流れ星にお願い


(5)

 翌朝には、萌の足は傷跡も残さず完治した。
 しかし、長く雨に打たれていた萌は風邪で学校を休むことになった。
 私の能力で病気の治療もできなくはないのだが、地球人の生体機能に詳しくなければ治
療に失敗したときのリスクが大きくなる。幸いにも彼女の症状はそれほど深刻ではないの
で、自己治癒力に任せた方が無難だろう。
 そういった理由で萌は朝からベッドで休んでおり、私はその傍らで彼女から借りた地図
帳を眺めていた。
「……リューンくん」
 横になったまま萌が口を開いた。
「何だ?」
 私が地図帳から目を逸らさずに応えると、萌は目を閉じたまま私に告げる。
「返事は『ニャン☆』ですよぉ」
「私と君しかいないときは鳴き真似せずとも良いだろう。――それで、どうしたのだ? 
喉が渇いたのなら水でも持って来るが」
「ただ呼んでみただけですぅ」
(…………)
(冗談です。怒らないで下さい)
 私が無言の思念波を送ると萌も思念を浮かべて返してきた。
(では、何だ?)
(リューン君が地球に誰を捜しに来たのか、そろそろ教えて下さい)
(……それは教えられない。無関係な者を巻き込むことになる)
(もう無関係ではありません。友達なのですから)
(うっ)
 そう来たか……。しかし、たとえ友人でも話せないことはあるのだ。
 ……これも捜査の一環と考えれば良いか。
(先に伝えておく。私は銀河警察機構独立広域捜査室に所属する第一級確定刑務執行官
だ)
(良く解りませんけれど、それは格好良さそうですね)
(格好良さはともかく、私は逃亡した犯罪者を追ってこの星へ来た。その者には個体名が
ないので、我々は便宜的に〈奴〉と呼んでいる)
(どんな犯罪者なのですか?)
(敵に会えば正面から喰らい、味方に会えば背後から喰らい、中立者に会えば横から喰ら
う。他者との共存など決して考えない純粋殺戮者だ。これまでの被害者は確認されている
だけでも五百名を超える。知的生物だけで五百名だから、実際に喰われた生物は計り知れ
ない)
(それは大変です。急いで捜さなくても良いのですか?)
(〈奴〉も生命維持にガス交換、つまり呼吸が必要なのだが、この星の大気組成は〈奴〉
の生存には適さないのだ。それならば、私一人で当てもなく捜すよりも、今は地球の地理
情報を集め、迎えに来る仲間と手分けして〈奴〉の死体ないし仮死体を捜す方が効率が良
いと判断した)
(それでは、少なくとも迎えが来るまでは、わたしと一緒にいられるのですね?)
(そうなるだろうな)
(それは良かったです……)
 そこまで話すと、萌は再び眠りに就いた。

 長く眠ったおかげか、午後には萌の体調は回復していた。大事を取って夕方まで休んだ
萌はベッドから起きて家族と共に夕食を取り、今は姉と共にテレビを視聴している。
 そして、萌の傍で一睡もしていなかった私は彼女の膝の上で仮眠を取っていた。
 私は代謝機能を制御して睡眠周期を遅らせることも出来るのだが、睡眠そのものが全く
不要になるわけではない。
 ただ、睡眠自体は浅いものだったので、近くで鳴った携帯通話機の着信音で目が醒めた。
「あ、お姉ちゃん? 久しぶり〜。この前、大変だったんでしょ? 涼子さんから聞いた
よ」
 通話機を取って話し始めたのは萌とテレビを見ていた萌の姉、茜だ。
「え〜? お姉ちゃん、好きな人ができたんだ。でも、また遠くから見てるだけで終わっ
ちゃうんじゃない? ……えっ? そうなりたくないから電話した? 妹に恋愛相談して
どうするのよ。それで、今度はどんな人なの? 社会人? 職業は? ……え〜っ!? 
それって怪しくない? あたしも人のこと言えないけど。……う〜ん。あたしだったら毎
日その人のところに押し掛けるかな。――恥ずかしい? そんなこと言ってたら何年たっ
ても恋人なんてできないでしょ。だったら、バイトに雇ってもらうとか理由付けて会いに
行くのは?」
(……良く喋るのだな、君の姉は)
(放っておくと一時間は話し続けますよ)
 寝起きに飛び込んできた話し声に感想を述べると、萌も同意の思念を浮かべた。
(地球人にも話好きはいるのだな。――ん? 今は何時だ?)
 ふと気付いて辺りを見回したが、見回したところで地球のアナログ時計は理解しにくい。
私の種族で使われている時計とは「時計回り」が逆なのだ。
(時間ですか? もうすぐ八時になりますね)
(それでは、私は二時間も眠っていたのか。二十分で起こしてくれと言わなかったか?)
(リューン君が気持ち良さそうに眠っていたので、起こしては可哀想だと思ったのです)
(うっ)
 確かに萌の膝の上は寝心地が良かった。
 が、それを認めては私の誇りが傷付く。
(では、君が寝坊しそうなときも私は起こさないので覚悟してくれ)
(それは狡いですよ)
(私を責めるのは筋違いというものだ)
 私は萌を言い負かして気を良くすると、付けたままになっているテレビに目を向ける。
『まだまだ続く、知られざる名湯秘湯特集。次の温泉はこちら』
 女性レポーター(もちろん地球人だ)の入浴シーンを背景に男性ナレーターの解説が始
まった。
 温泉というと地熱で熱せられた地下水が地表に噴出したものか。しかし――
(何故、わざわざ汚れた湯に浸かっているのだ?)
(あれは湯の花が浮いているのです。汚れているのではありません)
 萌は私を胸に抱えてテレビに目を向ける。
(湯の花……というと、鉱泉中の鉱物質が結晶化したものだな)
(そうです。ここは硫黄泉ですから硫黄の結晶ですね)
(そうか――硫黄泉!?)
(急に大きな思念を出してどうしたのですか?)
(なんてことだ……。この星でも〈奴〉が活動している可能性がある)
(ええぇ? でも、〈奴〉さんは地球上では生きていけないのではなかったのですか?)
(〈奴〉の生命維持には硫化水素が不可欠なのだ。この星の大気は硫化水素の濃度が低い
ので安心していたのだが……局地的に濃度が高い場所ならば、あるいは)
(そうですね。火山や温泉の近くは硫黄臭いですから)
(日本地図を見て火山が多いことには気付いていたというのに、それと硫化水素を結び付
けて考えられなかったとは……)
(悔やんでも仕方ありませんよ、リューン君)
(……そうだな)

「地元の新聞社やテレビ局でも、その日、隕石が落ちた話は報道されていないみたいです
ねぇ」
 そう言いながら萌が操作しているのは、彼女の一番上の姉・藍が独り暮らしを始めたと
きに譲り受けたという個人用の電算機、『パソコン』だ。
 萌はしばしば夜中まで、この旧型のパソコンで公開通信網に接続して遊んでいるという。
「そうか。萌と同じように脱出ポッドを流星や隕石と間違えていないかと思ったのだが」
「天文愛好家の個人サイトも検索しますかぁ? 時間は掛かりますけれどぉ」
「いや。恐らく無駄だろう」
 パソコンを操作しようとする萌を止めて私は説明する。
「自宅や隣家に落ちたのならともかく、流星を見掛けた程度のことをネット上に公表する
とは思えない。逆に、隕石が民家に落ちたのなら、これまで調べた中で判ったはずだ」
「言われてみればそうですねぇ。日本は平和ですからぁ、そんな話題があれば真っ先にテ
レビや新聞で取り上げていますぅ。――隣の地方の新聞も調べてみましょうかぁ?」
「いや。それよりも、温泉や火山がある場所を探してもらえないか。日本全土ではなく、
この近辺にあるものだけで構わない」
「範囲を絞って良いのですかぁ?」
「〈奴〉が落下した正確な位置までは判らないが、大気圏に突入する直前に確認した限り
では、私のポッドが落ちた場所から二百キロと離れてはいないはずだ。方角は北東か」
「それではぁ……えーとぉ……これでどうですかぁ?」
 萌が探し出したのは地元の自治体が作成した観光案内だった。そのページの案内図には
史跡などの観光名所に交じって、温泉地や登山道の位置が示されている。
「良さそうだな。拡大表示はできるか?」
「はいぃ」
 元から拡大図が用意されていたらしく、萌の操作で詳細な地図が画面を埋めた。
「この地図上で私のポッドが墜落した位置は……」
「ここですぅ」
 萌は猫型ポインタの尻尾で図中の一点を示す。
「では、そこを基点に北東方向を軸として左右三十度、半径二百キロの扇形を描いてく
れ」
「そんな操作は急に出来ませぇん」
 言いながら萌は拡大図を右にスクロールさせて北東部の地図を出す。その範囲には活火
山も休火山もなかったが、温泉地は三ヶ所あった。リンクされている情報によると、東寄
りにある二つの泉質は単純アルカリ泉。北にある一つは硫黄泉であるらしい。
「どうしますかぁ?」
「調査に行くしかあるまい。まずは硫黄泉質のこちらの地域だな」
 振り返った萌に私は答えた。情報源が公開通信網だけでは信頼性が薄いのだが、ここで
どれほど調べたところで、結局は自分が直接赴いて確かめる必要があるのだ。
「それではぁ、早速お出掛けの準備をしましょうぅ」
 萌は通信網との接続を断ってパソコンの電源を落とした。そして、部屋の隅から大きな
リュックを引っぱり出そうとする。
「……もしや、君も行くつもりなのか?」
「当然ではありませんかぁ。友達一人を危険な目に遭わせることはできませぇん」
 それはこちらの科白だ――と言っても、どうせ萌は聞き入れないだろう。
「では、今夜は充分に休息を取り、出発は明日の朝にしよう」
「そんなことを言って、わたしが眠ってからこっそり出掛けたら駄目ですよぉ」
「うっ」
 やはり萌は私の思考を読んでいるのではないか?


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