流れ星にお願い


(2)

「ニャン☆」
「良くできましたぁ。偉いですよぉ、リューンくん」
 結局、私は二十六回も練習させられた。
 その指導をしていた萌は心底楽しんでいるようだった。そして私も、認めたくないこと
だが、この訓練に楽しさを感じてしまった。
(それでは、ご褒美にリューン君の体を洗ってあげましょう)
 何故か私に後ろを向かせて衣服を着替えた萌が、再び私の身体を抱えて立ち上がる。
(それはありがたい。実を言うと体毛に砂が絡んで先程から気持ちが悪かったのだ)
(そうなのですか? マンガでは絶対に嫌がる場面なのに、リューン君は良い子ですね)
 そして、萌は自分の部屋を出て住居の下層へ向かった。
(そう言えば、リューン君は水浴びをしても大丈夫なのですか? 宇宙には水に弱い生き
物もいるのではありませんか?)
(確かにそのような種族もあるが、私の種族は問題ない。――いや。水に不純物がなけれ
ば、問題ない)
(不純物ですか? 水道水ですから塩素が入っていますね)
(塩? 塩水は遠慮したいのだが)
(塩素ですよ。塩化ナトリウムではありません)
(ああ、なるほど。やはり共通の言語がないと理解が難しいのだ。――ん? まさかとは
思うが、この地球で『水』と呼ばれる物質は、陽子数一の原子二つと陽子数八の原子一つ
から成る化合物のことで間違いないな?)
(ええぇ? そんな難しいことを急に聞かないで下さい)
 萌はそう言いながらも、彼女が知る限りの知識で答える。
(陽子の数が原子番号だから、陽子が一個は水素原子、陽子が八個は酸素原子で……水は
水素原子二つと酸素原子一つでできていますから……はい。その通りです)
(それは良かった。珪素系生物は酸で体を洗うこともあるので確認したかったのだ)
「そんなことはしませんよぉ。リューンくんは心配性ですねぇ」
 萌は、今度は声に出して私の頭を撫でる。
 子供扱いされているようで自分が情けなくなるが、愛玩動物を演じるには好都合だろう。
 ……と、思うことで己の境遇を正当化する。
 そのようなことを話しながら階段を降りてゆくと、横手から原住民の成体――萌の親族
だろう――が顔を出した。
「あら、萌ちゃん。どこへ行くの? もうすぐ晩御飯よ」
「お出掛けではありませぇん。リューンくんの体を洗ってあげるのですぅ」
「リューン? その猫ね。もう名前を付けたの?」
「そうですぅ」
 萌はそう答えると通路の脇にある扉を開ける。隣に配水設備の整った部屋があるところ
を見ると、向こうは水浴室で、こちらの狭い部屋は乾燥室か。いや、この星の原住民は衣
服を着ているので脱衣室と呼ぶべきか。
(そう言えば、リューン君は服を着ないのですか?)
 衣服の袖を捲り上げた萌が私に問う。
(私の種族は衣服を着るという文化が発達しなかったのだ。イヤリングやテイルリングな
どの部分的な装身具は存在するのだが)
 私は萌に答え、続けて言った。
(やはり君の手を煩わせては申し訳ない。自分の尾は自分で洗おう)
(ええぇ? 洗えるのですか?)
 すると、水の出を確かめていた萌は、驚きの入り交じった疑惑の感情を私に向けた。
(どういう意味だ?)
(リューン君の足では背中の方まで届きませんよ。それに蛇口も回せません)
(……君は何か誤解しているようだな)
(何をですか?)
(確かに、私にあるのは四本の足と一本の尾だけで、君たちのような器用に動く手は持っ
ていない。我々の種族は手を使うようには進化しなかったからな。しかし――)
 私はタイル張りの床に下りると、給水口の取っ手に触れることなく回して見せた。
(テレキネシスですか?)
(そうだ。我々は君たちとは別の『手』を生来的に備えている。念動能力があるから手が
進化しなかったのか、手を持たないから念動能力を獲得するように脳が進化したのか、生
物学者の間でも未だ議論が続いているが、持っている脳力は有効に利用している)
(凄いですね、リューン君)
(褒められるほどのことではない)
 驚く萌に、私は少しばかり誇らしくなって尻尾を振った。
 が、私の尾はすぐに垂れ下がることになる。
(でも、地球の猫はテレキネシスを使いませんよ)
(そ、それでは、まさか……)
(はい。私が洗ってあげますから、リューン君はじっとしていて下さい)
(……了解した)
 私はこのまま愛玩動物に成り果ててしまうのだろうか?

 自爆するとは予想外だった。
 爆発はそれほど強いものではなかったものの、至近距離で飛び散った戦闘機の破片は巡
航機の装甲を貫くだけの威力を備えていた。
 宇宙空間で航行能力を失った私は思念波通信で救援を呼ぼうとしたのだが、通信装置も
壊れてしまったのか上手く繋がらない。無論、私自身の精神感応能力のみでは母艦まで思
念波を送るのは難しい。戦闘機の動きを止めた時点で連絡しておけば良かったと後悔した
が、もう遅かった。
 とはいえ、〈奴〉の追跡中にも母艦へ定時連絡を入れていたので、そう時間を掛けずに
私の居場所を特定できるはずだ。幸いにも電磁波による補助救難信号は発せられている。
 ……いや。果たして、そこまでして生き残る必要があるのだろうか?
 近頃は自分の仕事を空しく感じていたところだ。このまま死んでしまっても悔いはない
――と言えば嘘になるか。
 何を考えているのだ、私は……。早く眠ってしまおう。
 私はふと浮かんだ愚かな考えを忘れようと、仮死の眠りに就くために外部疑似視覚の思
念接続を断とうとした。
 だが、そのときだ。私は脳裏に投影されている全方位全波長映像中に一つの移動物体の
存在を確認した。
 それは一台の脱出ポッドだった。
 そう。〈奴〉が戦闘機を自爆させたのは、私に損害を与えることが目的ではなかった。
 私の目から脱出ポッドの存在を隠すと同時に、爆発によってポッドに推進力を与えるこ
とが目的だったのだ。
 怖ろしいまでの生への執念だ。私にはとても真似できまい。
 しかし、だからといって、このまま〈奴〉を見逃すことはできない。
 私も脱出ポッドを使って追い掛けるか?
 ポッドの航行能力から考えて、〈奴〉の行き先は付近に見える青い惑星しかない。
 これほどまでの執念を見せた相手ならば、危険を冒してでも未知の惑星へ向かおうとす
るだろう。〈奴〉にとって幸運なことに、あの惑星には水が豊富に存在しているようだ。
 更に、惑星上には知的な生物の存在を示す人工建造物が確認できる。そんな星に凶悪犯
を野放しには出来ない。
 ……行くか。
 脱出ポッドの推進装置は無いも同然の代物だが、私の念動能力を併用すれば、あの惑星
まで辿り着くのは造作もない。
 それに、今の私は天涯孤独の一匹猫。どうせ私が死んでも悲しむ者はいないのだ。何を
ためらうことがある?
 私は航宙機の航法電算機に〈奴〉を追う旨の伝言を残すと脱出装置を作動させた。

(ところで、リューン君は何を食べるのですか?)
 小型の温風式乾燥機を使って私の体毛を乾かしながら萌が訊ねてきた。
(これが終わったらリューン君のお食事を用意してあげます)
(ああ、それは済まない。しかし、共通の言語を持たない相手に食物の説明は難しいな)
(どうしてですか?)
(必要な栄養素を私の言語で説明しても解らないだろう)
 顎に指を当てて首を左に傾ける萌に、体毛が乾いていることを確認しながら私は答える。
(先程も塩素と塩を誤解したばかりだからな。だが、遺伝子は違っても同じ酸素呼吸型炭
素系多細胞生物ならば必要な栄養素も共通していることが多い。取り敢えず君たちと同じ
食事でも構わないだろう)
 実際には必須アミノ酸の種類や鏡像異性体の問題もあるが、差し当たって必要な熱量が
確保できれば充分だ。この際、味は問わない。慣れない食事で体調を崩すことは覚悟して
いる。
(それでは、小猫らしくミルクにしましょうか)
(ミルク?)
(こういう飲み物です)
 と、乾燥機を片付けながら萌が思い浮かべたのは白色の液体だ。『牛』という家畜が幼
子に飲ませるために分泌する飲み物らしい。
 子育てに用いているのならば多種の栄養分が含まれているだろうし、消化にも良いはず
だ。
(では、それを頼む)
(解りました。温めた方が良いですか?)
(そうだな。免疫機能も強化しておくつもりだが、一度加熱してもらえると助かる。――
それにしても、この星の基礎知識がないのは弱ったな。説明に映像を使うのは面倒だ)
(それでは、百科事典を読んであげましょうか?)
(君の部屋にある分厚い書物か? それは時間が掛かるだろう。特に君は)
(それもそうですね。困りました。徹夜で本を読んでいては眠くなってしまいます)
(眠くなる程度ではないと思うのだが……)
 萌たち種族の睡眠周期がどれほどの長さか知らないが、徹夜した程度で読破できるほど
薄い書物ではないはずだ。
(そうか。それでは、君が睡眠を取っている間に君の記憶を読ませてもらえないか?)
(記憶を? そんなこともできるのですか?)
(勿論だ。私の精神感応能力は表層思考だけでなく長期記憶を探ることも出来る。それで
もやはり時間は必要になるが、書物を読むより数百倍は早い)
(そうですか……。記憶を読まれるなんて恥ずかしいですね)
(君のプライバシーには配慮する。それでも君が嫌と言うのであれば無理強いしない)
 本人あるいは裁判所の許可なく知的生命体の長期記憶を読んではならない――これは、
銀河標準法に明記されているほど一般的なルールだ。表層思考を読むことは言語を持たな
い種族が存在するため禁止されていないが。
(でも、わたしが嫌と言ったら、リューン君は困りますね)
(困りはしないが、今後もコミュニケーションに苦労するだろうな)
(それでは……仕方ありません)
 萌は渋々ながら承諾して私を抱え上げた。
 躊躇するのは当然だろう。全くの他人に記憶を読まれて気分が良い者はいない。
 だが、ためらいがちに承諾した萌の瞳を以前にどこかで見たような気がしたのは、私の
気のせいだろうか?


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