「はい、リューンくん」 「……何だ、これは?」 「チョコレートですぅ」 「いや、それはどうにか判別できるのだが」 銀河警察機構独立広域捜査室に所属する私が発展途上惑星の駐在任務に就いてから、この国の暦で四ヶ月になろうとしている。 猫として生活しながらも、この星の文化に関する一般常識程度は身に付けた。チョコレートがカカオ豆を原料とする菓子であることも当然知っているし、実際に食したこともある。 地球猫に与えてはいけない食物を私が食しても問題ないか、私自身の代謝機能を操作しながら極少量ずつ摂取して実験したのだ。 結果、タマネギやスルメは口にしない方が良いと分かったが、チョコレートは(カカオマス含有量の特別多いものを除けば)支障なかった。無論、チョコレートを主食にすることはできないが、地球人にとってのアルコールと同様に嗜好品として楽しむことはできる。 だが、私の「飼い主」である藤宮萌が差し出したこれは何だ? なるほど確かに匂いはチョコレートだろう。以前に萌の姉が買ってきた有名菓子店のチョコレートに比べれば幾らか劣るものの、甘く香ばしい独特の香りは悪くない。 私が判断に迷っているのは、材質ではなく、その形状なのだ。 それは、いびつに歪んだ赤黒い塊から五つほどの触手が突き出しているという不気味極まりない形状だった。 私の知る限りで、この姿に最も近い存在は……。 「この姿は……〈奴〉か?」 「それはリューンくんですよぉ。こんなにそっくりなのに見て分からないのですかぁ?」 私は、泣きたくなった。
「ところで、萌。唐突にチョコレートとはどういう気まぐれだ?」 「知らないのですかぁ? 今日はバレンタインデーですぅ」 私が訊ねると、萌は視力矯正用のレンズの奥にある目を細め、如何にも楽しげな思念を撒き散らしながら答えた。 「ふむ。バレンタインデーというと、女性が好意を抱く男性にチョコレートを渡す風習のことだな」 その風習の名は、この数週間、テレビ等で何度も耳にしている。風習の由来までは知らないが。 「そうですぅ。宗教上の祭日に便乗したお菓子業界の陰謀に日本中の女の子が踊らされてチョコレートを浪費するイベントですぅ」 ……由来も知った。知りたくもなかったが。 「踊らされていると分かっていながら、君もチョコレートを贈るのか?」 「イベントは参加することに意義があるのですぅ。ちなみに、リューンくんにあげたのは義理チョコだから期待しちゃ駄目ですよぉ」 「そもそも本命チョコとやらを渡す相手がいないのだろう?」 「それを言ってはいけませぇん。リューンくんは悪い子ですねぇ」 萌は私の髭を両側から引っ張るという凶悪極まりない反撃に出た。笑顔のままだから余計に怖ろしい。 私は決して触れてはならない禁断の領域に足を踏み入れてしまったらしい。こんなときはすぐに足を引っ込めるのが得策だ。 「分かった、私が悪かった。許してくれ」 「それではホワイトデーの三倍返しで許してあげますぅ」 萌は私の身体を抱え上げ、そして、独り言のように呟く。 「お姉様たちは、今年こそ本命チョコを渡せるのでしょうか」
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