「結婚指輪?」 「はい。心当たりのある場所は残らず探したのですが、どこにも」 三十代後半くらいの男の人が、デスクに肘を突いている所長――僕の姉さん――に、し ょんぼりした口調で告げた。 話によると、この人、結婚指輪をなくしてしまったらしいんだ。奥さんにバレたらマズ いよね。 「そういうのは交番へ行くべきじゃない?」 「行ってみましたが、それらしい指輪は届けられていないそうで……そこで、こちらへ伺 ったのです。占い師のように捜し物の在処を言い当てて下さると聞きまして」 「知ってるなら話が早いわ。ちょっと手を出して」 「はい」 男の人がデスクの上に手を置く。姉さんはその指に触れて目を閉じる。 やがてポツリと、 「机の下」 「は?」 「だから、あんたの家の書斎にある机の下。戻って良く探してみなさい」 「はぁ……。解りました。調べてみます」 男の人は、やっぱり半信半疑のまま、福沢諭吉二人を姉さんのデスクに置いて事務所を 出ていった。 「あの人、奥さんにバレる前に見付けられるといいね」 僕が言うと姉さんは、 「残念だけど、その奥さんは十年も前に他界。高校生の娘が一人。苦労人ね」 「あ、そうなんだ」 「あんたが余計なこと言わなくて良かったわ。それより、コーヒー入れてちょうだい」 姉さんは見掛けだけ豪奢な椅子に踏ん反り返って僕に命令する。 「しょうがないなぁ」 姉さんに逆らえない僕は簡易キッチンに置いてあるコーヒーメーカーのスイッチを入れ た。 さて。コーヒーができるのを待つ間に自己紹介をしておこうかな。 ここは僕たち姉弟で開いている西條探偵事務所。六階建てのオンボロ雑居ビルの二階に ある貧乏な調査業者。 でも、普通の探偵とはちょっと違うんだよ。 どこが違うのかって? それは、僕たちが超能力者だからだよ。 姉さんが持っている超能力はESP(超感覚的知覚)。落とし物の在処を探ったり、過 去や未来を読み取ったりできるんだ。 もっとも、未来予知は一瞬の光景が勝手に閃くだけだから本当に知りたいと思っている ことは滅多に予知できないよ。 姉さん曰く、『もっと自由に予知できれば競馬で大儲けできるのに』。 世の中そんなに甘くないってことだね。 で、弟の僕の超能力は見ての通りのテレキネシス。 あれ? 説明不足だったかな。 僕はソファーに座ったまま、手を触れずにコーヒーメーカーのスイッチを入れたんだよ。 テレキネシスを使ってね。 あ、そうだ。 姉さんの名前は西條遥。 僕の名前は西條彼方。 性格は正反対だけれど双子だよ。 なーんて自己紹介しているうちにコーヒーができた。 僕は慌てて立ち上がったりしないで、ソファーに座ったままコーヒーを二つのカップに 注ぎ分け、ミルクと一緒にこっちの部屋へ運んでくる。もちろんテレキネシスで。 と、そのとき。事務所の扉が開いて、ピシッとしたスーツ姿の女性が現れた。 「お邪魔するわね」 秋元涼子。刑事さん。 僕たちより二つ年上の二十五歳。独身。 以前に僕と姉さんが関わった事件からの知り合いで、僕たちが超能力者ということも知 っている。 だからといって、テレキネシスを使ってるときに突然入ってこられたら心臓に悪い。 「ノックくらいしてよ、秋元さん」 「あら。ありがとう、彼方くん」 秋元さんは僕の抗議もなんのその。宙に浮かんでいた僕のコーヒーカップを取り上げる。 「僕のコーヒーなんだけれど……」 「駄目じゃないの、彼方くん。お姉さんが味音痴だからって豆をケチったら」 聞いていないね。 僕は自分のコーヒーは諦めて姉さんのデスクにもう一つのカップを置いた。秋元さんは 低いテーブルを挟んで姉さんの向かい側のソファーに座る。 「で、何の用なの、涼子?」 姉さんはコーヒーにいきなりミルクを入れつつ秋元さんに尋ねた。 「そんなに邪険にしないで。せっかく、遥に仕事を頼みに来たのに」 秋元さんはブラックのまま二口飲んで、風味を楽しんでからミルクを入れた。 「また捜査協力させる気?」 「今日は違うわ。わたしの友達のことなんだけれど――入ってきていいわよ」 秋元さんが呼ぶと、扉の向こうで待っていた女の子が顔を覗かせた。 「あ、あの……。失礼します」 年齢は二十歳前後。ズボラな姉さんやいつも冷静な秋元さんとは対照的な幼顔で、服装 も仕草も子供っぽい。胸は大きいのに色っぽくないのはそのせいかな。 なんとなく顔色が悪いのは残念だなぁ。可愛いのに。 「ふぅん。話だけでも聞かせてもらいましょ。そこに座ってちょうだい」 「は……はい」 その女性は落ち着かない様子で秋元さんの隣に腰を下ろした。 「で、どっちが話してくれるの?」 「そうね。わたしが話すわ。彼女、口下手だから」 秋元さんは依頼人の女性に代わって説明を始めた。 「まず、彼女の名前は藤宮藍ちゃん。二十歳。F女子大の二年生」 「いいわね、若いって」 「そうねぇ。昔に戻りたいわ。――で、この藤宮藍ちゃん。一週間ほど前から誰かに付け 狙われているらしいのよ」 「それって、もしかしてストーカー?」 僕が尋ねると秋元さんは首を左右に振って、 「わたしも少し調べてみたけれど、いわゆるストーカーとは違うわね。自己顕示性が見ら れないから」 「裏を返せば証拠がないってことでしょ? 単なる勘違いってことはないの?」 「はい……。そうかも知れません」 姉さんの言葉に自信なさげに答える藤宮さん。隣の秋元さんが説明を付け加える。 「藍ちゃんも、なんとなく気配を感じるだけで確信が持てないそうなのよ。だから、彼女 もまだ警察沙汰にしたくないってことで、遥のところに連れて来たわけ。頼みたいのは藍 ちゃんの護衛。期限は藍ちゃんが納得するまで」 「なるほどね。そういうことなら引き受けてあげるわ」 「ええっ? 面倒くさがりの姉さんが進んで依頼を受けるなんて珍しい」 「あたしだって人助けくらいするわよ。――で、涼子。肝心の依頼料は?」 姉さん……。『人助け』と言っておきながら、舌の根の乾かないうちにお金の話を始め ないでよ。 「あら。わたしと遥の仲じゃない」 秋元さんは秋元さんで、まともに依頼料を払う気がないし。 「涼子。『親しき仲にも礼儀あり』って言葉、知らないの? それとも、警察を頼ってき た被害者にお金を出させるつもり?」 と言って、姉さんは藤宮さんに指を向ける。 「あ、あの。依頼料って、いくらくらいですか?」 藤宮さんが恐る恐る訊ねると、姉さんは、 「相談だけなら一回二万。彼方の出張は一日五万。あたしが出張ると十万。当然、食費・ 交通費別途請求」 「姉さん。それ、やっぱりボッタクリだと思うよ」 「あんたは黙ってなさい」 「はいはい」 依頼人が可愛くても僕は商談に口を出しちゃいけない。後が怖いから。 「仕方ないわね。クラトスのバッグでどう? アウトレットだけれど」 「まぁいいわ、それで」 結局、姉さんは僕に一言の相談もなくブランドバッグで仕事を受けてしまった。このと ころ財政事情が苦しいのになぁ。 ま、可愛い女の子を守る仕事は僕としても大歓迎だけれどね。 「それじゃ、藍ちゃんのことお願いね。わたしはバイオレットの件で忙しいけれど、何か あったらすぐに連絡して」 話が決まったところで秋元さんは席を立った。 バイオレットっていうのは、ここ最近、世間を騒がせている大怪盗のことだよ。秋元さ んは警察のバイオレット対策本部のリーダーになっているんだ。 「どうせ今夜も取り逃がすわよ」 「そう? 先に始末書を用意しておこうかしら」 「その方が無難ね。――さて。あたしたちも行くわよ、藍ちゃん」 「は、はい。西條さん」 秋元さんに続いて席を立った姉さんに呼ばれて藤宮さんが慌てて立ち上がる。 と、姉さんは藤宮さんに、 「ああ、そうそう、藍ちゃん。あたしたち二人とも『西條』だから、あたしのことは 『遥』でいいわ。そっちは『彼方』ね」 「あっ。そうですね。解りました、遥さん、彼方さん」 おおっと。下の名前で呼ばれちゃったよ。照れるなぁ。
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