真新しい建物が林立する街の一角にある六階建ての古びた雑居ビル。 そのビルの前に立てば『AIBA除霊サービス』と書かれた看板を見ることができる。 三階に入っている除霊屋の名だ。 除霊屋―― それは、現世に彷徨い出てきた霊の退治を請け負うことで報酬を得るサービス業者のこ とである。 霊という実体のない存在を追い払うのが仕事であるから、ある意味、除霊とは詐欺に近 い。宗教と結びついた実力ある除霊師がいる一方で、霊とは無縁な人間が口先だけで除霊 の料金を受け取ることもある。 にもかかわらず、それが商売として成り立ってしまうという事実は、霊の実在を信じて いる者がいかに多いかを示している。 そして、今日もまた、この除霊屋『AIBA除霊サービス』に新たな依頼が届いた。 「おやおや、珍しい。大口の依頼が来ているよ」 備え付けのパソコンで新着メールをチェックしていた優男が陽気な声を上げた。 風見孝司。心霊科学に詳しく、様々な心霊工学機器を製作・修理する技術屋でもある。 「依頼主は黒原建設グループ。地元政治家との癒着を背景に無駄な公共事業を一手に請け 負い、稼いだ資金で観光業や不動産業まで手広く始めたものの、頼りのセンセは別の不正 献金疑惑で取調中。自分の所に捜査が来ないかとビクビクしている土建屋さん」 「んで、肝心の依頼の中身は?」 プロボクサーのように引き締まった肉体を持つ若い男が、孝司の会社説明に全く興味を 見せずに話の先を促した。 高崎健吾。除霊に際しての物理的な障害を排除する荒事担当。 彼は二十キロのバーベルを左右に一つずつ持って軽くトレーニングをしていたところだ。 「依頼内容かい? えーと……ふむふむ」 「一人で読むなって」 自分だけで読み進める孝司の肩越しに健吾がディスプレイを覗き込んだ。 「暑苦しい体を近付けないでくれよ。僕にそっちの趣味はないんだから」 孝司は非難の声を上げたが、健吾はその声を無視して電子メールを読み進める。 「んーと……『工事現場に幽霊が出るので除霊を依頼したい』だってさ」 「場所はどちらですか?」 そこへ現れたのは、流れるような黒髪を腰の辺りまで伸ばした美人。 九条聖美。常人の目には見えない存在を視る〈霊視(グラムサイト)〉能力者。普段は 会社の出納係であり、依頼人との交渉役も務める。 「えーと、どれどれ……『添付されている地図を参照』か。ウィルスは入っていないだろ うね――と」 孝司が添付ファイルを開くと、ディスプレイ上に別のウィンドウが現れる。 「おやおや。こりゃまたずいぶん山奥だよ」 孝司は地図に示された赤い点の位置を見て軽口を叩いた。 「ま、空気が旨そうなのは確実だな」 「そうですね」 物は言い様な健吾の意見に聖美が同意する。 「どうした?」 事務所の奥にある資料室のドアが開き、書物を抱えた若い男が姿を見せた。端正な顔で あるが、柔らかな孝司とは対照的な鋭い刃のような印象を受ける。 「仕事だよ。久しぶりの」 「そうか」 男は孝司の答えに顔色一つ変えず、自分のデスクに腰を下ろした。 相羽朔也。霊に対して直に攻撃を加える〈消去(イレイズ)〉の能力を持つ。文献を読 み漁る趣味が高じて地方の民話・伝承にも詳しい。 彼が、このAIBA除霊サービスの社長だ。 「それで、具体的な被害状況は?」 「書いてない。詳しくは現場で説明するってさ」 「連絡しろ。一応引き受けてやるが、除霊できるかどうかは判らん。明日の昼前には行く から関係者を集めて待っていろ、と」 「はいはい。――聖美さん、連絡してもらえる?」 孝司は余りにぶっきらぼうな朔也の物言いに嘆息しつつ、聖美に電話番号を記したメモ を手渡した。 メモを受け取った聖美は依頼主へ電話を掛ける。勿論、内容は朔也の科白そのままでは なく、聖美が丁寧に翻訳した上で必要事項を追加している。 「――はい。では、明日十時半に」 「こんにちは〜」 聖美が受話器を置くとほぼ同時に、学校帰りと思しき女子高生が扉を開けて入ってきた。 美少女とまではいかないが、笑顔の可愛らしい女の子だ。 「おやおや。今日も来たのかい」 「これじゃまるで通い妻だな」 「ほぼ毎日ですからね」 「うん」 孝司たち頷きを返した彼女は、文献に読み耽っていた朔也の首に腕を回してしがみつく。 「朔也さ〜ん(はぁと)」 「……チッ」 朔也は小さく舌打ちしてその腕を振り払った。 「ヒド〜い。せっかく恋人が訪ねてきてあげたのに。シクシク」 「……」 嘘泣きする彼女に見向きもせず、朔也は手元の本に目を落とす。酷いも何も恋人ではな いのだから仕方ない。 藤宮茜。自称「朔也さんの恋人」だが、当の朔也には全く相手にされていない。 二ヶ月ほど前、彼女が通う高校で起きた幽霊騒動を朔也たちが解決した縁で知り合い、 それ以来、この除霊屋に入り浸っているのだ。 「朔也さんってシャイなんだから(はぁと)」 「……」 無邪気な茜の言葉を、朔也は無視。反論さえしない。 それでも、茜はめげずに、鞄から菓子屋の包みを取り出した。 「今日の差し入れは浅草堂のイチゴミルク大福。――はい、食べて」 「……」 茜が差し出した一口サイズの大福を、やはり無視。 「朔也のことは諦めた方がいいんじゃないかい、茜ちゃん」 孝司がその大福を取り上げ、自分の口に放り込んだ。 「いくら追っかけを続けても振り向いちゃくれないよ、朔也は」 「追っかけじゃなくて恋人よ。コ・イ・ビ・ト」 「はいはい」 孝司は苦笑しながらパソコンの前に戻る。 「フられたな」 「高校生以下は対象外だよ」 健吾が孝司を冷やかしたが、当の孝司には落胆した様子はなく、むしろ満足げな笑みを 浮かべて茜を見ている。 「ただ、似ているんだよ」 「似てるって、誰に?」 「んー……。ちょっとね。――それより、甘い物食べて喉が乾いちゃったよ。聖美さん、 紅茶いれてもらえる?」 「はい。皆さんの分もいれてきますね」 「あっ。聖美さん、あたしも手伝う」 席を立った聖美を追って茜も簡易キッチンへ向かった。 やがて、二人は五人分のカップを運んでくる。イチゴミルク大福も小皿に二つずつ乗っ ているが、孝司の皿には一つしかない。 「茜ちゃん、僕の一つ少ないんだけれど」 「孝司さんはさっき食べたからダメ」 冷たく言い放った茜は、朔也のデスクに紅茶と大福を置く。 「はい、朔也さん(はぁと)」 「……」 沈黙。しかし、朔也は紅茶の香りで顔を上げ、小皿の大福に目を留めて手を伸ばした。 甘い物は好きなのだ。 それを承知しているからこそ、茜は毎日のように菓子類を買ってくるのである。 「朔也さん、おいしい?」 天使の微笑み。 「……」 それでも無視。 「おおっと。そうだ、朔也。依頼してきた現場の地図をプリントアウトしておいたよ」 大福を半分だけ口にした孝司が、先程のメールの添付地図を朔也のデスクに置いた。 「何か曰く付きの場所かな?」 「……いや。特に思い当たらない」 朔也は口に残ったペースト状のイチゴミルクを紅茶で喉へ流し込んでから答える。 「あれ? ここって、もしかして……」 朔也の後ろから地図を覗き込んだ茜が口を挟んだ。 「おやおや。茜ちゃんも古い霊場とかに詳しいのかい?」 「ううん。ここって、密かに人気の温泉地なんだって。テレビで取り上げられてたの。肌 が白くなるんだって」 「へーえ。そうなんだ」 「だったら、ついでに温泉に入っていこうぜ」 聖美から大福を一つもらって食べている健吾が朔也に提案した。 「いいね。秋の社員旅行ってところかな」 孝司も健吾に同調する。 「いずれにせよ泊まり掛けになるでしょうから、宜しいのではありませんか?」 どちらかといえば生真面目な聖美も反対していない。「肌が白くなる」の言葉が効いた ようだ。 「……解った。仕事の合間だけなら、温泉もいいだろう」 しばし考えた朔也は健吾たちの提案を条件付きで了承した。社長の肩書きを持っている 朔也だが、社員の多数決によって採択された意見には従わざるを得ないのだ。 「んじゃ、決まりだな」 「温泉なんて久しぶりだよ」 「安い宿を調べておきます」 「聖美さん、温泉は混浴にしてね。朔也さんの背中を流してあげたいから」 「……何?」 本日初めて、朔也が茜の言葉に反応した。 と言っても、混浴云々に興味があったわけではない。 「お前は社員じゃないだろう」 「そんなこと言わずに、あたしを温泉に連れてって(はぁと)」 「駄目だ」 無下に即答。 「朔也さんのいけず〜。プンプン」 流石の茜も頬を膨らませる。 「今度の月曜日はお休みだから、土日月と三連休になっちゃってヒマなの。除霊のジャマ しないから、ね」 「駄目だ」 やはり即答。 「相羽さんは藤宮さんを心配しているのですよ」 「もし本物の幽霊だったら大変だもんな」 「それでもプンプン」 聖美と健吾が二人で宥めるが茜の機嫌は直らない。 「む〜。でも朔也さんだって週末は愛する人と一緒に過ごしたいでしょ? だから――」 「その相手はお前じゃない……!」 三度目の拒絶の言葉には、それまでと違う強い感情が込められていた。 「怒ったの……?」 普段とは違う朔也の過剰な反応に、茜が恐る恐る訊ねる。 「…………い、いや。悪い」 朔也は顔を背けて茜に謝るが、部屋に満ちた険悪な空気は消えない。 「ごめんなさい、朔也さん」 「……気にするな」 「本当に悪いと思ったんなら、茜ちゃんも連れて行ってあげたらどうだい、朔也?」 重くなってしまった雰囲気を吹き飛ばすように、孝司が軽い調子で提案した。 「孝司」 「おおっと。怖い顔するなって」 朔也の鋭い視線を孝司はおどけて受け流す。 「自分に無理してまで茜ちゃんを嫌おうとしなくてもいいだろう?」 「……チッ。――出発は明日九時だ。遅れたら置いて行く」 朔也は渋々といった顔で茜に告げた。
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