四姉妹のバレンタイン


 二月十四日午後六時、藤宮家玄関前――

「朔也さ〜ん」
 藤宮茜の相羽朔也への呼びかけは、どんなときも楽しげだ。
 しかし、今日はいつにも増して明るい。
 何故ならば、この日は、朔也が初めて茜の家を訪れた記念日になったからだ。
「本当に来てくれたんだね、朔也さん」
「……ああ。一方的な約束だが、約束は約束だ」
 藤宮家の玄関先で茜に抱きつかれた朔也は苦しい言い訳をする。
 思わず漏れてしまいそうになる笑みを抑えているせいか、言葉だけでなく顔も苦しそうだ。
 朔也の後ろにいる三人も苦笑いを浮かべている。
「藤宮さん、今日はお招きいただきありがとうございます」
「いらっしゃい、聖美さん。健吾さんも」
「茜ちゃん、僕も来たんだけど」
「孝司さんは呼んでないよ」
 一人だけ邪険に扱わた孝司は再び苦笑い。
「僕、茜ちゃんに何か悪いこと言ったかな……?」
 心当たりがない孝司は首を傾げた。
 その傾いた視界の中に見知った顔を見つけた。
「あれ? 彼方じゃないか」
「え? 孝司? なんでここに居るの?」
 振り返った先には、孝司の知人である西條探偵事務所の姉弟・遥と彼方、そしてもう一人、孝司の知らない女性がいた。
 今は一人暮らしをしている藤宮家長女・藍だ。
 人見知りの激しい藍は彼方の背に半ば隠れるようにしてこちらの様子を伺っている。
「あっ、お姉ちゃん。久しぶり〜。隠れてないでこっち来ても大丈夫だよ」
 朔也の横から頭だけ出した茜が姉に呼びかけた。
「電話で話してた除霊屋さんだよ。朔也さんと、聖美さんと、健吾さん。そっちにいるのは気にしなくていいから話しかけられても無視してね」
「茜ちゃん、それはちょっと酷いよ」
 孝司からの抗議も何のその。茜はスキップするような足取りで新たに現れた三人の方へ歩み寄る。
「それで、この人たちが探偵さんなの? お姉ちゃんがバイトしてるところの」
「そ……そう。彼方さんと遥さんよ」
 ようやく安心したのか、身を小さくしていた藍が彼方の後ろから出てきて西條姉弟に茜を紹介する。
「彼方さん、遥さん。妹の茜です」
 だがしかし、彼方と茜は初対面ではないのだ。
「あれ? この子、確か……」
「あっ! あのときの超能力者さんだ!」
「ど、どうして茜が知っているの?」
 藍には珍しく、口調にちょっとした怒りの感情が混じっていた。
 彼方が超能力者であることは限られた人しか知らない秘密であり、その秘密を共有していることに藍自身は内心喜びを感じていたのだが、意外な相手に秘密が露見していたことで藍の独占欲が刺激されたのだ。
 藍は、普段あまり自己主張しないだけで、実はかなり嫉妬深い。
「彼方さん、どうして茜が彼方さんの超能力を知っているんですか? というか、彼方さんはどこで茜に会ったんですか?」
「ちょっと落ち着いてよ、藍さん。孝司に頼まれて相羽さんのところを手伝ったとき、そこに茜ちゃんもいたんだよ。それだけだから。それに、僕のテレキネシスのことは教えていないよ。一応、表向きは『手品』ってことになっているし。――孝司が教えたの?」
 藍に問い詰められた彼方は孝司に話を振った。
「いいや。僕は何も」
「……すまない。俺が喋った」
「うん。朔也さんに教えてもらった」
 孝司の代わりに朔也が答え、茜がそれを肯定する。
「相羽さんって意外と女の子に弱かったんだね」
「それは、茜と西條が会うことはもう無いだろうと思ったんだが……面目ない」
「まあそれくらい別にいいでしょ。彼方だって、どうせいつも見せびらかしているんだから」
「姉さん。だからそれは『手品』ってことにしているんだってば」
「そんな『手品』なんて、見る人が見れば一目で見破るわよ」
 話に入ってきた遥が朔也を擁護した。
 否。更に朔也を追い詰めた。
「それで、藍ちゃんの妹の茜ちゃんは朔也君の恋人なのね」
「い、いや、恋人というわけでは」
「はーい! 恋人でーす!」
 この期に及んで曖昧に答えようとした朔也を制して茜が断定する。
 背の高い遥は少し屈んで茜に言った。
「気をつけなさいね、茜ちゃん。この男、実はムッツリスケベだから」
「うん。なんとなくそんな気がしてる」
 心持ち小声で話しているが、周囲にはしっかり聞こえている。
 健吾や聖美は笑いを堪えるのに必死。孝司はもう声を上げて笑っている。
 朔也は、穴があったら飛び込んで中から蓋をして閉じ籠りたい気分だ。
 だが、茜がしっかりと腕を捕まえているため逃げることは出来ない。
「えっと……。茜の、恋人なんですか」
 再び彼方の後ろに隠れるようにしながら、藍も話に加わった。
 初対面の者(特に男性)を前にすると極端なほど気弱になるのが藤宮藍だ。
 ある程度まで知り合えば、先ほど彼方に詰め寄っていたような頑固な一面も見せるのだが。
 そのような二面性があるため見る者によっては猫を被っていると思われかねない性格であるが、藍は不思議と皆に好感を持たれている。
「あの……初めまして。茜の姉の、藍です」
「相羽朔也だ。よろしく」
 朔也はこれ以上ボロを出さないよう、言葉少なに挨拶を返した。
 が、この短い受け答えにも茜は敏感に反応した。
「む〜。朔也さん、お姉ちゃんにはちょっと優しい」
「そ、そうか?」
「そうだよ。いつもだったら『よろしく』なんて言わないもん」
「……そうだな。何故だろう?」
「浮気しちゃダメだよ」
 茜は朔也の腕を軽くつねる。
(俺はもう、これから一生、茜の尻に敷かれ続けるんだろうな)
 朔也はふとそんなことを思った。
 だが朔也にとって、それは決して悪い気分ではなかった。
 一方、初めて朔也の顔を正面から見た藍は頬を赤らめていた。
「相羽さんって……かっこいい人ですね」
「藍さ〜ん。そんなこと背中で呟かれた僕は一体どうすればいいの」
「お姉ちゃんもダメだよ。朔也さんはあたしのだから」
「おーい。茜ちゃん、そろそろ家の中に入れてもらっていいかな?」
 この調子では何時まで経っても話が終わらないと判断して孝司が呼びかけた。
 既に日も沈んだ時間帯。玄関先で立ち話は流石に寒い。
「あっ、そっか。それじゃ、孝司さん以外はどんどん先に入っちゃって。玄関からまっすぐ行って左だから。お姉ちゃん、案内してあげて」
「そ、そうね」
 茜の指示で藍を先頭に、西條姉弟、朔也、健吾、聖美が藤宮家に上がる。
 玄関先に残ったのは、茜と、茜に邪魔されて進めない孝司だ。
「茜ちゃん、僕にだけちょっと厳しくない?」
「だって……」
 孝司が尋ねると茜は言い澱んだ。
「だって、何だい?」
「……もし孝司さんとお姉ちゃんが仲良くなって結婚したら、あたし、孝司さんの妹になっちゃうから」
 それだけ言うと、茜は一人で家に入っていった。
「あ……。そういうことか」
 孝司の妹。
 それは朔也と茜にとって非常に大きな意味を持つ事なのだ。今はまだ。
「大丈夫だよ。茜ちゃんのお姉さんは彼方に譲るから」
 人見知りする藍が彼方の後ろに隠れていたのは、それだけ彼方を頼りにしているということ。孝司もそれくらいは察することが出来る。
 孝司は開け放たれたままの扉をくぐった。


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