ハウスキーピング・オペレーション


第8話 ハウスキーピング・オペレーション

 ご主人様が亡くなられたのは一年前のことです。

 その頃、ご主人様は内臓のご病気を患っていて、ベッドに伏せりがちでした。
 病気と言っても、気分の良いときは読書したり散歩したりできましたから、わたしも、ルシーダ様やエミーナ様も、あまり心配していませんでした。
 すぐに治ると思っていたんです。
 ところが、わたしがどんなに看病しても、お医者さんからもらったお薬を飲んでも、ご主人様の身体はどんどん弱っていって、そのまま……。
 ご主人様の葬儀の後、わたしは実家に帰って何日も泣いてばかりいました。
 でも、ご主人様の最期のお言葉を思い出して、再びエスティマ家に戻ってきました。

「娘たちを、この屋敷を、頼んだよ」

 そうです。お嬢様たちとお屋敷は、わたしが守ります。
 それが、ご主人様と約束したわたしのお役目なんです!

◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「ルシーダ様! 大変です!」
 翌朝、わたしはルシーダ様のお部屋に駆け込みました。
 ルシーダ様はいつものように寝ぼけていますけれど、わたしはすぐにカーテンを開けて、お部屋に朝日を引き込みます。
「大変なんです。一大事なんです。早く起きて下さい!」
「朝からそんな大声を出して、うるさいですわよ。大変大変って、何が大変なの?」
 何が大変ってそんなの決まっています。昨日の夜の怪しい人たちの話です。
 あの人たちは、強盗の仕業に見せかけてルシーダとエミーナを殺すなんて怖い話をしていたんです。
 こんなことを聞いてしまったら夜も眠れません。つまり徹夜です。完全に徹夜だから略して完徹です。
 わたしは徹夜明けの不思議なハイテンションでルシーダ様に説明します。
「悪い人たちのお話を聞いてしまったんです! 強盗が来るんです! いいえ、本当は強盗じゃなくてルシーダ様とエミーナ様の命を狙う殺し屋さんなんです。ヒットマンなんです。だから早く逃げて下さい! 逃げないと殺されてしまいます。殺されちゃったら死んじゃうんですよ。死んじゃったら冷たいお墓の下で誰にも会えなくて寂しいんですよ。わたしもルシーダ様やエミーナ様に会えなくなったら寂しいです。ご主人様が亡くなったときも寂しかったのにルシーダ様やエミーナ様にまで会えなくなったら寂し過ぎてわたしまで死んじゃいます。ウサギは寂しいと死んでしまうって本当なんですか!?」
「何を言っているのか分かりませんわ。最初からゆっくり説明しなさい」
「ゆっくり説明していたら手遅れになってしまうんです! 急いで説明しますからルシーダ様も急いで下さい!」
「急がば回れって言うでしょう」
 正論です。今日は珍しくルシーダ様が正論です。
 でも、落ち着いて話なんてできないんです。
「姉さん、こんな朝早くから何を騒いでいるの?」
 わたしがもう一度改めて説明しようとしたとき、お部屋の扉が開きます。
「あら、メリッサちゃん?」
「エミーナ様!」
 このところ規則正しい生活を送っていたエミーナ様も起きてきました。好都合です。
 わたしはお二人に昨日の夜のことを説明しました。エミーナ様は頭がいいから、わたしの話に相槌を打ちながら聞いて下さいました。
 サミィちゃんのことはナイショですけど、それ以外のことは、今度はしっかり説明できました。
 ところが、話を聞いたルシーダ様とエミーナ様は、二人でしばらく顔を見合わせると、わたしに言いました。
「強盗の仕業に見せかけてわたくしたちを殺そうとしている、ですって? 冗談にしては面白くありませんわよ」
「きっと夢を見たのね。疲れているからそんな夢を見るのよ」
 二人とも少しもわたしの話をちっとも信じていません。ちっとも、そっとも、はっとも信じていません。
「夢じゃありません! 本当なんです!」
「メリッサちゃんは、今日は休みなさい。マレーネには私たちから伝えておくから」
「それと、今の話、言い触らしてはいけませんわよ。他の者たちまで不安になってしまいますわ」
「……はい。分かりました」
 …………。
 分かりました、じゃありません。
 ルシーダ様もエミーナ様もどうして信じてくれないんでしょう。
 二人のお命を狙う悪い人たちがいるんです。それなのに休んでなんかいられません。
 わたしは心の中で決意しました。
 お空の上から見ていて下さい、ご主人様。メリッサは立派にお屋敷を守ってみせます!


 わたしは考えました。
 まず、殺し屋さんたちの正体を突き止めないといけません。
 昨日の夜、ルシーダ様とエミーナ様を殺すなんて怖ろしい話をしていたのは、二人の男の人たちでした。
 顔は見ていません。昨日、話を聞いた後は、怖くなってベッドに潜り込んでしまったんです。
 一人の声は聞いた事があるような気がするんですけれど、やっぱり怖かったので、あまり覚えていません。
 …………。
 殺し屋さんの正体は分からないので、次は殺し屋さんの行動を推理してみましょう。
 それは大丈夫です。どうにか覚えています。

『では、明日の夜、裏門の錠を外してお待ちしていますよ』

 話を聞いたのは昨日ですから、今日の夜です。殺し屋さんは裏門からやってきます。
 時間と場所さえ分かればこっちのものです。作戦は決まりました。
 お屋敷を守る作戦、名付けて「ハウスキーピング・オペレーション」、始動です!


 始動です!
 ……なんて格好の良いことを言っても、作戦の立案も準備も実行もわたし一人でやらないといけません。
 メイドの仕事がお休みになってしまったのは好都合でした。準備の時間はたっぷりです。
 でも、力仕事になりますから道具がないと難しいです。
 その道具はマーリスさんが庭仕事に使っているのを見たことがあります。いつもは倉庫に置いてあるはずです。
「お邪魔しまーす」
 わたしは倉庫の扉を開けました。
「おや、メリッサさん。どうかなさいましたか?」
 倉庫の中には執事のエネミーさんがいました。こんなところで珍しいです。
「体調が優れないので大事を取って休まれている、と聞いておりますが」
「はい。作戦で……」
 あっ、話しちゃダメです。ルシーダ様に言われています。

『今の話、言い触らしてはいけませんわよ。他の者たちまで不安になってしまいますわ』

 殺し屋さんだなんて怖い話をして余計な心配をかけちゃいけません。
 わたしは途中で言い直します。
「いいえ、ちょっと探し物を」
「そうですか。では、私は屋敷に戻りますので」
 エネミーさんは不思議そうな顔をしましたけれど、早足に倉庫を出ていきました。どうにかごまかせたみたいです。
 それでは作戦に使う道具を探しましょう。
 わたしは倉庫を見回しました。
 それは、壁に立てかけてありました。
 大きなスコップです。
 そうです。わたしが考えた作戦は、名付けて「裏門に落とし穴を掘っちゃいます大作戦」です。内容はそのまんまです。
 誰かが裏門から入ってきたら落ちるようにするんです。そうすれば殺し屋さんが来ても安心です。
 名案だと思いませんか? 思いますよね? わたしも、自分で自分を頭がいいなーって思っちゃいました。
 さあ、落とし穴を掘りましょう!


 頭がいいだなんて、うぬぼれるにも程があります。
 わたしの作戦には大きなミスがあったんです。
 だって、スコップを使っても穴を掘るのは疲れるんです。腰の深さまで掘ったところで、もうへとへとです。
「あれ? メリッサ」
「こんなところで何しているのよ? そんな土まみれで」
「あっ……」
 アリサちゃんとコリーナちゃんです。その後ろにはミズキちゃん、クララちゃん、エマイユちゃん、キディちゃんもいます。見つかってしまいました。
「えーと……。穴を掘っていたんですよ」
 話すかどうか迷いましたけれど、わたしは正直に答えました。嘘をついても、土で汚れた顔とスコップを見れば何をしていたのか一目瞭然なんです。
「それは見れば分かるんだけどさ」
「何のために掘っているのか聞いているのよ」
「そ、それは……」
 どうしましょう? 殺し屋さんが来るから落とし穴を掘っているんです、なんて話したらみんなが怖がってしまいます。
 わたしは考えました。必死に考えて、考えた末に言いました。
「ビックリドッキリパーティーです」
 ……なんですか、そのパーティーは?
 わたしにも分かりません。口から出任せです。
「そっか。ビックリドッキリパーティーか」
「サプライズパーティーでしょう? それならわたしも混ぜてよ。誰を驚かすの?」
 ところが、アリサちゃんもコリーナちゃんもすっかり信じています。特にコリーナちゃんは自分も参加するつもりです。
 こうなったら話を合わせておきましょう。
「ルシーダ様のお客様を驚かすんですよ。それで、ルシーダ様に穴を掘るようにこっそり頼まれたんです。マレーネさんにもないしょで」
「マレーネさんにバレたら怒られそうだもんね」
「それで、ここに穴を掘ればいいのね。中に隠れて待ち伏せするの?」
「はい。そんなところです。だから、できるだけ大きな穴を掘りたいんです」


 こうして、みんなで交代しながら穴を掘ることになりました。結果オーライです。
 他のみんなはお仕事があるので先にお屋敷の方に戻りましたけれど、それでも、夕方にはわたしの身長くらいある深い落とし穴になりました。広さも十分です。
 あとは、落とし穴の上にボロ布をかぶせて、その上に土を被せてカモフラージュすれば完成です。
 わたしはボロ布を取りにお屋敷に戻ったついでに、お風呂にも入って、土で汚れたメイド服も着替えてきました。
 やっぱり綺麗な服の方が気分がいいです。またすぐに汚れちゃいますけど。
 でも、服が汚れる前に困ったことが待っていました。
 落とし穴の前に小さな人影が立っていたんです。
 エネミーさんです。
「どうかしたんですか、エネミーさん?」
「メリッサさん……。こんな穴を掘っているとは思いませんでしたよ」
 わたしが声をかけると、エネミーさんは落胆した顔で言いました。
「おかげで裏門の錠を開けることができません」
「……えーっと……?」
 わたしは、エネミーさんの言葉の意味を、すぐには理解できませんでした。突然だったから頭の切り替えができなかったんです。
 すると、エネミーさんはいつもの穏やかな口調とは違う、冷たい声で言います。
「飲み込みの悪い人ですね。私の目的に気付いたから、ここで罠を張っていたのではないのですか?」
「あっ! それじゃ、昨日の夜のあの声は、エネミーさんだったんですか?」
 そうです。わたしが聞いたのは、この、氷でできたナイフみたいな声だったんです。
「話を聞いていながら、私だということに気付いていなかったのですか?」
「はい。ちっとも」
「……あなたは本当に鈍い方ですね。他の誰でもなく、あなたに聞かれたのは不幸中の幸いでしたよ」
 エネミーさんは何か可哀想な人でも見るような目をして言います。
「しかし、どうやら、私はあなたと相性が悪いようです。一年前に続いて今回もあなたに邪魔をされるとは思いませんでした」
「一年前?」
 わたしはエネミーさんに問い返しました。急に一年前と言われても身に覚えがありません。
 その頃のわたしはご主人様の看病ばかりでしたし、ご主人様がお亡くなりになった後は、しばらく実家に戻っていたんです。
「分かりませんか?」
「分かりませんけど」
 わたしは首を傾げました。
「本来なら、先代が亡くなった時点でお嬢様方も亡き者にし、相続する者のいなくなったこの屋敷を手に入れる予定だったのですよ」
「ええっ!? エネミーさんって、そんなに昔から悪いことを考えていたんですか?」
「ええ。しかし、あなたのせいで計画を中止せざるを得なかったのです」
「わたし、何かしましたっけ?」
 わたしは再び首を傾げました。エネミーさんの邪魔をしたことなんて覚えていません。
「もうお忘れですか?」
「何をですか?」
「先代に取り入って誘惑したことですよ。看病と偽って先代の寝室で何をしていたのか、誰にも知られていないとでもお思いですか?」


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