彼女がバイトを始めた理由


「で、その電撃能力者に藍ちゃんが連れ去られたのね?」
 藍さんのマンションに戻ってきた僕の報告を聞いて姉さんが言った。
「うん……。それに、いつの間にか怪しい二人組もいなくなっていたし」
「それで、あんたは今まで何をしてたの? 藍ちゃんがさらわれてから十分以上過ぎてる
じゃない」
「あ、それは、駐車場の周りを捜していたから……」
 姉さんに指摘されて答える僕。
「で、藍ちゃんの居場所の手がかりは?」
「……無い、かな?」
「時間の無駄ね」
 言って姉さんは大きな溜め息を吐いた。
「だ、だから、捜すより先に、まず秋元さんに連絡しないといけないと思って姉さんのと
ころに戻ってきたんだ。僕は秋元さんの携帯の番号を知らないから」
「今日の成績は減点六十ね。まず、誘拐犯が犯行直後に現場の近くをうろついてるわけが
ない。次に、涼子の仲介で受けた依頼なのに涼子への連絡方法を聞いてなかった。そして
何より、涼子より頼りになる人がいることを忘れてるのは大きな減点ね」
「えっ?」
「あんた、あたしを誰だと思ってるの?」
「……あっ」
 捜し物の在処や捜し人の居場所をピタリと言い当てるESPの持ち主。
 そうだよ。姉さんなら、藍さんが連れ去られた先を感知できる(かも知れない)。
「姉さん、お願い!」
「お願いされなくても捜してあげるわよ。依頼を受けたのはあんただけじゃないんだから」
 姉さんはそう言うと、藍さんの部屋の本棚から地図帳を出して、それをテーブルに広げ
た。
 そして、ポケットから取り出した水晶の振り子を右手から垂らし、ティッシュに包まれ
ていた一本の黒い糸を左手で握る。
「あっ。それ、もしかして――」
「保険に残しといた藍ちゃんの髪の毛よ。集中するから黙ってなさい」
「うん」
 僕が見守る側で、姉さんは地図の上で水晶の振り子をゆっくりと回し始めた。
 水晶の振り子なんていかにもオカルトっぽいアイテムだけれど、実は通信販売で買った
安物だよ。買った理由は『なんとなく集中できそうだから』。
 超能力は魔法と違って科学的な力だけれど、その日の気分とかで強くなったり弱くなっ
たりする、とても不安定なものなんだ。それを安定させるには、日常的に超能力を訓練し
たり、小道具を使って精神集中を助けたりしないといけないんだよ。
「――ここよ」
 数分後、姉さんの振り子が地図の一点を指して止まった。
「こ、ここは……!」
「そう。見事に何もない山の中ね」
 振り子が指した場所は街道から外れた山の中。
「失敗したんじゃないの?」
「確かな手応えがあったわ。藍ちゃんは間違いなくここにいる。――それを信じるかどう
かは、あんたの勝手だけど」
「解ったよ、姉さん。そこに行ってみる」
「だったら急ぎなさい。涼子にはあたしから連絡しておくわ」
 水晶をポケットに落とした姉さんが僕に言う。
「藍ちゃんを連れ去ったのも超能力者なら、身代金目的なんかじゃないのは明白ね。今の
ところ危険な目に遭ってる感じはしないけど、これから何をされるかまで保証できないわ
よ」
「うん。――あっ、これ、冷蔵庫に入れておいて」
 僕はデパートの買い物袋を姉さんに預けた。
「藍さんに明日の朝食を作ってもらうんだから」
「今夜の夜食になるように頑張りなさい」
 姉さんは買い物袋を受け取ると、僕の服の袖に付いたほこりを払いながら言った。
「うん。分かったよ。夕食に間に合うように助けてくるよ」
 僕はうなずいて、百メートル七秒の速さで駆け出した。


 カーナビの警告を無視して僕の車は右折した。
 地図に載っていない道を見付けたんだよ。姉さんがESPで感知した場所へ向かって続
いているみたいだ。
 その道に入って進むこと三分。最初は獣道みたいに粗雑な道だったのに、途中からしっ
かり舗装された道になっていた。
 こんな怪しい道路があるなんて普通じゃない。
 だから、僕はアクセルを踏み込んだ。僕にはESPなんてないけれど、僕の直感が、藍
さんはこっちにいると告げている。
 それから更に二分。辺りには急に霧が立ちこめてきた。とても深い霧で、十メートル先
も見えなくなる。
 それでも、僕はブレーキを踏まずに車を走らせた。
 藍さんは今もきっと誰かの助けを待っているんだ。一秒だって待たせることなんてでき
ないよ。
 ところが、緩いカーブを通り過ぎた直後、運転席のドアに何かが飛び付いてきた。
「うわわっ」
 僕は慌ててブレーキを踏んだ(ごめんね藍さん)。
 けれど、ドアに張り付いている何かは剥がれない。それどころか口を開いて僕に命令し
てきた。
「車を降りろ。自主的に降りるか強制的に降ろされるか選ばせてやる」
「――って、コリドラスさん?」
 ドアに張り付いていたのは、デパートの駐車場で会ったコリドラスさんだったんだ。
「なっ!? お前、さっきの……! どうしてここにいる!?」
「どうして? 藍さんを助けに来たんだよ。決まっているじゃないか」
「……そ、そうか。なるほど」
 僕が答えるとコリドラスさんは呆気に取られてしまった。そんなに変なことは言ってな
いよね。
「どうやら作戦失敗みたいだな。所員に変装して潜入なんて無理があったんだ」
 助手席側の茂みからプラティさんも出てきた。
「プラティ、これからどうする?」
「こうなったら自力で忍び込むしかないさ。霧もイイ感じに集まってきたからな」
「そうじゃない。この男をどうするかって言ったんだ」
 コリドラスさんは僕を指してプラティさんに告げる。
「このまま置いていったら、こいつ、車で突っ込むぞ。警戒が厳しくなる」
「だったら、一緒に行くしかないさ」
「なんだって? 社会に順応している能力者を巻き込むのはマズいだろ」
「他の連中には黙っておけばいいさ。念動能力者だったら足手まといにならないだろうし
な。――お前だって、彼女を助けたいんだろう?」
 プラティさんが僕に確認してきた。僕はうなずいて一言だけ答える。
「もちろん」
「だったら決まりだ。おれたちと一時協力しよう」


「おれたちは超能力者の人権を守るために結成された組織、『同盟』のエージェントだ」
 霧に身を隠して進みながらプラティさんが言った。
 僕たちの前を歩くコリドラスさんは黙ったまま。余計なことまでしゃべりそうだからっ
てプラティさんから緘口令を敷かれている。プラティさんがこれから話すことも、僕が決
して他言しないという条件で教えてもらっているんだよ。
 ちなみに、プラティとコリドラスというのはコードネーム。当然、本名は秘密だってさ。
「それって、スパイ映画とかに出てくる悪の秘密結社みたいなもの?」
「そりゃまた凄い言われようだな。信じられないのは無理もないが」
「だって、超能力者の組織があるなんて、まるで映画や小説の世界だよ」
「自分が超能力者のくせに常識人ぶるなよ」
 僕の言葉にプラティさんは肩をすくめた。僕が超能力を持っているのは完璧にバレてい
るんだなぁ。
「ともかく『同盟』は存在するんだ。ただ、『同盟』の影響力ははっきり言って弱い。国
家予算級の窃盗事件を起こす大胆な計画も、能力者による世界征服を企てる歪んだ理想も
ない。あるのは地味で小さな願いだけだ」
「小さな願いって?」
「超能力者が超能力者であるという理由だけで迫害されることのない世界を目指す――た
だそれだけの、小さな願いだ。小さいと言っても個人には大き過ぎる願いだから、組織を
作って目的を達成しようとしているわけだ。お前も能力者だったら、この平凡な願いがい
ばらの道ってことは理解できるよな?」
「うん、まあ。僕だって子供の頃は超能力を隠して暮らしていたからね」
 超能力を持っているなんて知られたら、周りの人に驚かれるだけじゃない。避けられて、
イジメられる。今の世の中では、普通じゃない人間は、人間として見てくれないんだ。
「張り合いのない奴だな。『悪の秘密結社』じゃなくて残念か?」
「そんなことないよ」
「ま、いいさ。どちらかと言えばこれから向かう場所の方が『悪の秘密結社』だな」
「あっ。そうだよ。この先に何があるの?」
「鏑木研究所だ。その研究所では、ある製薬会社から資金援助を受けて超能力の研究をし
ていることが判ったんだ。ただ研究するだけなら放っておいてもいいんだが、どうやら超
能力者を誘拐して人体実験をしているらしいんだな」
「ええっ?」
 人体実験なんて話には驚いた。でも、それより驚いたのは別のこと。
「それって、藍さんが誘拐されたのは、藍さんが超能力者だから、ってこと?」
 超能力者かどうかは外見だけじゃ判らない。けれど、超能力なんて普通じゃない力を持
っていると、その力を無理に隠して生きることになるから、少なからず精神を病んでしま
うんだ。力を隠さなければ周囲から迫害されて、やっぱり人格が歪んでしまう。
 僕には姉さんがいたから一時期ノイローゼになっただけで済んだけれど、世間から僕を
かばってくれた姉さんは、あんなにひねくれた性格になってしまった。父さんと母さんは
今も行方不明だし。
 でも、藍さんはどこにでもいるような可愛らしい女性だよ。僕はそう思う。
「彼女がどんな力を持っているのかは知らされていない。ただ、おれたちは彼女が狙われ
ているという情報を元に、彼女の周囲を見張っていたんだ」
「なんだ。それじゃ、僕と同じで藍さんをボディガードしていたんだね」
「ところが、それは違うんだな」
 プラティさんは複雑な表情で言った。
「おれたちの第一の目的は、彼女を餌にして研究所が行っている違法行為を確認すること、
だったのさ。『同盟』が守るのは超能力者全体の人権で、超能力者個人の安全じゃないっ
てことだ」
「そんな……。藍さんを囮にしたんだね」
「不満があるのはおれも同じさ。できることなら彼女も守るつもりだった」
 僕の非難の言葉にプラティさんは苦虫を噛み潰したような顔になる。
「だが、皮肉にも、彼女が連れ去られたことでおれたちの目的は達成された。クレアヴォ
イエンス――千里眼――の能力を持っている仲間が、研究所に運び込まれる彼女を確認し
たからな」
 千里眼っていうのは遠くの光景を見る能力のこと。姉さんのESPでは『感じる』だけ
れど、千里眼では『見る』ことができるんだ。そんな力を持っている仲間がいるなんて、
この人たちが所属しているのは大きな組織なのかも。
「で、おれたちに新たな指示が出た。その内容は、鏑木研究所で行われている違法な研究
の証拠を掴み、責任者である鏑木所長の身柄を拘束すること」
「藍さんの救出は二の次ってこと?」
 僕が尋ねるとプラティさんは黙ってうなずく。
「さっきも言ったが、おれたちの組織が守るのは超能力者全体の人権であって超能力者個
人じゃない。そこで、お前だ」
「僕?」
「駐車場で彼女を連れ去った女のように、研究所の側にも超能力者がいるのなら、おれた
ちでは彼女の救出まで手が回らないかも知れない。だが、お前なら、おれたち飼い犬とは
違うお前だったら自由に行動できる。おれたちに代わって彼女を助けてくれ」
 プラティさんの表情は真剣で、心の底から藍さんを心配していることが伝わってくる。
嘘をついているようには思えない。
 それに、たとえこの人たちが本当のことを話していないとしても僕の選択は変わらない。
藍さんを助けるためだったら、今の僕は悪の秘密結社にだって協力するつもりだよ。
「うん。藍さんのことは僕に任せてよ」
「だったら、その覚悟を見せてもらおうか」
 いつの間にか立ち止まっていたコリドラスさんが僕を振り返って言った。
 コリドラスさんの向こうには深い霧に覆われた白い建物がある。
「着いたぜ。鏑木研究所だ」


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