ハウスキーピング・オペレーション


第3話 アリサちゃんの片想い〜決着編

「今日も忙しそうだね、メリッサさん」
 わたしとアリサちゃんが掃除道具を運んでいるとエルクさんに会いました。アリサちゃんはわたしの陰に隠れていまいましたけど、もちろんすぐに見付かってしまいます。
「アリサちゃんも」
「いっ、いいえっ。アタシはダイジョブです」
「アリサちゃんが屋敷に来てからそろそろ半年だよね。そんなに緊張していないで、早く仕事に慣れるといいね」
 エルクさんはそう言って微笑みました。アリサちゃんはますます緊張してしまいます。
 アリサちゃんは仕事に不慣れで緊張しているんじゃありません。エルクさんの前であがっているんです。
 ……でも、言えません。じれったいです。お魚の骨がのどに引っかかっているみたいなじれったさです。
「エルー!」
 そのとき、エルクさんを愛称で呼びながらやってきたのはアリサちゃんの恋敵、コリーナちゃんです。コリーナちゃんはサンドイッチを載せたお皿を持っています。
「新作のサンドイッチよ。食べてみて」
「また僕が味見係かい? しょうがないね、コリーナちゃんは」
「いいから食べて、感想聞かせてよ」
 コリーナちゃんは、エルクさんの前だとちょっとだけ意地っ張りになります。アリサちゃんの逆です。
 意地っ張りでも積極的にアタックしているところは、アリサちゃんも見習わないといけませんよね。
 でも、エルクさんもエルクさんです。女の子の気持ちに鈍過ぎます。
「そうだ、メリッサさんとアリサちゃんも一緒にどうかな?」
 エルクさんはわたしたちにサンドイッチのお皿を差し出しました。
「ア……アタシは別に、おなか空いてないから」
 アリサちゃんはそれだけ言うと、その場を走り去ってしまいました。
 コリーナちゃんの恋心をトッピングしたサンドイッチを食べられるわけがありません。でも、だからって逃げちゃダメですよ。
「ごめんなさい、エルクさん。わたしたち、そろそろお仕事に戻らないといけないんです。だから、また今度です」
「あっ、メリッサさん……」

◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
 今日は『アリサちゃんがエルクさんに告白するにはどうすればいいか考える会』の四回目です。
 ルシーダ様とエミーナ様はそれぞれのチームから手を引くことになりました。ルシーダ様は面白半分ですし、エミーナ様は反則です。
 でも、ルシーダ様のように強引な進め方をしないとアリサちゃんは先に進んでくれません。
「もういいよ。どうせアタシなんて……」
「こうなったら仕方ないわね」
 さっきのことで更に落ち込んでいるアリサちゃんを見かねて、ミズキちゃんが口を開きました。
「わたしの経験上で二番目に成功率が高かった方法を教えてあげる」
「一番は教えてあげないんですか?」
「クララの前でそんな刺激的なことは話せないでしょう」
 刺激的って、どんな方法なんでしょう?
 考えたら顔が赤くなっちゃいますから考えないでおきます。
「そ、それじゃ、二番目の方法ってなんなの?」
 アリサちゃんは顔が真っ赤だから考えちゃったみたいです。
「それはラブレターよ」
「ラブレター?」
「わたしだって、アリサと同じ歳の頃は自分から男に話し掛けるなんてできなかったのよ。だから、手紙に書いて渡したの」
「さすがはみずきおねえさまですぅ。けいけんほうふですねぇ」
 クララちゃんはとっても素直で可愛いです。いろいろ教えてあげたくなっちゃいます。
「便箋なら何枚か持っているから、アリサにあげるわね」
「そ、それじゃ、書いてみるよ」
 アリサちゃんが机に向かいました。
 そして、ペンを手に取ろうとして、その手を止めて振り向きます。
「アタシ、字が書けなかった」
 ラブレター作戦失敗です。
 でも、ここで引き下がっちゃいけません。
「それじゃ、わたしが代筆しますね」
 わたしはアリサちゃんに代わってペンを取りました。
「そっか。メリッサは字が書けるんだ」
「はい。お勉強しましたから」
「この屋敷のメイドで字が書けるのは、わたしとメリッサとマレーネさんだけでしょうね。キッチンメイド・チームも書けないはずだから、コリーナに一歩リードできるわよ」
「うん。ありがと、ミズキ姉、メリッサ。それに、クララも」
「ところで、らぶれたーにはどんなことをかくのですかぁ?」
「あっ……」
 クララちゃんが尋ねるとアリサちゃんは口を開けたまま固まってしまいました。ラブレターの文面のことをすっかり忘れていたみたいです。
 ラブレター作戦は再び行き詰りました。


 結局、ラブレターには『好きです』と一言だけ書くことになりました。
 おしゃれな言葉を並べてもアリサちゃんっぽくないって、ミズキちゃんが強引に決めちゃったんです。わたしもちょっとストレート過ぎるかなぁと思ったんですけど、これで気持ちは伝わりますから、そのまま代筆しちゃいました。
 あとはエルクさんにラブレターを渡すだけです。
 ところが、再び作戦にミスが発覚しました。
 アリサちゃんはエルクさんにラブレターを渡すことができません。
「頼むよ、メリッサ。アタシの代わりに渡してきて」
「ダメですよ。自分で渡さなくちゃ」
「だってさ、ほら、アレだよ。アタシ、すぐにあがっちゃうからさ」
「……しょうがないですね」
 そんなわけで、わたしはラブレターをハンカチに包んでエルクさんのところへ向かいました。一応、アリサちゃんも一緒です。
「わたしにできるのはここまでですよ。あとはアリサちゃんが一人でがんばらなくちゃダメです」
「わ、分かってるよ。……あっ」
 廊下の角を曲がったところでアリサちゃんが上ずった声を上げました。タキシードの後ろ姿が見えたんです。
 でも、アリサちゃんはちょっと気が早いです。あれはエルクさんじゃなくてエネミーさんです。
 エルクさんとエネミーさんは親子だから似ていますけど、エネミーさんの髪には白髪が混じっています。背も低いです。
「おや? どうかしましたか?」
 エネミーさんが振り返りました。
「エルクさんを探しているんですけど、エネミーさん、知ってますか?」
「エルクに何か御用ですか?」
「はい。実は、これを渡したいんです」
「あっ、メリッサ!」
 アリサちゃんは恥ずかしかったみたいですけど、もう遅いです。エネミーさんに便箋を見せてしまいました。
「それは……ラブレターですか」
 エネミーさんはアリサちゃんの顔が真っ赤なのを見て、軽く溜息を吐いて言いました。
「ほどほどにして下さいよ。エルクは、この屋敷を一人で取り仕切ることができるように、早く一人前にならなくてはいけないのですから」
「ごめんなさい。お勉強の邪魔はしませんから」
「まあ宜しいでしょう。エルクでしたら蔵書のリストを作っていますよ」
「それじゃ、書庫にいるんですね。ありがとうございます」


 わたしたちはエネミーさんにお礼を言って、お屋敷の書庫へ向かいました。
 ご主人様――先代の当主様が集めていらっしゃった本を納めた書庫です。
 その書庫の中、書棚の間を見ていくと……いました。エルクさんです。
 エルクさんは書棚にある本を一つずつ確認して、手元の紙にタイトルや著者さんの名前を書き込んでいます。エルクさんは頭が良くて細かいことにも気が回るから、こういう仕事が得意なんです。
 その分、体力はあんまりないんですけど、それでも、転びそうになった女の子を支えてあげるくらいできます。
 アリサちゃん、それでエルクさんを好きになっちゃったんです。しかも初対面だったんです。これ以上ないほど乙女っぽい出会いですから、好きになっちゃう気持ちも分かります。
 あっ、そうそう。コリーナちゃんはエルクさんに出会った瞬間の一目惚れらしいです。それも乙女っぽいですよね。
「それじゃ、ラブレターを渡してきちゃいますよ」
 わたしは振り返ってアリサちゃんに言いました。
「うん」
「本当に渡してきちゃいますからね」
「うん」
「本当の本当にいいんですか?」
「……うん」
 しょうがないです。
 わたしはラブレターを持ってエルクさんのところへ向かいました。
「エルクさん。ちょっといいですか?」
「わわっ!? メリッサさん!?」
 わたしが声を掛けるとエルクさんは慌てて振り返りました。慌て過ぎてペンも落としてしまいました。
 急に声を掛けたから驚かせちゃったみたいです。
「こんなところに何か用かい? 本を探しているんだったら手伝うよ」
「いいえ。これをエルクさんに届けに来たんです」
 わたしはハンカチの包みを解いてエルクさんにラブレターを渡しました。
「えっ? メリッサさん? これは……?」
「夕方の休み時間に裏庭で待っていますから、OKだったら来てくださいね」
 わたしは、このとき大失敗していたことに少しも気付きませんでした。


「アリサちゃん! エルクさんが来ましたよ」
 夕方、わたしとアリサちゃんが裏庭の茂みに隠れていると、ラブレターを持ったエルクさんがやってきました。
 アリサちゃんは一人じゃ恥ずかしくて待てないって言うから、「これでお手伝いは最後ですからね、本当の本当に最後ですからね」と念を押して、わたしも一緒に待っていたんです。ミズキちゃんとクララちゃんはお屋敷の二階からこっそり見守っています。
「ウソ? ホントに?」
「本当ですよ。ほら、アリサちゃんも自分の目で見て下さい」
「アッ……ホントだ」
 茂みの陰から顔を出したアリサちゃんがエルクさんの背中を見て言いました。いつになく嬉しそうな声です。
「早く出て行かないとダメですよ。エルクさんを待たせちゃ悪いですから」
「そ、そう、だよね」
 アリサちゃんは音を立てないように茂みを抜けていきます。
 それに気付かないエルクさんも緊張しているみたいです。少しそわそわしています。
「あっ、あのっ、エルクさん!」
 意を決して話し掛けたアリサちゃんは思いっきり緊張して声が上ずっています。
「あれ? アリサちゃん?」
 ところが、話し掛けられたエルクさんは意外そうな声です。
「どうしてここに? メリッサさんは?」
「エッ?」
 そうです。わたしは大失敗していました。
 わたしはエルクさんに「アリサちゃんからのラブレター」と伝えていなかったんです。ラブレターの中にも名前を書いていません。
 ラブレターを渡したのはわたし。代筆したのもわたし。エルクさんに誤解されちゃっているんです。
「その、この、あの、アタシ、エルクさんに、だから」
 予想外のことにアリサちゃんの緊張も最高潮になっちゃいます。もう言葉になっていません。
 でも、エルクさんはさすがです。すぐに事情を呑み込んでしまいました。
「もしかして、この手紙って……?」
「それ、アタシが……」
「そうだったのか。ごめんよ、今まで気付かなくて」
 エルクさんはアリサちゃんの頭をなでて、アリサちゃんの気を落ち着かせながら言います。
「でも、僕はアリサちゃんのことを妹みたいに思っているし、これからもそうだと思う。それに、実は僕にも好きな人がいるんだ。だから、ごめんよ」
「……うん」


 アリサちゃんは泣いているんじゃないかと思いましたけど、わたしのところに戻ってきたときには照れ笑いを浮かべていました。
「アハハ……。フられちゃった」
 だから、わたしはアリサちゃんをぎゅっと抱きしめました。
「まだチャンスは残っていますよ。アリサちゃんを妹みたいに思っているってことは、アリサちゃんを嫌いなわけじゃないんですから」
「ううん。いいんだよ。エルクさん、もう好きな人がいるって言ってたし。だから、アタシはダイジョブだよ」
 きっと辛いでしょうに、アリサちゃんは気丈に応えます。なんて良い子なんでしょう。
 こんなにけなげな女の子よりも好きな人がいるなんて、エルクさんは思ったより理想が高い人だったんですね。ちょっと意外です。
「それにしても、エルクさんが好きな人って誰なんでしょうか?」
 わたしがつぶやくと、アリサちゃんは赤い目をパチクリさせました。
「どうしたんですか、アリサちゃん?」
「だってさ、エルクさんが裏庭に来たってことは……ううん。なんでもないよ」
 アリサちゃんは、ちょっとだけ意地悪な目をして、でも、楽しそうに笑います。
 どうしたんでしょうか?


 数日後、コリーナちゃんもエルクさんに告白したそうですけど、やっぱりダメだったそうです。
 エルクさんが好きな人って本当に誰なんでしょう?


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