を上げた。
「それでは勝負いたします」


 ほぼ同時刻。
 校庭の男子は持久走。
 千五百メートル走りっぱなし。
 みんな汗だくになって意識朦朧。
 さっきまではプールサイドの美奈子先生が唯一の清涼剤(興奮剤?)だったけれど、今
はそれも見えない。
 なのに一人だけ涼しい顔で先頭を走っている九尾葉平。まだまだ余裕がありそうだ。
「九ちゃん、マラソンでもやってたのかな?」
「ただ者じゃないのは確かだな」
 小太郎も大介も運動部だから人並み以上に体力はあるけれど葉平には勝てそうもない。
 ってゆーか、現役陸上部員も追い付けない。
「このタイムは何だ? 九尾より三十秒も遅いぞ」
 体育の太田先生(男、三十一歳、陸上部顧問、独身、恋人募集中)が、ストップウォッ
チを片手に二人の陸上部員へ檄を飛ばした。
「そんなに速く走れませんよ〜」
「あいつ人間じゃないって」
 実は陸上部員Bの言う通りだったりする。
 その葉平は只今トップでゴールイン。
「三分十七秒だ。すごいぞ、転校生」
 ストップウォッチの表示を読み上げる太田先生。
 それって世界新記録じゃないの?
「そうですか」
 しかし、オリンピックで金メダルを目指していない葉平は興味なさ気に応えるだけ。
「まだ部活は決めてないんだろう? 陸上部で汗を流す気はないか?」
「ありません」
 葉平は太田先生の汗くさい勧誘をすげなく断り、校庭の隅っこにある伝説の木の下へ向
かう。
 一人で勝手に休憩するつもりらしい。
 九ちゃんなのにイヤなヤツ。
「それにしても暑いなぁ」
「暑いって言うな、コタロー」
 小太郎のぼやきをシャットアウトする大介。
 現在の気温は摂氏三十度。
 いわゆる真夏日。うだるような暑さ。
「なんでこんな日に限って持久走なんだ。今日だったら喜んでプールに入るぞ」
 普段は文句なんか言わない大介もついついグチる。
「はぁ……プールかぁ」
 そのグチを聞いた小太郎は溜息を吐き、校庭の脇にあるプールを眺める。
 変なスケベ心じゃなくて純粋に深雪の水着姿が見たかった。
 水着姿って時点でスケベ心なんだけれどね。
 でも、スクール水着の女子は何人もいるから、どれが深雪なのか判別できない。
 その代わり、真っ赤なビキニの美女が手招きしているのが判った。
 言わずと知れた美奈子先生。
「ミナちゃんだ。どうしたんだろ?」
「そいつは知らんけど、これで持久走は中止だな」
「なんで?」
「ほれ、そこ」
 大介が指す方へ首を向けると、タイムを記録していたはずの太田先生が脇目も振らずに
全力疾走していた。
「オータせんせ、ミナちゃんにゾッコンだからなぁ。ははははは」
 そう言いながら、小太郎も深雪の水着姿を求めてコースアウト。
 もちろん他の男子もプールへGO。持久走よりプールの方が面白いに決まっている。
 あっ。一人だけプールへ行かない男もいた。
 木陰で涼んでいる九尾葉平。
 踊るピアノに踏まれた足の小指がまだちょっと痛い。
「ふん。誰もいなくなってしまうとは」
 皮肉げに呟き、鋭い眼差しを無人になった校庭へと向けた。
 プライドの高い葉平は女生徒の水着姿を拝みに行くなんて不粋で不埒な真似はできない
のだよ。
「足の具合はいかがですかな、葉平様?」
 そこへ突然湧いて出たセバスチャン。
「ふん。元々心配されるほどの傷ではない。腫れも引いた」
「しかし、先ほどの走りは本調子ではなかった様子。何か薬でも塗っておいては?」
「薬だと? そんな物がどこにある?」
「すぐ目の前にあるではございませんか」
 セバスチャンが指で示したのは、三本松高校の保健室。
 保健室だったら薬だって湿布だって置いてあるに違いない。
 ついでに骨格標本と人体模型も置いてあるんだよね。

「ミっナちゃーん!」
「ミユポンもがんばって〜」
 女子ばかりか男子まで集まってきて大騒ぎのプール。
「これでギャラリーも揃ったわね」
 第四コースに立つ美奈子先生は今にもこぼれ落ちそうなデンジャラスボディを惜しげも
なく見せ付けている。
「そ……そう、でございます、ね」
 一方、第五コースの深雪は大勢の視線を浴びてガッチガチ。緊張で指一本動かせそうに
ない。
 元から恥ずかしがり屋なのに加えて今は水着姿だもんね。
 生きるか死ぬかの真剣勝負だったら適度な緊張は心身を高揚させるけれど、この手の緊
張は百害あって一利なし。
 このまま水に入ったらドザエモンでござる。
 心の中で呟く深雪。
 ドザエモンとは溺死人のこと。
 江戸時代のスモウ・レスラー成瀬川土左衛門の太った体型が水膨れした水死体に似てい
たことが言葉の由来らしい。
 名前は似ていても未来の世界の猫型ロボットとは無関係。
「有賀さん、顔色が悪いけど大丈夫?」
 その時、顔面蒼白の深雪に声を掛けたのは、もちろん風間小太郎。
「そんなに気分が悪いんだったら棄権した方がいいんじゃないの? 有賀さんがどれぐら
い泳げるのか確かめるだけなんだから」
 小太郎を含む他の生徒たちは、美奈子先生が転校生の水泳の技量を見るためにこのイベ
ントを開いたと思っているのだ。
 でも、本当はそんなお祭り気分のイベントじゃないんだよ。
 美奈子先生のダイナマイトボディは別の誰かに乗っ取られていた。
 だから、逃げるわけにはいかないのでござるよ。
「だ、大丈夫でござりまするよ、風間さん」
 精一杯の笑顔で答える深雪。
 声が震えている。
 自己催眠も中途半端に解けているのでセリフもメチャクチャ。
「ゼンゼン大丈夫じゃないような気がするんだけど?」
「いいえ。心配には、及ばないのでござりまする」
「有賀さんがそう言うんなら……。じゃあ、無理しないでね」
「は……はい」
 深雪が頷くと小太郎は他の生徒たちがいるところまで下がる。
「風間殿……」
 小太郎に見られていると思うと深雪はますます恥ずかしくなった。
 けれど同時に安心できた。
 どうして?
 理由は解らないでござる。
 本当に?
 …………。
「今は、それどころではござらぬ」
 深雪はモヤモヤしてきた気分を振り払って第五コースに立った。
 今なら手も足も自由に動く。
「覚悟はできた?」
 深雪の心情の変化に気付いたのか、美奈子先生が呼び掛けてきた。
 普段の美奈子先生だったら絶対に見せない挑戦的な瞳を向けている。何者かが取り憑い
ているのは間違いない。
 わざわざ人を集めたことを考えると自信過剰で目立ちたがり屋の幽霊かも知れない。
 そんな幽霊がいるの?
 佐和子に聞けば自信満々に説明してくれるだろう。
「勝負は五十メートル。このプールを往復よ。いいわね?」
「判りました。しかし……あなたは一体、何者でございますか?」
 ちょっと勇気が出てきた深雪は、周りの生徒には聴こえないように小声で訊ねてみた。
 すると、美奈子先生は深雪が聞き取れる程度の声で、
「もう予想が付いているんでしょう? わたしは三本松高校七不思議の四番目、第四コー
スの亡霊。リョーコって呼んでちょうだい」
「やはり七不思議でござったか」
 やっぱりって顔をする深雪。相手が人間じゃないのでゴザル言葉に戻った。
「しかし、リョーコ殿は、何故わたしと勝負するのでござるか? 美奈子先生に取り憑い
て、何のつもりでござる?」
「昨日の夜、あなたが音楽室からコソコソ出てくるのを見たのよ。校庭を風のように駆け
抜け、高い校門を音もなく跳び越えていくところを」
「み、見ていたのでござるか!?」
 うっかり隠身の術を忘れていた深雪が悪い。
「そうよ。だから勝負するの。踊るピアノを燃やしたのはあなたでしょう?」
「そっ、それは誤解でござる。確かに音楽室へ行ったのでござるが、ピアノ殿は既に何者
かに……。むしろ、わたしも七不思議の方々に犯人の心当たりを訊ねたいと思っていたと
ころなのでござるよ」
「問答無用よ、有賀深雪。わたしたちの信用を得たければ実力でわたしを負かしてみなさ
い。もしもあなたが勝てたなら何でも話してあげるわ。でも、あなたが負ければ、この体
を永遠にわたしのものにするわよ」
 リョーコは一方的に話を打ち切るとプールサイドの太田先生に呼びかける。
「合図してちょうだい」
「はいっ、美奈子先生」
 審判を頼まれた太田先生は持久走の計測に使っていたストップウォッチを高く掲げた。
「位置について」
 ガヤガヤと騒いでいた生徒たちがピタッとおしゃべりをやめる。
「用意」
 プールに静寂が訪れ、
「ドン!」

 チャプン チャポン

 太田先生が腕を振り下ろすのと同時に深雪とリョーコがスタートを切った。
「おおぉぉぉ!」
 プールサイドの見物人からは大きな歓声が上がる。
 クロールで泳ぐリョーコはスゴい速さ。
 それにも増して、平泳ぎでクロールを追う深雪もスゴい。
 平泳ぎ?
 いわゆるカエル泳ぎ。
 人類の英知を結集して編み出されたクロール泳法と比べれば遅いのは当然。
 だったら、どーして深雪は平泳ぎで泳いでいるの?
 解らない人は忍者が泳ぐ目的を良〜く考えてみよう。
 忍者が水に入るのは、敵地にコッソリ侵入するときか、あるいは逆に逃げるとき。
 速く泳ぐだけならクロールでもバタフライでもいいけれど、忍者は静かに泳がなくては
ならないのだよ。
 水遁の術で潜水しているのならともかく、水面近くでバタ足なんかしたら一発で敵に見
付かるもんね。
 だから平泳ぎ。クロールなんて知らない。
 でもやっぱり、純粋な速さではクロールに勝てない。
 深雪とリョーコの差が徐々に広がっていく。
「ああーっと! 早くもミナちゃんリード! 流石はインターハイ経験者!」
 プールサイドでは佐和子が実況中継を開始した。ちゃっかり机とマイクを持ち込んで実
況席を作っている。
「この勝負をどう見ますか、解説のサイコさん?」
 佐和子はすっかり司会者口調になって隣の解説席に座っている才瑚に話を振った。
 ムリヤリ連れてこられた才瑚は手元の水晶球を覗き込んで、
「……私の水晶占いでは……美奈子先生に何か黒い影が重なって見えますが……」
「はい。解説のサイコさんでした。どうやらミナちゃんは先行き不安のようです」
 佐和子は美奈子先生が亡霊に取り憑かれているとはまったく気付いていない。
 ってゆーか、才瑚の占いの方が驚き。的中率は九十七パーセント。
 それはさておき。
 第五コースの深雪は必死に平泳ぎ中。
 十五メートルの時点でクロールのリョーコに二秒の遅れ。
(早く本気を出しなさい、有賀深雪。あなたが負ければこの体はわたしの物になるのよ)
 水中なのに、深雪の耳にはリョーコの声が聴こえてきた。
 ちなみに、リョーコが深雪の名前を知っているのは美奈子先生の記憶を読んでいるから
だよ。憑依している間は憑依先の記憶も自分のものにできるのだ。
(まさか、本気を出してこの程度じゃないわよね? 期待外れもいいところだわ)
 リョーコは深雪を挑発している。
 でも、深雪は忍者だから挑発されたくらいで怒らない。
 リョーコ殿はどうして勝負にこだわるのでござろうか? 美奈子先生の体が欲しいのな
らば、わたしと勝負しなくとも良いはずでござるが……?
 一方、第四コースのリョーコは折り返しの二十五メートル地点に到達した。
 そして――

 クルリンッ

「出たぁぁぁっ! ミナちゃん必殺のクイックターンっ!」
 何が『必殺』なのか解らないけれどマイク片手に佐和子が絶叫。
「対するミユポンは平泳ぎですからターンも手間取ると思われます。勝負はもう決まった
のではないでしょうか? ご意見をお聞かせ下さい、スペシャルゲストのコタローさん」
「そうですねー。いわゆるひとつのドゥーユアベストでがんばってほしいですね」
「以上、本日のスペシャルゲストは物真似が全く似てないコタローさんでした」
「悪かったなっ」
 そんなプールサイドの笑いを知らない深雪はリョーコのクイックターンに焦っていた。
 あんなのできないでござる。
 忍者の運動神経は抜群なので少し練習すればできるだろうけれど、ぶっつけ本番では不
安がある。そもそも、平泳ぎでクイックターンは無理があるのだよ。
 だからといって、普通にターンしていたらリョーコとの差は開く一方。
 深雪が負けたら美奈子先生の体はリョーコに奪われてしまう。
 ではどうするか?
 そうでござる!
 必死に泳ぐ深雪の頭上で三百ワットの豆電球が点灯した。
 どうするつもり?
 それは、深雪の行動を見ながら順を追って説明しよう。
 プールの端に辿り着いた深雪は、両手でしっかりと壁を掴んだ。
 次に、ロッククライミングの要領で指先に力を込めて水面上に体を引き上げる。
 そして、両足を壁に着けて横っ跳び。
 忍者のジャンプ力で十メートル近く跳んで再び水中へ。
 再び水面上に頭を出したときには、深雪はリョーコに並んでいた。
「おおぉぉぉっ!」
 どよめくプールサイド。
「これはスゴい! まるでカエルです。カエル跳びターンと名付けましょう!」
 本人の許可なく勝手に命名する佐和子。
「身体が水の外に出るからターンの時に水の抵抗を受けず、おまけに遠くへ跳んで距離を
稼いでいます!」
 御都合主義だから司会者のセリフが説明的。
「今のターンをどう見ますか、解説のサイコさん?」
「……反則じゃないの?」
「面白いからOK!」
 司会者佐和子は解説者才瑚の指摘を蹴散らして断言した。
 審判は太田先生なんだけれどね。
(なかなかやるじゃないの。そうでなくちゃつまらないわ)
 第四コースのリョーコが隣に並んで泳ぐ深雪に呼び掛けてきた。どうやらカエル跳びタ
ーンを反則とは判断しなかったらしい。
(ここからが本当の勝負よ、有賀深雪!)
 リョーコは一方的に宣言するとクロールの勢いを増した。気合いで早くなるなんて、ま
るで熱血スポ根マンガ。
 ここまで来て負けられないでござる!
 釣られて熱血スポ根少女になる深雪。
 残り十メートルでラストスパート。
「互角、互角です! ミナちゃんとミユポン、差しつ差されつのデッドヒート!」
「ミナちゃん、がんばって〜!」
「ミユポンも負けるなー!」
 プールサイドは大きな歓声に包まれた。
 リョーコが速いかと思えば深雪がリードし、
 深雪が勝ったかと思えばリョーコが先んじ、
 そして――
「勝者、美奈子先生ー」
「誰が見ても有賀さんの勝ちだって」
 ファルスジャッジの太田先生の背中を押す小太郎。
 危うくプールに落ちそうになった太田先生は体勢を立て直すと勝利者宣言をやり直す。
「勝者、有賀」
 ちなみに太田先生の手元の時計では、深雪のタイムは二十六秒。
 それ、平泳ぎの世界新記録じゃないの?
 しかし、オリンピックの日本代表を目指していない深雪はリョーコの元へ。
「わたしの勝ちでござる。美奈子先生を解放して下さるな?」
「もちろん約束は守るわ。それに、あなたが踊るピアノを燃やしたんじゃないってことも
信じてあげる」
「信用して下さるのでござるか?」
 意外そうに問い返す深雪。
 ずいぶんあっさりしているでござる。
 するとリョーコは口元に笑みを浮かべて、
「だって、あなたが踊るピアノを倒したなんて初めから思っていなかったもの。それくら
い、あなたの目を見れば判るわ。この体をわたしの物にするって言ったのも、あなたに本
気を出させるためのウソよ」
「それでは、何故わたしと水泳で勝負を?」
「いい勝負をしてみたかっただけよ。あなたも楽しかったでしょう?」
「楽しかった?」
 そう言われて気が付いた。
 深雪は久しぶりに疲労を感じている。
 でも、この疲労は嫌なものじゃなかった。
「確かに、今は清々しい気分でござるよ」
「そういうことよ。付き合ってくれてありがとう。わたしも楽しかったわ」
 一足先に水から上がって深雪に手を差し伸べるリョーコ。
 深雪はその手を固く握ってプールを出る。
 闘いの後に生まれる友情。
 その二人を取り囲んで拍手する観客。
 熱血スポ根マンガの展開そのまんま。
 でも、リョーコはプールから上がった深雪の姿を見て何やら納得する。
「ふぅん、なるほど。わたしが最後に競り負けた理由が解ったわ」
「何が『なるほど』でござるか?」
「あなた、水の抵抗が少ない体型なのよ」
 つまり、発育途上の幼児体型。
 微乳。寸胴。難産型。
「リョーコ殿っ!」
「ふふっ。やっぱり子供ね」
 実は少し気にしていた深雪が抗議したけれどリョーコは相手にしない。
「ああ、そうそう。わたしたち七不思議と話がしたかったら中庭のムサシを訪ねるといい
わ。一応、彼がリーダーだから」
 最後にそう言い残して、リョーコは美奈子先生の体を去っていった。

 少し前の保健室。
 保険医の由香里先生は職員室で雑談中。
 貧血を起こしてベッドで休む、三つ編み眼鏡な文学少女も今日はいない。
 そのはずなのに、

 テケテケテンテン

 珍妙な音楽と共に白いカーテンが開いて二つの小柄な人影が現れた。
「コッくんでゲス」
 一人はガリガリ。ってゆーか、全身骨だけの骨格標本。
「ニッくんダバ」
 もう一人は小太り。ってゆーか、右半分が筋肉剥き出しの人体模型。
「コッくんと」
「ニッくんで」
『二人合わせて骨肉コンビ!』
 ベッドの上に飛び乗って、声を揃えてポーズを決めた。
「いやー。本日はお日柄も宜しく」
「今日は仏滅ダバよ」
「仏滅っちゅうと、控え投手の練習場でゲスか?」
「そうダバ。リリーフピッチャーが肩を温めながら出番を待つ――って、そりゃ仏滅やな
くてブルペンや!」

 バコッ!

 かなりキツいボケに手刀チョップでツッコミを入れるニッくん。
 コッくんの頭蓋骨が外れて転がったけれど、すぐに拾って首に戻したから大丈夫(?)。
 どうやら骨格標本のコッくんがボケ役で人体模型のニッくんがツッコミ役らしい。
 もう判ったと思うけれど、彼らが三本松高校七不思議の五番目、骨格標本と人体模型だ
よ。魅惑のトークショーじゃなくてドツキ漫才だけれどね。
 ちなみに、彼らの名前は骨三郎と肉之進。
 だから二人で骨肉コンビ。
「お後がよろしいようでゲスな」
「ほなな〜」

 テケテケテンテン

 脱力するような音楽と共にカーテンが閉まった。
 パチパチパチ
 そこへ、どこからともなく二人分の拍手の音が響いた。
「いやはや。つまらない漫才でございましたな」
「全くもってその通りだな」
 戸棚の陰から現れた葉平とセバスチャン。
「それでは薬を戴いてサッサと帰りますか」
「馬鹿か貴様は!?」

 ドベチゴンッ

 鉄扇の角でセバスチャンの後頭部をブッ叩く葉平。クリティカルヒットでダメージ三倍。
 こっちのドツキ漫才の方が迫力があって人気が出るかも知れない。
「骨格標本と人体模型が勝手に動いているのだぞ。どう考えても怪しいだろうがっ」
「なんと! では、今の者たちが二つ目の封印を守っていると?」
「他に何があるというのだ? 貴様は廊下で見張っていろ」
「はいはい。判りましたよ」
 セバスチャンはスタスタと廊下へ向かった。
 葉平はツカツカとベッドの方へ歩いていって白いカーテンをバッと開く。
「いやん」
「えっち」
 何故かセクシーポーズの骨肉コンビ。
 葉平のこめかみがピクッと引きつる。
 どうやら気に障ったらしい。
「貴様ら、素直に封印を解かねばピアノと同じ運命だぞ」
「封印でゲスか?」
「ちゅーことは、ピアノはんを倒したのは――」
「だとしたらどうする?」
 扇を手に脅しをかける葉平に骨肉コンビは、
「ほな、こっちも本気でやらなあかんダバな」
「おっ。久しぶりにアレでゲスか?」
「もちろんアレに決まってるダバ」
 アレって何?
 もうちょっと待ってね。
「行くでゲスよ、ニッくん」
「こっちもオッケーダバよ、コッくん」
『蒸着!』
 声を揃えて合言葉を叫ぶ二人。
 すると、コッくんの骨格がバラバラになって宙に舞った。
 同時に、小太りだったニッくんがスラリとした美丈夫に変形。
 そして、骨の一つ一つが鎧のパーツになってニッくんに張り付く。
 たったの一ミリ秒で合体完了。
「ふははははははっ! 我が名は骨肉剣士」
 合体したら口調まで変わった。
「我らが合体した今、貴様に勝ち目はない。覚悟するのだな」
「合体すれば良いというものではない。返り討ちにしてくれる」
「そう言っていられるのも今だけだ。行くぞ、ボーンソード!」
 骨肉剣士は骨鎧の左大腿骨から骨の剣を抜いた。
「なるほど、示現流か」
 葉平は骨肉剣士の構えから剣の流派を見抜いた。
 肉を斬らせて骨を断つ、二の太刀要らずの示現流。
 長野のプラスチック工場で生まれた骨肉コンビが、どーして薩摩の最強剣術を?
 細かいことは気にしない。妖怪のすることなんだから。
「ならばこちらも本気を出すまでだ」
 葉平は鉄扇を構え直した。
「面白い。我が必殺剣、止められるものなら止めてみよ! ――チェストォッ!」
 ボーンソードが疾風の如く振り下ろされる。
「見切った!」

 ガシッ

 葉平は鉄扇を両手で頭上に掲げ持ち、ボーンソードを受け止めた。
「何っ!?」
「ふん。所詮この程度か。降参するなら今のうちだぞ?」
「それはできない相談だな」
 再び剣を構える骨肉剣士。
「命に代えても貴様は倒す。我が超必殺剣を受けてみよ!」
 さっきのが必殺剣だったから、今度は超必殺剣。
 二の太刀要らずじゃなかったの?
 というツッコミは不許可。
「チィェスゥトォォォゥッ!!」
 ドップラー効果が起こるほどの勢いで振り下ろされるボーンソード。

 シュバッ!

 その切っ先から飛び出した衝撃波が風を切り裂き葉平に襲いかかる!
「喰らえ、断骨破!」
 ところが――
「その程度の攻撃でこの僕を倒せるとでも思ったか? ピアノを倒して取り戻した妖力を
見せてくれる」
 葉平は鉄扇を開くと、迫り来る衝撃波へ向けてバサッと扇いだ。
 もちろん遊んでいるわけじゃない。

 ヴィィィンッ!

 妖術、ソニック・ウェーブ。
 扇子から放たれた音響振動波が断骨破を相殺する。
 ぶつかり合った二つの妖術の余波で、狭い保健室はメチャメチャのグチャグチャ。
 由香里先生が三ヶ月の減給に涙を呑むことになるけれど、その話はページ数の都合でバ
ッサリとカット。
「まさか、我が超必殺剣・断骨破を防ぐとは……!」
 十五分後の由香里先生と同じくらいに動揺を隠せない骨肉剣士。
「……こうなっては仕方あるまい」
「ほう。諦めて封印を解く気になったか?」
「いいや。紅き月夜の血の惨劇以来、二度と使うまいと自らに禁じていた超々必殺剣を使
うときが――」
「そんな不吉な技を使わせるかっ」

 ボワッ!

 葉平が再び扇を振ると、今度は青白い炎が骨肉剣士を包む。
 妖術、フォックス・ファイア。
 踊るピアノを燃やした妖術だ。
「ぐわぁぁぁっ!」
 超々必殺剣を使う間もなく炎に呑まれる骨肉剣士。
 合体の解けた骨肉コンビが床に倒れる。
「こ、ここまででゲスな……グフッ」
「あとは頼むダバよ……。ムサシの兄貴、リョーコの姉御……カクッ」
 骨格標本の骨三郎、人体模型の肉之進。全治三週間の重傷で仲良く絶対安静。


「しっかりして下さいませ、美奈子先生」
「おっかしいわねー。急に貧血なんて」
 美奈子先生に肩を貸して廊下を歩いている深雪。
 取り憑いていたリョーコが離れて軽いめまいを起こした美奈子先生は、大事を取って保
健室で休むことになったのだ。
 でも、深雪の本当の目的は、早く二人きりになって美奈子先生に催眠術を施すこと。
 水泳勝負の記憶がスッポリ抜け落ちたままだと遅かれ早かれ変に思うだろうから、催眠
術で偽の記憶を植え付けておくつもり。
 そんなわけで保健室にやってきた深雪は半開きになっていた扉を開けた。

 ガラガラ

「申し訳ございません。ベッドをお貸しいただけま――」

 グリ

 何か踏んだ。
「こ、これは失礼しました」
 慌てて足を上げる深雪。
 すると、そこにあったのは焼け焦げた人体模型。
 そして散乱する骨格標本。
 何者かが争った後のように保健室はメチャメチャのグチャグチャ。
「また邪悪な妖怪が現れたのでござるか!?」
「ゴザル?」
 突然のゴザル言葉にキョトンとする美奈子先生。
 美奈子先生に施す催眠暗示が一つ増えた。


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