退魔忍者深雪〜セーラー服と忍者刀〜




 時は現代。
 所は日本。
 人里離れた山奥に、百に満たない人々が暮らす村があった。
 有賀忍者一族の隠れ里である。
 空にジェット機が飛び、宇宙に人工衛星が浮かぶこの時代に、どうして忍者の隠れ里が
発見されないのかを考えてはいけない。見付かるようでは隠れ里と呼ばないのである。
 その隠れ里の中で一番大きな屋敷の奥座敷。
 即身成仏したミイラのように座っている長老が一人の忍者の名を呼んだ。
「深雪、深雪はおるか」
「はっ。ここに」

 シュタッ

 黒装束に身を包んだ女忍者がどこからともなく現れた。
 五分も前から天井裏に潜んでいたのは秘密だよ。
「来たか、深雪よ」
「はい。お呼びにより参上いたしました」
 女忍者は長老の前で片膝を着き、視線を外さぬまま浅く頭を下げる。
「深雪よ」
「はい」
 深雪――それが彼女の名前である。
 数え年で十七のまだ若い忍者。
 黒い覆面から覗く目元にはあどけなささえ感じるけれど、その瞳には、強い意志を示す
炎が見える。
 灯籠の火が瞳に映り込んでいたりする。
「深雪よ」
「ですから、わたしはここに」
「深雪よ」
「お爺様……。また、おボケになっているのでござるか」
 ちょっと呆れ顔になる深雪。
「ここでは長老と呼ばぬか。我が孫である前に忍びであることを忘れるでない」
 もうすぐ米寿を迎える長老は、老人性痴呆症による一時的記憶障害から唐突に回復して
説教を始めた。
 この爺さん、実は深雪の祖父である。
「申し訳ございませぬ、長老様。それより、本日の呼び出しは何の話でございますか?」
「うむ。話とは他でもない。このことじゃ」
 長老は一振りの忍者刀を深雪の前に差し出した。
「そ、その刀は……!」
「うむ。遂にお主も一人前の忍びとなった。この退魔忍者刀と共に有賀忍者一族の使命を
継ぐ時が来たのじゃ」
「はっ。この深雪、見事使命を成し遂げてご覧に入れましょう」
 ありがたく忍者刀を受け取って自らの決意を語る深雪。
 有賀忍者一族の使命とは何か?
 それは、この世の闇に潜む邪悪な妖怪、物の怪の類を退治することである。
 もちろん普通の人間が不死身の妖怪に立ち向かえるわけがない。
 だが、深雪は一日も欠かさず忍術の修行を続けてきた。
 手裏剣、吹き矢、火縄銃、毒薬炸薬エトセトラ。ありとあらゆる手段を駆使して敵を討
つ。
 それが忍者。深雪は血統書付きの忍者なのだよ。
「では、長老様。わたしの最初の任務は如何なるものでございますか?」
「うむ。お主には、とある学校に生徒として潜り込んでもらう」
 使命感に燃える深雪に指令を下す長老。
「学校、でござるか」
 ところが、やる気満タンだったはずの深雪の表情に陰りが生じた。
 非情の女忍者深雪は、敵が幽霊だろうと転生戦士だろうと魔法生物だろうと宇宙猫だろ
うと怖れたりしない。
 では、どーして深雪の顔に黒い縦線が入っているのか?
「学校と言えば、同世代の男女が集団で勉学に励む場所でございますね」
「そうじゃな」
 学校には人が多い。
 それが深雪の悩みの種。
 非情の女忍者深雪は、ちょっと内気な恥ずかしがり屋さんだったのだ。
 学校には人が大勢いるでござる。
 人前に出るのはとっても恥ずかしいでござる。
 学校へ行くのは絶対にイヤったらイヤでござる。
「やはりわたしのような未熟者が任務に就くのは早過ぎたようです。誰か、他の者を遣わ
して下さいませぬか」
 自己完結式三段論法によって感情に忠実な結論を導き出した深雪は前言撤回して学校へ
の潜入任務を辞退しようとしたのだが、
「残念じゃが、この里で実戦に堪えうる上忍は、もはやお主一人だけなのじゃ。若い衆は
街に下りたが最後、盆と正月にしか帰って来ぬからのぉ」
 忍びの里にも過疎化の波が押し寄せていた。
 それに伴う高齢化も深刻だ。
 過疎化&高齢化は重大な社会問題である。
 しかーし。
 深雪の乙女心に比べれば、過疎化や高齢化など俗世の些細な出来事だ。
「それでも辞退いたします」
 重ねて頭を下げる深雪。
「どーしても駄目か?」
「どーしても駄目でござる」
「……仕方ないのぉ」
 取り付く島もない深雪に長老の方が先に折れた。
 そして、独り言のようにボソッと呟く。
「向こうへ行けば『てれびじょん』を見放題じゃというのに」
 研ぎ澄まされた忍者の聴覚がそのセリフを聞き逃すわけがない。
「テレビ!?」
 長老の思惑通り、深雪はバッと顔を上げた。
「本当にテレビを見放題なのでござるかっ!?」
「うむ」
 長老は大きく首を縦に振る。
 現代社会から隔絶された忍びの隠れ里だってテレビくらい置いてある。
 しかし、電気は水車小屋で地球に優しい自家発電をしているだけなので、深雪一人がテ
レビを見るだけの目的で無駄遣いすることはできないのだよ。
 大好きなテレビ番組を見ることのできない歯痒さに、深雪は毎晩のように涙で枕を濡ら
していたのだった。
「そっ、それでは『江戸黄門』も!?」
 なにそれ?
 深雪が好きな時代劇だよ。
 非情の女忍者深雪は、時代劇が大好き。
「当然じゃ。時代劇でも朝の連ドラでも深夜のスケベ番組でも、何を見ても誰も文句は言
わぬ」
 長老は再び鷹揚に頷いた。
「じゃが、お主がどーしても辞退するというのであれば――」
「行きます! 是非ともわたしにお任せを」
 任務の辞退を受理しようとした長老の前に光よりも速くズズッとすり寄り、キラキラと
瞳を輝かせる深雪。
 顔に掛かっていた黒い縦線は、真夏の太平洋高気圧に匹敵する猛烈な気迫に吹き散らさ
れていた。
「良くぞ言った。流石は我が孫じゃ」
「はっ。ありがたきお言葉」
 さっきまであんなにイヤがっていたのに素早い変わり身。流石は忍者。
「それでは明日の朝にも出立いたします。荷物を整理しますので、これにて」
「しばし待て、深雪よ」
 立ち去ろうとした深雪を呼び止める長老。
「そのような格好で町に出ては目立ってしまうであろう。現代社会で生活するにはそれな
りの服が必要ではないか?」
「た、確かに。その通りでござる」
 今の深雪が着ているのは、中に鎖帷子を編み込んだ忍者装束。いわゆる黒ずくめ。
 防御力が高い割に動きやすく、隠しポケットも多くて機能的だけれど、町の中で着てい
たらやっぱり白い目で見られる。
 それはとっても恥ずかしいでござるよ。
 でも、深雪は都会に住んでいる同世代の女の子と違って何着も服を持っていなかった。
 予備の忍者装束(黒ずくめ)が一着。
 雪中行動用の色違い(白ずくめ)が一着。
 母の形見のじゃぱにーず・うぇでぃんぐどれす(白無垢)が一着。
 それだけ。
 だって、忍者の里には洋服屋なんてないんだもん。
「忍びは常に新しきものを取り入れてゆかねばならぬ。そこで、長老としてではなく、お
主の祖父として、餞別代わりにこの服を与えよう」
 長老は傍らに置いてあった箱を深雪の前に差し出し、ふたを開けた。
「そっ、その服でございますか?」
 箱の中身を見て思わず顔を引きつらせる深雪。テレビで見たことがあるので服の名前は
知っていた。
「うむ。これを着て任務に励むが良い」
 長老が深雪にプレゼントした服。
 白地に紺の三本線。
 赤いスカーフ胸元に。
 ひざ上スカートひらひらと。
 それは――
 せぇらぁ服だった。


前のページに戻る メインページに戻る 次のページに進む

●各ページに掲載されている文章、画像、その他の内容は無断で転載および配布を禁止します●