幻影怪盗バイオレット


「で、土曜日は武雄の旦那とデートっスか」
「デートじゃないよ。愛美も一緒だし」
 当初の予定が二人きりのデートだったとは露ほども思っていない菫が話している相手は
誰でしょう?
 それは、長い耳が根元から垂れているウサギのぬいぐるみ。
 ではなくて、そんな姿をした謎の生物。
 どれくらい謎の生物かというと、耳を羽ばたかせて空を飛ぶくらいに謎なのだ。
 名前はディムナシアス。愛称ディムナ。年齢不詳。性別は――
「愛美ちゃんも一緒っスか。イイっスね。おいらも行きたいっス」
「またぬいぐるみのフリして抱っこされるつもりかい? 本当にエッチだね、キミは」
「何を言ってるっスか。まさか、姉御は動物がエッチな気持ちで人間にじゃれつくとでも
思ってるんスか? そんなわけないっスよ」
「でも、キミは間違いなく、女の人を選んで抱っこされたがっているよ」
「そ、それは気のせいっスよ〜」
 そんなわけでディムナの性別は男(オス)に決定。
 このウサギもどきディムナが、幻影怪盗バイオレット誕生の秘密なのだ。

 菫が怪盗となったのは二ヶ月ほど前のことだ。
 その日、菫が自分の部屋に戻ってくると、耳の垂れたウサギが机の上で待っていた。
「ちわっス」
 片耳を上げて挨拶するウサギもどき。
「ぬいぐるみがしゃべった……!?」
「ぬいぐるみじゃないっスよ。もちろん、ウサギでもないっス」
 ウサギもどきは軽い調子で応えながら、長くて広い耳を羽根のようにパタパタ動かして
菫の前まで飛んでくる。
「おいらの名前はディムナシアス。ディムナって呼んでくれっス」
「う……うん。ボクのことは菫でいいよ」
「了解したっス。スミレの兄貴」
 肉球付きの前足で敬礼するウサギもどき。
 常識の範疇を超えた存在を前にして呆気に取られた菫だけれど、どうにか気を落ち着か
せて口を開く。
「これでもボクは女なんだけれど」
「おおっと。こりゃ失礼したっス、スミレの姉御」
「別にいいよ。いつも間違われているから」
 だったら自分のことを『ボク』と呼ぶのをやめればいいのに。
「それよりディムナ君。キミの電池はどこにあるんだい?」
「電池?」
 ベッドの上に降りたディムナは器用に耳を組んで疑問のジェスチャーを作る。
「新発売のロボペットじゃないのかい?」
「おいらはロボットでもないっスよ〜」
 ちょっと涙目になって訴えるウサギもどき。
「おいらは希代の魔術師エスター・クロードに創られた魔法生物っス」
「魔法生物?」
「今で言う遺伝子組み換え生物みたいなもんっス。遺伝子工学じゃなくて実践神秘学で創
られたんスけどね」
「実践神秘学……??」
「錬金術とか数秘術のことっスよ。ハーメティクスっス」
「……ふーん」
 意味不明な単語の羅列に拒否反応を起こした菫色の脳細胞は、奇妙な来訪者の正体を知
ることを諦め、彼が来訪した目的について問うことにした。
「それで、キミはどうしてボクの部屋にいるんだい?」
「姉御から魔力を感じたからっス」
「魔力?」
「その通りっス。おいらの耳は魔力探知機になってるんスよ」
 そう言いながら両耳を広げて左右に動かすディムナ。
 と、ディムナはその耳を菫に向けて、
「そーゆーわけで、スミレの姉御に相談があるんスけど」
「ボクに?」
「そうっス。――姉御、回収者になってみないっスか?」
「回収車? ゴミを集めてどうするんだい?」
「違うっスよ〜」
 容赦のない菫の言葉に脱力して耳をダランと足元まで垂らすディムナ。
「呪われた宝石を回収する呪石回収者っス」
「呪われた宝石?」
「持ち主に不幸を呼ぶ宝石とか、聞いたことないっスか?」
「それならテレビで見たことがあるよ。持っていると必ず虫歯になる宝石の話とか」
「だったら、そんな宝石がこの世に存在しちゃいけないってことも解るっスよね?」
「うん。そうだね」
 反論するようなことではないので素直に同意する菫。
「そうっスよね、そうっスよね。おいらを創ったクロード師父もそう思って、少しでも宝
石の呪いを解いていきたいと考えたっスよ」
「それで、キミはクロードさんのところへ持っていく呪石の回収をボクに手伝ってほしい
んだね?」
「その通りっス。何しろ人手不足なんスよ。話が早くて助かるっス」
 耳を組んでコクコクうなずくウサギもどき。
 と、その耳を真っ直ぐ菫に向けて、
「そーゆーわけで、スミレの姉御を回収者に任命するっス。早速、呪石の回収に――」
「ちょっと待ってよ。ボクはまだ手伝うなんて言ってないよ」
「ええっ!? ここまで聞いておいてやらないっスか?」
「当然だよ。ボクはキミに協力する義理も義務も持ち合わせていないんだからね。だいた
い、どうやって宝石を回収するつもりだい?」
「それはもちろん、コッソリ忍び込んで拝借してくるっス」
「拝借って……ドロボウするってこと? それならますます手伝えないよ」
「本当に借りるだけっスよ。おいらたちは呪いを解くだけっス。呪いを解いたら宝石は元
の持ち主に返すっス」
「本当に本当かい?」
「本当の本当に本当っス。おいらの創造主エスター・クロードの名に誓うっス」
「でもなー……。いくら借りるだけって言っても、他人の家に勝手に忍び込んだりして捕
まったら言い訳できないよ」
「それなら心配ないっス」
 そう言うと、ディムナは紫色の宝石が付いたブレスレットを取り出した(どこから取り
出したんだろう?)。
「コレっスよ。魔力を持ってる姉御ならコレを使いこなせるはずっス」
「これ、何?」
「幻影怪盗変身ブレスレットっス。コレを使えば今日から君も大怪盗っス。誰も姉御を捕
まえられないっスよ」
 ディムナは菫の前に腕輪を差し出す。
「変身ブレスレットって、ボクはもう子供じゃないんだよ――と」
 思わずそれを受け取ろうと伸ばした手を途中で引っ込める菫。
「だから、ボクはまだキミの手助けをするなんて言ってないじゃないか」
「意外と頭が固いっスね。それなら、盗むのはまた今度でいいっスから、変身だけでもや
ってみないっスか?」
「変身……だけ?」
 子供の頃からテレビの変身ヒーロー物(男の子向け)が好きな菫の心に迷いが生じた。
「そうっス。一週間以内のクーリングオフは自由っス。変身セットのお試し期間っスよ」
 迷い始めたら勝利は目前。ここぞとばかりに畳み掛けるディムナ。
「うーん……。でもなー……」
「今ならクロード師父が書いた『初めての占星術』をおまけするっスよ〜」
 怪盗が誕生したのは二時間後のことだった。


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