彼女がバイトを始めた理由


「こっちに一つ、向こうに一つだな」
 視力がいいコリドラスさんが監視カメラの位置を確認した。
 霧が深いとは言っても、監視カメラの視界を完全に妨げるほどじゃない。こちらから見
える場所に設置されている監視カメラには僕たちの姿が映ってしまう。
「あっちの一台は遠いな。――できるか?」
「これくらいの距離なら大丈夫だよ。重いものを持ち上げるわけじゃないし」
 僕はプラティさんにうなずくと、足元に落ちていた木の葉をテレキネシスでつまみ上げ
た。
 そして、ごくごく自然な動きに見えるように木の葉を舞い上げて、一台目の監視カメラ
のレンズに貼り付ける。もう一台にはビニール袋をかぶせた。
「流石に便利だな、念動能力は」
「ま、まぁね」
 プラティさんは感心して言っただけだと思うけれど、姉さんに便利な『道具』扱いされ
ている僕には複雑な気分。
「それより、早くしないと警備の人が出てくるんじゃないの?」
「そうだな。急ぐか」
 僕たちは役に立たない監視カメラの脇をすり抜けて研究所に近付いていった。
 途中で監視カメラの整備に出てきたらしい警備員がやってきたけれど、僕たちは倉庫の
陰に隠れてやり過ごす。守衛室の前も何事もなく通過できた。
 そこから先は研究所の入り口まで遮蔽物は何もない。あとは覚悟を決めて研究所まで一
直線に走り抜けるだけ。
 僕たちがアイコンタクトを交わして同時に走り出そうした、その瞬間――
 研究所の裏手で爆炎が上がった!
「なっ、何? どうしたの?」
「たぶんおれたちの別働隊だろう」
 僕に答えたプラティさんは渋い顔をしている。
「五分後に陽動作戦を始める予定だったんだが……タイミングが早いな」
「なーんだ。陽動作戦だったらちょうどいいタイミングじゃないの?」
「おれたちの目的は鏑木だ。この騒ぎで鏑木に逃げられたら作戦失敗なのさ。違法な研究
をしていた証拠を処分されても困る」
「あ、なるほど」
「でもまぁ、お前には都合がいいかも知れないな。今のうちに彼女を見付けて連れ出せ」
「いいの? そんなことして鏑木所長に逃げられたら不味いんじゃない?」
「鏑木がどこに逃げようと千里眼で捕捉できるからな。ここで逃がしても捕まるのは時間
の問題さ。行くぞ」
 プラティさんが走り出す。
 僕もプラティさんを追いかけるように研究所へ向かった。
 ところが、しんがりを努めるコリドラスさんが立ち止まった。
「見付かった」
 振り返ると、何人かの警備員が僕たちを追いかけてくる。
「先に行け。オレが食い止める」
「解った。――行くぞ」
「えっ? ちょっと、一人だけ残していくなんて薄情じゃないの?」
 僕が声をかけると、プラティさんは走りながら首を振った。
「そうじゃない。おれたちがいると足手まといになるのさ」
「えっ? コリドラスさんって、そんなに強いの?」
「ここだけの話、コリドラスの近接戦闘力は『同盟』のエージェントの中では最高クラス
だ。ただでさえ反射神経が良いのに、それに加えて、一瞬先の自分を認識できるからな」
「それって予知能力?」
「ああ。極めて限定的な予知能力だが、的中率は九十九パーセント以上。マシンガンの斉
射を無傷で避けたときには驚きを通り越して呆れたよ。そんなわけだから、あいつの心配
なんてするだけ無駄だ」
 なるほど。姉さんの未来予知は何日も先まで解ることがあるけれど不安定。プラティさ
んはその逆で、一瞬先しか解らないけれど確実に予知できるんだ。
「それなら大丈夫だね。解ったよ」
 と、僕が安心した途端、プラティさんが僕を突き飛ばした。
「なっ、何を……」
 文句を言おうとした僕の目の前を光の矢が通り過ぎた!
「来ると思っていたわ」
 研究所の壁を焦がしたそれはデパートの駐車場で見たのと同じ電撃だ。聞こえた声も、
あのとき電撃を放った女の人のものだよ。
「どうやら、待ち構えていたみたいだな」
 立ち上がって振り返ると、予想通り、駐車場で藍さんを連れ去った女の人が立っていた。
その後ろにある電灯が割れている。
「今度はおれの番だな。先に行け、彼方」
 プラティさんが女の人から目を離さずに言った。
 研究所の入り口までは数メートル。体重を軽くできる僕なら二歩でたどり着ける。
 けれど、今度ばかりはプラティさんを残していくなんてできない。プラティさんは予知
能力なんて持ってないだろうし。
「ここは二人で立ち向かった方がいいんじゃないの?」
「いや。大丈夫だ」
「だって、あの電撃を受けたらプラティさんも」
「そりゃそうだ。でもな、見てみろ。勝利の女神はおれに惚れているらしい」
 プラティさんの肩に水滴が落ちた。水滴は次々と降ってきて、見る間に大雨に変わる。
「雨?」
「おれは雨男なのさ。これで、あちらさんの電撃は使えない」
 そうか。この雨の中では電気を飛ばそうとしても雨粒に邪魔されてしまうんだ。下手に
電撃を放ては自分まで感電してしまうかも知れない。
「それじゃ、ここはプラティさんに任せるよ」
「ああ。行ってこい」
 僕はプラティさんを信じて研究所の中に飛び込んだ。


 僕は研究所に入るとすぐに階段を駆け昇った。
 この研究所は二階建てだから、藍さんはきっと二階にいるはず。一階に閉じ込めておく
と窓から逃げられる可能性があるからね。
 階段を三段抜かしで二階に到着すると、左右に伸びる廊下に出た。
 左右対象にいくつかの扉が並んでいる。右には扉以外に何もないけれど、左にはパイプ
椅子の傍らで落ち着かない様子の男の人がいた。白衣を着ているけれどまだ若い。研究員
の助手なのかな。
 見た限りではその程度しか判らないけれど、あの人が廊下で何をしているのかは、パイ
プ椅子を見れば推理できる。部屋の前で見張りをしていたんだ。
 そうだよ。藍さんが捕まっているのはあの部屋だ。見張りがいるということは、その部
屋には見張らなければならない人がいるってことなんだ。
 僕は廊下に出て、男の人の前に姿を見せた。そのままゆっくり歩いていく。
「お、お前、侵入者か」
 見張りの人は思い切り動揺しておろおろする。僕は早足になって見張りの人に近付き、
その首筋に触れた。
 テレキネシスで頚動脈を圧迫。失神させる。
「あう……」
 僕のテレキネシスは基本的に生物の体の中には届かないけれど、直に触れていればこう
いう芸当もできるんだ。
 気を失った見張りの人を床に寝かせて、僕はドアノブに手を掛ける。鍵が掛かっている
かと思ったけれど、ノブはあっさり回った。
「藍さん!」
「あっ。彼方さん」
 ドアを開けて飛び込んだ部屋の中では、藍さんが熱い緑茶を飲んでいた。
 湯気の立つ茶碗の隣にはポットと急須が置いてある。大福のようなお茶菓子まで並んで
いた。
「どうしたんですか? そんなにびっくりして。お茶、飲みますか?」
「藍さんを助けに来たんだけれど……どうしてそんなにのんびりしているの? 怖くなか
ったの?」
「最初は怖かったですよ。泣きそうになっちゃいました。でも、そうしたら、ここの皆さ
んが声を掛けてくれたんです。外の見張りの人にはお茶とお菓子の差し入れまでいただき
ました」
「でも、誘拐されたんだよね?」
「そうみたいですね。この部屋から出ないように言われましたから」
 ……藍さんって、他の人とは感覚がとんでもなくズレているんだなぁ。誘拐された先で
くつろいでいるなんて。
「ところで、ここってどこなんですか?」
 今になって気付いたように藍さんが言った。
「鏑木研究所。超能力者を誘拐して人体実験しているんだってさ」
「えっ? 超能力者ですか? でも、わたし、超能力なんて持ってませんよ」
 きょとんとした顔で首を傾げる藍さん。普通の社会生活をしている超能力者が自分の超
能力を隠すのは当然だけれど、藍さんが嘘をついているようには見えない。
 だいたい、本当に藍さんが超能力者だったら、こんな部屋に閉じ込めておくなんてでき
るわけがないんだよね。テレキネシスが使えれば鍵なんて簡単に開けられるし、テレパ
シーが使えれば助けを呼ぶことができたはず。
「それじゃ、何かの誤解で超能力者に間違われたんだね」
「きっとそうですね。人違いなのに長居したら悪いですから、帰っちゃいましょうか」
「人違いじゃなくても連れて帰るよ。誘拐なんだから」
「あっ。それもそうですね。くすくす」
 藍さんは文字通りくすくすと笑う。もう少し緊張感を持ってほしいのに、これじゃ怒り
たくても怒れないよ。


 藍さんを連れて部屋を出た。
 見張りの人は廊下に倒れたまま。心配そうな顔をする藍さんに、僕は先に頷いて答える。
「大丈夫。気絶しているだけだよ」
 藍さんは少しためらっていたけれど僕が手を引くと一緒に歩き出した。
 出口は目と鼻の先にある非常階段。すぐに逃げ出せるはずだよ。
 そう思って安心した瞬間、横手にあるドアが開いた。
「わわっ」
 出てきたのは白衣を着た痩せぎすの男の人。胸の名札には「鏑木」と書かれている。こ
の人が鏑木所長なんだ。
「貴様! サンプルを……!」
 鏑木所長は持っていたアタッシュケースを僕に向かって放り投げた。
 僕が思わずそれを受け止めた隙に、鏑木所長は白衣の内側から拳銃を取り出してこちら
に銃口を向ける。
「きゃあっ」
 ちょっと遅れて声を上げたのは藍さん。
「ど、どうして研究所の所長さんがピストルなんて持っているの?」
「薬品の原料に紛れ込ませた密輸品だ」
 ユーモアを交えた僕の質問に鏑木所長はにこりともせず答えた。どうやらモデルガンじ
ゃないらしい。
「さぁ、サンプルを渡せ」
 鏑木所長は僕に拳銃を向けたまま言った。サンプルというのは藍さんのことに違いない。
 もちろん、人間を試料扱いする相手に藍さんを渡すつもりなんて僕にはない。
 それに、拳銃を向けられていたって僕は怖くない。僕には文字通り奥の手があるんだ。
それを使えば簡単に銃を取り上げることができる。
 ただ、それを使うとまずい事が一つだけある。
 僕のテレキネシスを藍さんに見られてしまうんだ。
 だからといって、テレキネシスだと判らないようにこっそりと使ったら拳銃を奪うのが
遅れてしまう。鏑木所長が引き金を引いてしまうかも知れない。
 僕が超能力者だと知ったら、藍さんは僕をどう思うだろう?
 ……ううん。そんなことで迷っている場合じゃないよね。
 僕は鏑木所長の右手に意識を向けた。
 テレキネシスで手首をひねり上げて銃口を逸らし、更に力を込めて拳銃を取り上げる。
「この念動力……! 貴様も能力者か!?」
「そうだよ。悪かったね」
 僕は奪った拳銃で鏑木所長を殴って気絶させた。
「か、彼方さん、今の……?」
「行くよ、藍さん」
 僕は弾を抜いた拳銃を投げ捨てて先に歩き出す。
 藍さんは、僕の後ろを三歩遅れてついてきた。


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