1 放課後。 深雪は小太郎に連れられて三本松高校を案内されていた。 ところが、現代社会の常識がない深雪は失敗ばかり。 好奇心で火災報知器のボタンを押して消防車が出動しそうになるのは基本中の基本。 家庭科室では勝手に触ったガスコンロが火柱を上げて再び消防車を呼びそうになった。 コンピュータ実習室ではキーボードに指を置いた瞬間にパソコンが火を吹いて以下略。 ところが、深雪が『申し訳ございません。世間知らずなものですから』と頭を下げて謝 ると、ほとんどの失敗は、『しょーがないなぁ。これだからお嬢様は』の一言で済まされ てしまう。 深雪が世間知らずの箱入り娘に成り済ましていたのは、そんな思惑があったのだよ。理 由もなくお嬢様を演じているわけじゃないんだよ。 「次はどこを案内して下さるのですか?」 怒られながら図書室を出てきた深雪は振り返って小太郎に訊ねた。 「音楽室だよ」 そう答えた小太郎の話しぶりはすっかり自然な調子に戻っている。 授業中ずーっとドギマギしていたので、今はだいぶ落ち着いた。 それに、深雪の失敗に付き合って一緒に怒られているうちに、憧憬の気持ちに加えて親 近感が芽生えてきた。どっちにしろ片想いのままだけれどね。 ま、それはそれとして。 深雪と小太郎は特別教室棟の二階東端にある音楽室へやって来た。今日は合唱部も吹奏 楽部も使っていなかったので誰もいない。 ついでにカギも掛かっていなかったので勝手に入った。
ガラガラ
「まぁ。立派なピアノがございますね」 立派なピアノ。グランドピアノ。 テレビで見たことはあるけれど実物は初めての深雪。 忍者でも人並みに好奇心は持っている。 まして今は世間知らずのお嬢様。 お嬢様は我が道を突き進む。 これまでの失敗を忘れて鍵盤に指を載せた。
ドレファソシド
ミとラの音が出なかった。 深雪が壊した――じゃなくて、これは元々壊れていただけ。 それでも感動に指を震わせる深雪。 「有賀さん、ピアノ弾けるの?」 その深雪に話しかけた小太郎。 「いいえ。お琴でしたら少々弾けますけれど」 「お琴?」 琴。現在は箏の意味で用いられる。 桐板を張り合わせて作った中空の台に複数の弦を並べた楽器。弦は十三本。 奈良時代に中国より伝わった弦楽器で、和服姿の女性が弾くと絵になる。 「イイなぁ」 和服の深雪が琴を弾く姿を想像してウットリする小太郎。 「風間さん、次はどこへ?」 「あっ……と、それじゃ次は課外活動棟かな」 「課外活動棟?」 「うん。古い校舎を改造して中に部室とか倉庫を作ったんだ」 木造の旧校舎を流用した部活動のための建物。演劇部や天文学部やマンガ研究部などの 文化系の部が主に使用している。 「ところで、有賀さんは部活どうするの?」 二人で課外活動棟へ向かいながら小太郎が深雪に訊ねた。 「部活でございますか?」 「うん。運動系の部に入るんだったら、あのボロ校舎はあんまり関係ないんだよね」 「風間さんは剣道部でございましたね?」 「そうだよ。剣道部の部室は柔剣道場の方にあるんだ。――って、まさか有賀さんも剣道 部に?」 それは絶対やめた方がいい。 だって防具が臭いから。 あっ。でも有賀さんってお嬢様っぽいから新品の防具を買えるかな? 僕は生活費が苦しいから、代々の剣道部員の血と汗と脂が染み込んだ伝説の防具を受け 継いでいるんだけど。 「ご心配なく。剣道部には入りませんわ」 「なーんだ。余計な心配しちゃったよ。ははははは」 「はい。柔剣道場は昼休みのうちに案内していただきましたから」 柔剣道場の汗臭さは嗅覚敏感な忍者の鼻には致命的だった。 「そうだよね。やっぱり、有賀さんって汗をかくことは似合わないと思うよ。茶道部みた いなのがいいんじゃないかな?」 「ダメよ。ミユポンは超常現象研究部への入部が内定してるから」 「どわぁあっ!?」 思わず跳び退く小太郎。 二人の間に猿渡佐和子が湧いて出た。 超研の部長、オカルトマニア。 オカルトの輪を広げるために只今参上。 「あなたは確か、サルワタリさん」 「猿渡よ、サワタリ」 深雪の間違いを訂正する佐和子。 「いきなり出てくるなって、サワタリ」 「仕方ないでしょ。せっかくミユポンを超研に勧誘しようと思ったのに、あんたが連れて 逃げるからよ。どうして逃げるの?」 「決まっている。有賀さんを悪の巣窟に引きずり込ませはしない」 小太郎は深雪を背にかばって啖呵を切る。 「たとえ僕の命が燃え尽きようとも、有賀さんの部活動選択の自由は守ってみせる!」 気分はすっかり映画の主役。 「ふっ。君には失望したよ、副部長コタロー」 釣られて映画の悪役になる佐和子。 「まさか、部長であるこの私を裏切るとはな」 「裏切るだって? 僕は一度たりともお前に協力したつもりはない。お前が一方的に僕を 利用しただけだ」 「愚問だな。それも我らが超研のため」 「『我らが』とは良く言えたものだな。超研はお前の私物に過ぎない。お前一人のくだら ない野望のための踏み台でしかないんだ」 「くだらないかどうかは我々が判断するのではない。数十年後、数百年後の人間が彼らの 価値観で判断するものだよ。私はただ、私の理想を実現するだけ」 「……どうやら、僕たちはどこまでも平行線を辿るだけのようだな」 苦渋の表情で拳を握り締める小太郎。 「ふっ。残念だよ。私は君の実力を買っていたのだが」 不敵な笑みを浮かべる佐和子。 さて。 この芝居がかった会話から状況が理解できるかな? 佐和子の野望とはオカルトの輪を世界に広げること。 彼女はその足掛かりとなる超常現象研究部を設立するため、生徒会へ提出する部員名簿 の第二位に小太郎の名前を無断で借用したのだよ。 くだらない野望に燃える女と、その野望に巻き込まれた男の、くだらない戦い。 「ところで、超常現象研究部とはどのような部なのですか?」 さっきから気になっていた深雪が小太郎の後ろから顔を出した。 「良くぞ言ってくれた我が同志よ」 ガシッと深雪の手を握る佐和子。 「詳しい話は超研本部で」 小太郎が止めるヒマもない。 深雪は佐和子に引っ張られて超研の部室に連れ込まれた。 忍者なのに。
|