流れ星にお願い


(6)

 翌日。萌は未だ体調が悪いことにして学校を休んだ。
 そして、家の者に見付からぬように出発した私たちは、昨日のうちに時刻表を調べてお
いた列車に乗った。
 鉄の軌道を走る列車の振動に揺られること三十分。乗合自動車に乗り換えて十五分。道
中は何事もなく、目的の温泉地に到着した。
 隠れていた萌のリュックから頭を出すと、硫化水素を含んだ風が私の髭を撫でてゆく。
(来たのはいいのですけれど、これからどうやって捜すのですか?)
 空になったリュックを背負い直して萌が訊ねた。
(もし〈奴〉が生存しているのならば微弱ながらも精神波を発しているはずだ。ある程度
近くに行けば私の脳力で精神波を捕捉できる。前に取り逃したときに〈奴〉の精神波形パ
ターンを記憶しておいた)
(それでは、その精神波を感じ取るまで、わたしと一緒にお散歩するのですね)
(散歩ではないのだがな)
 私は萌に念を押し、植物性素材で造られた建物が並ぶ通りを歩き出した。異星の文化に
興味はあるが、今は観光をしている場合ではない。
(そんなに急がないで下さい)
 観光気分の萌は私の後をのんびりと付いてくる。
(それにしても、本当に学校へ行かなくて良かったのか?)
 私は振り返らぬまま萌に訊ねた。
(大丈夫です。二日くらい行かなくても勉強が遅れたりしませんから)
(独学のみで構わないのか。より高等な教育は受けないのか?)
(日本では跳び級がほとんど認められていないのです。日本の偉い人は子供に簡単な勉強
しかさせません)
(子孫に知識を残さないとは、日本人とは不可解な種族だな。伝承欲がないのか?)
(伝承欲?)
 萌が疑問の思念を発した。わざわざ振り向かなくても萌が首を傾げていることは判る。
(知識欲、休眠欲、そして伝承欲――知的生物の三大欲求だ)
(食欲と睡眠欲と性欲ではないのですか?)
(知的生物の、と言っただろう。生存に無関係な知識や理念を後世に伝え残す行為の有無
は、知的生物か否かを区分する最も重要な判断材料だ。一部の動物は子孫に巣作りや狩り
の方法などを教えるが、それはあくまで生存を有利にする為の知恵に過ぎない。更に下等
な生物となると伝承するものは己の遺伝子のみとなるため――ん?)
 私は顔を上げた。遅れて萌も歩みを止める。
(どうしたのですか?)
(見付けた。〈奴〉の精神波だ)
(ええぇ? そんな、何の盛り上がりもなく見付けてしまったのですか?)
(現実というものは戯曲のように格好の良いものではない。第一、盛り上がるような事件
があってからでは困る)
 萌に応えた私は目を閉じ、捕捉した精神波の出所を探る。周囲には地球人の精神波が乱
雑に飛び交っているとはいえ、〈奴〉の独特な精神波は間違えようもない。
(向こうだ)
(待って下さい、リューン君)

 私が足を止めたのは、周囲の街並みとは違う金属製の柵の前だった。
「ふぅ、ふぅ、ふぅ……。ここは……工事現場みたいですねぇ」
 追い付いた萌が呼吸を整えながら言う。柵の隙間から中を覗くと、作業機械で均された
土地が広がっており、その向こうには半ば崩れかけた古い建物が見えた。
「どうやら……あの建物の地下に潜んでいるようだな」
 発せられている精神波が微弱ながらも安定していることから考えて、〈奴〉は体力の回
復に専念しているのだろう。
 だが、それは仮死ではなく通常の休息だ。
 つまり、その気になればいつでも行動を開始できることを意味する。体調が万全になる
まで知的生物に手を出すことはないと思うが、既に小動物の二匹や三匹は捕食しているか
も知れない。
「あの家ですかぁ? でもぉ、取り壊そうとしていますよぉ」
「何?」
 萌が見ている方を向くと、地球人が操作する機械が建物に向かって鋼鉄の腕を振り上げ
ようとしていた。
「不味い! 〈奴〉は近付いた生物へ無差別に先制攻撃を仕掛ける。下手に刺激しては地
球人にも被害が及ぶ」
「それは大変ですぅ。早く止めなくてはなりませぇん」
「君が伝えてくれ。私が思念波を放てば〈奴〉に聞かれてしまう」
「解りましたぁ。――壊しては駄目ですぅ!」
 叫んだ萌の声は、しかし、内燃機関が出す騒音に掻き消されて作業員の耳まで届かなか
った。とはいえ、私が思念波を使っては〈奴〉が私に気付いて暴れ出す可能性がある。
「萌、もう一度だ」
「壊さないで下さいぃ!」
『壊さないで下さいぃ!』
 私は念動能力を用いて空気圧を操作し、萌の声帯から発せられた音波を増幅した。今度
は流石に聴こえたらしく、作業員たちは動きを止めて辺りを見回す。
「ふうぅ。危なかったですねぇ」
「……いや。もう遅かったようだ」
 地下から感じていた精神波に乱れが生じている。〈奴〉が起き出してしまったのだ。
 腕を振り上げていた作業機械の足元が陥没し、地響きを立てて横転する。
 そして、地面に開いた穴からは黄色い半透明の物体が這い出てきた。直径一メートル程
の、粘液状の塊だ。舞い上がった土埃で確認し難いのだが、あの不定形の身体は間違いな
い。
「――〈奴〉だ」
「ええぇ? あれが〈奴〉さんなのですかぁ?」
 萌が〈奴〉を指して私に確認する。不思議に思うのも無理はない。この星で知られてい
る生物で喩えるならば、あれは――
「まるで巨大アメーバですねぇ」
「そうだ。〈奴〉の身体は、その全てが消化器系であり、運動器系であり、感覚器系であ
り、脳神経系なのだ」
「単細胞なのに脳があるのですかぁ?」
「神経繊維網は持っていないが、〈奴〉の体液中には量子的な情報網が形成されているた
め、知能は決して低くない。無論、私や君と比べれば単純なものだが、それでも、〈奴〉
は初めて乗った航宙機を見事に操縦していた」
「それは凄いですねぇ」
「解ったのなら君は離れていろ。〈奴〉に取り込まれれば骨しか残らない」
 私は萌をその場に残して工事現場を駆け抜けた。作業機械から投げ出された地球人は気
絶しているものの、私が念動力で受け止めたので命に別状はないだろう。
 それよりも〈奴〉だ。地上に這い出てきた〈奴〉は手近にある『食糧』へ向けて粘液の
触手を伸ばそうとしている。〈奴〉にとって、己を除く生物は『食糧』ないし『敵』なの
だ。
(そこまでだ)
 私は念動能力で〈奴〉の動きを封じた。
 だが、〈奴〉は粘液状の身体を震わせて束縛から逃れ、近くに停めてあった別の作業機
械に潜り込んだ。航宙機を奪ったときのように体内の電位を操作して電気回路を直結。内
燃機関を始動させる。
 煙を上げて走り出した作業機械は私を押し潰そうと迫ってきた。
 避けるのは雑作もない――が、私の後ろには逃げ遅れた地球人がいる。
(――斬!!)
 精神攻撃、イメージパターン『斬撃』。
 全身を切り刻む幻痛に堪えかねた〈奴〉は作業機械を飛び出した。不定形の〈奴〉の身
体を現実に斬り裂いても大きなダメージは与えられないが、擬似的なショックを与えるこ
とは出来るのだ。〈奴〉は身震いしながら地面に落ちると工事現場の出口へ向かって逃げ
てゆく。その先に立つ人影は――萌!?
 不味い! 〈奴〉の触手が萌に向けられた!
(やめろ!)
 私が思念を飛ばすと同時に〈奴〉の触手が青い炎を上げた。化学反応を促進して急激な
連鎖反応を引き起こす発火能力――私が持つ最大の物理攻撃だ。
「萌! 離れていろと言っただろう!」
 言いながら私は萌と〈奴〉の間に割り込んだ。自分としては強い口調で叱責したのだが、
逆に、萌は私に向けて怒りの声を上げる。
「今の火は何ですかぁ!? パイロキネシスが使えるなんて聞いていませぇん!」
「……言っていないのだから当然だろう」
 実は以前からも排泄物の殺菌処理に発火能力を使っていたのだが、わざわざ話すことで
はないので教えていない。
「ともかく、その話は後だ。私の後ろに隠れていろ、萌」
「リューンくんの後ろに隠れても丸見えですよぉ」
「茶化すな。手続きを済ませるから静かにしていてくれ」
「手続きぃ?」
(――君に刑務の確定を通知する)
 首を傾げる萌に答えず、私は〈奴〉に思念波を送った。
 幸いにも私たちは休憩所らしき建物の陰にいるので、作業機械の暴走騒ぎで混乱してい
る地球人に気付かれる心配はないだろう。
(被告人不在のまま裁判が開かれ、君には既に実刑判決が下っている。この判決は連合議
会の承認を受けて確定したものであり、如何なる理由があろうと覆ることはない)
「一方的にそんなことを決めても良いのですかぁ?」
「〈奴〉の辞書に『反省』の文字はないのだ。あれでも一応は知的生物なので面倒な手続
きが必要だが、実際は猛獣の屠殺許可と変わらない。この通知も形式的なものだ」
 後ろから口を挟んだ萌に手早く解説し、私は思念波による通知を続ける。
(だが、君は最後の権利として、次に挙げる二つの刑罰のいずれかを選択することができ
る。一つは絶対終身刑。一つは即時抹殺刑だ)
「殺されるよりは誰でも終身刑を選ぶのではありませんかぁ?」
「絶対終身刑の受刑者は重力によって空間が閉ざされた監獄惑星へ送られる。仮釈放どこ
ろか、外界に連絡を取ることもできない。黒洞――ブラックホール――から脱出するほど
の時空転移能力がなければ脱獄も不可能だ」
「それは……死刑よりも厳しいかも知れませんねぇ……」
(――さて。三つ数える間にどちらの刑に服するか決めてもらおう)
 私は威厳を保つように一歩踏み出し、〈奴〉に決断を迫った。
(……三)
 動かない。
(……二)
 まだ動かない。
(……一)
 ――逃げた!
(即時抹殺刑を選択したものと認識した。第一級確定刑務執行官リューン・クレイドルの
名に於いて、これより刑を執行する)
 そして私は〈奴〉を追った。


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