ハウスキーピング・オペレーション


第9話 わたしのご主人様

 わたしがご主人様と初めて出会ったのは十年前のことです。

 それは、アエラス様の奥様の葬儀の日でした。
 わたしの実家、ウィステリア家はエスティマ家お付き合いがあり、当時子供だったわたしも葬儀に参列していました。
 ルシーダ様とエミーナ様に初めてお会いしたのも、そのときです。
 わたしたちは年齢が近かったので、葬儀の合間には子供同士でお話をしていました。お二人とは不思議と気が合って、「ルシーダちゃん」「エミーナちゃん」と呼ぶほど仲良くなれたのです。
 ルシーダちゃんとエミーナちゃんは、突然の事故でお母様を亡くしたばかりだというのに、できるだけ気丈に、できるだけ冷静に、振る舞っていました。わたしは二つ年上のお姉さんですから、お二人を元気付けようと子供なりに考えていましたけれど、取り越し苦労だったみたいです。
 それどころか、ルシーダちゃんもエミーナちゃんも、自分のことよりお二人のお父様、アエラス様のことを心配されていました。
 わたしが両親に連れられてアエラス様のところへご挨拶に伺ったときは、マレーネさんや執事の人(エネミーさんの前任の方です)に葬儀の指示を出していて、しっかりした人のように思えましたけれど、ルシーダちゃん、エミーナちゃんと一緒に陰からアエラス様の様子を覗いたときは、今にも消えてしまいそうなほど落ち込んでいたのです。
 わたしは、アエラス様のために何かしたいと思いました。
 でも、子供だったわたしには何もできませんでした。
 早く大人になってアエラス様の助けになりたいと、そう思ったのです。

 それから何年か過ぎ、わたしは礼儀作法を学ぶため、メイドとしてエスティマ家に預けられることになりました。
 そこで、わたしはアエラス様と再会したのです。
 アエラス様はわたしのことを覚えておいででした。
「久しぶりだね。すっかり大きくなって、見違えたよ」
 その言葉を聞いた瞬間、わたしは自分の気持ちに初めて気付きました。
 わたしは、アエラス様が好きなのだと。

 その気持ちは、自分の中にひっそりと留めておくつもりでした。
 わたしとご主人様には歳の差がありますし、ルシーダ様、エミーナ様へ遠慮する気持ちもありました。
 だから、わたしはメイドなのだと自分を言い聞かせて、アエラス様への想いを抑えるようにしていました。
 でも、アエラス様が病に伏せり、弱っていく姿を見ているうちに耐え切れなくなってしまいました。

 ――もし、ご主人様がわたしの気持ちを知らないまま、遠いところへ旅立ってしまったら――

 そう考えると、わたしは胸が張り裂けてしまいそうなほど苦しくなったのです。
 アエラス様の看病をしていたある夜、わたしは自分の想いをアエラス様に伝えました。
 そして、アエラス様はわたしの想いが真剣であることを知って、わたしを受け入れて下さいました。

 ご主人様がお亡くなりになる一週間前のことでした。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「先代に取り入って誘惑したことですよ。看病と偽って先代の寝室で何をしていたのか、誰にも知られていないとでもお思いですか?」
 そうです。
 エネミーさんの言う通り、わたしはご主人様と男と女の間柄になりました。何度かベッドを共にしたことも事実です。
 でも、『誘惑した』だなんてひどい言いがかりです!
 ご主人様は、病気が治ったら結婚しようとまで言って下さいました。わたしの両親に挨拶へ行くのはいつ頃がいいか、ルシーダ様やエミーナ様にどのように話を切り出そうかと、ご主人様と一緒に考えたこともありました。
 わたしとご主人様は真剣に愛し合っていたんです。
 だから、何も知らない人にとやかく言われる筋合いはないんです!
「そっ、それとこれとは話が違います! わたしがご主人様と何をしていてもエネミーさんには関係ないじゃないですか」
「関係ありますよ。お嬢様方を亡き者にしたとしても、先代の跡継ぎが生まれてしまっては、この屋敷を乗っ取る計画が破綻してしまいますからね」
「跡継ぎ?」
 ……そうでした。
 もし、もしもわたしとご主人様が結婚して赤ちゃんができちゃったりしたら、その赤ちゃんはルシーダ様とエミーナ様の弟か妹になるんです。ちょっと信じられませんけど、そういうことになってもおかしくなかったんです。
「あなたが実家に戻ったときは本当に焦りましたよ。どうやら要らぬ心配だったようですが」
「そんな心配はしなくてもいいんです。それより、エネミーさんはどうやってこのお屋敷を乗っ取るつもりだったんですか? エネミーさんはエスティマ家の親戚の人じゃありませんよね?」
 わたしは話を戻してエネミーさんに尋ねました。跡継ぎがいて困るのは、その子が家督の相続権を持っているからです。
 すると、エネミーさんはうなずいて言います。
「はい。私はエスティマ家の血縁ではありません」
「だったら、どうやって?」
「エルクですよ。あの子はエスティマ家の先々代の妹君の孫なのです。私が調べたところ他にエスティマ家の縁者はおりませんから、お嬢様方が亡くなれば、家督はエルクが継ぐことになるのですよ」
「えっ? エルクさんとエネミーさんって、本当の親子じゃなかったんですか?」
「そうです。エルクは孤児院から私が引き取って育てました」
 もしそれが本当だったら、エルクさんがエネミーさんより背が高くてハンサムさんなのも納得です。エネミーさんもロマンスグレーの渋い魅力がありますけど、わたしはごめんなさいです。
「先々代の妹君、つまり、先代の叔母は駆け落ち同然でエスティマ家を飛び出し、若くしてお亡くなりになったそうです。しかし、その叔母に子や孫がいたことまでは先代もご存じなかったようですな」
「それは僕も知らなかったよ。僕が物心付いたときには、もう孤児院で暮らしていたからね」
「えっ?」
 わたしの後ろから聞こえてきた声は……エルクさん?
「どうしてエルクさんがここに?」
「え……。そ、それは、メリッサさんが穴を掘っているって聞いたから手伝おうと……。あ、いや、今はそんなことより」
 エルクさんはわたしを後ろに下がらせて、エネミーさんに向き合いました。
「もし父さんの話が本当だったとしても、僕は家督の相続を放棄する。だから、そもそもそんな計画は成り立たないよ」
「なっ……何を言っているのです! この家の財産が欲しくはないのですか」
「僕は、僕が好きな人を哀しませてまで裕福な暮らしをしたいとは思わない。好きな人の傍で働ける今の生活が良かった。そう……良かったんだ」
 エルクさんはわたしの方を見て、それから顔を伏せて、でも、もう一度顔を上げて言いました。
「諦めてくれ、父さん。もう終わりにしよう。僕も、付き合うから」
 そして、エルクさんはエネミーさんに手を差し出しました。
 ところが、エネミーさんはその手を振り払います。
「これまで育ててやった恩を忘れて何を言うのです。あなたなど、もう息子でも何でもありません」
「父さん……」
 なんだか二人だけのシリアス世界になってしまいました。わたしはエルクさんの後ろでおろおろするだけです。とても話に割り込める雰囲気じゃありません。こんなときに割り込めるのはルシーダ様くらいです。
「そこまでよ! あなたの悪巧み、全て聞かせていただきましたわ」
 ほら、良く通るルシーダ様の声を聴いたら誰でも振り返ってしまいます。
 ……ルシーダ様!?
 振り向くと、ルシーダ様がこちらを見下ろしていました。倉庫の屋根の上から。
「残念よ。この家の使用人に悪党が紛れ込んでいたなんて」
 倉庫の裏側からはエミーナ様まで現れました。
「お二人ともどうしたんですか?」
「正義のヒロインは何でもお見通しですわ」
「姉さん、ふざけていないで早く降りたら?」
 エミーナ様に言われてルシーダ様は倉庫の屋根から姿を消します。裏にハシゴがあるみたいです。
 その間に、エミーナ様は厳しい言葉をエネミーさんに投げかけます。
「何はともあれ、こうして悪事を耳にしてしまった以上、見過ごすことはできないわね」
「……こ、こうなっては仕方ありません」
 不利を悟ったエネミーさんは突然走り出しました。そして、落とし穴の横を通って裏門に向かいます。
「あっ、大変です!」
 裏門の向こうでは悪い人たちが待っているんです。
 ところが、屋根から降りてきたルシーダ様は少しも慌てずに言いました。
「大丈夫よ。もう片付いているのが見えたから」
「えっ? それって……」
 と、わたしがまごまごしているうちに、エネミーさんは裏門を開けてしまいます。
 その門の向こうに立っていたのは……。
「サミィちゃん?」
 そうです。ネコ耳で眼鏡でメイド服の新人さん、サミィちゃんです。
「そんな……! サミィちゃんも悪い人だったんですか?」
「違うわよ。『悪い人』は、あっち」
 サミィちゃんが指す方をみると、人相の悪い男の人たちが縛られて地面に転がっています。
 そして、縛られた人たちの周りには、いつかのパーティーでお会いした三人が立っていました。確かお名前は、ルークさん、ファリアさん、ウィッツさん。ウィッツさんは縛られている人たちからナイフなどの刃物を取り上げています。
「そ……そんな……」
 それを見たエネミーさんは思わず後ずさりして、
「ひゃあぁぁぁ……」
 変な声を上げながら、わたしが掘った落とし穴に背中から落ちてしまいました。気を失ってしまったみたいです。穴の底は柔らかい土ですから大きな怪我はしていないと思いますけど。
「一体どうなっているんですか?」
 わたしはサミィちゃんに尋ねました。
 サミィちゃんはルシーダ様とエミーナ様に視線を向けて、お二人がうなずくのを見てから口を開きます。
「あたしたちはエスティマ家に雇われた密偵だったのよ」
「密偵?」
「最近、わたくしを誘拐しようとしたり、エミーナの研究室が爆発したり、何かとキナ臭い雰囲気だったでしょう」
「だから、屋敷の警備と、犯人を捜すために人を雇っておいたのよ」
 ルシーダ様とエミーナ様が言いました。
「エネミーが怪しい動きをしていることは、もうサミィから聞いていたのよ。それなのにメリッサちゃんが朝から大騒ぎするから……。エネミーに目をつけられないように休暇にしたのに、こんな落とし穴を掘っていると聞いて驚いたわよ」
「おまけに、アリサがエルクに、穴を掘るのを手伝うように言ったっていうじゃない」
「いつでも飛び出せるように様子を見ていたけれど、エルクの本心が聞けて良かったわ。エルクまでエネミーに協力しているのか、それだけが分からなかったから」
「そんなわけないじゃないですか。エルクさんはいい人ですよ。そうですよね、エルクさん」
 わたしはエルクさんを振り返りました。
「はぁ……」
 でも、エルクさんは、一言ではとても言い表せない複雑な顔をしています。
 信じていたお父さんが実は悪い人だったんだから、エルクさんはショックですよね。茶化しちゃいけません。
「やあ、メリッサちゃん。また会ったね」
 そのとき、サミィちゃんやファリアさんと一緒に、ルークさんが手を振りながらやってきました。
 わたしは思わずエルクさんの後ろに隠れてしまいました。ナンパはお断りなんです。
「エネミーが雇った男たちは片付けておきました」
 ファリアさんが頭を下げて、ルシーダ様とエミーナ様にご報告しました。ウィッツさんはエネミーさんを縛っています。
「衛兵の詰め所には連絡しましたので、男たちはそちらに運んでおきます。エネミーの身柄は如何しますか?」
「そうね。一緒に連れて行ってもらえるかしら? エネミーとは明日にでも改めて話をしたいから、今夜一晩、頭を冷やしてもらいましょう」
「承知しました。ご依頼されていた調査の方も、エネミーと共謀した医者を締め上げて話を聞き出してありますので、それも明日報告いたします」
「ええ、お願いするわ」
「今ここで報告してもいいんじゃないの? アエラス様の毒殺の話だよね」
 ファリアさんとエミーナ様の話に割り込んだのはルークさんです。……って、毒殺!?
「ご主人様を毒殺って、一体どういうことなんですか!?」
「昔ここの主治医だった医者がエネミーとグルになって、アエラス様が罹っていた病気の薬と偽って毒を飲ませようとしたんだよ」
「あなた、メリッサの前でその話は――」
 ルシーダ様が拳を振り上げてルークさんの話をやめさせようとしました。わたしを心配して下さったみたいです。
 でも、ここまで聞いてしまったら、わたしも最後まで聞いておきたいです。
 だって、わたしのご主人様に関係がある話なんですから。
「いいんです。話を続けて下さい」
「そんなに身構えて聞かなくても大丈夫だよ。用意した毒はドジなメイドさんのおかげで床にこぼしたって言うし、その後すぐにアエラス様の病状が悪化したそうだから、結局のところ毒は使わなかったんだ。毒殺未遂には変わりないけれどね」
「……そう。パパは病死だったのね。ほんの少しだけ、安心したわ」
 ルークさんの話を聞いて、ルシーダ様は振り上げた拳をゆっくり下ろします。
 わたしも、ちょっとだけ、ほっとしました。
「またメリッサちゃんに感謝しなくちゃね」
「そうね。わたくしたちだけでなく、パパの命まで救っていたんだから」
「えっ? ドジなメイドさんって、わたしのことで決まりですか?」
「他に誰がいるというの?」
 それは……いませんけど……。
「ともかく、後のことはわたくしたちに任せて、メリッサは安心して休みなさい」
「昨日はあまり眠っていないのでしょう?」
「……はい」
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
 天国のご主人様、お屋敷の平和は守られましたよ。
 わたしはあんまり役に立っていなかったような気がしますけど、そんなのは気のせいです。気のせいだから気にしちゃいけません。
 お屋敷の平和が守られたからそれでいいんです!

 そして、これからもお屋敷が平和であり続けるために、わたしは……。


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