流れ星にお願い


(3)

 東に面した窓から私の故郷とは逆向きの朝日が射し込んできた。
「萌。朝になったぞ。起きないのか」
 私は萌のベッドに飛び乗り、彼女の枕元で、声に出して呼び掛ける。
「うぅん……。リューンくんですかぁ?」
「そうだ。私だ」
 私は萌が驚くことを期待して答えたが――
「今日はぁ、学校はお休みですぅ。もう少し眠らせて下さいぃ」
 萌は少しだけ開けた目を再び閉じてしまった。
「仕方ない。三分だけ待とう」
「お休みなさいですぅ。……くーくー」
「残り二分五十秒」
「くーくー」
「残り二分四十秒」
「くーくー」
「残り二分三十秒」
「耳元で秒読みしないで下さいぃ。起きますよぉ」
 萌は観念して彼女にしては素早く体を起こした。布団と共に跳ね除けられた私は念動力
でゆっくりと床に着地する。
「リューンくんはせっかちさんですねぇ。――あれぇ? リューンくんが、どうして日本
語をしゃべっているのですかぁ?」
「気付くのが遅いぞ、萌」
 今更になって驚かれたところで尻尾の欠けた彫像のようなものだ。
「寝起きなので仕方ありませんよぉ。それで、どうして日本語を話せるのですかぁ?」
「君の言語中枢から日本語に関する部分を複写したのだ。時間や距離などの単位も瞬時に
換算できるようにしたので、これで日常会話には支障ないはずだ。懸案だった物質名も元
素の周期表を使って照合できた」
「それは良かったですねぇ」
「ただ、声帯の構造が君たちと違うので発音が不明瞭になってしまうのが難点だな。日本
語の母音は五つしかないので聞き取れないことはないと思うのだが……どうかな?」
「わたしが聞き取れれば大丈夫ですぅ。リューンくんの声を聞くのはわたしだけですから
ぁ」
「……そうだったな」
 私は何故か泣きたくなった。

「はいぃ。リューンくんの朝御飯ですぅ」
 サンドイッチと呼ばれる簡素な食事を左手に持った萌が、ミルクの皿を私の前に置いた。
(済まないな、萌)
「お返事がありませんねぇ」
(返事?)
「忘れたのですかぁ? 『ニャン☆』ですよぉ」
(うっ)
 名前を呼ばれたら『ニャン☆』と鳴く。
 それが萌から出された条件だ。条件だが――
(どうしても、鳴かなければいけないか?)
「返事をしない悪い子にはミルクをあげませぇん」
(…………)
「どうしますかぁ?」
 萌の瞳が眼鏡越しに私の顔を覗き込む。居たたまれなくなって目を逸らすと、萌の姉で
ある茜と菫の二人がサンドイッチを口にくわえたまま私を観察していた。もしや、私の正
体を怪しんでいるのか?
(……解った)
 覚悟を決めた私は昨日の練習通りに最高の愛嬌を作って鳴く。
「ニャン☆」
 笑いたければ笑うがいい。どんなに腹が減っても自分の尻尾は食べられないのだ。
「あ。本当に鳴いた」
「もう手懐けたんだ。スゴいなー」
 しかし、萌の姉たちから掛けられたのは、私への嘲笑ではなく萌への称賛だった。
「そうですよぉ。えっへん」
(全く自慢にならないと思うのだが……)
 姉たちに胸を張った萌に私は控えめな意見を述べたが、我が道を行く彼女には髭の先ほ
どの影響も与えられない。
(それよりも、昨日のようにテレキネシスで飲もうとしてはいけませんよ。地球の猫は舌
を使ってぺろぺろと飲むのですからね)
(ああ。解っている)
 昨晩、ミルクを念動力で口に運ぼうとして注意されたことを思い出し、私は皿に顔を近
付け舌を伸ばす。私の種族では行儀の悪いこととされているが、地球猫には地球猫の食事
作法があるのだ。日本語では『郷に入っては郷に従え』と言うらしいな。
(ところでリューン君。今日は何処を捜すつもりなのですか?)
 萌はミルクを舐める私の姿を眺めつつ、サンドイッチをゆっくりと咀嚼しながら訊ねた。
(何処を捜す、とは?)
(人捜しに来たのではないのですか?)
(あ……ああ、そうだったな。しかし、君の記憶からこの星の環境を調べたところ、それ
ほど急ぐ必要はないことが判った)
 これは嘘ではない。地球の大気組成は〈奴〉の活動に適していなかった。もはや生きて
いないか、仮死状態になっているだろう。
(それでは、今日はわたしと遊べるのですね)
(いや。だからといって遊んでいる暇はない。まずは、私が乗ってきたポッドを処分しよ
うと思っている。地球人の手に渡ると色々と不味い技術が使われているのだ)
(ポッド? あの隕石ですか?)
(隕石? ……ああ、なるほど。それは保護カプセルだ)
 私が乗っていたポッドは宇宙空間の漂流を想定して作られた物だ。厚い大気圏に突入す
るとポッドの外装は空力加熱に耐え切れずに燃え尽き、特殊素材のカプセルだけが残る。
カプセルの表面も徐々に溶けてゆく(溶融・蒸発することで内部を高熱から守っている)
ので、見た目だけでは隕石と間違えても無理はない。
 そんな説明を要約して伝えると、萌は当然のように言った。
(それでは、わたしも一緒に行きます)
(いや。私一人で行こう。君に余計な迷惑は掛けない約束だからな)
(でも、それでは公園の場所が判らないのではありませんか?)
(心配ない。昨夜のうちに君の記憶から情報を引き出してある)
(それは用意周到ですね)

 そして、朝食を終えた私は、保護カプセルが落ちた公園へ向かった。
 しかし、私は何故か萌の腕に抱かれていた。
「私は一人で行くと言ったはずだが?」
「遊びに行くなら二人の方が楽しいですぅ」
「これは遊びではないのだがな」
「照れなくても良いのですよぉ。リューンくんは恥ずかしがり屋さんですねぇ」
「…………」
 と、このようにたわいない話をしていると、やがて萌が足を止めた。
(ここが、リューン君が落ちてきた公園です)
 背の高い樹木に囲まれ、生い茂った草に沈むように、その公園はあった。
 自然が多い――と言えば聞こえは良いのだろうが、これは単に整備が行き届いていない
だけだ。鉄製の遊具は塗装が剥げて錆が浮き、樹脂製の長椅子は端が欠けている。
(随分と寂れた公園だな)
(少子化の影響で今は使う人が少ないのです)
(それで、か)
 若年人口の減少は文明の平和的発展の過程で多くの種族が直面する問題だ。宇宙へ進出
するようになれば人口は再び増加してゆくのだが、場合によっては惑星を飛び立つ前に文
明が衰退・滅亡してしまうこともある。
 だが、地球人がいずれの道を選ぶかは彼ら自身が選ぶことだ。我々が無闇に干渉しては
ならない。それ故、我々の技術が発展途上星に伝わることは避けねばならないのだ。
(あそこだな)
 萌の腕に抱かれたまま首を巡らすと、直方体のブロックで仕切られた砂地の中央に、二
つに割れた球体を見付けた。この公園が寂れていたことが幸いしたのか、どうやら他の地
球人には発見されていないようだ。
(さて。君は先に帰ってくれ。後は私が処分しよう)
(ええぇ!? それではわたしが来た意味がありません)
(だから一人で行くと言ったのだ。地球人に発見されないために処分するのを、地球人の
目の前で行っては、それこそ意味がないだろう)
 尾を萌に向けながら私は告げる。
 しかし、萌は私の体を抱き直すと、真円のレンズ越しに私の目を見つめて言った。
(わたしたちの間に隠し事はなしですよ)
(なっ……!?)
(リューン君はわたしの記憶を読んだのですからね。――どうしたのですか?)
 ……そうか。萌の瞳は、彼女の瞳に似ていたのか。
 私の仕事仲間であり、恋人でもあった、クリーニァの瞳に。

 ――私たちの間に隠し事はなしにしないか?
 私の精一杯の口説き文句に、クリーニァは恥ずかしげに尾を絡めてきた。
 のらりくらりと私の誘いを断ってきた彼女が、ようやく私の求愛に応えてくれる気にな
ったのだ。
 私は、僅かに迷いを残している彼女を寝床へ運び明かりを落とした。茶色の毛並みを撫
でて彼女の緊張をほぐしてゆくと、クリーニァは自分から私に身体を預けてくる。
 もう言葉は要らなかった。
 私とクリーニァは思念波を出し合い互いにそれを受け入れた。そして、どちらからとも
なく精神を同調させ、記憶を共有する。
 そう。これで二人の間に隠し事は何もない。
 期待と不安の入り交じった彼女の心が自分のことのように感じられる。
 同時に彼女も感じているはずだ。
 私が彼女をどれだけ愛しているのかを。
 そして、私たちは身も心も一つになって愛し合った。
 今にして思えば、あの頃が私の生涯で最も幸福な時間だったのだろう。
 だが、その幸福な時間は一瞬で過ぎ去ってしまった。
 私たちが初めて結ばれ、しばらく経ったある日のこと。
 彼女は事故で命を落としたのだ。


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