退魔忍者深雪〜セーラー服と忍者刀〜


第二章 ピアノは踊る

 放課後。
 深雪は小太郎に連れられて三本松高校を案内されていた。
 ところが、現代社会の常識がない深雪は失敗ばかり。
 好奇心で火災報知器のボタンを押して消防車が出動しそうになるのは基本中の基本。
 家庭科室では勝手に触ったガスコンロが火柱を上げて再び消防車を呼びそうになった。
 コンピュータ実習室ではキーボードに指を置いた瞬間にパソコンが火を吹いて以下略。
 ところが、深雪が『申し訳ございません。世間知らずなものですから』と頭を下げて謝
ると、ほとんどの失敗は、『しょーがないなぁ。これだからお嬢様は』の一言で済まされ
てしまう。
 深雪が世間知らずの箱入り娘に成り済ましていたのは、そんな思惑があったのだよ。理
由もなくお嬢様を演じているわけじゃないんだよ。
「次はどこを案内して下さるのですか?」
 怒られながら図書室を出てきた深雪は振り返って小太郎に訊ねた。
「音楽室だよ」
 そう答えた小太郎の話しぶりはすっかり自然な調子に戻っている。
 授業中ずーっとドギマギしていたので、今はだいぶ落ち着いた。
 それに、深雪の失敗に付き合って一緒に怒られているうちに、憧憬の気持ちに加えて親
近感が芽生えてきた。どっちにしろ片想いのままだけれどね。
 ま、それはそれとして。
 深雪と小太郎は特別教室棟の二階東端にある音楽室へやって来た。今日は合唱部も吹奏
楽部も使っていなかったので誰もいない。
 ついでにカギも掛かっていなかったので勝手に入った。

 ガラガラ

「まぁ。立派なピアノがございますね」
 立派なピアノ。グランドピアノ。
 テレビで見たことはあるけれど実物は初めての深雪。
 忍者でも人並みに好奇心は持っている。
 まして今は世間知らずのお嬢様。
 お嬢様は我が道を突き進む。
 これまでの失敗を忘れて鍵盤に指を載せた。

 ドレファソシド

 ミとラの音が出なかった。
 深雪が壊した――じゃなくて、これは元々壊れていただけ。
 それでも感動に指を震わせる深雪。
「有賀さん、ピアノ弾けるの?」
 その深雪に話しかけた小太郎。
「いいえ。お琴でしたら少々弾けますけれど」
「お琴?」
 琴。現在は箏の意味で用いられる。
 桐板を張り合わせて作った中空の台に複数の弦を並べた楽器。弦は十三本。
 奈良時代に中国より伝わった弦楽器で、和服姿の女性が弾くと絵になる。
「イイなぁ」
 和服の深雪が琴を弾く姿を想像してウットリする小太郎。
「風間さん、次はどこへ?」
「あっ……と、それじゃ次は課外活動棟かな」
「課外活動棟?」
「うん。古い校舎を改造して中に部室とか倉庫を作ったんだ」
 木造の旧校舎を流用した部活動のための建物。演劇部や天文学部やマンガ研究部などの
文化系の部が主に使用している。
「ところで、有賀さんは部活どうするの?」
 二人で課外活動棟へ向かいながら小太郎が深雪に訊ねた。
「部活でございますか?」
「うん。運動系の部に入るんだったら、あのボロ校舎はあんまり関係ないんだよね」
「風間さんは剣道部でございましたね?」
「そうだよ。剣道部の部室は柔剣道場の方にあるんだ。――って、まさか有賀さんも剣道
部に?」
 それは絶対やめた方がいい。
 だって防具が臭いから。
 あっ。でも有賀さんってお嬢様っぽいから新品の防具を買えるかな?
 僕は生活費が苦しいから、代々の剣道部員の血と汗と脂が染み込んだ伝説の防具を受け
継いでいるんだけど。
「ご心配なく。剣道部には入りませんわ」
「なーんだ。余計な心配しちゃったよ。ははははは」
「はい。柔剣道場は昼休みのうちに案内していただきましたから」
 柔剣道場の汗臭さは嗅覚敏感な忍者の鼻には致命的だった。
「そうだよね。やっぱり、有賀さんって汗をかくことは似合わないと思うよ。茶道部みた
いなのがいいんじゃないかな?」
「ダメよ。ミユポンは超常現象研究部への入部が内定してるから」
「どわぁあっ!?」
 思わず跳び退く小太郎。
 二人の間に猿渡佐和子が湧いて出た。
 超研の部長、オカルトマニア。
 オカルトの輪を広げるために只今参上。
「あなたは確か、サルワタリさん」
「猿渡よ、サワタリ」
 深雪の間違いを訂正する佐和子。
「いきなり出てくるなって、サワタリ」
「仕方ないでしょ。せっかくミユポンを超研に勧誘しようと思ったのに、あんたが連れて
逃げるからよ。どうして逃げるの?」
「決まっている。有賀さんを悪の巣窟に引きずり込ませはしない」
 小太郎は深雪を背にかばって啖呵を切る。
「たとえ僕の命が燃え尽きようとも、有賀さんの部活動選択の自由は守ってみせる!」
 気分はすっかり映画の主役。
「ふっ。君には失望したよ、副部長コタロー」
 釣られて映画の悪役になる佐和子。
「まさか、部長であるこの私を裏切るとはな」
「裏切るだって? 僕は一度たりともお前に協力したつもりはない。お前が一方的に僕を
利用しただけだ」
「愚問だな。それも我らが超研のため」
「『我らが』とは良く言えたものだな。超研はお前の私物に過ぎない。お前一人のくだら
ない野望のための踏み台でしかないんだ」
「くだらないかどうかは我々が判断するのではない。数十年後、数百年後の人間が彼らの
価値観で判断するものだよ。私はただ、私の理想を実現するだけ」
「……どうやら、僕たちはどこまでも平行線を辿るだけのようだな」
 苦渋の表情で拳を握り締める小太郎。
「ふっ。残念だよ。私は君の実力を買っていたのだが」
 不敵な笑みを浮かべる佐和子。
 さて。
 この芝居がかった会話から状況が理解できるかな?
 佐和子の野望とはオカルトの輪を世界に広げること。
 彼女はその足掛かりとなる超常現象研究部を設立するため、生徒会へ提出する部員名簿
の第二位に小太郎の名前を無断で借用したのだよ。
 くだらない野望に燃える女と、その野望に巻き込まれた男の、くだらない戦い。
「ところで、超常現象研究部とはどのような部なのですか?」
 さっきから気になっていた深雪が小太郎の後ろから顔を出した。
「良くぞ言ってくれた我が同志よ」
 ガシッと深雪の手を握る佐和子。
「詳しい話は超研本部で」
 小太郎が止めるヒマもない。
 深雪は佐和子に引っ張られて超研の部室に連れ込まれた。
 忍者なのに。

「ようこそ我らが超研本部へ。新たなる同志、有賀深雪君」
「その口調はもういいっつーの」

 ペチッ

 悪の大幹部佐和子にデコピンする小太郎。
「あうっ。痛いわね、コタロー。頭蓋骨が陥没したらどうしてくれるのよ」
 佐和子は額をさすりながら小太郎に文句を付ける。
「そうでございますよ、風間さん。女性の顔を傷付けて、サルワタシさんのお顔が今より
悪くなっては大変ですわ」
「猿渡よ、サワタリ」
 深雪の間違いを再び訂正する佐和子。
 でも、深雪がさり気なくヒドいことを言ったのは気のせいだろうか?
 聞かなかったことにして話を進める。
「さてと。まずは見学者にメンバーの紹介をするわよ」
 現在、この部室(超常現象研究部本部基地)にいるのは深雪を含めて五人。
 その五人が長方形のテーブルの周りに腰を落ち着けている。
「当然知ってると思うけど、あたしは猿渡佐和子。この超研の部長よ」
 見た目だけ豪華な玉座に腰掛けて自己紹介する佐和子。
 この玉座は演劇部で要らなくなった大道具を佐和子が拾ってきたリサイクル品。
 同様のガラクタが部室の奥で山積みにされている。どうやら暇なときに修理しているら
しい。
「で、同じく副部長の風間小太郎。剣道部を兼任。――って、コタローに関しては、あた
しが説明するまでもなかったわね」
 コクンと頷く深雪。小太郎には学校案内の合間に自己紹介された。
 その小太郎は深雪の隣に座っている。
「続いて実働隊長の穴熊大介。柔道部兼任。――クマさんのことも知ってるわよね?」
「はい。もちろんです。同じクラスでございますから」
 大介は深雪の斜め前、小太郎の正面にどっかりと腰を下ろしている。
「もう帰っていいか? 柔道部の練習が休みだってのに、こんなところに連れてきやがっ
て」
「ダメよ。超研は年中無休」
 早く帰って好物のカレーを食べたい大介の意見は佐和子にきっぱり却下された。
 大介も小太郎と同じく名前を無断借用された被害者だったりする。
「そして最後に、諜報員の霧島才瑚。彼女は自ら志願して超研に入部した優秀な人材よ。
隣のクラスだからミユポンは初めてよね」
 深雪の向かい側に座っている才瑚は、長い前髪とぐるぐるメガネで素顔が見えない。
 ちょっとネクラっぽい。ってゆーか、今はタロットカードで何やら占い中。
 超常現象研究部の諜報活動は、やっぱりオカルト。
「初めまして、霧島さん」
「……よろしく」
 深雪が会釈すると、才瑚はタロット占いの手を止めて軽く頭を下げた。
 どうにも近寄りがたい相手だけれど悪い人ではなさそうだ。
「この四人が現在の全メンバーよ」
「はい。ところで、超研とはどのような活動をするところなのですか?」
「どのようなって……」
 言葉に窮する佐和子。
 そんなこと急に質問されても困る。
 超研は結成してからまだ一ヶ月。部員勧誘以外の活動と呼べる活動はない。
 唯一、才瑚の占いが一部の女子の間で密かに好評を博しているだけ。
「我らが超常現象研究部では、現在、三本松高校に代々伝わる七不思議の真相究明を行っ
てるわ」
「えっ? そうなの?」
「初めて聞いたぞ」
 小太郎と大介から同時にツッコミが入った。
「あんたたちはいつも超研に顔を出さないから知らなかったのよ」
「……私も知りませんけど」
「というわけで」
 才瑚の静かなツッコミは無視して話を進める佐和子。
「今日は見学のミユポンのためにも、この高校の七不思議について中間報告するわよ」
 超研始まって以来のまともな会合の開幕だ。
「取りあえず、現在判明している七不思議を書き出すわね」
 言って佐和子はチョークを手に取った。
 超研の部室は旧校舎の教室を二つに分けた前の部分なので色褪せた黒板が付いている。
「……と、今はここまでよ」
 やがて佐和子はチョークを置いた。
 黒板に書かれている項目は全部で六つ。

(1)動く銅像
(2)踊るピアノ
(3)目から怪光線を放つ肖像画
(4)第四コースを泳ぐプールの亡霊
(5)骨格標本と人体模型による魅惑のトークショー
(6)トイレのフローラさん

「どう? サイコの所に来た占い客から噂を聞き出した結果よ」
 胸を張る佐和子。
「ふーん。けっこう調べてるんだ」
「オカルトオタクの本領発揮だな」
 感心する小太郎と大介。
 感心したけれどオカルトに関心はない。
 だから尊敬もしない。
「……それにしても、(5)って何?」
 大介の隣でボソッと呟いた才瑚の声は誰の耳にも届かなかった。
 自己主張しても目立たない可哀想なキャラクター。前髪を上げたら超美人で、脱いだら
ビックリのDカップというのは、ベタベタなお約束なので半永久的に裏設定。
「三本松高校七不思議、でございますか」
 そんな才瑚の向かい側では、深雪が急に真面目な顔になってメモを取り始めた。
 どーしてメモしているの?
 そんなの決まっているじゃないか。今夜の仕事場所が見付かったからだよ。
 深雪が妖怪退治の使命を帯びた忍者なのを忘れていないかな?
 実は深雪も半分くらい忘れていた。
「(1)の動く銅像とは、どこにある銅像なのでしょうか?」
「中庭にある宮本武蔵の像よ」
 宮本武蔵。
 江戸時代初期の剣術家(実在の人物だよ)。
 二振りの刀を使うことで知られる剣法「二天流」の創始者。生涯に行った六十の勝負に
一度も敗れたことがなかったと言われており、特に、巌流島で佐々木小次郎と試合を行っ
たことは有名。晩年は金峰山に籠もって『五輪書』を執筆した。
 でも、学校の銅像にするのはどうしたものだろうか?
「あと、ピアノは音楽室。絵は美術室。プールの亡霊は当然プールで、骨格標本と人体模
型は保健室。フローラさんは新校舎の三階東側の女子トイレよ」
「中庭、音楽室、美術室、プール、保健室、トイレ……と」
 頷きながら手帳に各七不思議の発生現場を書き加える深雪。
「七つ目だけが判らないのでございますね?」
「そうなのよ。最後の一つはまだ調査中」
「では、この六つの中で特に怪しいのはどれでしょうか?」
「それなら(2)のピアノね」
「どうしてピアノなのですか?」
「実はそのピアノ、夜中に踊るだけじゃなくて、身の毛もよだつ恐るべき呪いがかかって
いるらしいのよ」
 得意気になって次々と質問に答えていく佐和子。
 小太郎と大介はヒマそうに大きなあくびをしているけれど、深雪は手帳にメモを取りな
がら続けて質問。
「呪いでございますか?」
「その通り。音楽室からそのピアノを運び出そうとした人間は必ず足の小指をぶつけてし
まうという恐ろしい呪いなの。壊れて出ない音があるのに修理を頼もうとしないのは、そ
の呪いを怖れているからって話よ」
 必ず足の小指をぶつけてしまう呪いのピアノ。
 あんまり怖いって感じがしない。
「ああ、そうそう。うちの高校のピアノは壊れて出ない音があるから、他の学校と違って
自動演奏しないのよ」
「はい。解りました」
「メモを取るなんて感心ね。――って、こんなに熱心に聞いてくれるってことは、ミユポ
ンも超常現象に興味があるの?」
 瞳をギラッと光らせる佐和子。
 獲物を捉えた肉食動物の目だ。
「ミユポンも超研に入らない?」
「はい。是非ともお願い致します」
 獲物の方から口の中に転がり込んできた。
「えっ……。なんだか拍子抜けしちゃうわね」
「そうですか?」
 とぼける深雪。
 永劫の闇に生きる忍者が何のメリットもなく入部したがるわけがない。
 超研部員ならば誰にも怪しまれずに妖怪の情報を集められるという打算が働いたのだ。
「じゃ、この入部届に名前を書いて」
「はい」
「ダメダメ、有賀さん。こんな部に入るなんて、人の道から脱線するようなものだよ」
 半分居眠りしていた小太郎が飛び起きたけれどもう遅い。
「書いちゃったわよ。これでミユポンは我らが超研の諜報員二号」
 佐和子は深雪の名前が書かれた入部届をピラピラさせる。
「お世話を掛けます、風間さん」
「うーん……。仕方ないか」
 深雪が望んで入部したのなら小太郎に反対する理由は何もない。
 小太郎は渋々納得しつつ、そのまま佐和子に別の疑問を投げ掛ける。
「ところでサワタリ。九ちゃんの方はどうして勧誘しなかったんだ?」
「もう一人の転校生? あっちは取り巻きが多くて近付けなかったのよ」


 その頃、新校舎の屋上で沈む夕日を眺めている男がいた。
 美貌の転校生、九ちゃんこと九尾葉平。
 柔らかな金髪を風になびかせ、口元にキザっぽい笑みを浮かべている。
「葉平様。只今戻りました」
 その彼の後ろに人影が現れた。
 タキシードを着た初老の男。
「ご苦労だったな、セバスチャン」
 葉平は振り返らぬまま銀髪の老紳士に労いの言葉を掛けた。
「ですから、私の名はセバスチャンではなく――」
「却下だ。執事の名は昔からセバスチャンと決まっている。だいたい執事のくせに僕より
偉そうな名は許せん」
 平凡な名前の葉平はチラリと振り返って鋭い視線を向ける。
 あんまりカッコつけて言うセリフじゃない。
「まぁ良い。それで、例の封印を守っている奴らは見付けたのか?」
「いえ。残念ながら」
 セバスチャンは畏まって報告する。
「しかしながら、付近に漂う妖気の濃さから考えて、封印の守護者どもがこの学校のどこ
かにいるのは確実かと思われます」
「ふん。やはり、地道に一人ずつ捜してゆくしかないか」
「はい。昼間は人間どもがうろついておりますので、夜の間にこっそりと」
 あらら。『人間ども』なんて言うから葉平たちが人間じゃないって判っちゃったね。
 つまり妖怪。深雪の敵。
「問題は、封印の守護者どもを探す当てがないことでございます。私が知っているのは五
十年も前のことでございますから」
「ふん。案ずることはない。僕が何のために高校生に化けていると思う?」
「若い娘たちにおモテになりたいからでございますね」
「封印の守護者たちの情報を聞き出すためだ、この戯けが!」

 バコッ

 葉平は懐から取り出した銀色の扇子で白髪の混じったセバスチャンの頭を叩く。
 扇子は扇子でもこの扇子は金属製で、本気で殴られればとっても痛い。
「ほんのジョークでございますよ。叩かないで下さいませ、九ちゃん」
「その名で呼ぶなっ!」

 バチンッ

 再び鉄扇で一撃されるセバスチャン。
 なのに、しょーこりもなく、
「女生徒たちから『カワイイ〜』と言われて、その愛称で了承したではありませんか」
「何故知っている!?」

 バチコンッ

「ともかく、だ」
 葉平は懐に扇子をしまうと脱線した話を元に戻す。
「僕がそれとなく聞き出した噂によると、この高校では昔から七不思議と呼ばれる七つの
奇怪な現象が起こっているらしい」
「おお。それは怪しいですな。封印も七つですから、数は合っております」
 感心するセバスチャン。
「ふん。やはりお前もそう思うか」
 口元に誇らしげな笑みを浮かべる葉平。
 あんまり自慢するほどのことじゃないんだけれど。
「では葉平様。その七不思議とやらが起こる場所へ参りましょうか」
「焦るな、セバスチャン。それについては調査中だ」
「……つまり、どこで起こるのか知らないのでございますね」
「余計な詮索をするな。調査中と言ったら調査中なのだ」
 良く通る美声でセバスチャンをたしなめる葉平。情報収集力は佐和子の方が上だった。
「もう良い。下がっていろ」
「承知いたしました、九ちゃん――いえ、葉平様」

 シュンッ

 瞬きする間に姿を消すセバスチャン。
 そして、屋上で一人になった葉平は、落下防止用の金網越しに校庭を見下ろす。
 彼の眼下には、超常現象研究部の初会合を終えて下校中の深雪と小太郎の姿があった。
「まさか、この高校に忍者が紛れ込んでいるとは……」
 無意識のうちに金網を握りつぶす葉平。
「だが、今は貴様に関わっている暇などない。邪魔をするな……忍びの者よ」
 夕日を浴びて長く伸びる九尾葉平の影には、二本の尻尾が揺れていた。

「そっか。有賀さんも一人暮らしなんだ」
「はい。社会勉強のため独りで暮らすようにお爺様から言われました。世間知らずなもの
ですから」
「困ったことがあったら何でも僕に言ってよ。一人暮らしの先輩として相談に乗るから」
「ありがとうございます、風間さん」
「うん。――それじゃ、お休み、有賀さん」
「ええ。また明日」
 アパートに到着し、それぞれの部屋の前で別れる小太郎と深雪。
 下校の途中で小太郎がコンビニ弁当を買ったり墓場を怖がって遠回りしたので、時計は
もう七時を回っている。
 でも、深雪はまだ、夕食を済ましてお風呂に入って明日の予習をしてお休みなさいとは
いかないのだ。
 玄関を開けて殺風景な部屋に帰ってきた深雪はお嬢様風に下ろしていた髪をポニーテー
ルのように頭の上で束ねた。
「準備完了でござる」
 ゴザル言葉の女忍者に戻ったでござるよ。
 セーラー服の背中には忍者刀。
 スカートの中には手裏剣がジャラジャラ。
 物騒な毒薬、炸薬もいっぱい。
「いざ、学校へ」
 意気揚々と窓から外へ――飛び出そうとした深雪はテレビの前で足を止めた。
「今日は黄門様の日でござった」
 黄門様の日?
 それは、深雪が好きなテレビ番組『江戸黄門』が放送される日のこと。
 深雪が三本松町に来た理由の半分は時代劇を見るためだったのに、それを見忘れては一
生の不覚。
「黄門様は八時からでござるから、もうすぐ始まるでござるな」
 先週は博打でボロ負けした黄門様が身ぐるみ剥がされてしまい、負けを取り戻そうと賭
場に乗り込んだ助さん格さんまでも大負けして大切な印籠を取り上げられるという絶体絶
命な場面で終わった。
 次週の予告では、黄門様一行が借金返済のため地道な労働に勤しむと言っていた。
 続きが気になる。
 機械音痴の深雪はビデオの予約なんてできないから、仕事を終えてからゆっくり見るな
んてことはできない。
「出発は一時間後でござる」
 深雪は型の古いテレビの前に正座してチャンネルをひねった。
『江戸黄門』の主題歌が流れ出す。
 ついついハミングしてしまう深雪。
 ものすごく瞳がキラキラしている。


 さて。
 深雪が『江戸黄門』に夢中になっている頃。
 謎の転校生九尾葉平と執事セバスチャンは今夜の寝床を探して校内を徘徊中。
「葉平様。倉庫のマットでも良いではありませんか」
「駄目だ。カビ臭い」
 眠るだけならどこでも眠れる妖怪だけれど、誇り高い葉平は埃っぽい場所では眠らない。
「でしたら、人間どもが営んでいる宿に泊まりましょう。金銭はどうとでもなります」
「ふん。どうせ封印の守護者たちを探しに戻ってくるのだぞ。どうせならば、寝床も校内
にした方が時間を無駄にせずに済む」
 振り返ってセバスチャンに説明する葉平。
「なんと。それなりに考えていたのでございますね。私はてっきり、ただの我がままとば
かり思っておりました」
「一言多いぞ、セバスチャン」

 ペチ

 取り出した扇子で老紳士の額を軽く叩いた。
 そんな二人の耳にリズミカルな音楽が聴こえてくる。

 ツカツカツカカンツカツツツン

「この音は……?」
「誰かがタップダンスを踊っているようですな」
 タップダンス。
 靴の前後に取り付けた金具で床を踏み鳴らしながら踊るダンス。
「なるほど。確かにタップダンスのようだな」
 妖怪なので聴覚も抜群。
「良し。行くぞ、セバスチャン」
「どちらへ?」

 ドベチッ

 かなり本気で殴られるセバスチャン。
 扇子は叩く物じゃないんだよ、葉平君。
「人間が今の時間にタップダンスを踊っているはずがなかろう、愚か者が」
「全国タップダンス選手権に出場するタップダンス部の生徒が遅くまで練習しているので
は?」
「そんな部活は存在しない」
 きっぱり断言する葉平。
 でも、三本松高校はそこらの学校とはわけが違う。
 実はあるんだよ、タップダンス部が。全国タップダンス選手権は先週終わったけれど。
「七不思議とやらの一つかも知れん。確かめに行くぞ」
「はいはい。判りました、葉平様」
「『はい』は一回で良い」
「はい!」
「声が大きい! 静かにせねば見付かってしまうだろうがっ」

 パチンッ

 まるでドツキ漫才みたいだなぁ。
 それはともかく、二人はタップダンスの音が聴こえてくる音楽室の前へやってきた。
 葉平もセバスチャンも透視妖力は持っていなかったので扉の隙間からこっそりと中を覗
く。
 すると、黒塗りのピアノがタップダンスを踊っていた。
 グランドピアノが自分の足で、板張りの床を踏み鳴らしているのだよ。

 ツツツカツカカンツカカカカカツンカツツンツン

 しかも、ノリにノっている。
 ノリまくりまくっている。
 そんなノリだから葉平たちが覗いていることにも気付いていない。
「如何なさいますか、葉平様?」
「関わり合いになりたくない光景だが、奴が封印の一つを守っている可能性がある以上、
仕方あるまい。ここで待っていろ」

 ガラガラ

 葉平はセバスチャンを廊下に待たせて扉を開けた。

 ピタ

 途端に動きを止めるグランドピアノ。
「今更やめても遅い」
「……ワカッタ」
 死んだふりを諦めてピアノが声を出した。
 壊れて出ない音があるのでセリフが片言。
 片言だから文字で書くとカタカナになる。
「オマエ、ダレダ? ドウシテ驚カナイ?」
「ふん。お前と同じく妖怪だからな」
 鼻で笑う葉平に、踊るピアノは、
「コノ学校、他ノ妖怪ガ来チャダメ。早ク帰ル」
「長居をするつもりはない。一つ訊ねたいことがあるだけだ」
「……ナンダ?」
「この地に、七つの封印を護っている者たちがいるはずだ。お前は何か知らないか?」
「…………」
 無言。沈黙。だんまり。黙秘。
 それは肯定の意思表示。
「やはり貴様は封印を護る者だったか。素直に封印を解かねば、少しばかり痛い目を見る
ことになるぞ?」
「ダメダ。ソレハデキナイ」
「ならば、どうなっても後悔するなよ」
 鉄扇を構える葉平。
 だから、扇子は叩く物じゃないんだってば。

 夜を往く深雪。
「まさか、うっかり七兵衛がまんじゅうの大食いで賞金を稼いでくるとは思いも寄らなか
ったでござる。黄門様の言う通り、誰しも一つは取り柄があるものでござるな」
 深雪は屋根や塀の上を飛んで跳ねて走りながら、今週の『江戸黄門』の内容を思い返し
て呟いた。
「しかし、今は仕事でござるよ」
 校門前に到着した深雪は気持ちを切り替えて校舎を見上げる。
「さて。七不思議のどれから調べたものでござろうか」
 ポケットから手帳を取り出してパラパラとめくってみると、動く銅像や目から怪光線を
放つ肖像画など、六つの心霊スポットが並んでいた。
 考える。
 昼間、小太郎に案内された音楽室を思い出した。
 そういえば佐和子もピアノが一番怪しいと言っていた。
「今夜は音楽室にするでござるか」
 深雪は閉まっている校門をヒラリと跳び越え、音楽室へ直行した。
 三本松高校では近代的な警報装置なんて備え付けていないから、宿直の先生にさえ見付
からなければ大丈夫。
 やがて、特別教室棟の二階、音楽室がある廊下の突き当たりに到着。
 深雪は扉の隙間から音楽室を覗いてみた。
 今のところピアノが踊っている様子はない。
 しかし――
「焦げ臭い?」
 深雪の鋭敏な嗅覚は音楽室の中からすえた臭いが漂ってくるのを感知した。
 なるべく音を立てないように立て付けの悪い扉を開け、文字通りの忍び足で侵入する。
「こ、これは……!」
 そこで深雪が見たものは、無惨に燃やされたグランドピアノだった。
 黒塗りの表面はすっかり焼け焦げ、足も折られて床に転がっている。
 残念ですが、ご臨終です。
「なんと酷いことを……!」
 深雪は激しい怒りに拳を震わせた。
 えっ? 退治する手間が省けて良かったんじゃないかって?
 そんなことはない。
 妖怪の中には座敷童子のように、人間に対して友好的な者も数多くいる。
 目ん玉オヤジの息子さんみたいに悪い妖怪を懲らしめている妖怪さえいる。
 有賀忍者の使命では、そういった善良な妖怪たちまで退治しろとは厳命されていないの
だよ。退治しても後味が悪いし。
 今夜深雪がここに来たのも、人に悪さをする妖怪がいないか情報収集をするためで、夜
中に踊るだけのピアノまで退治しようとは思っていなかった。
 なのに、こんなことになっていようとは。
「ピアノ殿……」
 死人に口なしだから今となっては何もしゃべってくれない。
 と思ったら、
「ウ、ウウッ……」
 呻き声が聴こえた。
 深雪は周囲に気を配り、他に誰もいないことを確かめながらピアノに駆け寄る。
「三本松高校七不思議の一つ、踊るピアノ殿でござるな?」
「……ダレ、ダ?」
「有賀深雪。忍びでござる」
 もう助からないだろうと判断した深雪は永き眠りに就く者への敬意を表して正直に名乗
った。
 妖怪は死んでもそのうち復活するけれど、出番はこれで最後かも知れないから。
「ソウカ……。美人ニ看取ラレテ逝クノモ、悪クナイ……」
「美人?」
 小太郎に綺麗と言われたのも初めてだけれど、ピアノに美人と言われるのも初めて。
 でも、ピアノに言われたってあんまり嬉しくない。
「ピアノ殿。誰にやられたのでござるか?」
「ヨ……妖怪。人ニ化ケタ、妖怪……」
「妖怪? それはどんな妖怪でござるか?」
 必死に訊ねようとする深雪。
「ウウッ……。炎……青白イ炎ガ……」
 でも、踊るピアノは意識が朦朧としていて、意味不明な言葉をしゃべるだけ。
「しっかりして下され、ピアノ殿」
「……ミ、ミユキ。最期ニ、一ツダケ頼ミタイコト……アル」
「……判り申した」
 これ以上話を聞き出すのは無理だと感じた深雪は、せめて最期の願いは聞き届けようと
ピアノの声に耳を澄ます。
 するとピアノは焼け残った鍵盤を深雪に向けて、
「一曲、弾イテクレナイカ?」
 だがしかし、
「申し訳ござらぬ、ピアノ殿。わたしは琴しか弾けぬのでござる」
 最期の願いを叶えてやれずに謝る深雪。
「ソウ、カ。残念ダ……。次ニ生マレテ来ル時ハ、日本舞踊ヲ踊ル琴ニ……」

 カクッ

 踊るピアノは深い眠りに就いた。
「ピアノ殿ーっ!」
 もはや踊らないピアノを抱きかかえる深雪。
 その脳裏にピアノとの思い出が甦る。
 小太郎に案内されて来たときにミとラの音が出なかった。
 それ以外に思い出は何もないから回想シーンは二秒で終了。
「一体、誰がこのような酷いことを……?」
 次に深雪が考えたのは殺ピアノ事件の犯人。
 今のところ判明しているのは、被害者(ガイシャ)の証言に出てきた『人に化けた青白
い炎を使う妖怪』ってことだけ。
「もし邪悪な妖怪がピアノ殿をこのような目に遭わせたのなら、人間にも害を及ぼすかも
知れないでござるな」
 善良な妖怪を殺すような妖怪だったら人間だって殺すかも知れない。
 ならば、有賀忍者一族の使命を負っている深雪は、その妖怪を見つけ出し、場合によっ
ては退治しなければならない。
 それに、使命のことを抜きにしても、平和に生きていた妖怪をこんな目に遭わせた相手
に罪を償わせなければ深雪の気が済まない。
「ピアノ殿……そなたの仇は必ず取るでござるよ。安らかに眠って下され」
「ミユキ。耳元デシャベラナイデクレ。眠リタクテモ眠レナイジャナイカ」
 踊るピアノが眠そうな声で応えた。
「ピ、ピアノ殿! まだ生きていたのでござるかっ!?」
 そりゃ生きてるよ。だって妖怪だもん。死んだら死体は残らない。
「紛らわしい言葉を残して眠らないで下され。すっかり騙されたでござるよ」
 ピアノは脈を取ったり瞳孔反射を調べたりできないからね。
「ワカッタ。一ヶ月モ眠レバ元気ニナルカラ、オヤスミ、ミユキ」
 踊るピアノは今度こそ眠りに就いた。
 生きているんだったら蹴り起こして話を聞きたいところだけれど、今は動かないピアノ
に戻っているので、揺すっても殴っても耳元で甘い言葉を囁いても目を覚まさないだろう。
「お休みでござる、ピアノ殿」
 深雪は静かに音楽室を立ち去った。
 音楽室の踊るピアノ。全治一ヶ月の重傷でリタイア。


「葉平様」
「どうした、セバスチャン」
「結局、ここなのでございますか?」
「文句があるのならば外で眠れば良かろう」
 体育倉庫のマットの上。
 踊るピアノを倒した九尾葉平とセバスチャンが休んでいる。
「自分でカビ臭いのは嫌だと言っておきながら、これでございますか」
「外で寝るのか?」
 怖い目をする葉平。
「いえいえ。これは文句ではなくジジイの独り言でございますよ。ほっほっほっ」
 ごまかすセバスチャン。
 妖怪だって、どうせなら夜露がしのげる場所で眠りたい。
「それにしても、強情なピアノでございましたな」
「その通りだな。初めから素直に封印を解けば良いものを」
 セバスチャンに応え、自分の足の赤く腫れた小指を忌々しげに一瞥する葉平。
 葉平は踊るピアノに足の小指を思いっきり踏み付けられたのだよ。
 君は、満員電車などでハイヒールの女性に爪先を踏み付けられた経験はないだろうか?
 とても痛いんだよ。
 というわけで、小指が痛い葉平は汗臭いマットでも我慢して休んでいるのだ。
「しかし葉平様。何故あのピアノを半殺しでお許しになったのでございますか? あの者
は、我らと同じ妖怪の身でありながら人と馴れ合う、生きている価値もない存在ですぞ。
少々生ぬるかったのでは?」
「そんなことか。封印の一つが解けたのだから、あれ以上痛め付けても意味が無かろう」
「ふうぅ。甘いことでございますな」
 大きく溜息を吐きながら首を左右に振るセバスチャン。
「足も折ってやったのだ。しばらくは何もできまい」
「それもそうでございますが……。ところで、明日からはどうなさるおつもりで?」
「ふん。どうもこうもない。残り六つの封印を探すだけだ。――そうしなければ、僕の過
去は取り戻せないのだからな」
 セバスチャンに答えた九尾葉平の影は、以前は二本だった尻尾が三本に増えていた。


 今夜はアパートへ戻ることにした深雪。
 忍者の圧縮睡眠法はナポレオンと同じで三時間もあれば充分だけれど、安全な場所でな
いと安心してぐっすり眠れない。
「ピアノ殿……ゆっくり傷を癒して下され」
 そんなことを呟いて深雪は足を止める。
 自分の部屋があるアパートの前。
 深雪が借りている部屋はその二階にある。
 鍵が開いたままの窓から入ろうと塀の上に跳び乗ると、
「あれ? 有賀さん?」
「――!?」
 後ろからいきなり声を掛けられた。
「そんなところに登ってどうしたの? 僕はバイトの帰りだったんだけど」
 そこにいたのは風間小太郎。
 横着しないで玄関から入れば良かったでござる。
 なーんて思っても後の祭り。
「あれ? なんだか昼間と雰囲気が違うような気がするんだけど――あ、そうか。髪型を
変えたんだね。え、えーと……そ、その髪型も似合ってるよ」
 深雪のポニテに気が付いた小太郎は慣れない褒め言葉を掛けたけれど、当の深雪は口を
パクパクと開いたり閉じたりするだけで次の言葉が出てこない。
 しかし、するべきことは唯一つ。
 小太郎の前に降り立って、糸を結んだ寛永通宝。
「これを」
「えっ?」
 左右に揺れる寛永通宝。
 それを目で追う小太郎。
 だんだんまぶたが重くなってきて、
「眠るでござる」

 カクッ

 あっさり眠りに落ちた。
「つくづく縁があるようでござるな、風間殿とは」
 深雪は呟き、束ねていた髪を解いた。
 そして、手にしたリボンをチラリと見る。

『その髪型も似合ってるよ』

 ちょっとだけ物思いに耽って、
「見え透いた世辞でござるよ」
 でも、ちょっぴり嬉しい深雪だった。


前のページに戻る メインページに戻る 次のページに進む

●各ページに掲載されている文章、画像、その他の内容は無断で転載および配布を禁止します●