八十年目の亡霊


 翌日。午前九時五分前。
「おーい。車、持ってきたぜ」
 雑居ビルの前に健吾が車を回してきた。
 この四輪駆動車は健吾の個人所有物なのだが、貧乏除霊屋に車を借りる余裕はないので、
今回のようにしばしば接収を受ける。
「茜ちゃんは?」
「それが、まだ来ていないんだよ」
 後部ドアを開けながら健吾が訊ねると、自作の心霊工学機器を手渡して孝司が答えた。
「来ないつもりかも知れませんね」
「チッ」
 聖美が心配げな声で呟くと、朔也は舌打ちして三人に背を向ける。
 すると、雑居ビルの向かいにある花屋でアルバイトの高校生が開店の準備を手伝う姿が
目に入った。
 茜と同じ高校の生徒だ。
「チッ」
 朔也は八つ当たり気味に再び舌打ちする。
 と、その背後から忍び寄った人影が朔也の首にしがみついた。
「おはよ〜、朔也さ〜ん(はぁと)」
「茜……!?」
 このような激しい挨拶をするのは、今は、茜以外には有り得ない。
「お弁当を作ってたら遅くなっちゃったの。寂しくなかった?」
「寂しくなどない。いちいち抱きつくな」
 朔也は茜の挨拶を振り払い、健吾の車の後部座席に乗り込んだ。
「照れちゃってカワイイんだから(はぁと)」
「チッ」
「ほらほら、朔也。茜ちゃんとくっついてくれないと僕が乗れないよ」
 茜は朔也の隣に座り、その隣に孝司が座ってドアを閉める。
 茜と密着する羽目になった朔也は憮然とするが、三人の後ろは五人分の荷物と孝司の心
霊工学機器に占領されているので仕方ない。
 そして、運転席には健吾が、助手席には聖美が乗り込む。
「忘れ物ないな?」
「あっ」
 振り返った健吾が一同に訊ねると茜が声を上げた。
「お菓子持ってくるの忘れた」
「出発だ。今すぐに」
「ラジャー」
 朔也に応えて健吾は車を発進させた。

 一時間と十五分後。五人を乗せた車は街を抜け、北東へ向かった山中を走っていた。途
中で茜が菓子を買いたいとごねたこともあって目的地はまだ見えない。
「ところで、朔也さん」
「どうしたんだい?」
「これから除霊しに行くのに基本的なこと訊くんだけど」
「遠慮しないで訊いてよ。何でも答えるから」
「幽霊って、結局どういうものなの? テレビのオカルト番組だと出演者が怖がってるだ
けで解説しないでしょ」
「そうだね。説明しておいた方がいいかな」
「あたしは孝司さんじゃなくて朔也さんから聞きたいの」
 茜が振り向いて孝司に抗議した。
「だって、朔也はさっきから本に夢中だよ。文献オタクだからね」
 孝司の言う通り、朔也は山道を走る車の揺れを苦にせず、開いた本を読み進めている。
茜を無視していると言うより、呼び掛けに気付いていないと言った方が正しい。
 これでは茜もつまらない。
「それで、霊の話だったね。でも、その前に僕たちの体の話をしようか」
「カラダ? 保健の授業で習ったから知ってるよ。孝司さんのエッチ」
「いやいや、茜ちゃんが習ったのは肉体だけだよ。でも、僕たちの体は、肉体、霊体、幽
体の三つの体から成り立っているんだ」
「肉体と……霊体と幽体?」
 茜が首を傾げる。
「そう。霊体は感情を司る陰の魄、エーテル体のこと。幽体は理性を司る陽の魂、アスト
ラル体のことだよ」
「エーテル体は、氣、オーラ、チャクラ、動物磁気、オディック・フォース、オルゴン・
エネルギー、Lフィールドのように様々な名で呼ばれるが、その本質は生体波動の循環す
るエネルギーの場だ」
 いつの間にか文献から顔を上げていた朔也が孝司の説明に付け加えた。
「おやおや、朔也。僕が茜ちゃんと楽しくおしゃべりしているからって妬いているのか
い?」
「ええ〜? 心配しなくてもあたしは朔也さん一筋よ」
「チッ。いいから続きを説明してやれ」
 朔也は茜から顔を背けて窓の外を眺める。しかし、本は閉じたままなので話は聞いてい
るのだろう。
「それじゃ、体が三つあることを踏まえた上で、今度は『死』について考えてみようか」
「死?」
「そう。心臓が停止しただけでは肉体が死んだだけで、霊体と幽体は死んでいないんだ
よ」
 何も知らない生徒を前に、孝司は得意げに説明を続ける。
「正常な『死』とは、肉体の生命活動が停止し、霊体を形成する力場が劣化・拡散し、幽
体の本質たる幽子情報が高位次元に昇華することなんだよ。幽体については心霊学者の希
望的観測だけれどね」
「ふ〜ん」
「ところが、死んだときに強い未練が残っていると、霊体場の消失が阻害されてこの世に
残ってしまうことがあるんだ。それが死霊。いわゆる地縛霊や浮遊霊だね」
「ふ〜ん」
「ただ、ここで間違えちゃいけないことは、霊体が死霊になっても幽体は地上に残らない
ってこと。理性を司る幽体がないから死霊は何も考えない。死霊は魂の抜け殻なんだよ」
「ふ〜ん」
「解った?」
「ゼンゼン!」
「やっぱりね」
 きっぱりと断言した茜に、孝司は呆れつつも穏やかに微笑む。窓に映ったその様子を見
て、朔也の口元にも僅かな笑みが浮かんだ。
「あー。あそこじゃないか?」
 運転席の健吾が声を上げた。後ろの三人が外へ顔を向けると、うっすらと白い蒸気が立
ちこめる温泉街が目に映る。
「なかなか風情があっていいねー」
 立ち並ぶ木造の温泉宿を遠くに眺め、孝司が誰にともなく呟いた。
「来て良かったね、朔也さん」
「それで、依頼があった現場は?」
 朔也は同意を求める茜を無視して健吾に訊ねる。
「そこを右に曲がったところです」
 健吾に代わって聖美が答え、その言葉通りに健吾がハンドルを切った。
 すると、古風な温泉街とは相容れない異質な場所が現れた。
 組立式の高い塀に囲まれた建設工事現場だ。
 入口の脇には高級そうなホテルの完成予想図と共に、除霊の依頼主である『黒原建設グ
ループ』の文字。そして、その周りには『高層ホテル建設反対』といった内容のビラが何
枚も貼られている。
「あーあ。情緒ある湯治場のイメージが台無しだよ」
「だが、仕事は仕事だ。行くぞ」

 二十分後。
「なんつーか……。凄い、依頼人だったな」
「はい……」
 健吾の意見に聖美が頷き、こめかみを押さえた。どれほど『凄い』依頼人だったかは、
朔也の呟きを聞けば想像できるだろう。
「……高慢、強欲、怠惰、大食、色欲、嫉妬、憤怒」
「それは七つの大罪だよ」
「でも、朔也さんの言う通りでしょ?」
「確かにね。否定しないよ」
 依頼の交渉相手は黒原建設グループの黒原社長だった。
 イギリス製のスーツのボタンが弾け飛びそうにでっぷりと太った腹。
 脂ぎった顔にいやらしい笑みを浮かべる口元には無駄に高級な葉巻。
 外見や趣味が悪いだけならば朔也もそこまで辛辣なことは言わないのだが、性格まで醜
いのだから手に負えない。
 除霊屋を胡散臭いと蔑んで依頼料を値切るのは当然としても、聖美や茜にセクハラまが
いの暴言を吐き、美形の朔也に嫌味を言い、それを無視したら怒り出すという有様だ。
 そんな相手に営業スマイルを向けていた聖美が気分を悪くするのも無理はないだろう。
 なお、黒原社長は除霊に立ち会うことなく、黒塗りの高級車で早々と現場を後にしてい
る。三日で解決しろと言い残して。
「で、これが噂の幽霊屋敷だね」
 そして、朔也たち五人の前には、広々とした工事現場の片隅に建つ古びた温泉宿があっ
た。雑草が生い茂るその一角を除けば土地の造成も終わっているようなので、工事が進ま
ない理由がこの建物にあるのは間違いないだろう。
「ここを壊そうとしたら女性の幽霊が現れたんだっけ?」
「姿は見ていないそうです。声がしただけで」
「んで、声と同時に地面が陥没してショベルカーが横転」
「その次はブルドーザーが暴走したんでしょ」
「……それ以来、誰も近寄りたがらない、か」
「聖美さん、〈霊視〉できるかな?」
「いいえ。外からでは何も」
「んじゃ、いつものように聞き込みから始めるか?」
「え〜? 中に入らないの?」
「それは後だ」
 朔也は茜に短く答えると、皆に指示を出す。
「俺と孝司で工事関係者から話を聞く。健吾と聖美は近くの住民に当たってくれ」
「ラジャー」「解りました」
 健吾と聖美は揃って承諾し、工事現場を後にした。
「俺たちも行くぞ」
「待ってよ、朔也さん。除霊するのに、どうして中に入らないの?」
「その前に被害状況を把握するんだよ」
 朔也が答えるわけがないので孝司が代わりに答えた。
「本当に霊の仕業かどうか確かめるんだ。もしかしたら人間のイタズラってこともあるか
らね。むしろイタズラの方が多いかな」
「イタズラだったらどうするの?」
「犯人を突き止めてやめさせるよ。依頼人には霊の仕業って報告して、しっかりお金をも
らうけれどね」
「え〜? それ、サギじゃないの?」
「そんなこと言ったら僕たちの仕事自体が詐欺だよ。霊の存在は一般の科学で証明できな
いんだから。事件解決料と考えれば正当な報酬だよ」
「そっか。――じゃあ、本当に幽霊だったときはどうするの?」
「まずは霊の系統と強さを調べるかな。亡霊(スペクター)、怨霊(ホーント)、雑霊
(ウィスプ)とかの見当をつけて、僕たちの手に負えるか判断するんだ」
「手に負えなかったら?」
「尻尾を巻いて逃げるだけだよ。祟られるのはヤだからね」
「ふ〜ん。――でも、朔也さんだったらどんな幽霊が出ても〈消去〉できるもんね」
 茜は朔也の腕をぎゅっと抱き締める。
「……」
 朔也はその腕を、無言のまま、心なしか普段よりも乱暴に振り払う。
「まぁまぁ茜ちゃん。朔也の力技じゃ除霊できない霊もいるんだよ。亡霊ならまだしも、
怨霊には怖ろしく強いのもいるからね。そんな霊を相手にするには、エクソシストみたい
に聖霊の力を借りるとかしないと駄目なんだ」
「ふ〜ん」
「解った?」
「解んない!」
「やっぱりね」
「だろうな」
 予想通りの茜の答えに孝司と朔也は二人で嘆息する。
 懐かしい相手を見るような眼差しを向けて。


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