四姉妹のバレンタイン


 二月十四日午後六時四十分、引き続き藤宮家リビング――

 メイド。
 戻ってきた藍さんの格好に、僕は言葉を失った。
 メイド服を着ている人を肉眼で確認したのは初めてだよ。心霊機械のパーツの調達に秋葉原通いしている孝司はメイド喫茶で見慣れているんだろうけれど、僕は写真とかでしか見たことなかったからね。
 でも、メイド喫茶へ行く孝司たちの気持ちが何となく分かった気がする。
 だって可愛いから。とっても可愛いから。
 ほんのり照れているところが良い感じだよ。
 もちろん藍さんはいつだって可愛いんだけれどね。ははははは。
「藍さん、とても似合っているよ」
 あ、これはお世辞じゃなくて本心だよ。藍さん似合い過ぎ。
「そっ、そんなことないですよ……。あっ、早く茜たちも来て」
 藍さんに促された僕の義妹たち(予定)がリビングに入ってくる。
「じゃ〜ん! あたしもメイドだよ」
 藍さんは紺のロングスカートだったけれど、茜ちゃんは赤とピンクのミニスカート。白いエプロンは一緒なのに、メイドと言うよりもどこかのファミレスの店員みたいだ。
 そして、
「ニャン☆」
 招き猫みたいなポーズで現れた萌ちゃんは一段と凄まじい格好。
 パステルグリーンのメイド服はともかく、頭の上には猫耳カチューシャ。猫の足みたいな手袋をはめて、おまけにスカートの下では作り物の尻尾が揺れている。円い眼鏡がなんだか猫の瞳っぽく見えてくるよ。
「えーと……。この服って、藍さんが用意したの?」
 ソファーに戻ってきた藍さんに尋ねると、藍さんはコクリとうなずいた。
「はい。菫の誕生日プレゼントと一緒に茜と萌の分も作って、そのついでに、わたしのも手直ししてみました」
「そうなんだ。藍さん、本当にメイド服が好きだったんだね」
「え、あの、違うんです。だってほら、エプロンドレスは御家庭の戦闘服って言うじゃないですか」
「そうなの?」
 藍さん、自分でメイド服を着たくてたまらなかったんだろうなぁ。
「やっぱり着替えてきたよ。これなら変じゃないよね?」
 最後に、他の姉妹に遅れて菫ちゃんがリビングの扉を開けた。
「菫がメイドに!?」
 武雄君が期待に胸を膨らませて振り返る。
「あの菫お姉様が!?」
 愛美ちゃんも大きな胸を更に膨らませて振り返った。
「メイドじゃなくて執事だけれど」
 菫ちゃんは美少年執事だった。
 これも藍さんの手作りなんだろうなぁ。なんとなく手縫いっぽいのが分かる。
 でも、中身の菫ちゃんが男性ファッションモデルも顔負けの着こなしをしているので全く見劣りしない。
 というか、男として羨ましいよ。僕が正装しても、服を着ているというより服に着られている感じだもんね。
「すっ、素敵ですわ、菫お姉様〜!」
 突進して菫ちゃんの胸に頬ずりする愛美ちゃん。困った顔の菫ちゃん。複雑な表情の武雄君。
 そんな歪な三角関係の向こうでは、茜ちゃんが相羽さんの前でクルクル回ってミニスカートを舞わせている。
 女子高生って凄いよね。見えるか見えないかのギリギリのラインをフルスロットルで果敢に攻めていくんだから。相羽さんもタジタジだよ。
「彼方さん……どこを見ているんですか……?」
 わわっ。藍さん、ちょっと怒ってる。
 もっちろん、怒っている藍さんも可愛いんだけどね。ははははははは。


「見て見て、朔也さん。あたしプリティ?」
「あー……うー……」
 短いスカートを翻して眩いほどの笑顔を見せる茜を直視できず、朔也は答えにならない声を出した。
 普段とは逆に引き締まった表情を見せたのは孝司だ。
「違うね。間違っているよ、茜ちゃん。どうやら茜ちゃんはメイドの何たるかが分かっていないようだ」
 孝司は何時になく真剣な声で告げる。
「その服を着ているときは『御主人様』と呼ばなくてはならないのだよ」
「あ、そっか。それじゃあ――」
 茜は朔也を振り返り、改めて訊ねた。
「御主人様。あたしの服、似合ってますか?」
 祈るように胸の前で手を組み、あごを引いて上目遣いである。
 茜は深く考えて行動しているわけではなかったが、その凶暴なまでの破壊力は朔也の心肺機能にまで達した。
「ぅぐっ」
 声を詰まらせた朔也はグラスに注がれた炭酸飲料を喉に流し込んで誤魔化そうとする。無論、誤魔化し切れてはいないのだが。
「おい、朔也。照れてないで何か言ってやれって」
「そうですよ。こんなに可愛らしいのですから」
 健吾と聖美が朔也を促すが、当の朔也は無言で何度もグラスを傾けている。既に飲み干して空になっていることに気付いていないことから、朔也の動揺の大きさが知れる。
「あ、御主人様。お代わり持ってくるね」
 茜は朔也のグラスを奪い取ってキッチンへ向かった。気分はすっかり、朔也専属メイドだ。
「健吾さんの飲み物も頂いてきますね」
「おう、悪いな」
 聖美も健吾のグラスを手に席を立とうとしたのだが、彼女は藤宮家長女にしてメイド長の藍に引き止められた。
「あっ、いいんですよ。お嬢様はそのままでお待ち下さい」
「お嬢様?」
「はい。女性のお客様は『お嬢様』なんです」
 藍は聖美から健吾と孝司のグラスを受け取るとキッチンへ歩いていった。
「私がお嬢様……。なんだか良い気分ですね」
「ひょっとして聖美さん、何か目覚めちゃった?」
「そんなことは……」
 孝司の軽口を聖美は頬を赤らめつつ否定するが、そこに健吾が一言、付け加えた。
「ま、九条だったら、どこぞのお嬢様って言われても納得だよな。こんだけ美人なんだから」
 これには聖美も真っ赤になった顔を伏せるしかなかった。発言に全く他意のない健吾は聖美の様子に不思議そうな表情を浮かべるだけだ。
「健吾も罪作りだなぁ……で、朔也はさっきからどうしたんだい?」
 孝司が呼びかけた朔也は先刻までと全く同じ姿勢のまま、金縛りに遭っているかのように固まっている。
「茜ちゃんメイドに惚れ直しちゃったかな?」
「か、勘違いするな。惚れ直すも何も、俺は別に、茜に惚れているわけじゃないんだからな」
「はいはい。ツンデレがデレ期に入る直前は情緒不安定なんだよね」
「つんで……れ?」
「男のツンデレも有効なんだなぁ。ただしイケメンに限るんだろうけれど」
 聞き慣れない専門用語を出されて朔也は訝しむが、孝司の軽薄な笑みが如何にも意味有り気だったため、敢えて問い直すことはしなかった。


「お嬢様、紅茶をお持ちしました」
 美少年執事が愛美の前にティーカップを差し出した。
 菫は言葉遣いも身のこなしも完璧に執事の役作りが出来ている。アカデミー賞も狙えるんじゃないかというくらいだ。
「本日はアールグレイにいたしました。馴染みの店で良い茶葉が手に入りましたので」
 この執事、ノリノリである。
 ちなみに紅茶は本当にアールグレイ。ただし近所のスーパーで買った特価品。ティーバック二十袋セット。
「菫お姉様から御奉仕して頂けるなんて、幸せ過ぎて気絶してしまいそうですわ〜」
 蕩けるような表情で紅茶に口を付けた愛美は、しかし次の瞬間、全身を硬直させた。
 不味かったのだ。
 決してスーパーの特価品が粗悪品だったのではない。
 どんなに執事っぽい仕草を真似できても、その実体は調理場に無縁の菫のままなのだよ。ティーバックの紅茶をここまで不味くできるんだから、菫が手料理を作った日には死人が出るね。
 それでも愛美はぎこちない作り笑いを菫に返すことに成功した。
「大変申し訳ないのですけれど、お砂糖を頂けないでしょうか。今日は少し糖分が欲しい気分でして」
「これは失礼しました。すぐにお持ちします」
「っていうか、いつまで『執事とお嬢様ごっこ』を続けるんだ?」
 隣で見ていた武雄が無粋に口を挟んだ。
 しかし愛美はゾウリムシでも見るような目をして応える。
「違いますわ。『執事とお嬢様と庶民ごっこ』です」
「オレも入ってるのかよっ」
「どうしたんだい、武雄」
 菫が追加の砂糖を持ってきた。どうやら庶民に対しては御主人様と呼ばないらしい。
 武雄は話題を変えて、先程から聞きたかった質問を投げた。
「藍さんも茜さんも萌ちゃんもメイドなのに、なんで菫だけ執事なんだ? いくら執事の方が似合うからって」
「メイド服ならボクも用意して貰ったよ。これと別に」
 菫は自分の着ている執事服を指して言った。
「あのメイド服は藍姉さんの趣味だから、こっちの執事服がボクへの誕生日プレゼントのつもりなんだろうね」
「貰ったんなら、どうしてメイドシスターズに統一しなかったんだよ。ほら、どうせなら姉妹揃ってメイドっていう方が面白いだろ、ネタ的に」
「ボクもそのつもりで最初はメイド服を着てみたんだよ。スカートじゃなくてショートパンツだったから、ボクでも似合うかも知れないと思って。でも、着てみたらやっぱり恥ずかしかったからね。すぐ、執事に着替えてきたんだ」
(恥ずかしいからイイんじゃないか!)
 心の中で地団駄を踏む武雄。
 だって、オレのためにメイド服を着てくれ、なーんて言えないじゃないか。庶民だから。
「あれくらいで恥ずかしがっててどうするの? もーっと恥ずかしい格好してる人もいるのに」
 代わりに声を掛けてきたのは、彼氏に飲み物を持っていく途中の藤宮茜だ。
「そんなこと言われても、ボクは茜姉さんみたいに女の子っぽい服は似合わないよ」
 茜のメイド服は膝上二十センチのミニスカート。これを菫が身に着けるのは、サバンナでライオンと戦うくらいの勇気が必要だろう。たぶん。
 しかし茜が言っている「もーっと恥ずかしい格好してる人」は、茜自身を指しているのではない。
「違う違う、あたしじゃなくて萌のことよ」
 茜は別のソファーに座っている末妹を振り返る。菫も、妹の衣裳を改めて見回して頷く。
 どこから見ても猫耳メイド少女(眼鏡付き)だ。これを菫が身に着けるのは、異世界でドラゴンと戦うくらいの勇気が必要だろう。たぶん。
「あの恥ずかしさは別次元の恥ずかしさだよ」


 この星のサブカルチャーは侮れない。
 異なる種族の生体部品を合成した複合生物が醜悪な姿になることは容易に想像できることだ。
 だが、地球人の想像力は、嫌悪感の壁を易々と乗り越え、独自の発展を遂げていた。
 ある動物の象徴的な一部分を取り出し単純化したものを身に着けることで、生理的な不快の念を抱かせることなく、その動物に対する心象のみを取り込むことに成功したのだ。
 実際に目にした後でならば私にも理解できる。
 つまり……これは良いものだ。うむ。良いものだな。
「どうしたのですかぁ、リューンくん?」
(いや、何でもない。気にしないでくれ)
 問いかけられた私は思念で応え、萌の頭上にある猫の耳を模した髪留めから視線を逸らした。
 私の隣に座る萌は実に楽しそうに笑っている。藍が用意した衣裳をいたく気に入っている様子だ。
 だが、実のところ私は笑うに笑えない状況にある。私は今、双子探偵の姉・遥の膝の上に乗せられているのだ。
 どうやら遥は私に対して何か思うことがあるようで、先刻からずっと私を監視している。遥の表層思考が全く読めないことも不気味だ。
「遥お姉様ぁ、リューンくんが気になるのですかぁ?」
 困惑する私に代わって萌が訊ねた。
 だが、この質問は少しばかり直接的だったかも知れない。
「この猫、普通の猫じゃないわよね」
 遥からの返答は更に直接的に、核心を突いていた。
「リューンくんはどこにでもいる普通の猫さんですぅ。そうですよねぇ、リューンくん?」
「ニャン☆」
 この鳴き真似は何度やっても慣れない。どこか不自然な響きになってしまうことは自覚している。
 案の定、遥は騙されたりはしなかった。
「なんだか、わざとらしい鳴き声ね。それに……」
 そして遥は決定的な証拠を突き付けた。

「この猫、指が一本少ないのよ」

 言われた萌は私の足先を数秒ほど観察し、次に萌自身が着けている猫手袋を見て、
「……あ、本当ですぅ」
 のんびりした声で驚く。
(何っ!? 萌、どういうことだ? 宇宙猫と地球猫は見た目で区別できないのではなかったのか?)
(リューン君は地球猫より指の数が少なかったみたいです。うっかり見落としていました)
(い、いや、済まない。見落としていたのは私も同じだ)
 思わず詰問するような思念になってしまったが、私が萌を責めるのは筋違いだ。本来であれば私自身が、地球にいる猫との身体的な差異に気付くべきだったのだ。地球猫は耳や尾の形状が私と似通っていたため、外観は同じという先入観が働いてしまったのだろう。
(頼む、萌、どうにか誤魔化してくれ。遺伝子異常だとか適当な理由を付けて)
(はい。ええと……)
「ところで」
 萌が喋り出す前に遥が言った。
「私自身はテレパシーを使えないけれど、他人のテレパシーを傍受することはできるのよ」
 なん……だと……?
「さっきから二人で面白いお喋りしていたわね。――宇宙猫、とか」


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