彼女がバイトを始めた理由


 僕たち三人は藤宮さんが住んでいるマンションへやってきた。
「へえぇ。ここかぁ」
「ふぅん。なかなかイイところじゃない」
 姉さんがイヤミを言うのも無理はない。
 まず、エントランスには電子ロック。訪問客はインターホンを使って用事がある部屋に
連絡して、内側からロックを開けてもらわなければ入れない。
 そして、マンションの要所要所には警備会社に直結した防犯カメラが設置されている。
 セキュリティは万全――とは言い難いけれど、泥棒除けになるから、若い女性が暮らす
には向いているんじゃないかな。
「ハイテクマンションって感じね」
 その表現は古いよ、姉さん。
「はい。お父さんがわたしのことを心配してこのマンションを借りてくれたんです。維持
管理費が高いのにちょっと無理して」
 と言いながら、藤宮さんは住人専用のカードキーで扉を開けた。
 僕たちも藤宮さんの後に続いてマンションの中へ。
 藤宮さんの部屋は七階の七〇三号室。
「ここがわたしの部屋です」
「おおっ。綺麗だなぁ」
 常にカオス状態の姉さんの部屋とは大違いの整理整頓された部屋に思わず歓声を上げる
僕。姉さんの代わりに掃除させられている身としては感動さえ覚えるよ。
 やっぱり綺麗好きな女の人っていいなぁ。
「彼方。見てないで仕事」
「はいはい。これだね。――盗聴発見器〜」
 言うだけで動かない姉さんに代わって、僕は荷物の中から盗聴発見器を取り出した。藤
宮さんが誰に付け狙われているのか判らないけれど、犯人に会話が筒抜けじゃ対策会議も
できないからね。

 二十分後。

「良かった。寝室にも仕掛けられていないみたいだね」
 藤宮さん立ち会いの元、発見器を使って部屋中をくまなく調べてみたけれど、結局、そ
れらしい物は発見できなかった。
「それじゃあ、やっぱりわたしの被害妄想なんでしょうか……。しゅん」
 僕の言葉を聞いて文字通りしゅんと落ち込む藤宮さん。
 憂いを帯びた横顔を見ると思わず慰めてあげたくなる。
「元気を出して、藤宮さん。盗聴器が見付からないのは嬉しいことなんだから」
 それに、一つでも盗聴器が見付かったら、他にも盗聴器があるかも知れないって疑心暗
鬼になるんだよね。
「あっ……。そうですね。がっかりすることないんですよね」
 藤宮さんは顔を上げて健気に笑顔を見せてくれた。
 やっぱり可愛いなぁ、藤宮さん。高飛車な姉さんと違って素直だし。
 だから、思わず守ってあげたくなっちゃうのかな。
「そうだよ、藤宮さん。もっと前向きに考えなくちゃ」
「はい。――あっ、彼方さん。わたしのことも名前で呼んでもらえますか?」
「えっ? いいの?」
「はい。わたし、妹が多いですから、名字より名前で呼ばれる方が慣れているんです」
「それじゃ遠慮なく。――解ったよ、藍」
「呼び捨てにしていいとは言ってないでしょ」
 僕の後頭部に姉さんの肘が叩き込まれた。
「姉さん、どこに行っていたの?」
「あたしも部屋や外の通路を見て回っていたのよ。取り敢えず、あたしが見た限りでも盗
聴器や盗撮器は仕掛けられてないわね」
「そっか」
 つまり、ESPでも感知できなかったってこと。
「じゃ、本題に入るわね」
 姉さんは勝手に藍さんのベッドに腰を下ろして脚を組む。僕と藍さんは床に座布団を敷
いてそこに座った。
「藍ちゃんが誰かの視線を感じ始めたのは一週間前からよね? それ以前に、新しく出会
った人とか、逆に別れた人とか、覚えてない?」
「済みません。特に思い当たる人はいないんです」
「それじゃ、藍ちゃんの周り、家族や親戚に変わったことは?」
「特にないと思いますけど。――あっ。妹に恋人ができたとか……関係ないですね」
「藍ちゃんの恋人は?」
「えっ!? そ、そんな人、いませんよ」
 おおっ。藍さんって恋人いないんだ。これはチャ〜ンス(不謹慎)。
「ふーん。じゃ、その辺りのことは後で調べるとして――これからの予定は?」
「はい。今日は特にありません」
「明日は?」
「午後から大学で英語の講義があります」
「だったらボディガードが必要ね。彼方を付けてあげるわ」
「あ……。それは、やめた方がいいです」
 藍さんは奥歯に物が挟まったような言い方をした。
「どうして?」
「僕のことだったら遠慮しなくていいんだよ。こき使われるのは姉さんで慣れてるし」
「そうじゃなくて……。わたしが通っている大学って、女子大ですから」
「あ、F女子大だっけ」
 F女子大と言えば、地元では有名なお嬢様学校。その大学の敷地内に男が入っていくに
は、学園祭とかは別として、かなりの勇気が必要。
「男の人はチェックが厳しいんです。女の人には案外甘いんですけど」
「それなら心配無用ね」
 と言ったのは僕の姉さん。
「ええっ? 姉さんがボディガードするの?」
「違うわ。彼方に女装させる」
「姉さん! あの日の屈辱を思い出させないで!」
 頭を抱えてフローリングの床をのたうち回る僕。
 高校の文化祭で、姉さんの命令で女装させられたんだよ(泣)。
 しかも美人コンテストに出場させられたし(大泣)。
 それで何故か優勝しちゃったし(苦笑)。
「そこまでしなくてもいいですよ。くすくす」
 僕たちのやり取りを聞いていた藍さんは文字通りくすくす笑いながら言った。
「あっ。そうです。遥さんも彼方さんも、今日はこちらに泊まっていって下さい」
「ええっ? いいの?」
「はい。その方が安心ですから」
 安心だなんて、これでも僕は男なんだよ。たとえ姉さんと一緒でも少しは警戒しないの
かな? それとも、僕ってそんなに無害な人間に見える?
「じゃ、そうするわ」
 僕の葛藤なんかお構いなしに、姉さんはあっさりと藍さんの提案を受け入れた。
「それなら夕食の買出しに行きたいんですけど、いいですか?」
「ええ。――彼方、護衛してあげなさい」
「うん。了解」
「それじゃあ、すぐに出掛けましょうか」
 藍さんがバッグを持って立ち上がった。
「待った、藍ちゃん。服にゴミが付いてるわよ」
 ツカツカ歩いてきた姉さんは藍さんの肩に付いていた髪の毛を摘み上げた。
「あっ。済みません、遥さん」
「いいのよ。――それより、彼方」
 姉さんは僕の耳を引っ張って小声で告げた。
「遠くから誰かに見られてる感じがするわ。悪意は感じないけど、注意しなさい」
「うん、解った。気を付けるよ」
 僕は姉さんにうなずいて玄関に向かった。
「そういえば、藍さんって独りでここに住んでいるの?」
「はい。実家からでも大学へ通えるんですけど、社会勉強のためにも独り暮らしをしてい
るんです。わたし、人見知りが激しいものですから」
「へえぇ。独り暮らしなんだ」
「何を聞いてるのよ、あんたは」
 僕の側頭部に姉さんの肘が打ち込まれた。


「タイムサービスの時間だったんだね」
「はい。仕送りしてもらっている身ですから、少しでも出費を切り詰めないと」
 デパートの買い物袋を持って歩いている僕と藍さん。
 袋に入っているのはタイムサービスで安くなった三人分の食材。僕と姉さんにも夕食を
ご馳走してくれるんだってさ。
 料理は女の仕事なんて差別はしないけれど、やっぱり料理の上手い女の人っていいなぁ。
「藍さんってバイトはしてないの?」
「したいとは思っているんですけど、つい気後れしちゃうんです。何かきっかけがあれば
いいんですけどね」
「そうだね。思い切ってやってみれば意外とできるものだよ」
 そんなことを話しながらデパートの立体駐車場にやってきた。藍さんはいつも徒歩で来
ているそうだけれど、今日は僕の車で来たんだよ。
「あれ?」
 駐車場を歩いていくと、知らない人が僕の車を覗き込んでいた。長い髪を茶色に染めた
男の人だ。
「どうしたんですか?」
「あっ。藍さん、顔を出さないで」
 僕の後ろから顔を覗かせた藍さんを止めようとしたけれど、ちょっと遅かった。男の人
は僕たちに気付いて早足で逃げ出す。
「藍さんは、ここで待っていて」
 僕は買い物袋を藍さんに預けて長髪の男の人を追い掛けた。
 向こうは早足から駆足になったけれど、僕との距離はみるみる縮まっていく。
 僕はテレキネシスを使って自分の体重を軽くできるからね。百メートルを七秒で走れる
んだ。空は飛べないけれど。
「ほら、捕まえた」
「くっ」
 肩を掴まれた男の人は振り向きざまに手刀を突き出してきた。
「うわっ」
 けれど、僕はテレキネシスで固めた空気をクッションにして手刀を受け止めた。そのま
ま男の人の腕をつかんで床に押さえつける。
 男の人は服が千切れるくらい暴れたけれど、僕は筋力だけじゃなくてテレキネシスも使
っているからね。並の人間じゃ振りほどけない。
「もう逃げられないよ。無駄な抵抗はやめてね」
「なんてこった。こっちも超能力者だったとはな……」
「えっ?」
 この人、僕がテレキネシスを使ったことに気付いたの? それに『こっちも』ってどう
いうこと?
 僕は男の人の言葉を聞いて疑問に思ったけれど、質問を口に出すことはできなかった。
「そこまでだ。プラティを放せ」
 別の男の声と同時に、僕の首筋に硬くて冷たい感触が。
 いくらテレキネシスが使えてもナイフを押し当てられたままじゃ逆らえない。二対一だ
し。
 僕はプラティと呼ばれた男の人をテレキネシスから解放して両手を上げた。
「助かったよ、コリドラス」
「だから近付くなって言ったんだ。この男、どう見ても無関係な一般人だろ」
「そうでもないさ。こんなユルい顔して能力者だからな」
「こいつも?」
 コードネームで呼び合う二人が同時に僕の顔を見る。プラティさんは優男風だけれど、
コリドラスさんはワイルドなスポーツマンって感じだ。
「で、お前さんは何者なんだ? どうして彼女の側にいる?」
 プラティさんが僕に尋ねた。コリドラスさんは持っていたナイフをジャケットの裏に収
めてくれたけれど、懐に手を入れて、いつでも抜けるように構えている。
「僕は探偵――調査業者だよ。今は藍さんのボディガードをしているんだ」
 隠しても意味がないから正直に答えて、今度はこっちから質問する。
「そっちこそ、どうして藍さんを付け狙っているの?」
「付け狙うだって? そりゃ誤解だ」
「プラティの言う通りだ。オレたちは鏑木研究所が彼女を狙っていると聞いて――」
「おい、コリドラス。お前はしゃべるな」
「鏑木研究所って?」
 口を滑らせたコリドラスさんから更に話を引き出そうと企む僕。
 でも、プラティさんがふと気付いてコリドラスさんに言った。
「ちょっと待て。おれたちがここにいるってことは、彼女は一人きりじゃないのか?」
「しまった!」
 僕を残して勝手に走り出すプラティさんとコリドラスさん。僕も慌てて追い掛ける。
「きゃあっ!」
 そのとき、女性の短い悲鳴が僕の耳に届いた。
 その声はすぐに聞こえなくなってしまったけれど、間違いない。藍さんの悲鳴だ。
 僕はプラティさんとコリドラスさんを追い抜き、藍さんの元へ急ぐ。
 テレキネシスを使って車の陰を直角に曲がると――
「藍さん!?」
 秋元さんと同い年くらいの女の人(けっこう美人)が、ぐったりとした藍さんをライト
バンに運び込もうとしていた。
「うるさいわね」
 女の人は僕に気付くと腕を振り上げ、まっすぐに腕を振り下ろす。
 すると、僕の頭上にあった電灯が砕け、そこから飛び出した閃光が僕の胸を直撃した!
「ぐはっ!」
 仰向けに倒れた僕は体が痺れて起き上がれない。
 プラティさんとコリドラスさんも追い付いてきたけれど、
「邪魔よ」
 女の人は再び腕を振って、横手の配電盤から稲妻のように電撃を飛ばした。
 あの女の人は電気を操る超能力者だったんだ。
「くっ!」
「うぐっ……」
 コリドラスさんは素早く地面に転がって電撃を避けた。でも、プラティさんは背中に直
撃を受けて膝を折る。
 その隙に女の人が乗り込んだライトバンはタイヤの音を軋ませて走り出した。
「あ……藍さん……」
 残された僕は頭の奧まで痺れていて、とてもテレキネシスをつかえるような状態じゃな
い。
 僕がどうにか立ち上がったときには、藍さんを乗せたライトバンは影も形もなくなって
いた。
 そして、プラティさんとコリドラスさんの二人の姿も消えていた。


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