四姉妹のバレンタイン


 二月十四日午後六時十五分、藤宮家リビング――

「相変わらずマイペースだよね、藍姉さんは」
「ここだと恥ずかしいってどういうことかな?」
 すたすたと先に進む藍に続いて、菫はつかつかと、茜はぴこぴこと、二階へ向かった。萌も、ペットのリューンを膝から下ろして、姉たちの後ろをてくてくと付いていく。
 ちなみに茜の足音が「ぴこぴこ」というのは、歩くと音が鳴る玩具のようなスリッパを履いているから。
「ふうぅ」
 四姉妹の姿が見えなくなると、朔也は長く息を吐いた。
 とても社交的とは言えない朔也にとって、人の多い賑やかな場所は居心地が悪いのだよ。まして、茜の妹の誕生日だからという不思議な理由で呼ばれたパーティー。朔也は藤宮家に顔を出したらすぐに帰るつもりだった。
 だったのだけれど、茜は朔也の腕を放そうとしなかったのだ。おかげで茜の母親・葵と気まずい挨拶をすることになってしまった。
 孝司や彼方のような良い意味でのいい加減さを持ち合わせていない朔也は、葵と何を話せば良いか分からず、ただ茜の言葉に曖昧な相槌を打つだけ。表面的には寡黙で落ち着いた姿を装っていたものの、葵には動揺を見抜かれていたのではないかと不安になってくる。
 実際のところは葵どころかその場の全員に分かってしまっているんだけどね。
(帰るなら、今のうちだな)
 あまり長居をして再び葵を顔を合わせるのは避けたい。
 茜が席を外している今ならば、朔也を無理に引き止める者はいない。
 チャンスだ。
「俺はそろそろ――」
「あ、ごめん。トイレ借りたいんだけど、どこか分かるかな?」
 朔也が退席を言い出そうとしたのと同時に孝司が立ち上がった。タイミングを逸した朔也は口をつぐむ。
「そこを出てすぐ左にあるよ。ドアに書いてあるから」
 勝手知ったる他人の家。小さい頃から藤宮家に遊びに来ている武雄が孝司にトイレの場所を伝えた。
 孝司がリビングを出ていく。
 が、朔也は黙っていた。一度言い澱んでしまうと、再び口を開くにはきっかけが必要なのだよ。
 朔也は気分を落ち着けようと再び深呼吸した。
 右隣では健吾と聖美が部屋の片隅に置かれた置物の正体について会話している。菫が父親から贈られた誕生日プレゼントであるその置物は、とても名状し難い奇妙な石像だ。贈られた菫も扱いに困り、自室ではなくリビングに飾ることにしたのだと、茜と菫が先程話していた。
 左側に居る武雄は、愛美と何やら言い争いをしている。この二人はずっとこの調子だ。
 そして、ちょうど正面では西條遥が黒猫をじーっと見つめている。
(そもそも、何故、西條遥が此処に居る?)
 朔也にとって本日最大の誤算は、遥が出席していることだった。
 強力なESPを持つ遥は、他人と距離を置きたがる朔也の天敵だ。朔也が何を考えているのか、遥には全てお見通しなのだよ。テレパシーではないので思考そのものを読まれるわけではないのだが、ちょっとした仕草などから簡単に推察されてしまう。
 藤宮家の玄関先でも茜に妙な話を吹き込んでいた。これ以上、余計なことをばらされては敵わない。
 孝司が戻ったら席を譲ってそのまま退出しよう。朔也はそう決めた。
 ところが、孝司は席に戻らず、そのまま遥の弟である彼方と世間話を始めてしまった。


「で、どうなんだい、彼方?」
 トイレから帰ってきた孝司は、自分の席(座布団)へ戻らず、彼方に話しかけた。
「『どう』って?」
「そりゃもちろん、藍お姉さんのことだよ」
「あ、やっぱり」
 孝司は昔から女子大生が好きだと言って憚らず、事実、彼方が孝司に誘われて遊びに行くときも女子大生のグループと一緒であることが多い。
(一応、釘を刺しておこうかな)
 彼方は孝司に言った。
「先に教えておくけど、孝司じゃ藍さんは絶対に無理だよ。藍さんって、他の女の人に色目使うだけで機嫌が悪くなるから」
「ああ、大丈夫大丈夫。彼方の邪魔しないさ」
(あれれ?)
 あっさりした反応に肩透かしされた気分の西條彼方。
(まあ、藍さんって子供っぽいところがあるから、孝司のストライクゾーンから外れているのかもね)
 一人で納得して孝司と話を続ける。
「けど意外だな。藍お姉さん、大人しそうな雰囲気なのに」
「そうでもないよ。人見知りは激しいけれど、怖いもの知らずで結構大胆なんだ」
 藍が怖がるのは漠然とした不安だけ。目に見えるものは全く怖がらない。異性と話すことは苦手としているが、それは恐怖ではなく、ただ単に気恥ずかしいだけだ。
「直に姿を見せないストーカーとか、孝司たちがお祓いするお化けみたいなのは人並み以上に怖がるんだよ。でも、強盗が目の前でバールのようなものを振り回していても本当の意味で怖いとは思わないんじゃないかな。もっとも藍さんに直接危害を加えようなんて考える人はいないんだけどね」
「ん? どういう意味だい?」
「あ……。えーと、それより……」
 彼方は何かを誤魔化すようにテーブルの向こう側をチラリと見てから、声のトーンを落として孝司に質問した。
「あの相羽さんが、茜ちゃんと本当に付き合っているの?」
 朔也は居心地悪そうにしてソファーに座っている。孝司のことは高校のときから知っている彼方だが、同じ高校に通っていた朔也のことはあまり知らない。遥は朔也と同じクラスになったことがあって色々と弱みを握っているらしいけれど。
 ちなみに、遥は彼方の横で、萌が残していった黒猫リューンを両手で抱えて膝に乗せている。
「んー、そうだな」
 孝司は少し考えて、それから答えた。
「まだ付き合ってないはずだよ、表向きは。けど、朔也も観念し始めているし、あとは時間の問題だろうね」
「そうなんだ。茜ちゃんみたいな賑やかな子、苦手そうなのに」
「朔也は取っ付き難い奴だからな。ま、これから色々と話しかけてやってくれよ。ひょっとすると彼方の義理の弟になるかも知れないんだし」
「そ、そうか。そういうことになるんだよね」
(人の縁って不思議なものだなぁ)
 などと彼方が思っているうちに、廊下の方から足音が近付いてきた。
「藍さんかな?」
 しかし足音は一つだけ。しかも擬音は「ずかずか」なので四姉妹の誰でもない。
「こんばんは。もう二次会始まっているのかしら?」
 やってきたのは秋元武雄の姉、秋元涼子だった。


「姉さん、遅いよ」
「この前バイオレットが盗みに入った家から連絡があったのよ。壁に変なものが付着しているって。それで、何か証拠が残っているのかと思って行ってきたところよ」
 バイオレット対策本部の指揮を執る涼子が愚弟に応えた。
「まさか、バイオレットの痕跡が!?」
「あんたが使ったトリモチだったわ。乾いてカピカピになった」
「うっ……。ちゃ、ちゃんと拭き取ったんだけど、まだ残ってたのか」
 なお、トリモチが固まっていた壁は、業者など呼ばず涼子自ら清掃作業に勤しんだ。バイオレット対策本部には予算が無いのだ。
「ところで菫ちゃんは? 藍ちゃんも帰ってきていると思うけれど」
 涼子は武雄の頬をつねり上げながらリビングを見回した。
 テーブルの向こう側に座っている彼方はこちらに片手を上げ、遥も視線を送ってきたが、二人を案内して一緒に来たはずの藍の姿は見えない。
 それどころか藤宮家の者が一人も居ない。逆に見知らぬ男女数名が所在無げにしている。
「藍さんは菫たちを連れて二階だよ。オレたちを放っておいて。たぶんすぐに戻ってくると思うけど。――あ、こっちは茜さんのお知り合いの、除霊屋さん?」
 今ひとつ朔也たちの職業が理解できていない武雄が彼らのことを涼子に説明する。本来は茜が紹介するべきだけれど居ないのだから仕方ない。
「あと、そっちはオレと菫の同級生」
「姫咲愛美ですわ。菫お姉様からお名前は伺っております。バイオレット対策本部の本部長をなさっているそうで」
「ええ。バイオレットから予告状が来ていないときは私一人しかいない対策本部だけれど」
「バイオレットって、あの幻影怪盗の?」
「警察の方なのですか」
 涼子と愛美に、健吾と聖美も参加して、ちょっとした世間話が始まった。彼方と孝司もそれに加わる。
 巷を騒がす怪盗の話、除霊屋の仕事の実情など、普段は関わることのない事柄だけあって、一方が質問して一方が答えるというやりとりが多かったのだけれど、今日初めて顔を合わせた者が居るにしては会話は弾んだ。
「お待たせしました」
 藍がリビングに戻ってきたのは、探偵業の大半は浮気調査であることを彼方が話しているときだった。
「あ、藍さん……え゛」
 振り向いた武雄は発音不能な声を上げた。
 どうやら藍は二階で着替えてきたようで、先程と服が変わっている。
 紺色のロングスカートに、フリルの付いた白いエプロン。
 それは、どこからどう見てもメイド服だった。


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