八十年目の亡霊


 工事責任者の話――
「はい。皆さん怖がってしまって、工期が遅れて困っているのです」
「社長はここの工事を何かと気にしていますから、私も何度怒鳴られたことか。中間管理
職の辛いところですよ。――あっ、社長には内密に……」
「幽霊の声ですか? いえ。私は聴いていませんから、現場の皆さんに訊ねた方が宜しい
かと思いますよ」

 作業員たちの話――
「女の声が聴こえたんだよ。『壊さないで下さい』ってな。ほんとだって」
「なんか青い火を見たぜ。すぐ消えたけど。あれ、人魂ってヤツか?」
「ブルドーザーが勝手に動いたときは驚いたなぁ。潰されるかと思ったけど止まってくれ
て良かったよ」

 周辺住民の話――
「あの古い宿かい? あたしが生まれた頃にはもう閉まっていたんじゃないかねぇ。あち
こち腐ってて危ないから立入禁止にしてるけど、もう取り壊すんでしょ?」
「人がいたのは八十年ぐらい前だって聞いてるな。その後は誰も働いてないはずだ。持ち
主はどこ行ったって? そこまでは知らんよ」
「近頃変わったこと? さぁな……。近所の野良犬や野良猫が減ったくらいか」

 高層ホテル建設反対派の話――
「でっけぇホテル建てるっつってもよ、ここの雰囲気にゃそぐわねぇべ。山の神様が怒っ
てるんでねぇか?」
「んだんだ。ありゃ、きっと罰が当たったんだべ。ちぃと前にも山で火事があったでな」
「わしらは手ぇ出しちょらんわい! 幽霊騒ぎでこっちの客が減っちゃあ元も子もねぇ
べ」

「――と、おれたちが聞いた話はこんな感じだな」
 工事関係者が使っているプレハブの休憩所で、聖美が作ってきた大盛りの弁当を食べな
がら、健吾が聞き込みの結果を報告した。
「ホテル建設に反対する地元の方々が幽霊騒動を演じているとは考えられません。街のイ
メージダウンになると考えているようですから」
 健吾の半分の量しかない弁当を上品に口へ運びつつ、聖美が自分の考察を付け加える。
「となると、やっぱり、あの古宿が怪しくなってくるね」
 同じく聖美が作った(微妙に失敗の多い)弁当を食しながら孝司が言う。
「だろうな。日が高いうちに内部の構造を把握しておこう。それから一旦仮眠して、深夜
から本格的な除霊を行う。――いいか?」
 茜が作ってきた愛妻弁当(当然、そぼろでハートマークが描かれている)を複雑な表情
で口にしながら、朔也が皆に意見を求めた。
「朔也さん、質問」
 朔也と同じメニューだがピーマンの入っていない弁当を開いている茜が手を挙げた。
「異論がなければこれで決まりだ」
 朔也は茜の挙手を見なかったことにして会議を打ち切った。
「ムカムカプンプン」
「まぁまぁ茜ちゃん。今のは朔也なりのジョークだよ」
「真面目な顔で言うから冗談に聞こえないけどな」
「それで、何を訊きたかったのですか?」
 朔也以外の三人が茜の機嫌を取る。
「どうしてわざわざ夜になってから除霊を始めるのか知りたかったの。暗くなる前に早く
除霊しちゃえば幽霊が出ても怖くないのに」
「……孝司、説明してやれ」
「はいはい」
 説明好きな孝司が茜に向き直る。
「茜ちゃんは、幽霊がどうして夜に多く目撃されるか判るかな?」
「それなら、『夜は暗さと怖さで別の物を幽霊と錯覚しやすい』って聞いたことあるよ」
「うんうん。それが一般的な意見だね」
 孝司は二度頷いて満足げに説明を始めた。
「でもね、『幽霊と錯覚するのは霊の波動が人の感覚に影響を与えているのだ』という逆
説的な意見もあるんだよ。聖美さんのようないわゆる霊感の持ち主は、霊波動が原因で錯
覚を見やすい体質なのかも知れないんだ」
「えっ? 幽霊は錯覚なの?」
「実体がないものを見てしまうという点ではその通りだよ。ただ、テレビの映像だってテ
レビの中に実物があるわけじゃないよね。電波に乗せて送られてきた映像を映し出してい
るんだ。同じように、霊が発している波動を受信した人が自分の脳裏に霊の姿を映し出し
ているとしても不思議じゃないよ」
「ふ〜ん。そうなんだ」
「ところが、日中は起きて活動している人の雑念のために霊波動がぼやけてしまうんだ。
テレビの電波にノイズが入るようにね。そうなると、よほど感度のいい霊感アンテナの持
ち主でもない限り、霊の姿を見ることはできなくなるんだよ」
「それじゃ、昼間は幽霊を退治できないんですか、先生?」
「確かに昼間でも除霊できないことはないよ。ただし、昼間は霊波動が空間全体にぼやけ
て広がっているから霊の居場所を特定できないし、除霊の効率も悪いんだ。特に、朔也の
能力では」
「そうなんだ〜。ご教授ありがとうございました、先生」
 実は解っていない茜が孝司にぴょこんと頭を下げた。
 解説が一段落したところで朔也が箸を置く。
「食事が終わったら屋敷の調査を行う。メンバーは俺と健吾。他は外でサポートだ」
「了解」「ラジャー」「解りました」
「え〜? あたしも中に入りたい」
 茜一人だけが不服の声を上げた。
「行くぞ」
 当然、朔也は茜の声を無視して席を立つ。
「朔也さんのいけず〜」

 まだ日が高いというのに、工事現場では誰も働いていない。
 早めに仕事を切り上げるよう言っておいたことが理由だが、作業員たちが胡散臭い除霊
屋に文句一つ言わず帰り支度を始めたのは、彼らも幽霊屋敷を気味悪く思っていたためだ
ろう。現代科学は霊の存在を否定しているが、人の心に生じた不安までは否定できない。
 だが、心霊科学と呼ばれる異端の科学は、既に何十年も前に霊の存在を実証しており、
現在では、その科学技術を用いた心霊工学機器がいくつも開発されている。
 今、孝司が手にしている機械もその一つだ。
「孝司さん、それ何?」
 一見すると懐中時計のようなその機械を指して茜が訊ねた。
「霊波動計測器、略して霊波計。霊が近付くと判るんだよ。昼間はノイズが多くて感度が
悪くなるけれど、逆に言えば、昼間に感知できるなら相当強い霊ってことになるよ」
「ふ〜ん」
「今は建物の内部調査と監視カメラの設置が目的だから、霊波計は保険のようなものだ」
「気付かないうちに取り憑かれたりしないようにな」
 そこへ、作業服に着替えた朔也と健吾が現れた。二人ともヘッドセット型のトランシー
バーを装着し、電灯付きのヘルメットを被り、鉄芯入りの安全シューズを履いている。
 通常の除霊でこのような重々しい装備は必要ないのだが、今回は半ば腐りかかった建物
内が舞台なので、天井や床板が崩れるなどの物理的な被害に備えて身に着けることにした
のだ。
 そして、霊が現れたときに備えて、朔也の腰には一振りの木刀が差してある。
「朔也さん。やっぱりあたしも一緒に行く」
「来るな」
 朔也は孝司から受け取った霊波計をベルトに付けながら即答。
「迷惑は掛けないから、ね」
「お前がここに来ていること自体が迷惑だ」
「ムカムカ〜」
 茜は頬を膨らませるが、しかし、例によって朔也はそれを無視し、雑草に囲まれた古宿
へと歩き出す。
「どっちにしろ茜ちゃんは待ってた方がいいと思うぜ。昼間だから幽霊は出ないだろうけ
ど、ケガでもしたら大変だからな」
 有線の監視カメラを三つほど背負った健吾が朔也の後を追う。
「朔也さん……」「健吾さん……」
 期せずして茜と聖美の祈るような声が重なる。
「僕が行っても心配してくれないんだろうなぁ……。まぁいいけれど」
 孝司はぼやきつつ、車の後部に置かれた心霊工学モニターの電源を入れた。三つあるモ
ニターのうち二つは雲の浮かぶ空を、一つは朔也の背中を映し出す。これは健吾が肩に担
いでいる監視カメラの映像だ。
「モニタ良好。――そっちの調子は?」
 幽霊屋敷の前に到着した朔也と健吾に、マイクのテストを兼ねて孝司が呼び掛けた。
『霊波計の反応はない』
『入口の戸が半分壊れてるぜ。ここから何か視えるか?』
 トランシーバーを通して二人の声が届いた。健吾がカメラを持って古宿の内部を映す。
「特にそれらしい霊は視えません」
 孝司に代わってモニタを覗いた聖美が首を振った。聖美は、心霊工学機器では解析でき
ないような微妙な霊波動までも視覚的に認識できるのだが、今は何も感じ取れないようだ。
「まだ視えないってさ。行っちゃって」
『ああ』『ラジャー』
 朔也と健吾はヘルメットの灯かりを点け、昼間でも薄暗い建物の中へ足を踏み入れた。

「一通り回ってみたが何もない。そっちで気付いたことはあるか?」
『聖美さんも〈霊視〉できないってさ。食器一つ残っていないんじゃそれ以上粘っても無
駄っぽいし、戻ってきたら?』
「そうだな」
 朽ちた建物の探索を終え、朔也と健吾は来た廊下を引き返し始めた。
 ここまでの所要時間はおよそ二十分。家具は全て運び出された後らしく、調査すべき物
が何もなかったのだ。途中、健吾が床板を踏み抜いたり、健吾が頭から埃を被ったり、健
吾が蜘蛛の巣に引っ掛かったりと、小さなアクシデントはあったものの二人とも無傷だ。
「にしても、ヒドい目に遭ったぜ。床がブヨブヨだもんな」
 肩が軽くなった健吾がマイク越しに孝司へぼやいた。
『八十年も手入れされていなければ当然だね』
「そうだな。時間があれば昔に詳しい人を探して話を聞いておいてくれ」
 言いながら朔也は勝手口へ向かう。
「あ、ちょっと待てよ」
 しかし、健吾はふと気が付いて、横手の壁に歩み寄った。朔也が振り返って訊ねる。
「どうした?」
「ここはまだ調べてなかっただろ」
「……確かに」
 文献の読み過ぎで近眼気味の朔也には壁に見えていたのだが、改めて見ると、それは長
年の汚れで黒ずんでいる引き戸だった。
「どうせ押し入れか何かだろうけど、開けてみるか?」
「あまり期待しないが」
「良し」
 健吾は軽く腕を振って引き戸に手を掛けた。敷居に砂が詰まっていたが、自慢の怪力を
発揮するまでもなく引き戸は開く。
 すると、朔也たちが身に付けている霊波計が短い電子音を鳴らし始めた。
「出た!?」
「下がれ、健吾」
 健吾の前へ進み出た朔也は神木の枝から削り出した木刀を青眼に構える。
 朔也は、この木刀を霊界側へ力を送る媒体として用い、死霊を〈消去〉するのだ。
「……来た」
 木刀を構えたまま待つと、霊圧の高まりに比例して電子音の間隔が徐々に短くなり、や
がて、押し入れの床からぼんやりと光る煙のようなものが立ち上り始める。
『雑霊です。特に邪気は視えません』
 トランシーバーから聖美の声が届いた。こちらの状況は監視カメラを通じて向こうでも
把握しているのだ。
「雑霊か。目障りだな。――破っ!」
 相手の正体を聞いて小さく嘆息した朔也は、次の瞬間、短い気合の声と共に木刀を真っ
直ぐ振り下ろした。
 木刀の切っ先が床板に届く手前で寸止めすると、エクトプラズム状の霊体は掻き消すよ
うに消滅する。それと同時に霊波計の電子音も止む。
「やったのか?」
「ああ」
 朔也の能力〈消去〉は霊体場の劣化を早めるものだ。長時間の祈祷や複雑な儀式を用い
ない力技の除霊方法であるが、霊体の欠片に過ぎない雑霊程度は瞬時に分解できる。
『……はい。雑霊は、消滅しました』
『おめでと〜! 除霊終わったね』
 容赦のない朔也に不満げな聖美に続いて茜の黄色い声が響いた。甲高い声に苦笑いしつ
つ、朔也は突き放すような声で告げる。
「騒ぐな。除霊は終わっていない」
『えっ? どうして?』
 案の定、茜は事情を理解していなかった。
「ただの雑霊に事件を起こす意思はない。昼間に励起状態になる程だから雑霊にしては強
い方だが、他の霊に引き付けられただけで、今回の件とは無関係の動物霊か何かだろう」
 朔也は雑霊の現れた押し入れを覗きながら、顔の見えない茜に向けて説明する。
『な〜んだ』
「そういうことだ。――孝司、今から戻る」


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