即時抹殺刑は刑の確定から執行まで猶予を与えないことが原則だ。 街の裏手にある山中へ逃げ込んだ〈奴〉を私は空から追った。硫化水素濃度が低い中を 追い回したので〈奴〉の動きは鈍り始めている。ここまで追い詰めて逃がしはしない。 無論、萌は先程の工事現場に置いてきた。 連れてゆけば彼女を危険に巻き込むことになる。はっきり言うならば、萌の存在は私の 足手まといになりかねない。後で何を言われるか解ったものではないが、全てが済んだ後 でならば幾らでも愚痴を聞いてやろう。 (止まれ) 私は空から回り込んで〈奴〉の前に降り立った。 逃げ切れないと悟ったのか、〈奴〉は私を体内に取り込もうと触手を伸ばして―― 違う!? 触手の先から飛ばされた液体を、私は一瞬早く張った念動防壁で弾き落とした。粘性の あるその液体は、白い煙を上げながら足元の草を黒く変色させる。 (硫酸か!?) 体内で生成した酸を射ち出してくるとは全く油断のできない相手だ。これは早々に終わ らせなければなるまい。 再び硫酸を放とうとした〈奴〉の触手を私は念動能力で握り潰す。続けて、私は発火能 力を解き放った。黄色い半透明の身体から硫黄が燃える青い炎が上がり、亜硫酸ガスが周 囲に立ちこめる。 私はガスから身を守ろうと念動防壁の強化に意識を向けた――それが失敗だった。 炎に苦しんでいた〈奴〉が突然飛び掛かり、私を防壁ごと体内に取り込んだのだ。 (しまった……!) 防壁を張っているので酸に溶かされることはないが、このままでは窒息してしまう。 念動力で細胞膜を引き裂いて――駄目か。穴を開けてもすぐに体液が塞いでしまった。 かといって、この状況で発火能力を使えば〈奴〉と共に焼け死ぬだけだ。 …………相討ちか。それも悪くない。 知的生物が持つ三大欲求の一つ、休眠欲。 その欲求の対象は、最期にして永遠の休息である『死』を含む。 無論、私は自殺などするつもりはなかったが、相討ちならば上出来だ。私もやっと楽に なれるのだな、クリーニァよ。 私は無制限の発火能力を解放した。 いや。その覚悟を決める直前だった。 「リューンくん!」 萌の声が私の耳に届いた。 ……死ねない。まだ、私は死ねない。 『約束しよう。君に別れも告げず姿を消すようなことは、二度としないと』 そう。私は萌と約束したのだ。私はまだ萌に別れの言葉を告げていない。 私が死の手前で踏み止まったその時だ。〈奴〉は焦りの感情を撒き散らして身体を小刻 みに震わせ始めた。 (――今だ!) 私はこの機会を逃さず〈奴〉の細胞膜を突き破って空へ脱出すると、眼下の〈奴〉へ向 け、今度こそ全力で発火能力を叩き付ける。 青い爆炎の中で〈奴〉の身体は燃え尽きた。
「……萌。一体、何をしたのだ?」 私は〈奴〉の最後の一欠片が燃え尽きるのを確認してから、振り返って萌に訊ねた。 どう考えても、最期に〈奴〉が焦っていた理由が解らない。萌一人が現れた程度で 〈奴〉が怯えるはずがないのだ。 「教えてほしいですかぁ?」 「……いや。報告の義務があるだけで、私自身は別に知らなくても構わないのだが」 「そこまで知りたいのでは教えてあげるしかありませんねぇ」 私が言うと、萌は白い粉末の入った小瓶を自慢げに見せる。 「お塩を振り掛けてみましたぁ」 「塩!? ……なるほど。塩化ナトリウムで細胞内外の浸透圧バランスを崩して、一時的 な脱水症状を起こさせたのだな」 「はいぃ。ナメクジみたいに退治できるかも知れないと思って買ってきたのですぅ。―― それよりもぉ……」 萌は私を抱き上げると、鼻先が触れそうなほど顔を近付けて言う。 「わたしを置いてきぼりにするなんて、リューンくんは悪い子ですねぇ」 「うっ」 萌の非難は予想していたこととはいえ、やはり対応に苦しむところだ。 「あー……。いや、それはだな――ん?」 その時、私は自分の脳に直接呼び掛けてくる思念波を受け取った。 思念波の発信元は――銀河警察の航宙機! 「誤魔化さないで下さいぃ」 「そうではない。迎えが来たようだ」 私は萌に答えながら航宙機にいる同僚へ思念波を返し、現在位置と状況を手短に連絡し た。 「リューンくんのお迎えが来たのですかぁ?」 「そうだ。どうやら本部との連絡に手間取っていたらしい」 「そうですかぁ……」 萌の声と共に寂しげな感情が伝わってくる。 そうだ。迎えが来たということは私と萌の別れを意味するのだ。 再びこの星へ来るとしても、それが何年先になるか判らない。まして、私は亜光速で銀 河を飛び回る任務が多いのだ。 「萌……」 彼女に声を掛けようとした私は、結局、何を言えば良いか判らず、口をつぐんだ。 やがて、空から一つの輝きが降ってくる。 まるで流星のようにも見えるが、あれは航宙機から切り離された着陸艇だ。 大気圏突入に成功した着陸艇は全波長迷彩で姿を消し、山の斜面に着陸する。 私を乗せて再び飛び立つために。 「リューンくん……行ってしまうのですかぁ?」 「……萌」 このまま別れては萌との約束を破ることになる。 私は萌の瞳を見上げ、彼女に告げた。 「今は行く。だが、いつか必ず君に会いに戻ってくる。任務ではなく、君の友として」 「せっかく友達になったのに、もうお別れなんて嫌ですぅ。行かないで下さいぃ」 「止めるな、萌。私は行かねばならないのだ。この銀河の平和を守るために」 (いやいや。そんなことはないんだよ、リューン) 私たちの別れに割り込んできた軽薄な思念波は、着陸艇のタラップを降りてきた私の同 僚、トゥールのものだ。彼は白地に茶の交じった毛色の猫で、尾に赤いリングをはめてい る。 (久しぶりだね、リューン。辺境の惑星で苦労しているかと思ったけれど、意外と元気そ うで何よりだよ) (挨拶はいい。それより、今のはどういう意味だ?) 意味が解らず訊ねると、トゥールはテイルリングをはめた尻尾を揺らしながら答える。 (そうそう。僕は君を迎えに来たんじゃなくて、君に辞令を伝えに来たんだよ。正式な辞 令はまだ先になるけれど、それまで君を待たるのも悪いからね) (辞令? どんな任務だ?) (未登録惑星の仮駐在だよ。この星、まだ連合に加盟していないだろう?) (……は?) (連合に未加盟の星系は銀河警察の管轄外だから独立広域捜査室で監視することになるん だよね。それで本部に連絡してみたら、室長が『駐在は先に潜入しているリューンを任命 すれば都合が良かろう』だってさ。もちろん仮の駐在だから期間は短いけれど。――あ、 そうだ。詳しいことはこれに入っているから) トゥールは気楽に言うと思念記録結晶体を私に投げて寄越した。 (ま、のんびりした任務だから休暇みたいなものさ。君、最近お疲れ気味だったからね。 ――じゃ、そういうことだから。そのうち遊びに来るよ、リューン) 私が何も応えられずにいる間にトゥールは尻尾を振りつつ着陸艇に乗り込み、一人で宇 宙へ飛び立った。 「銀河警察も粋な計らいをしてくれましたねぇ」 茫然自失の私の耳に萌の言葉が虚しく響く。 私たちの頭上には空へと昇る流れ星が輝いていた。
“流れ星にお願い” END. |