四姉妹のバレンタイン


 二月十四日午後七時二十分、引き続き藤宮家リビング――

「お嬢様、ケーキをお持ちしましたよ」
「クッキーもどうぞ、お嬢様」
「お待ち下さい、お嬢様。肩に糸屑が」
「聖美お嬢さまぁ、わたしも何かお世話しますぅ」
 藤宮姉妹が四人がかりで聖美に奉仕している。お嬢様扱いされて赤面する聖美の反応が面白かったことから、このような状況になってしまったのだ。
「ですから、私のことはお嬢様と呼ばなくても……」
「折角だから世話してもらえばいいだろ、おじょーさま」
 お嬢様、の部分を茶化して健吾が言う。
「もう、健吾さんまで」
 聖美は怒ったような表情を見せるが、それが照れ隠しであることは誰の目にも明白だ。彼女は近くにあったぬいぐるみを抱え上げて自分の顔を隠そうとする。
 ところが、その瞬間、聖美の表情が変化した。
 真剣な眼差しが長い垂れ耳のぬいぐるみを射抜く。
 周囲の皆も、何やら様子がおかしいことに気づいて動きを止めた。黒猫のリューンまでもが遥の膝の上で首を回し、聖美に注目する。
「どうかしたのか?」
 健吾の問いに聖美は首を縦に振る。
「はい。このぬいぐるみから邪な気配を感じました」
「なんだって? 何か憑いているのか?」
「異質なものを感じます。悪霊とは少し違うようですが……。このぬいぐるみは、どなたのものでしょうか?」
「えっと、ボクのだけど」
 聖美が呼びかけると、四姉妹の中で最もぬいぐるみが似合わないであろう菫が手を挙げた。
「このぬいぐるみ、お預かりしてもよろしいでしょうか。私の実家――神社なのですが――でお祓いしますので」
「あの、でも……」
 菫は複雑な表情を浮かべる。悪霊云々の話に怯えた顔ではなく、ただただ困惑しているようだ。
 そこへ、
「預かるまでもない。今、済ませる」
「むぎゅっ」
 横に居た朔也がぬいぐるみの額に手刀の一撃を加えた。
 と同時に珍妙な呻き声が聞こえたような気がしたが、それは何かの聞き違いだろう。生者に霊の声は聞こえない。
「憑いているのが弱い奴ならばこれで消える」
「さっすが朔也さん」
「あ、ありがとうございます……」
 どさくさに紛れて茜が朔也に抱きついたことはさておき、菫はぬいぐるみの耳をつかんで自分の部屋へ持っていく。扱いが雑なところを見ると、さほど大切なぬいぐるみではなかったのだろう。
「姉御〜、面目ないっス」
「ディムナは自業自得だよ。どうしてそんなにエッチなんだい、君は」
 そんな会話が聞こえたように思う者もいるかも知れないが、それはただの気のせいだ。
 正確には、ぬいぐるみの疑わしい行動を気のせいだと思わせる程度の、些細な魔法である。


 さて、話を戻そう。この私、リューンの出自が西條遥に露見した件だ。
 遥の話によると、地球猫の指は、前足が五本、後足が四本あるという。私の種族は前後共に四本指だ。
 だが、私とは逆に指が六本以上ある多指症の地球猫は稀に存在しており、有名な地球人作家の飼い猫が多指症だったことから、ヘミングウェイ・キャットとも呼ばれているそうだ。
 それならば、もし私の指が足りないことを地球人に知られても「少し珍しい猫」という程度の話で誤魔化せそうだ。指の多い猫がいるのだから、指の少ない猫がいても不思議ではないだろう、というわけだ。斯く言う遥も、私の指が少ないというだけで宇宙猫だと見抜いたわけではない。
 無論、他人に知られずに済めばそれに越したことはないが、下手に指先を隠そうとして不審がられる方が危険だろう。遥に指摘されるまで萌を含めた誰にも言及されなかったのだから、今後も普通に生活していれば気付かれずに終わる可能性の方が高そうだ。
 遥が私の正体を秘密にしてくれれば、だ。
「いいわよ。秘密にしてあげても」
 遥は実にあっさりと承諾した。尾が抜けるほど簡単に、だ。ここまで素直だと逆に訝しい。
(交換条件は、何も要求しないのか?)
 私が遥へ直接、思念で伝えると、遥はぶっきらぼうに答えた。
「あんまり無茶な要求したら、あんた逃げるでしょう?」
 確かにその通りだ。私の任務は惑星の駐在なのだから惑星上の何処に居ようと大した違いは無い。秘密を守るため無理難題を押し付けられるくらいならば、活動拠点を移してしまう方が合理的だ。
 私個人の感情としては、慣れ親しんだ今の居場所を離れたくはないが。
「あんたを追い出して萌ちゃんに嫌われるのも得策じゃないし……まあ、そうね。それじゃあ折角だから、宇宙の話でも聞かせて頂戴」
(分かった。善処しよう)
 こうして私の危機は去ったのだった。


「ほーら、ボールがどんどん増えていくよ」
 聖美の次に皆の注目を集めているのは彼方だ。
「おおーっ。本物の手品師みたいだ」
「どうやっているのか全然分からないよ」
 武雄や菫が拍手を送る。
 彼方が披露しているのは小さな玉を使ったマジックショーだ。指の間を玉が行き来する間に、最初は一つだったはずの玉が二つ、三つ、四つと増えていく。特に珍しい演目ではないが、すぐ目の前での実演は素人の興味を引くには十分だ。
 宇宙猫のリューンは少々不満のようだが。
(なんということはない。死角から別の玉を念動力で取り出しているだけだ。あの程度の芸当、私にもできる)
(ええっ? リューン君、できるのですか?)
 リューンの漏らした思念に、萌が、意外な驚きの感情を返した。リューンは定位置である萌の膝の上に戻っている。
(無論だ。念動力の強さも精度も私の方が上だ)
(それでは、念動力を使っていることを気付かれないように楽しいお話でお客さんの注意を引き付けて、突然ボールが増えたように錯覚させることができるのですか?)
(いや……そういったことは苦手だ)
「彼方お兄様は凄いですねぇ」
 萌の言葉にリューンの髭が僅かに垂れ下がる。
(誤解しないでもらえるか。そもそも私の種族はほぼ全員が念動力を持っているのだから、隠す必要など無いのであって……)
「彼方お兄様は凄いですねぇ」
(…………)
 完全にやり込められたリューンは黙って寝たふりを始めてしまった。
「彼方さん、お疲れ様です」
「ありがとう、藍さん」
 一方、マジックショーを終えた彼方に、藍がグラスを差し出した。
「と、ところで……ケーキの味はどうでしたか?」
 ソファーに腰掛けた彼方がグラスを受け取ると、言い難そうにしながら藍が尋ねた。テーブルの上に残っている空の食器をちらちらと横目で見ている。程好い甘みのチョコレートクリームと、ほろ苦いココアパウダーを混ぜ込んだスポンジ生地を交互に重ねたチョコレートケーキは、藍が持参したものだった。
「ああ、藍さんが作ってきたケーキだよね。もっちろん美味しかったよ。姉さんの分まで貰って食べちゃったよ」
「そうですか! 良かったです」
 答えを聞いた藍は、笑顔に、今日一番の笑顔になって、上機嫌でメイド業務に戻っていった。
「藍さん、そんなに嬉しかったのかな」
 などと能天気に呟いた彼方の頭を、遥が小突いた。
「馬鹿ね。あんた、気付かなかったの?」
「何が?」
「そのケーキ、チョコレートケーキよ」
「チョコレートケーキだから何なの……あっ」
 言葉の途中で彼方も理解したようだ。藍手作りのチョコレートケーキこそが彼方へのバレンタインデープレゼントだったのだと。思い返せば、藍が切り分けて彼方に配ったケーキにだけ、チョコレートの人形が乗っていた。
「そうか、そうだったのか」
「ちゃんとホワイトデーに三倍返しするのよ」
「分かってるよ」
「ところで……」
 今度は遥が言い淀んだ。遥にしては非常に珍しいことだ。
「どうして私は、『お嬢様』じゃなくて『御主人様』なのかしらね」
「え?」
「藍ちゃん、無意識にそう呼んでいるみたいだから、私にも理由が分からないのよね」
 確かに、藍は遥を御主人様と呼んでいた。彼方は特に気にしていなかったが遥は気付いてしまったらしい。それは、つまり――
「ひょっとして姉さん、お嬢様って呼んで欲しかったの?」
 彼方は再び小突かれた。先程より強く。
(そう言えば、どうして僕は『御主人様』じゃなくて『彼方さん』なんだろう?)
 藍に面と向かって尋ねることもできず、西條姉弟は疑問を胸の奥に仕舞い込むことしかできなかった。


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