流れ星にお願い


(4)

 カプセルの処分――山中に穴を掘って埋めただけだが――を終え、私たちは萌の家へと
戻ってきた。結局、萌は最後まで私の作業を見物していたのだ。
 無理矢理に帰すことも考えたが、クリーニァに似た瞳に見つめられると私は逆らえなく
なってしまった。出会った当初から私が萌の言いなりになっていたのも、あの瞳のせいだ
ったのだろうか。
 意識し過ぎているだけなのは、自分でも解っている。似ていると言っても瞳の色だけ。
他に似ている点を挙げるとすれば、笑うときに目を細めることくらいだ。第一、萌とクリ
ーニァは種族さえ違うではないか。
 しかし、一度似ていると思ってしまうと、なかなか割り切ることが出来なかった。
 それどころか……。
「あ。お帰り、萌」
 私を胸に抱いた萌が居間へ来ると、ソファーで娯楽番組を見ていた彼女の姉が気付いて
片手を上げた。
「ただいまですぅ、菫お姉様ぁ」
 応えた萌は菫の隣へ歩いてゆく。
 と、菫の隣には、『兎』と呼ばれる動物に似た人形が置かれていた。
「あれぇ? このぬいぐるみは茜お姉様のですかぁ?」
「エッ? こ、これはボクのだよ」
「そうなのですかぁ? 菫お姉様にぬいぐるみは似合いませんねぇ」
 萌は私を床に降ろし、代わりにその兎のぬいぐるみを胸に抱いた。
 すると、菫は何故か戸惑いの感情を発しながら萌に言う。
「あ……。そのぬいぐるみ、抱っこしない方がいいと思うよ」
「ええぇ? どうしてですかぁ?」
 萌が問うと、菫はしばし目を泳がせ、やがて私を指して答えた。
「そ、それは……ほら、リューンだっけ? 羨ましそうに見ているじゃないか」
 ……何?
 私はそんなに羨ましげな顔をしていたのか?
「そんなことありませんよぉ。リューンくんは良い子ですからぁ」
 萌はぬいぐるみを脇に置くと、再び私を抱え上げ、あの瞳で私の顔を見つめる。
「そうですよねぇ、リューンくん」
「…………」
「お返事はどうしたのですかぁ」
「ニャッ、ニャン☆」
 私は何を焦っている?
「――菫、ちょっと手伝って」
「エッ? 何、母さん?」
「わたしもお手伝いしますぅ、お母様ぁ」
 母に呼ばれて菫がソファーを立ち、続いて萌も母の所へ向かう。
 私一人が居間に残された。――いや。先程の兎の人形も残っていた。
 私は人形の傍へ歩み寄る。私を差し置いて萌に抱かれていた、あの人形の元へ。
 そして、私は右前足を振り上げ、常に鋭く尖らせている爪を振り下ろした。
 だが、人形は置かれたバランスが悪かったのか、ソファーを転がって私の爪を避ける。
 私はそれを追って再び爪を…………何をしているのだ、私は?
 物に八つ当たりするなど我ながら大人げないことだ。たかが人形に嫉妬して。
 ――嫉妬?
 馬鹿な。それではまるで、私が萌に恋愛感情を抱いていることになるではないか。
 そんなことは有り得ない。この私がクリーニァ以外の異性に、ましてや異星の異種族に
心を奪われるなど、決して有り得ないのだ。

 翌日。萌が学校へ行っている間に私は家を出た。その日は午後から雨が降り始めていた
が、私は念動力で雨を避けることが出来る。
 ところが、学校から帰宅して私の書き置きを読んだ萌は傘も持たずに家を飛び出した。
 彼女が最初に向かったのは、私を拾った寂れた公園。ベンチの裏、遊具の下、草の中…
…。萌は私の名を呼びながら、全身を泥だらけにして私の姿を捜し求めた。
 だが、どんなに捜しても見付かるはずがない。見付かる前に私は居場所を変えてしまう
のだから。
 やがて、萌は公園を出た。
 家へ帰るのかと安心したのも束の間、彼女は私がカプセルを埋めた山へ向かった。
 山と言っても小さな丘のようなものだが、雨の日に歩き回るには危険だろう。空を飛べ
る私とは違い、萌は自分の足で歩かなければならないのだ。
 案の定、萌は濡れた草に足を取られて水たまりの中に倒れた。それでも、萌は立ち上が
って、足を引きずって再び私を捜し始める。
 早く諦めれば良いものを、何故そうまでして私を捜すのだ? 私は自分の意思で出て行
ったのだ。萌に心配される筋合いはない。
 それなのに、萌は私の名を呼び歩き続けた。
 だが、ついに彼女は足を止めざるを得ない状況に陥った。萌は自分の身長ほどもある段
差を滑り落ち、足に傷を負ってしまったのだ。
 降り続く雨は容赦なく彼女の体温を奪ってゆく。このままでは、死ぬことはないにして
も、病に冒される恐れがある。
 ……仕方ない、な。
 ここで萌に尾を向けることができるのならば、初めから彼女の行動を見守ったりしてい
ない。今更になって見捨てることなど出来るものか。
 どうやら、私はもう既に、引き返せない深みにはまっていたようだ。
(萌……)
 私は萌の前に姿を見せた。
「リューンくん!」
(動くな。この程度の怪我ならば私の治癒能力で治せる)
 負傷した足で駆け寄ろうとする萌を制し、私は彼女の傷に前足をかざした。それに並行
して周囲の気体分子を振動させ、萌の身体を温める。念動防壁で頭上に雨避けを作ってお
くことも忘れない。
 ところが、私の背に水滴が落ちた。
 見上げると、萌の瞳には雨ではない水が溢れていた。
(戻ってきてくれたのですね、リューン君)
(い、いや……)
 萌の言葉を否定する前に、私は彼女に抱き竦められた。
(良かったです。もう会えないかも知れないと思って捜してしまいました)
(……何故だ?)
 突然の行動に驚きながら、私は問う。
(何故、君はこんなになってまで私を捜そうとしたのだ?)
 すると、萌は厳しい思念で答えた。
(友達がいなくなったら心配するのが当然です)
(……友達?)
 友達――その答えを心の中で反芻しているうちに、私は自分の悩みが急に無意味なこと
に思えてきた。
 私が萌に感じていた感情は、突き詰めれば良くある友情に他ならないのではないか?
 萌の瞳がクリーニァのそれに似ていたことが、私を惑わせていただけではないのか?
(友達、か……)
(そうです。もう友達です。だから、もうわたしに黙って出て行ってはいけませんよ)
(……解った。約束しよう。君に別れも告げず姿を消すようなことは、二度としないと)
 私を見つめる萌の瞳を、クリーニァとは違う彼女の瞳を真っ直ぐに見つめ返して、私は
彼女に応えた。
(はい。約束しましたよ)
 萌は再びしっかりと私の身体を抱き締めた。彼女から安堵の感情が伝わってくる。
(……萌。一つだけ教えてくれ。君は何故、私と友達になろうと思ったのだ?)
(それは……)
 私が訊ねると、萌はしばし迷ってから、答えた。
(リューン君がわたしの記憶を読んだ夜、わたしもリューン君の思い出を夢に見たので
す)
(私の夢を?)
(はい。その夢はぼんやりしていましたけれど、リューン君の大切な人がいなくなってし
まう哀しい夢なのは判りました)
 ……クリーニァのことか。
(ただの夢だとは、思わなかったのか?)
(いいえ。リューン君と初めてお話ししたときも、リューン君は死に急いでいるように感
じました。だから、わたしはリューン君に楽しいことを教えてあげたかったのです)
(そうか……)
 確かに萌の言う通りだ。クリーニァを失って以来、私は、ただひたすらに自分の仕事を
こなしてきた。
 危険な任務だったからこそ、仕事の間はそれに集中できたのだ。あるいは、早く彼女の
後を追おうと無意識のうちに危険を望んでいたのか。
 いずれにせよ、私は余裕をなくしていた。
 萌よ……。気付かせてくれて、ありがとう。
(――では、私に猫の鳴き真似をさせたのも、私を楽しませようとしたのか?)
(いいえ。それはわたしの趣味です)
(…………)
 雨は未だ降り止む気配を見せなかった。


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