ぎくしゃくした調子で始まった宴だったが、藤宮葵が帰宅する頃には皆が、あの朔也までもが自然な笑みを浮かべるようになっていた。
茜が作ったブランデー入りチョコレートが振舞われたことで、なし崩し的に飲酒も解禁となり、何人かは火照り顔。現職の警察官が同席していることもあって未成年者および車を運転する予定の彼方は素面のままだけれど、全員強制参加のゲームなどにより場の雰囲気は昇り調子だった。
とはいえ、宴はいつか終わるもの。惜しまれつつも本日は解散となった。
「あたしのチョコ、どうだった?」
「なかなか美味かった。流石は未来のパティシエールだな」
茜に答える朔也が素直になっているのはアルコールの影響。たいして飲んでいなくても効果はてきめんだ。
なお、茜は自分で作ったチョコレートを味見していない。ぶっちゃけありえないんだけれど、ブランデー入りなので配慮してあげて下さい。
「そうそう、おいしかったよ〜。あっかねちゃ〜ん」
孝司が庭先で踊っているのもアルコールの影響。こちらは飲み過ぎ。最高に「ハイ!」ってヤツだ。
「やっぱり孝司さんは追い返せば良かった……。朔也さん、孝司さんを逃がさないようにね」
「分かっている。後で留置所まで迎えに行く方が面倒だ」
素直クール状態なので友人に対する言動も辛辣さ五割増しだ。
「それと、健吾さんは聖美さんを送っていってね」
「おう。頼まれた」
「済みません、健吾さん」
健吾はアルコールの影響が見られない。飲んだ量は孝司と同じくらいなのに。
一方の聖美は、ほんのり頬が上気していて妙に艶かしい。たった一杯、付き合っただけなのに。
「聖美さん、がんばってね」
「……はい」
後に茜が聞いた話によれば、この帰り道、聖美は健吾にチョコレートを贈るという困難なミッションに成功したらしい。
しかし、健吾はチョコレートの意味を深く考えたりせず受け取っただけで、特に何も進展は無かったという。がんばれ聖美。
「姉さん、本当に帰らないの?」
靴を履いた彼方が振り返ると、遥は萌の頭を撫でながら答えた。
「あたしはいいわ。泊まっていくから。――ね、萌ちゃん」
「はいぃ、遥お姉様ぁ」
黒猫を抱えた萌が、まるで菫に甘える愛美のように、遥に擦り寄る。二人はずいぶんと気が合うようだ。なにそれ怖い。
「泊まるんだったら、私の家、すぐ隣よ」
昔からの友人である涼子がグラス片手に秋元家へ誘うも、遥は重ねて首を振った。
「いいのよ。今のうちに萌ちゃんを手懐けておきたいだけだから」
「手懐けるって……。あんまり萌ちゃんに変なこと吹き込まないでちょうだい。萌ちゃんが遥みたいな性格になったら哀しくなるわ」
「心配しなくても大丈夫よ。今だって涼子の隣で暮らしているのに、こんなに素直な可愛らしい子に育っているんだから」
教育的配慮と称する事実上の人格否定を発した涼子に遥が応戦する。
と思いきや二人して唐突に彼方へ向き直った。
「そんなことより、あんたはしっかり藍ちゃんを送っていきなさいよ」
「そうよ、彼方くん。任せたわね」
「うん。それはもちろんだよ」
実家に戻ってきたのだから藍も泊まっていきたいところだったのだが、明日は午前中から大学の講義があるのだという。今日も午後の講義に出席していたため到着が遅くなったのだ。
「あたしがいないからって変な気を起こすんじゃないわよ」
「何かあったら逮捕するから」
「お姉ちゃん気をつけてね。探偵さんに」
「なっ、何を言っているの姉さん! 涼子さんも、茜ちゃんまで、そんなことあるわけないじゃないか。ははははは」
遥と涼子、茜の言葉を、彼方は必死に否定する。
「そ、そうですよ。何もありませんから。モジモジ」
文字通りモジモジしながら藍も言う。藍は直前まで全く意識してしなかったようだが、今はすっかり身構えてしまったようだ。
緊張した藍の様子に彼方の落胆は更に深くなる。
(そりゃあ、二人きりになってから改めてチョコレートケーキのお礼とかいろいろ話しているうちに自然な流れで良い感じになれたらと思っていなかったわけでもないわけじゃないこともないんだけれどさ。姉さんたちのせいで余計にハードルが上がっちゃったよ。今夜もマンションの前でお別れかな。とほほ)
そこは引かずに押して行くべきではないか、と思う者もいるだろう。しかし、彼方をヘタレと責めないでやって欲しい。藍に対してはどんな男子でも草食系になってしまうのだよ。藍の能力によって。
ちなみに、藍が着替え忘れてメイド服のままであることに気付くのは、マンションに到着した後になる。
「それじゃ、私と武雄も帰るわね」
「またな、菫」
ほろ酔い気分の涼子と、大量のチョコレートを手にした武雄が、隣の自宅へ帰っていく。
本日のバレンタインチョコレート最多獲得賞を得た男性は武雄だ。菫が愛美以外の女子生徒たちから受け取ったチョコレートの半分をもらっていったのだよ。菫もチョコレートは嫌いではないのだが、とても一人で食べきれる量ではない。
つまり菫は毎年のように武雄へチョコレートをあげていることになるわけだけれど、当然、菫自身がバレンタインのためにチョコレートを用意したことはない。
「菫は誰かにチョコをあげたりしないのか?」
以前、武雄が冗談めかした本気の質問をしたところ、
「ボクが? どうして?」
と、照れも隠しもしない疑問符が返ってきた。
何かが間違っている。けれど、間違っていないのかも知れない。
色恋沙汰に浮き足立たない菫のストイックさを、武雄は、異性としてではなく同じ人間として、ちょっとだけ好ましく思っていた。ちょっとだけ。異性としては複雑な気分だけれどね。
「もう遅いから、愛美も泊まっていくかい?」
「はいっ。お言葉に甘えさせて頂きますわ」
菫と愛美の間に何もなかったことは言うまでもない。
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