退魔忍者深雪〜セーラー服と忍者刀〜


第一章 風間小太郎

 F県南東部にある平和で平穏で平凡な町、三本松町。
「あーあ。バイトがあるの、すっかり忘れてたよ」
 暗い夜道を一人の男子学生が走っている。
「ずいぶん遅くなっちゃったなぁ。ふわぁ〜」
 部活を終えたばかりの青年は走りながら眠そうに大きな口を開けた。
 あくびをすると視界が狭まって前方不注意になる。

 ゴンッ

 電柱に正面衝突した。
「ぐはっ……ととと」
 痛みに仰け反りバランスを崩して、

 ガンッ

 後頭部を塀に打ち付けた。
 ドツボにはまってさぁ大変。
 彼は道端にうずくまって頭を押さえる。
 けれど、剣道部員で頭部への打撃に慣れている彼は七秒で復活して走り出した。
 さて。
 無精で伸ばした髪を色付き輪ゴムで留めた服飾美的感覚皆無の彼。
 名を風間小太郎という。
 風間小太郎と書いてカザマショウタロウと読む。
 風魔忍群の頭領である風魔小太郎とはサッパリ関係がない。
 それでもやっぱり、あだ名は『コタロー』。
 三本松高等学校に通う十六歳。
 防具が臭い剣道部所属。
 その彼の前に墓地が出現した。
 小太郎が住んでいるアパートへの近道だ。
 だがしかし、夜の墓場は怖い怖い。
 小太郎は墓地の入口で躊躇した。
「出そうだな」
 何が出るってそりゃ幽霊。
 小太郎は幽霊の存在を信じている。
 信じているから怖いんだ。
「どうする?」
 自問する小太郎。
 選択肢は三つ。

(1)墓場を突っ切って幽霊にドッキリ
(2)墓場を迂回してバイトに遅刻
(3)近くの公園でホームレス生活に初挑戦

 まず、(2)ではバイト代がもらえない。
 今月は生活費が苦しいので却下。
 (3)も不可。
 六月でも夜は冷える。
「どうやら(1)しかないようだな」
 覚悟完了。
 小太郎は背中の竹刀を右手に装備して墓地の中へと踏み込んだ。武器は装備しなければ
攻撃力が上がらないのだ。
「大丈夫。出てくる幽霊が悪霊とは限らないんだ」
 自分に言い聞かせる小太郎。
 でも急ぎ足になる。
 人は何故に暗闇を怖れるのか?
 だって何か出そうだもん。
 なーんて考えていると、

 シュルシュル

 背後で何やら良く判らない音がした。
「……風の音だよ」
 小太郎は独りで勝手に納得した。

 ヒタヒタヒタ

 今度は不気味な足音が追いかけてきた。
「聞こえない聞こえない。僕には何も聞こえない」
 小太郎は聞かなかったことにした。
「こっち向いてケロ〜」
 耳元で何者かの決定的な呼び声が聞こえた。
「でも、僕には何も聞こえない」
 小太郎は目を閉じ、耳を塞いで全力疾走。
 目をつぶって走ると危ないよ。

 ドンッ

 やっぱりぶつかった。
 小太郎はそのままひっくり返って気絶した。


「あらら。気絶しちゃったケロ〜」
 立ち木に衝突して石畳の上で伸びている小太郎の顔を異形の怪物が覗き込んでいた。
 ぷっくり膨れた白い腹。
 黄緑色のヌメヌメした背中。
 それは、直立二足歩行する巨大なカエルだった。
 果たしてその正体は?
 着ぐるみの中に人間が入っている。
 なーんてことはない。
 実は妖怪と呼ばれる謎の生命体なのだ。
 何をバカなと思ったそこの君。世の中には科学で説明できないこともあるのだよ。
「ヒックリカエルのはまた今度にしてほしかったケロ〜」
 未練がましく小太郎のほっぺを吸盤で突っつく巨大な化けガエル。
 彼の名前は『ミカエル』。
 ミカエル。
 大天使のミカエル様とは全く関係がない。
 漢字で書くと『見蛙』。あるいは『見返る』。
 君は夜道を歩いているとき、急に後ろが気になって振り返った経験はないだろうか?
 それは、この妖怪ミカエルの仕業だったのだよ明智君。
 えっ? 怖いって?
 大丈夫。特別にミカエルを追い払うための呪文を教えるから。
 もしミカエルに追いかけられたときは「レッドスネーク、カモ〜ン」と大声で呪文を唱
えるんだ。ミカエルはヘビが怖いからすぐに逃げ出すよ。
 ちなみに、『ヒックリカエル』は別の妖怪だから、何もない道で転びそうになったとき
の呪文は「イエロースネーク、カモ〜ン」。
 ……ま、それはこっちに置いといて。
「誰も見てないから眠ってる間に食べちゃうケロケロ〜」
 ほっぺをプニプニするのをやめたミカエルは、周囲に誰もいないことを確認すると、小
太郎を丸飲みにしようと大きな口を開けた。
 危うし、風間小太郎。登場から五分で逝ってしまうのか?
 と、そんなピンチに正義の味方が駆け付けた。
「そこまでにするでござる」
 どこからともなく声がする。
「ケロっ!?」
 慌てて辺りを見回すミカエル。
 しかし、小太郎が足元で気を失っているだけで誰の姿も見えない。
「何者ケロっ!?」
「永劫の闇に生きる者。世の理を影より見守る者。邪悪なる妖魔を討つ黒き疾風。姿無き
夜の暗殺者。人は我らをこう呼ぶ――忍びの者、と」
 忍びの者。つまり忍者。
 有賀の里よりやってきた女忍者深雪、只今参上。
 長老に駄々をこねた挙げ句テレビに釣られて三本松町へやって来た非情の女忍者深雪は、
実は初の単独任務で張り切っていた。
 その証拠に、今の決めゼリフは昨日一晩中考えた末の自信作。
「どこにいるケロっ!?」
「忍びは敵に姿を見せぬものでござるよ」
 忍者独特の発声法は敵に居場所を悟らせない。
 でも、君だけにこっそり教えよう。
 深雪は小太郎が激突した木の上にいた。
 恥ずかしがり屋なので隠身の術(かくれんぼ)は得意中の得意。
「夜道で人を驚かせるとは不届き千万」
 木の上からミカエルに説教する深雪。
「心の臓を患っているご老人がビックリの拍子にポックリ逝ってしまわれたら、そなたは
どう責任を取るつもりでござるか」
「そんなことはボクの知ったこっちゃないケロ〜」
 しかし、ミカエルは悪びれもなく言ってのけた。
「それに、ボクは元々そ〜ゆ〜妖怪だから、夜道で人をビックリさせるのは当然なんだケ
ロ〜」
「ならば、それについては何も申さぬ。しかし、カエルは虫を食すものでござろう。人を
喰らうのは感心せぬでござるよ」
「そ、それは……人間は虫よりもおいしいんだケロ〜」
「それは邪悪な妖魔の所業でござるよ。――覚悟」

 ヒュンッ

 先手必勝。風を切って飛ぶ八方手裏剣。

 ザクッ

 ミカエルの眉間にザックリと突き刺さった。
 しかし、相手は仮にも妖怪。その程度では倒れない。
「そこケロっ!」
 ミカエルは手裏剣が飛んできた木の上へ長い舌を伸ばした。

 ガサッ

 舌が届く前に木から飛び降りる深雪。
 手に忍者刀。
 何故かセーラー服。
 水兵さんの服?
 ではなくて、それに似た女子の制服。
 女子の制服なのでやっぱりスカート。
 白い生足がチラリ。
 でも、ミカエルはカエルだからホモサピエンスのメスに興味はなかった。
「喰らうケロっ!」

 ブクブク

 地面に降り立った深雪へ向けて口から白い泡を吐き出した。
 妖術、バブル・ブレス。
 超高圧の水泡が、深雪を包んで弾けて押しつぶす。
 と思ったら、深雪の体はスーッと消えてしまった。
「ケロ?」
 太くて短い首を右に六十度傾けるミカエル。

 ブスリ

 その首から忍者刀の切っ先が突き出た。
 幽霊も切り裂く深雪の退魔忍者刀。
「ど、どうして後ろにいるケロ?」
「忍者は手の内を明かさぬものでござるよ」
 深雪は答えず、手首を返してグリッとエグる。
「さらばだケロ〜」

 ボムッ

 ミカエルの体は破裂して煙のように消え去った。死体が残らず手間要らず。
「次に出会うときは人を喰らわぬ妖怪になっていることを願うでござるよ。そして、でき
ればお年寄りを大切にして下され」
 背中の鞘に忍者刀を収め、しばしの眠りに就いたミカエルに別れの言葉を送る深雪。
 えっ? 刀でブッ刺したのにミカエルは死んでいないのかって?
 妖怪は死んでもそのうち復活するのだよ。
 ホッケーマスクのジェイソン君だって十三日の金曜日になれば甦ってくるじゃないか。
 でも、カエル妖怪ミカエルの出番はこれで最後。出演回数が多いと大天使ミカエル様の
イメージが崩れる。
「さて。こちらの男はどうしたものでござろうか」
 深雪は倒れている小太郎を振り返った。
「小物妖怪に追いかけられて気絶するとは情けない。……とは言え、野垂れ死んで化けて
出られてはわたしの仕事が増えるだけでござるし」
 仕方ないから起こしてやろうと近寄って、
「ん?」
 小太郎の手から転がった竹刀を見付けた。
 竹刀の柄に名前が書いてある。
『風間小太郎』
「ふ、風魔小太郎!?」
 やっぱり間違えた。
「風魔と言えば忍者の主家筋。小太郎と言えば風魔忍群の頭領殿が代々襲名している名。
となれば、この方は我ら忍び総ての頭領とも言うべき方ではござらぬか」
 風魔や伊賀は誰もが知っている忍者の主流派。
 一方、有賀忍者は傍流の中の更に傍流。傍流すぎて古い文献にも各地の伝承にも名前が
出てこない。
「しかし、何故この様な場所に風魔の頭領殿が?」
 改めて小太郎の寝顔を覗き込む深雪。
 どこかしら気品が漂っている。
 いやいや。それはただの思い込み。
 輪ゴムで縛った髪が野性的。
 いやいや。そいつはただの不精者。
 でも、深雪はすっかりその気になっている。
「間違いない。風魔の小太郎殿でござる」
 一度も会ったことがないのにどーして断言できる?
 実は初仕事の直後でテンションが高くなっていた。
「と、こうしてはいられぬでござる。早く息を吹き返して差し上げねば」
 忍者は冷徹なようで意外と義理堅い。ここで風魔忍者に恩を売っておけば後々役立つこ
ともあるだろう。
 闇に息づく忍者社会もコネは大切。
「ご免」

 ドスッ

 深雪は小太郎の体を起こして背中に一発。活を入れた。
「うっ、うーん……」
「しっかりなされ、風魔殿」
 小太郎の前に回って呼びかける深雪。
「ん……あれ?」
 目を見張る小太郎。
 そこにあったのは女忍者の凛々しい顔。
 瞳はまるで黒曜石。
 髪は烏の濡れ羽色。
 月明かりに照らされてちょっと神秘的。
「綺麗だ」
 半分くらい寝ぼけたまま呟く小太郎。
「綺麗?」
 その言葉に思考が停止する深雪。
 でも、流石は女忍者。
 停止時間はコンマ八秒。
「頭でも打ったのでござるか、風魔殿?」
「あ、それ違う。僕の名前は風の間に小さい太郎と書いてカザマショウタロウと読むんだ
よ」
「かざましょうたろう?」
 またもやフリーズ。
 今度は再起動まで三秒が経過。
 しかし、動き出した忍者は素早い。
 セーラー服の胸ポケットから糸を結んだ寛永通宝を取り出した。
「これを見なされ、かざま殿」
「えっ?」
「そなたはだんだん眠くなる」
 振り子のように揺れる寛永通宝。
 まぶたがくっつく小太郎。
 催眠術は忍者の必修科目。
「危ないところでござった」
 深雪は寛永通宝をポケットに戻してホッと一息。
 何が危ないって、もし忍者の正体を知られたら『あなたが死ぬかわたしが死ぬか』。
 でも、さっきの会話には忍者の『に』の字も入っていなかったのでセーフ。
「しかし、念のため記憶を消しておくでござるか」
 深雪は催眠状態の小太郎の耳元で囁く。
「ここで起こったことは忘れるでござるよ」


「……あれ?」
 小太郎は目を覚ました。
 目の前には誰もいなくなっていた。
「何をしていたんだっけ?」
 思い出そうとする。
 ところが、記憶の引き出しに鍵が掛かっている。
 パスワードの提示が求められた。
 そんなパスワード知らないよ。
「……変だな」
 首を傾げる小太郎。
 女の人がいたような気がするのに。
 色白の綺麗な女の子だなぁ、と思ったはずなのに。
 右を向いても左を見ても、カエルの子一匹姿が見えない。
「もしかして……幽霊?」
 そう言えばここは墓場じゃないか。
 背筋が絶対零度まで急速冷凍。
 凍り付いたままバイトに遅刻。

「ふわぁ〜」
 小太郎は鏡の前で大きく口を開けた。
 アゴの運動。
 ではない。
 恐怖のあまり目が冴えてしまった小太郎は明け方近くになるまで眠れなかったのだよ。
 睡眠時間はたったの二時間。
 これではナポレオンも寝不足だ。
 それでも学校へ行かねばならない。
 何故なら、小太郎は現在、三十五回連続遅刻記録を更新中。三十七回の校内記録を塗り
替えては大変だ。
 小太郎は寝癖の付いた髪を色付き輪ゴムで縛ると食事を始めた。
 ちなみに、今日の朝食は三十秒で作ったサンドイッチ。
 小太郎はパン派なのかと思ったそこの君、その認識は大間違い。
 ただ単に朝食を作るのが面倒なだけ。
 もちろん、夕食はコンビニ弁当か冷凍食品。
 男の一人暮らしなんてこんなもの。
 そうそう。小太郎はアパートで一人暮らしをしているのだよ。
 父は海外へ単身赴任。年に一度戻ってくるかどうかの放任主義者。
 母はすでに他界。小太郎の記憶にも残っていない写真だけの存在。
 兄弟姉妹もいない。父に隠し子がいなければ。
 ファッションに無頓着だから食事を作りに来てくれるような恋人もいるはずもない。
 それでも元気に生きている小太郎。
「今日こそは遅刻しないぞ」
 アパートの玄関を出た小太郎は腕時計に目を落とした。
 ホームルームの開始時刻は午前八時三十分ジャスト。
 手元の時計では八時十二分を指している。
 ロスタイムを考慮しても出席簿が開かれるまで残り二十分。
「良し」
 墓地を通らなくても間に合うと判断した小太郎は全速力でスタートを切った。
 でも気を付けよう。
 人間も急に止まれない。
 走り出した小太郎の前でギィィッとドアが開いた。

 ドンッ

 ぶつかった。
 注意一秒怪我一生。
 しかし、このアパートのドアは木製だったので病院送りは免れた。
「イテテ……」
「まぁ。申し訳ございません。お怪我はありませんか?」
 尻餅をついて鼻を押さえていると頭上からおっとりした女性の声が降ってきた。
 小太郎はハッとして顔を上げる。
「ああっ! あなたは……!」
 そこにいたのは三本松高校指定のセーラー服に身を包んだ女性だった。
 半世紀も前にデザインされた年代物の制服だけれど、初夏のセーラー服はそれだけで清
純な女生徒を連想させる。
 しかも中身がとびきりの美少女。
 流れるような黒い髪。
 白魚のような細い指。
「誰だったっけ?」
 左に三十度ほど首を傾げる小太郎。
 小太郎はこの美少女と初対面。
 そのはずなのに、何故か深層心理に引っ掛かるものを感じる。
「いきなり変なこと聞くんだけど、どっかで僕と会ったことなかったっけ?」
「いいえ。きっと恐らく絶対に人違いですわ」
 小太郎の質問に、美少女は細い首を左右に振ってキッパリと否定した。
 そして、改めて小太郎に向き直って、
「お隣の方でございますね? ご挨拶が遅れてしまい、申し訳ありません。わたし、昨日
こちらへ越して参りましたばかりで」
「あ、そうだったんだ」
 小太郎は隣の部屋が昨日まで空き部屋だったことを思い出した。
 昨日は帰りが遅かったから引っ越してきた人がいたとは知らなかったなぁ。しかも、こ
んなにお淑やかでお上品なお嬢さんだったとは。
 迂闊(ウカツ)。
「申し訳ございませんが、学校がありますので今は失礼させていただきます。また後ほど
改めてご挨拶に伺います」
 滝のような黒髪をサラサラと揺らして去っていく美少女。
「お待ちさせていただきますです」
 それを見送る小太郎。
「可愛い女の子だったなぁ」
 手を振るポーズのまま一分経過。
 やがて正気に戻って考える。
「名前、聞いておけばよかったな」
 小太郎はふと思い付いて、美少女が出てきた部屋の表札を見た。
『有賀深雪』
「名前も可愛い」
 更に三十秒ほどウットリする。
 と、そこで気が付いた。
 表札に書いてある名前は一つだけ。
「独り暮らしなのかな?」
 余計な詮索。
 ストーカーへの第一歩。


 一方、その頃。
 小太郎が出会った例の少女はゆったりした雰囲気とは裏腹の素早い歩調で登校中。
 果たしてこの美少女、有賀深雪の正体は?
 実は女忍者の有賀深雪でした。ヒネリもオチもありゃしません。
 忍者は体力の割に無駄な筋肉が付かないから、髪を下ろしている深雪は深窓のご令嬢に
しか見えない。色白だし。
 でも、この美少女と忍者の深雪は性格がゼンゼン違うよ――と、思った君はまだ甘い。
 一人前の忍者ともなれば正体を隠すために演技するくらい簡単なのだよ。
 特に深雪は忍者の中でも人一倍内気なシャイ・ガール。
 人前で自分をさらけ出すなんて恥ずかしいことできないでござる。
 何が恥ずかしいってゴザル言葉が一番恥ずかしい。
 ではどうするか?
 こうなったら寛永通宝を取り出して、鏡に向かって催眠術。
 わたしは世間知らずの箱入り娘ですわ。
 自己催眠で別人になってしまった。
 以下の独り言も深雪の別人格がしゃべっているのでご了承下さい。
「まったく、お爺様ったら本当にずるいですわ。わたしがこんなに恥ずかしがり屋の女の
子と知っておりますのに、上忍になって最初の任務が学校への潜入調査なんて……。学校
には同世代の人がたくさんおりますし、わたしの正体を隠し通せるか心配ですわ」
 どんなにぼやいても忍者は上司の命令に逆らえない。偽の転校手続きは昨日のうちに済
ませてある。
 その帰りにカエル妖怪ミカエルと出会ったのは予定外。
 それでも、初の妖怪退治は成功した。
 けれど、その後が大失敗。
 一般市民に姿を見られてしまうとは。
「ここでしたわね」
 深雪は学校への近道である墓地の真ん中で立ち止まった。小太郎と違って幽霊は怖くな
いから大丈夫。
「それにしても、隣にお住まいになっている方が風間さんでしたとは、本当に驚きました
わ。記憶は封じてありますけれど、万が一ということもありますし、気を付けて行動しな
くてはなりませんわね」
 深雪のお隣さんはもちろん風間小太郎。
 この場所で小太郎と言えば昨夜のことが思い出される。

『綺麗だ』

 なーんて生まれて初めて言われた。
 ちょっと嬉しかった。
「……なっ、何を考えているのでござるか、わたしは!?」
 唐突に自己催眠が解けて素に戻る深雪。
 まだまだ修行が足りないなぁ。

 F県南東部にある小さな町、三本松町。
 その町の北東に位置する三本松高等学校。
 その高校の新校舎の二階、二年C組の教室。
 その教室の扉が音を立てて開いた。

 ガラガラ

「はーい。コタローくん遅刻ねー」
 教壇で出欠を取っていた女性教師が右手のペンを小太郎に向けた。
 美奈子先生。
 愛称『ミナちゃん』。
 もう既に二十代後半のはずだけれど、精神年齢は永遠の十七歳(自称)。
 学業から恋愛までどんな相談にも親身になって考えてくれるお姉さん。
 生徒からの人気は校内一。
 後ろ姿はお色気満点のお姉さま。
 男性教諭からの人気も校内一。
 もちろん独身。恋人募集中。
「ギリギリでセーフ」
 小太郎は両手を横に広げて遅刻判定の撤回を要請した。
「だーめ。アウトよん」
 無情にも出席簿には遅刻の印が書き込まれる。赤ペンなので間違いない。
「ほらほら。コタローくんも早く席についてねー」
「……了解」
 何人たりともミナちゃんの決定には逆らえない。言われた通りに自分の席へ向かう小太
郎。
 右から二列目の最後尾。
 その隣、窓際の席に一人の女生徒が座っていた。
「まぁ。風間さんではございませんか」
 ちゃっかり有賀深雪。
「有賀さん!?」
 驚いてぽかんと口を開けっぱなしにする小太郎。
 そりゃ驚くよなぁ。
 遅刻して教室に来てみたら、今朝出会ったばかりの可愛い女の子が隣の席にちょこんと
座っているんだもん。先カンブリア紀の恋愛マンガじゃあるまいし。
 でも、驚いているのは小太郎だけじゃない。
 深雪も口元を手で隠してお嬢様っぽく驚きを表現している。
 ただの演技だろうって?
 これでも実はものすごく動揺しているんだよ。小太郎の驚き方には勝てないけれど。
「ど、どどど、どうしてここに有賀さんが!?」
「どうしてと申されましても、今日からこの教室で授業を受けることになったのですが」
「それって、このクラスに転入するってこと?」
「はい」
「そうそう、コタローくん」
 教壇から美奈子先生が呼び掛けた。
「言い忘れてたけど転校生が来たのよん」
「ミナちゃん、そーゆー大切なことは言い忘れないで。心臓に悪いから」
「ごめーん。その子は今日から一緒に勉強することになった有賀深雪ちゃん。ニックネー
ムは『ミユポン』」
「ミユポン?」
 小太郎は振り返って深雪に確認。
「はぁ……。美奈子先生に決められてしまいました」
 困り顔で応える深雪。
 美奈子先生は受け持ちの生徒にニックネームを付けるという可愛い癖があるのだよ。
「イヤだったら愛称撤回の異議申し立てができるんだよ」
「いいえ。気に入らないわけではありませんわ。今までこのような愛称で呼ばれたことが
ありませんので、馴れていないだけでございます」
「だったらいいんだけど」
 と、二人で話していると、
「あららん? コタローくんとミユポンちゃんはお友だちだったの?」
 不思議に思った美奈子先生が訊ねた。
「えっ……というか、今朝ちょっと立ち話を」
「風間さんとはアパートの隣同士だったものですから」
 言い訳するように答える小太郎と深雪。
「そうだったの。家でも学校でも隣同士なんてうらやましいわよん。お友だちから恋人に
なるのも時間の問題ねー」
「ミナちゃん! まだそんなのじゃないって!」
「『まだ』ということは、そのつもりはあるのねー?」
「えっ……」
 美奈子先生にツっこまれた小太郎は首を縦にも横にも振ることができない。
「ヒューヒュー」
「結婚式には呼んでくれよ!」
 教室中から冷やかしの声。
「だ、だから、違うんだって……。有賀さんからも何か言ってよ」
 小太郎は深雪に助けを求めたけど、隣の深雪は顔を真っ赤にしてうつむくだけ。別人格
でも恥ずかしいものは恥ずかしい。
「ははははは」
 どうしようもないから笑ってごまかす小太郎。
「はいはい、静かにー。出欠続けるわよん」
 一方、美奈子先生は何事もなかったように出欠取りを再開した。
 さんざん人をからかっておいてそりゃないよ。トホホ。
 小太郎は隣の深雪にドキドキしながら席に着いた。
「良かったな、コタロー」
 と、話し掛けてきたのは、小太郎のすぐ前の席に座っている穴熊大介。
 あだ名は『クマ』。あるいは『クマさん』。
 名前通りに大柄な男で、柔道部の副将を務める肉体派。
「もうすっかりクラス公認カップルだな」
「だーかーらー、今はそんな関係じゃ……」
「『今は』なのか?」
「あっ」
 墓穴(ボケツ)。
「かっ、からかうなって、クマ」
 深雪を気にしながら大介に抗議する小太郎。深雪とは家でも学校でも隣同士なのに、変
に意識されて気マズくなっては大変だ。
「はっはっはっ。ところで、今日もまた遅刻だったな。これで校内新記録か?」
「まだ三十六回だっつーの。昨日の夜は近くの墓場で変なの見ちゃって、怖くてほとんど
眠れなかったんだよ。やっと眠って起きたらもう八時だったんだ。ふわぁ〜」
 睡眠時間が短かったのを思い出して大きなあくびをする小太郎。
 一方、隣の深雪は『墓場』と聴いて二人の話に聞き耳を立てた。
 催眠術で消したはずの記憶が戻りかけているのかも知れないでござる。
 でも、深雪の心配は杞憂に終わった。
「『変なの』って何だ?」
「ここだけの話、実は幽霊を見たんだよ」
 小太郎はかすかに覚えていた女性の面影を幽霊と思い込んでいた。
 ホッとする深雪。
 その代わり、別の人物が小太郎の話を聞き付けて乱入した。
「幽霊!? 幽霊ですって! いつ、どこで、誰が幽霊とタップダンスを踊ったのよ!? 
くぅぅぅ、羨ましいぃぃぃっ!」
 ハイテンションな口調で強制的に二人の会話に割り込んだのは、深雪の一つ前の席に座
っている猿渡佐和子。
 自ら設立した超常現象研究部(略して超研)の部長。
 つまり、一言で言えばオカルトオタク。
「タップダンスは踊ってないっつーの」
「じゃあ何をしたのよ?」
「それが良く覚えてないんだ」
「何よ、それ? しっかり説明しなさい、副部長」
 小太郎は剣道部員であると同時に超研の副部長を兼任させられている。
「カクカクシカジカってわけだよ」
 はしょって事情を説明する副部長小太郎。
「なるほど。色白で綺麗な女の人を見たような気がするけど、気が付いたら誰もいなくな
っていた、と」
 カクカクシカジカの暗号を解読した佐和子は訳知り顔で頷く。
「それは、幽霊じゃないわね」
「ホントに?」
「そりゃそうよ。幽霊ってのは自分の存在をアピールするために出て来るんだもの。自分
の姿を確認してもらう前にサッサと消えちゃったら意味がないでしょ?」
「なーんだ」
 小太郎は幽霊の専門家(?)からキッパリ否定されて安心した。
 でも、深雪はドッキリ。
 もしや忍者と言い出すのでは?
 内心ビクビクもので耳を傾けていると、
「それは宇宙人よ」
 佐和子は絶対の自信を込めて断言した。
 一方の深雪はヘナヘナと力が抜ける。
「机に突っ伏してどうしたの、ミユポン?」
「いえ。お気になさらず」
 佐和子に問われて背筋を正す深雪。
 幸いにも小太郎は自分のことに精一杯で深雪の奇妙なリアクションには気付いていない。
「なーんだ。宇宙人だったのか。――って、それマジで?」
「間違いないわ。コタローは宇宙人にアブダクションされたあげくインプラントされて、
その間の記憶を消去されたのよ」
「ガーン!」
 アブダクション。
 人間を誘拐すること。
 インプラント。
 体内に異物を埋め込むこと。
 宇宙人がどーしてそんなことをするのか理由は不明。
 不明だから余計に不気味。
「ほ、本当にインプラント?」
「レントゲン写真を撮ればハッキリするわよ」
「はぁ……」
 気が重くなる小太郎。
 そして佐和子は上機嫌。
「今度、病院に行って結果を教えなさい。超研の副部長としての義務だから事実隠蔽は許
されないわよ。黒服の男たちに脅迫されても無視しなさい」
「……任務了解」
「ミューティレーションよりはマシだからいいじゃない。――それにしても珍しいわね。
一度に二人も同じクラスに転校生が来るなんて。宇宙人と密約を結んだ某国の陰謀じゃな
いかしら」
「転校生が、二人?」
 唐突に話題を変えた佐和子に疑問を口にする小太郎。荒唐無稽な国家陰謀説に興味はな
いけれど、転校生が二人という話は初耳だ。
 転校生の一人は隣で上品そうに座っている深雪。
 だったら、もう一人は?
「さっきミユポンと一緒に自己紹介したじゃない。――ね、ミユポン」
 深雪に話を振る佐和子。
「はい。ですが、風間さんは遅刻なさいましたから」
「そうだった。コタローは聞いてなかったのよね」
「だ、だからこうして聞いているんだって」
 遅刻したのを深雪から指摘されて恥ずかしい小太郎。
「それより、もう一人の転校生ってどこ?」
「ほれ、そこの色男だ」
 大介に言われて見てみると、廊下側の席に見知らぬ美男子が座っている。
 美男子だけあって近くの女子から質問責めに遭っていた。
「名前は九尾葉平。九本の尾に葉っぱが平らでココノビヨウヘイ。ニックネームは『九ち
ゃん』だ」
 九ちゃん。
 Qちゃんじゃないよ。
「これまたすっごいネーミングだなぁ」
「ああ。おれはクマで良かったぜ」
「それはそうと、名前は日本人っぽいのに何故に金髪?」
 九ちゃんこと九尾葉平の髪はサラサラの金髪。染めているわけじゃないようだ。
「ああ。それは外国人とのハーフだからとか言ってたな」
「ふーん。だからハンサムなのかな?」
「かもな」
 小太郎も大介も、あんまり女性にモテる顔じゃない。
「でも、あたしの好みじゃないわね。男は顔じゃないわよ」
 そんな二人を励ますかのように『男イコール顔』の絶対運命方程式を否定する佐和子。
「男だったら超能力を使えたりUFOを呼べたりしなくちゃ」
 オカルトオタクの恋愛基準はやっぱりオカルトだった。
 一生かけても恋人ができそうもない不毛な恋愛基準。
「ところでミユポンはどんなタイプが好き?」
 佐和子はいきなり振り返って深雪に訊ねた。佐和子は思いついたら即行動の、落ち着き
のない性格なのだ。
「なっ、何を聞いてるんだって、サワタリ!」
「いいじゃない。別に」
 小太郎は止めようとしたけれど佐和子は取り合ってくれない。
 どう見ても小太郎をからかっているとしか思えない。
 でも、小太郎も参考のためにメモしておきたいから黙って聞く。
「で、どうなのミユポン? まさかあの転校生みたいなのが好み?」
「いえ。わたしは、外見にこだわらない強い男性が好みですわ」
 良し!
 深雪の好みを聞いた小太郎は心の中でガッツポーズ。剣道をやっているからそれなりに
腕っ節は強いのだ。
 当の深雪には小物妖怪に追いかけられて気絶する情けない男と思われてるんだけれどね。
「欠席ゼロ、遅刻が一人っと。業務連絡はないから、みんな一時限目がんばってねー。転
校生の二人には周りが色々と教えてあげなくちゃだめよん」
 一方、出欠を取り終えた美奈子先生は無意味にウィンクを飛ばして教室を出ていく。
 と思ったら首だけ振り返って、
「コタローくんは遅刻した罰として、ミユポンちゃんに学校を案内してあげるのよん」
「ええっ!? 僕が!?」
 なんたる僥倖。
 小太郎は至れり尽くせりの女神様(美奈子先生)に感謝した。
「イヤなら別の人に頼むわよん?」
「い、いやじゃないです。喜んで罰を受けさせていただきますです」
 小太郎はコクコクと首を縦に振る。
「うんうん。やっぱり素直が一番ねー」
 ニッコリ笑顔で頷く美奈子先生。今度こそ教室を出ていった。
「そ、それじゃあ、後で案内するからね、有賀さん」
「はい。宜しくお願いします、風間さん」
 照れながら話しかけた小太郎に、たおやかな仕草で応えるお嬢様人格の深雪。
 そんな二人の様子を、もう一人の転校生である九尾葉平がジーッと見つめているのはど
うしてかな?
 お釈迦様でも判るまい。


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