(確かに連絡は受け取った。室長に宜しく伝えてくれ) (ああ、君も元気で。必要な物資は出来るだけ早く届けるよ) それを最後に、衛星軌道上で待機している航宙機からの思念波通信は切れた。 銀河警察機構独立広域捜査室の同僚、トゥールからの主な連絡事項は、私への正式な辞令だった。 この惑星――地球に駐留し、地球人類の視察を行う。 駐留期間は、地球の太陽暦に換算して、およそ十年。短くなることはあっても延びることはないだろう。 十年。 地球人よりずっと永い時を生きる私にも、その時間は短いものではない。 だが、決して長い時間ではない。たったそれだけの年月で萌と別れなければならないのだ。 十年後、萌は再び泣くだろうか? それとも、笑顔で私を見送ってくれるだろうか? いずれにしても、私が萌にしてやれることは何もない。 今の私にできることは、萌が健やかに成長してくれることを願いながら、限られた日々を過ごすことだけなのだ。
「見つけましたぁ。リューンくん、どこに行っていたのですかぁ?」 階段を降りてきた私を萌が抱え上げた。 私の駐留期間については、まだ言わない方が良いだろう。萌を混乱させるだけだ。 「付近を巡回していたのだ。たまには時間帯を変えて巡回しなくては不審な点を見落としかねない」 「本当ですかぁ?」 「……本当だ」 萌の勘の鋭さには毎度驚かされる。 だが、ここで下手に言い訳すると逆効果であることは私も既に学んでいる。話を逸らすのが最善の策だ。 (それで、君の姉の誕生日会は始まっているのか?) (とっくに始まって、もう一次会はおしまいですよ) 私が思念波で尋ねると、萌も思考だけ浮かべて私に答えた。 藤宮家では、家族の誕生日を祝う一次会に続いて、誕生日を口実に集まった者達で二次会を開くことになっている。他の家では誕生日会に二次会など無いのが普通だというので、これは藤宮家の独自の風習であるらしい。萌たちの父親が二次会と称して酒盛りを始めたのが起源で、それがいつの間にかこのような形で定着したそうだ。 (菫お姉様のお友達は一次会から来ていますから、今は、藍お姉様と藍お姉様のお友達、茜お姉様のお友達を待っているところです。茜お姉様は外にお出迎えに行きましたから、すぐに来ると思いますよ) 萌は私を抱えたまま、誕生日会の会場である居間へやってきた。 なるほど。菫の友人である秋元武雄と姫咲愛美の二人が菫を挟んで長椅子に座っている。この二人は何度か藤宮家を訪れているので私も知っていた。 「萌も食べてみる? これ、愛美が作ったんだってさ」 卓に置かれた箱の中身を差し出して菫が言った。 この香りは……チョコレートか。 小さなハート型(地球人の心臓を象った、愛情を表す象徴)のチョコレートが十数個。一個一個が丁寧に紙に包まれている。 「愛美お姉様のチョコレートですかぁ。それでは、いただきますぅ」 萌は菫たちの向かい側の長椅子に腰を下ろし、チョコレートに手を伸ばした。私は人前でチョコレートを食べる姿を見せられないので、大人しく萌の膝の上で彼女らを観察する。 「とても美味しいですぅ」 「うん。味もそうだけど、特に香りが違うよね」 「はいっ! ガーナとエクアドルから取り寄せた最上級のカカオ豆をブレンドして作りました」 兎に似たぬいぐるみを胸に抱きしめて愛美が喜ぶ。彼女は平均的な日本人女性よりも胸部に集まる脂肪が豊富で、兎はその脂肪の塊に埋まるように収まっていた。 なだらかな萌の胸元よりはあちらの方が抱かれ心地が良さそうだな――と、しばらく前に正直な感想を言ったところ萌に髭をかなり強く引っ張られ、二度と言わないと誓わされている。 「カカオ豆を磨り潰す工程で苦労しましたわ。なかなか舌触りが滑らかにならなかったものですから」 「へー。そうなんだ」 「って! まさか姫咲、カカオ豆からチョコを作ったのか?」 菫が聞き流そうとした愛美の話に武雄が気付いた。一般的には手作りチョコと言っても市販品を溶かして形を整える程度だと聞いていたのだが……。 「当然ですわ。菫お姉様のためですもの」 それを何事でもない様子で愛美は肯定する。 「くっ……。やるな、姫咲。けどな、手作りだったらオレも負けてないぞ」 愛美に張り合うように武雄が言った。この二人、実は菫を巡る好敵手なのだ。 「武雄も手作りなのかい? ここで開けてもいいかな?」 卓上の別の小箱を菫が手にした。それが武雄から菫への誕生日祝いなのだろう。 「もちろんだ。開けちゃってくれ」 「うん。ありがとう、武雄」 菫が小箱を開けると銀色の装飾品が現れた。正五角形の枠を内側に折り曲げた、いわゆる星型の首飾りだ。 どうやら表面の色だけでなく素材が本物の銀であるようだ。所々にくすみがあるものの、鍍金では再現し得ない色の深みがある。 「ええっ? これ、武雄が作ったのかい?」 「ああ。銀粘土で作ったんだ。鎖は百円ショップの安物だけどな」 「とても手作りには見えないよ。武雄って器用だよね。バイオレットを捕まえに来るときも色んな道具を作っているし」 菫は銀の星を目線に捧げ持ち感嘆している。 それが面白くないのは愛美だ。 「愚民なりの努力は認めますが、少しばかり歪んでいますわね。この程度の代物をプレゼントだなんて菫お姉様に失礼ですわ」 「そんなことはないのですぅ。ワーズワースだなんて、武雄お兄様はロマンティストですねぇ」 「わーずわーす?」 萌の言葉に私を含めた一同が首を傾げた。ついでに愛美が抱えている兎の人形も首を傾げたように見えたのだが、それは私の錯覚だろう。 「苔の生す岩陰でひっそりと咲く菫は、空にひとつ光る星のように美しいのですぅ」 「そ、そうなんだよ。ワーズワースさ。はっはっはっ」 武雄は笑いながら―― (なんだか良く分からないけど……とにかく萌ちゃん、ナイス・アシスト!) ――などと考えている。 どうやら武雄はワーズワースなど知らずに星を贈ったようだな。斯く言う私もワーズワースが何を指すのか知らないのだが。 四ヶ月ほど前に萌の記憶から必要な知識を同期したときにも彼女の雑多な知識量に驚いたのだが、その後も萌の知識は増しているらしい。 なお、萌は愛美を「姉」、武雄を「兄」と呼んでいるものの、二人とは特に血の繋がりがあるわけではない。萌が言うには「そう呼んだ方が楽しい」そうだ。 「皆さん、こっちです」 あまり聞き覚えのない声に導かれるように、廊下から複数の足音が聞こえてきた。 「藍お姉様ですぅ」 萌が私を抱いて長椅子を立つ。 そうか。今のは萌の実姉、藍の声か。そう言えば通話機越しの声を微かに聞いたことがある。 藍は年始にも藤宮家に帰っていたのだが、そのとき私は不在だったため、直接顔を見ることは出来なかった。 そして、私は今回も藍の顔を目視することができなかった。萌が振り返ると同時に何か大きな弾力のある物体が私の上に覆い被さったのだ。 「萌ちゃん、ただいま」 「お帰りなさい、藍お姉様ぁ」 どうやら藍が萌の身体を抱きしめ、私は二人の姉妹の間に挟まれてしまったらしい。大きければ良いというものではないことを、私は身を以って教えられた。 「おかえり、藍姉さん。相変わらず萌のこと猫可愛がりだね」 「だって、萌ちゃん可愛いから」 それでようやく、藍は萌の身柄を解放した。私も息苦しさから自由になる。 「お誕生日おめでとう、菫」 萌を放した藍は、今度は菫を抱きしめた。 「藍姉さん、恥ずかしいよ。ボクはもう高校生なんだからね」 「だって、菫はかっこいいから」 「藍お姉様の言う通りですわ」 どさくさに紛れて愛美も菫に抱きついている。愛美が胸に抱いていた兎のぬいぐるみが先程の私と同様に苦しんでいるように見えるが、それも私の目の錯覚に違いない。 抱きつくわけにはいかず所在無げにしていた武雄が藍に声をかけた。 「藍さん藍さん、向こうに困っている人たちがいるんだけど」 「あっ」 藍が廊下を振り返った。数人の男女が立ち尽くしている。藍の行動を見て呆気に取られているようだ。 「す、すみません。どうぞ座って下さい」 藍は慌てた様子で菫から離れ、彼らを迎え入れた。 人数は多いが、予め用意してあったので席は足りるはずだ。問題は席割だが―― 「探偵さんたちはそこね。お姉ちゃんもそっち。菫たちはちょっと詰めて。健吾さんと聖美さんはあっちで、わたしと朔也さんはこっち。孝司さんはそこの座布団だから」 遅れてきた茜がてきぱきと席を決め、彼女自身は男性の腕を取って強引に長椅子に座る。地球人の美醜は判断し難いのだが、茜の隣に座らされた男は端正な顔立ちに思えた。菫には及ばないが。 (それにしても、何故一人だけ座布団なのだろうか?) 思ったものの尋ねるわけにはいかず、私は萌の膝の上で欠伸する。 と、ちょうど私の正面に座った女性と目が合った。茜が「探偵さんたち」と呼んでいた一人だ。女性は一瞬、怪訝な表情を浮かべたのだが……まさか私が宇宙猫だと気付いたのか? 外見だけでは地球猫と区別できないと萌は言っていたのだが。 「藍さんって年下の子には特に優しいんだね」 「そ、そんなことないですよ。小さい子は好きですけど。――あっ。そちらの真ん中にいるのが菫で、この子が萌です」 藍は「探偵さんたち」のもう一人と話しながら萌の隣に腰を下ろした。藍に頭を撫でられた萌はレンズの向こうにある目を細める。 「よろしく、萌ちゃん。僕は西條彼方。そっちは僕の姉さんの遥。いつも無愛想な顔をしているけれど噛み付いたりしないから大丈夫だよ」 「誤解させるような紹介するんじゃないわよ」 遥は言いながら彼方を小突く。 その間も遥がずっと私から視線を外さないのは、やはり私に不審なものを感じているのだろうか? 遥は思念波を漏らさない体質なのか、表層思考が全く読めない。あるいは、思念波を遮断する訓練を積んでいるのか。 この場を離れた方が良いのではないか――と考え始めたとき、ふいに視界が塞がれた。萌が私の頭を撫でたのだ。 「分かりましたぁ。彼方お兄様、遥お姉様、初めましてですぅ」 その言葉に慌てたのは藍だ。 「すっ、すみません、彼方さん。萌ちゃんは年上の人をお兄様お姉様って呼ぶんです」 「いやいや、いいんだよ。僕は姉さんがいるだけで弟も妹もいないから、そう呼んでもらえるのは嬉しいよ」 「でも、お兄様だなんてまだ早いのに」 「それでは、いつからお兄様と呼べば良いのですかぁ?」 「えっ! あのね、それは別に、そういう意味じゃなくて……」 藍は妹相手にしどろもどろになっている。萌の方が尻尾が長いということか――ああ、私の種族の慣用句は地球人には使えなかったな。 「あらあら、今日はお客様がいっぱいね」 厨房の奥からやってきたのは、萌たちの母親、藤宮葵だ。 「お帰り、藍」 「あっ、お母さん、ただいま。あの、えーと、この人が西條――」 「西條彼方です。お嬢さんとは親しくさせて頂いておりますです」 藍による紹介を彼方自ら引き継いだ。不自然に改まった言葉遣いをしている彼方は、先程までの飄々とした態度とは打って変わり、緊張の色が濃く出ている。 時折、「お嬢さんを僕に下さい!」という思念波が脳から四方八方に漏れ出ているのだが、口に出さなくて正解だと私も思う。いくらなんでも初対面でそれは早いだろう。 もっとも、実際に言葉にしなくても彼方の考えは伝わってしまうはずだ。葵も既に訳知り顔で微笑んでいる。 「あらあら、そういう畏まった挨拶は私じゃなくて、うちの人に言ってちょうだいね。あの人、娘のことになると大騒ぎだから」 「そうなんですか」 彼方は安堵と不安が入り混じった顔をする。とりあえず母親への挨拶を済ませたものの、次に控える父親の方が強敵だと教えられたのだから無理もない。 「そ、そういえば、お父さんは?」 藍が話題を変えようとして葵に尋ねた。 「今頃はギアナ高地かしら。今年も帰って来れないみたい。菫のプレゼントだけは送ってきたけれど」 四姉妹の父親は考古学者で、娘たちが大きくなった今は世界各地を飛び回っているという。私も未だに顔を見たことがない。 「それじゃ、私も用事があって出かけちゃうから、後はお願いね」 葵は場を離れると、茜と菫にも声をかけた。 向こうでも茜が葵に男性を紹介して、こちらと似たような話題になっている。あちらの男は彼方よりも落ち着いた様子に見えるが、内心の緊張具合はさして変わらない。 「それじゃ、菫、ちょっと二階に来て。プレゼントがあるから」 葵が外出すると藍が立ち上がって菫を呼んだ。藍は大きな紙袋を抱えている。 「えっ? ここじゃダメなの?」 「ここだと恥ずかしいから……。茜と萌のもあるから一緒に来て」 藍は菫だけでなく妹全員に贈り物を用意してきたようだ。 「相変わらずマイペースだよね、藍姉さんは」 「ここだと恥ずかしいってどういうことかな?」 菫と茜は八割の疑問と二割の期待を抱いて席を立ち、萌も私を膝から下ろした。 「リューンくんは待っていて下さいね」 藤宮家の者が一人も居なくなってしまって、残された客は一体どうすれば良いのだろうか。
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