「了解っ!」 「窃盗の現行犯で逮捕です、バイオレット」 「警視総監賞だ!」 涼子に檄を飛ばされた警官たちは一斉にバイオレットへ殺到する。 「フッ……。流石は我がライバルの姉上だ。弟君とは一味違う」 だが、バイオレットは余裕の表情で警官たちを飛び越え、階段への入り口を守っていた 武雄に走り寄る。 「来るなら来い! ここは通さないぞ」 「そうだね。今夜は正々堂々と戦おう」 バイオレットは走りながらバサリとマントをひるがえした。そのマントの下から現れた のは武雄の顔。 「オレに化けた!?」 「さあ。勝負だ、秋元武雄君」 驚いた武雄に飛びついた偽武雄。二人で植え込みの向こう側に倒れてしまうと、周りを 囲む警官たちにはどちらが本物か区別できなくなってしまった。 素早く立ち上がった武雄はもう一人の武雄を指して叫ぶ。 「あっちが偽者だ! みんな騙されるんじゃないぞ」 指をさされた方の武雄はふらふらと立ち上がると警官たちに叫ぶ。 「みんな来るな! こいつはオレが捕まえる!」 ふらふらしている方が頼りなさげで本物っぽいけれど、セリフはカッコイイから偽者っ ぽい。 結局どちらが本物かは判らないが、二人の武雄は互いに睨み合ったまま動かない。マネ キンのように動かない。 本物の武雄は動かないのは怖気づいたのではなく作戦。こうしているうちにも五階フロ アや四階フロアの警備班が駆けつけてきて、バイオレットの状況は厳しくなってゆく。涼 子が率いる本隊がやってくるのも時間の問題だ。 しかし、バイオレットが動こうとしないのは謎だ。時間とともに自分が不利になること は解っているはずなのに。 「……どういうつもりだ、バイオレット? どうして仕掛けてこない?」 武雄の一人が冷静に尋ねると、 「それはこっちのセリフだ、バイオレット! さては何か企んでるな」 もう一人は逆に興奮したように言い返す。 そして、興奮した方の武雄は急に視線を外し、階段の方を指して叫んだ。 「ああっ、バイオレット!?」 警官たちが一斉にそちらを向くと、バイオレットが階段を駆け下りてゆくところだった。 「そうか! あいつ、オレの幻を作って注意を逸らして、自分は姿を消して隠れていたん だな!」 「そうだったのか!」 「武雄君にしては珍しく冴えていますね」 「待て、警視総監賞!」 その武雄の推測を聞いた警官たちは我先にとバイオレットを追いかけ始める。 取り残されたのは本物と偽者の二人の武雄。 「な、なんだ? どうなってるんだ?」 うろたえているのは本物の武雄。こちらの武雄は未だに状況が飲み込めていない。先ほ どバイオレットを見つけて叫んだのは本物の武雄ではなかったのだ。 「どうやら上手くいったようだね」 一方、ニヤリと笑みを浮かべたのは偽者の武雄。こちらの偽武雄には実体がある。つま り、バイオレットの変装。 先ほど階段を下りていったバイオレットが幻だったのだよ。バイオレットはまんまと警 官たちを追い払うことに成功した。相手が武雄一人ならば逃げるくらいどうとでもなる。 「また会おう、秋元武雄君。今夜は楽しませてもらったよ」 バイオレットはその場で一回転して元のタキシード姿に戻った。シルクハットを空へ投 げると屋上を覆っていたネットが切り裂かれる。 「ああっ! 待て、バイオレット!」 我に返った武雄が慌てて捕まえようとするが、魔法で運動能力を強化されているバイオ レットに追いつけるわけがない。 ところが、諦めが悪い武雄に運命が同情したのか、最後の最後で奇跡が起きた。 バイオレットは切り裂かれたネットに足を取られて転んでしまったのだ。 「ちいっ……! ボクとしたことが」 秋元武雄にチャンス到来。仰向けに倒れた怪盗に喜び勇んで勇み足。 「油断したな、バイオレット! 今夜こそ捕まえて――うっ」 チャンスは武雄の手から逃げていった。 武雄もネットに足を引っ掛けてスッテンコロリン。 身体を支えようとした武雄の手がバイオレットの胸に当たった。
ペタン
「なっ……!」 小刻みに肩を震わせるバイオレット。 「菜?」 その理由を知る由もない武雄の手はバイオレットの平坦な胸の上に置かれたまま。 「何をするんだい、キミは!」
ゲシッ!
バイオレットは武雄を蹴り飛ばすと一目散に走り去り、フェンスの上からハンググライ ダーで夜空へ飛び去った。いつものキザなセリフも残さない。 いくら男っぽいと言われている菫でも、たとえバイオレットに変身しているときでも、 恥ずかしいものは恥ずかしいのだ。いきなり胸を揉まれて動揺しない女性は女性じゃない。 「痛かったぞ、このヤロウ! 戻ってこい!」 「何が痛かったの?」 「あ、姉さん」 コブシを振り上げて虚しく叫ぶ武雄の背後から声をかけたのは非常階段を昇ってきた涼 子。後ろには警官隊の本隊が控えている。 「聞いてくれよ、姉さん。バイオレットのやつ、オレのことを蹴り飛ばしていったんだ。 暴力は振るわない紳士だなんて嘘――」 「ということは、逃がしたのね?」 武雄の言葉を遮って冷ややかな目で確認する涼子。名は体を現すとはこのことだ。 「わたしたちが着くまで逃がすなって言ったはずよ」 「えと……それは……」 「まぁいいわ。しくじったのは無能な弟だけじゃなさそうだし」 言葉に詰まった武雄から視線を外して屋上を見回した涼子は冷静に戦況を分析して呟く。 幻を追いかけていった他の警官たちはまだ戻ってこない。 「それに、どうせ被害届は出ないんだから」 バイオレットに宝石を盗まれても警察に被害届は提出されない。 何故なら、数日もすれば宝石は戻ってくるので金銭的な被害はないのだ。それどころか、 盗まれた宝石が戻ってからは運が良くなったと感謝する者さえいる。今回のように展示品 を盗まれた場合でも、バイオレットに狙われたことで宝石の知名度が上がり、集客力が増 すため、結果として利益になる。 結局、バイオレットは警察以外の誰にも迷惑を掛けていないのだった。
翌朝。 「姉御。いつまで寝てるんスか?」 ベッドの中の菫にディムナが呼び掛けた。 「んー……ディムナ? 今日は日曜日だよ」 ウサギもどきの耳に揺られてどうにか覚醒レベルに達した菫の脳波は、そのまま徐々に 睡眠状態へ移行する。 「昨日は仮眠できなかったんだから……もう少し眠らせてよ……」 「イイんスか? もう十時過ぎっスよ」 「エッ? そんな時間なのかい?」 完全な眠りに落ちる前に時刻を聞いた菫は一息に跳ね起きた。活動的な菫は惰眠を貪る よりランニングでもしていた方が気分が落ち着くのだ。 「もうそんな時間っスよ。妹さんが起こしに来たけど姉御が起きないから諦めて帰っちゃ ったっス」 「萌の声じゃ起きるどころか眠くなるよ。――あ、そうだ。昨日の宝石は?」 男物のパジャマの裾を直してベッドから出た菫が尋ねると、ディムナは首を左右に振る。 「クロード師父に預けてきたっス。今夜辺りにもう一度行ってくるっスよ」 「頼んだよ。ちゃんと返してきてよね」 「解ってるっスよ。しつこいっスね」 「だって、もし無くしたりしたら、ボクには絶対に責任取れないよ。あんな真珠」 言いつつ菫は窓際まで歩いていって部屋の空気を入れ換える。 すると、ちょうど向かい側にある武雄の部屋の窓も開いた。菫と武雄の家は隣同士で、 しかも、同じ二階の対面にあるのだ。 「あ。おはよう、武雄」 眠そうな武雄の顔を見て片手を上げて挨拶する菫。バイオレットに変身しているときに 武雄に胸をタッチされたことは怒りと恥ずかしさを感じたけれど、あれは事故なのだと既 に割り切っている。菫は気持ち良いくらいにサッパリした性格なのだ。 「あ、ああ。おはよう、菫」 健康的な菫のパジャマ姿にドキッとしながら挨拶を返す武雄はジャージ姿。 「今頃起きたのかい、武雄?」 「そういう菫も、今起きたばかりだろ?」 「日曜日だから油断したんだよ。キミはバイオレットを捕まえに行ったんだね?」 「ああ。そうだよ」 「それで、バイオレットは捕まえられたのかい?」 結果は菫も知っているけれど武雄の創作話が面白いので聞いておく。 「昨日はホントにあと一歩だったぞ」 「それじゃ、やっぱり逃げられたんだね」 「あと一歩って言っただろ。もしアイツが左のイヤリングを取っていればオレの勝ちだっ たんだ。惜しいところで必殺の罠を見破られたけどな」 「へー。そっかー」 そんな言い方もあるんだなー、と思ったけれど口には出さずに菫は相槌を打った。 「それに、あいつも結構ドジでさ、逃げる途中でスッ転んでいたんだ。そんなときに捕ま えるのは卑怯っぽいから見逃してやったけどな。――あっ。そう言えばこの前の話。バイ オレットは噂通り男だったぞ」 「エッ……?」 意味が解らない菫。バイオレットが男じゃなかったと言うのならば理解できるけれど、 それを逆に男だったとはどーゆーことか? 「ど、どうして男だって判ったんだい?」 すると武雄は自分の胸に手を当てて、 「それがさ、この前バイオレットに飛び掛かったときに判ったんだけど、アイツの胸って 真っ平らだったんだ。アレは間違いなく男の胸だな。アレで女のはずがない」 「……」 「ん? どうした、菫?」 ディムナの耳を握り締めたまま押し黙る菫に対して、自分の発言がどんな意味を持つの か知る由もない武雄。 「腹の具合でも悪いのか?」 「キ……」 「木?」 「キミってヤツは!」
ビュンッ! ボフッ!
羞恥と憤怒とその他諸々の感情が込められたディムナ・ミサイルが武雄の顔面を直撃し た。 「な……何故……?」 「姉御〜、ヒドいっスよ〜」 投げられたディムナとぶつけられた武雄はそのまま目を回してノックアウト。 「当然だよ。フン」 武雄はともかくディムナは完全にとばっちりだけれど、そんなことを考える余裕もない ほど気が立っている菫は乱暴にカーテンを閉め、遅い朝食を取るために階段を下りていっ た。 その朝食で牛乳を三杯も一気飲みしたのは、やはり菫も悔しかったということだろうか? 彼女の真意は誰も知らない。 TO BE CONTINUED. |