八十年目の亡霊


 二日後。朔也たちは除霊の結果を報告するため、黒原建設グループ本社ビルの最上階、
社長室へとやってきた。
 朔也、孝司、健吾、茜の四人に、孝司の知人である西條彼方という男が加わっている。
 その代わりというわけではないが、黒原社長が苦手な聖美はメンバーを外れていた。
 今回の訪問理由を考えれば茜も来るべきではなかったのだが、結末を知りたいと言って
強引に付いてきたのだ。
「除霊とやらは終わったのだろうな? 休みだというのに人を呼び出しおって」
「いいえ。今回の件、私たちの手には負えませんでした」
 椅子から立とうともしない黒原社長に、朔也は不慣れな敬語で告げた。
「何だと? ならば金は払えん。とっとと出て行け」
「待って下さい。私たちはあの建物についての相談があって来ました」
「話を聞く必要はない! ――こやつらをつまみ出せ」
 朔也の澄ました顔が気に入らない黒原社長は脇に控えていた警備員に大声で命じた。
 職務に忠実な警備員は五人の前に立ちはだかったが、次の瞬間、彼は豪奢な赤絨毯の上
に倒れていた。
「手加減しといたぜ」
 荒事担当の健吾が手刀の一撃で叩き伏せたのだ。
「うわ〜。痛そう」
「あーあ。可哀想に」
「真面目に仕事しているだけなのにね」
 茜と孝司、西條彼方の三人が、不幸な警備員に同情する。
「ひっ! け、警察を呼ぶぞ」
「余計な奴は呼ばない方がいい。お互いの為にも」
「な……何? どういう意味だ?」
 椅子からずり落ちた黒原社長はそのままの姿で喚き散らそうとしたが、敬語をやめた朔
也の言葉に興味を持ったのか、静かになる。
「まず、これを見てもらおう」
 黒原社長が落ち着いたのを確認した朔也は一枚の紙をデスクの上に置く。
「これは……?」
「あの建物と土地に関する権利の移動を大正時代にまで遡って調べた。その調査結果だ」
「何っ!?」
 社長の顔色が目に見えて変わる。
「面白いことが判った。今、黒原建設グループが持っているのは土地の所有権ではなく、
建物の借用権だけだろう? しかも、その借用権は今年の末で期限が切れる」
「くっ……」
「端から霊の存在を信じていないお前が胡散臭い除霊屋に仕事を依頼してきたのは、幽霊
騒動が大きくなって正当な所有者が名乗り出てくるのを怖れたからだ。違うか?」
「……いいや。その通りだ。わしが持っているのはもうすぐ期限が切れる借用権だけ。だ
が、今となっては、あの土地を相続する者はいまい。これからもずっと、わしの物だ。権
利書でも出てこない限り――」
 黒原社長はそこまでしゃべったところではっとする。
「ま、まさか、お前ら……!」
「そう、見付けた」
 朔也は地下室で見付けた書類のコピーを取り出す。
 それは、幽霊屋敷が建つ土地の権利書だった。
「権利書を渡せ」
「命令される謂れはない」
「何が欲しい? 金か?」
「いいや。俺たちからの要求は唯一つ。あの建物を、少なくとも五年間封鎖することだ。
五年経ったら権利書を送る。それからホテルでも遊園地でも好きな物を建てろ」
「それでは意味がない! 今だからこそホテルの儲けが期待できるのだ。五年も待ってい
ては赤字ではないか!」
「こればかりは譲れないな。今、あの建物を取り壊せば、居場所を失った亡霊は怨霊とな
ってお前を祟るだろう」
「祟るだと? 祟りなどあるわけが――」
 黒原社長が言い切ろうとしたその時、デスクに置かれていた湯飲みが音を立てて二つに
割れた。
「ひぃっ!」
「祟りなんてあるわけがない――そう思うならそれでもいい。だが、工事を続けるつもり
なら、せいぜい心臓麻痺に気を付けるんだな」
「わ、解った。五年だな」
 怯え切った黒原社長は頷くことしかできない。朔也は社長に背中を向けて歩き出す。
「そうそう。その五年の間に地元の人と良く話し合って計画を練り直せば、長期的には利
益が出ると思うよ」
「やっぱり話し合いは大切よね」
 思い出したように助言した孝司や、茜たちも、朔也に続いて悠々と社長室を後にした。

 それから数時間後。朔也と茜は、茜色に染まった街を歩いていた。
 孝司たちとは早々に別れたのだが、茜だけは朔也の腕を放さない。
「ねぇ、朔也さん。祟りって、本当なの?」
「……いいや。ただのはったりだ」
「ウソ? それじゃ、湯飲みが割れたのは?」
「孝司が連れてきた西條彼方だ」
「あの、頼りない感じの人?」
「西條はちょっとした念動力を持っている。その力で割ってもらった」
「ふ〜ん。そうなんだ。朔也さんのサギ師」
「……」
 ちなみに、この『祟り』の演出を考えたのは孝司だ。堅物な朔也にそのような柔軟な発
想は思い付かない。
「それじゃ、これからどこに行こうか、朔也さん」
「帰るだけだ」
「映画はどうかな? 夕方の上映には間に合うよね」
「帰れ。すぐに暗くなるぞ」
「暗くなったら朔也さんが家まで送ってね。夕食はあたしがごちそうするから」
「一人で帰れ」
「む〜」
 茜はむくれながらも朔也の腕を放そうとしない。
「……俺は」
 朔也はその腕を振り解いて、茜に背を向ける。
「俺は、いつまでも過去を引きずっている情けない男だ。もう失望しただろう?」
 二人の間を夕方の乾いた風が吹き抜けた。
 しかし、茜は朔也の背に頬を寄せて答える。
「そんなの、もう気にしないよ」
「……」
「あたしの魅力で綾霞さんのことを忘れさせてあげるから(はぁと)」
「無理だ」
 即答。
「ブーブー。マジメな顔で戦力外通告しなくたってイイじゃない。そりゃあ胸は小さいけ
ど、まだまだ成長してるもん」
「……茜」
 ふくれっ面になる茜に、だが、朔也は真剣な口調で告げる。
「お前は、口調も、仕草も、服の趣味まで、何もかも綾霞にそっくりなんだ。どんなに忘
れようとしても、俺はお前に綾霞の面影を重ねてしまう」
「え……。そうだったんだ」
「だから、今の俺には茜を茜として見てやることができない。茜の気持ちに応えてやるこ
とができない。――それでもいいのか?」
「いいの。今は綾霞さんの代わりにしか思えなくても、綾霞さんと違うあたしだけのイイ
ところを見付けてくれれば、その瞬間から本当の恋人同士になれるんだから」
「……そうか」
「でも、八十年も待たせないでね」
 茜はぎゅっと朔也の腕に抱き付く。
「……」
 朔也は無言のまま、その手を振り払わなかった。

〔終〕


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